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第一部
20.贈り物(後編)
しおりを挟む「……なぜ、こんなに遅くまで。夕方報せを出したはずだが……読まなかったのか?」
「いえ、ちゃんと読みましたわ。ただ、わたくしが待ちたかっただけで……。もしかして、もう夕食は済まされてしまいましたか?」
「いや……、まだだ。まだ……何も」
「良かった。でしたら、今から一緒に召しあがりませんか?」
「……っ」
(ああ……なぜだ? どうして俺はこんなにも動揺している?)
朝食のときは、彼女を見てもこんな気持ちにはならなかったはずなのに――。
アレクシスの心に芽生える未知の感情。
温かくて、むずがゆくて、けれど同時に、胸を締め付けられるような不思議な感覚。
苦しいのに、嫌ではない。
悲しくないのに、泣きたくなる。
そんな初めての感情に、アレクシスは化粧箱を持つ手にぎゅっと力を込めた。
緊張に、冷や汗が滲む。
「食事の前に、君に渡したいものがある。側に寄ってもかまわないか?」
アレクシスは、普段は決してエリスに近づかない。
食事を一緒にするようになっても、二人の物理的な距離は離れたままだ。
それはアレクシスが自分の女嫌いを自覚しているからであり、また、エリスが自分のことを恐れていると思っているからだった。
近づけばエリスを怯えさせてしまうかもしれない。
咄嗟に突き飛ばしてしまうかもしれない。
アレクシスの中には、常にそんな恐れが存在していた。
だが、贈り物くらいは自分の手で渡したい。
侍従や侍女の手を介さず、自分の手で……。
アレクシスはそんな気持ちで、エリスの返事を待つ。
するとエリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにふわりと微笑んだ。
「はい、もちろんです、殿下」――と。
その笑顔に、アレクシスの心臓が跳ねる。
彼はごくりと喉を鳴らし、一歩、二歩と慎重にエリスに近づいていった。
そしてエリスのすぐ目の前に立つと、化粧箱の蓋をゆっくりと開いた。
美しく輝くエメラルドと、沢山のダイヤモンドが散りばめられたネックレスが、エリスの瞳に映される。
「殿下……まさかこれを、わたくしに……?」
「そうだ。三日後の舞踏会のドレスに合わせて作らせた。ギリギリになってしまって、すまなかった」
「……っ」
「本当はもっと早く完成させる予定でいたんだが……デザインをあれこれ悩んでいたらこんな時期になってしまってな」
実は忘れていただなんて、口が裂けても言えやしない。
「え……? このネックレス、殿下がデザインされたのですか?」
「ああ……一応な。き……気に入らないか……?」
「そんな、まさか……! 気に入りましたわ! 凄く……凄く綺麗です。……本当に嬉しいです。ありがとうございます、殿下」
気恥ずかしそうに微笑むエリスに、アレクシスは心底安堵する。
こんなにも緊張したのは、初めて戦場に立ったとき以来かもしれない、と。
だが、とても良い気分だった。
戦果を認められるのとは、全く違う達成感。
自分の贈り物を、喜んでくれる人がいる。
その人の喜ぶ顔を見ると、こんなにも満たされた気持ちになるのかと。
それはアレクシスにとって、思い出の中のエリスとの出会いと同じくらい、特別な瞬間だった。
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