15 / 151
第一部
15.マリアンヌとのお茶会(前編)
しおりを挟むアレクシスがエメラルド宮に居室を移して二週間が過ぎた日の午後、エリスは馬車で水晶宮に向かっていた。
第四皇女マリアンヌが主催するお茶会に出席するためである。
第四皇女マリアンヌとは、クロヴィスの実妹で皇后の三人目の子だ。
絵画や音楽など芸術性に優れた才能を持ち、二十歳という若さでありながら公共事業として美術館や音楽堂の建設に力を入れていると聞く。
クロヴィスと同じく美しい金髪と碧い目をした、人形のように愛らしい見た目の女性である。
またアレクシスの情報によれば、彼女はシーズンの間、月に一度このようなお茶会を開いているとのこと。
招待客は毎度三十名以上という大規模なもので、その全員が伯爵家以上の娘だという。
(どうしましょう……。何だか緊張してきたわ)
帝国貴族の伯爵位というのは、周辺諸国の侯爵、あるいは公爵程度の力を持っているものだ。
エリスはアレクシスの妻とはいえ、片田舎の小国の公爵家の出身。
そんな彼女が、今日のような高貴な娘たちとのお茶会に不安を感じるのは当然のことだった。
(でも、しっかりしなくちゃ。今日のお茶会は、わたしと殿下の仲の良さをアピールする絶好の機会だもの)
エリスは二週間前のアレクシスの言葉を思い出す。
俺は女が嫌いだ。だからこれ以上妻はいらない。そのために、俺たちの仲が良好であると周りに示しておきたい――アレクシスはそう言った。
それを聞いたとき、エリスは確かに思ったのだ。
彼の力になりたい。アレクシスのことはまだ怖いけれど、彼の事情も理解してあげたい、と。
(わたしは彼の妻だもの。できるだけのことはするわ)
そんなことを考えている間に、目的地に着いたようだ。
エリスは馬車から降り、侍従の案内で会場までの長い廊下を進んでいく。
水晶宮と呼ばれるだけあって、建物のほぼ全てがガラス製だ。
流石に床は大理石だが、それ以外の壁や天井、梁や柱に至るまで、ガラスで造られている様は圧巻である。
(綺麗。本当に水晶でできているみたい。帝国って凄いのね)
エリスがエメラルド宮を出るのはこれが初めてだ。
輿入れのときは精神的に追い詰められていたために、帝都の様子を見ている余裕はなかった。
だからエリスが街を見るのもこれが初めてなのだが、帝都の街並みは美しく立派で、エリスをどこまでも驚かせた。
お茶会の会場は巨大な温室のようになっていた。
ガラスでできたドーム状の広い建物の中には、青々とした沢山の観葉植物や、色とりどりの花が咲き乱れている。
いくつも並べられたテーブルでは、先に到着したであろう令嬢たちがお喋りに興じていた。
令嬢たちはエリスに気が付くと、皆一様に優しく微笑み、
「ごきげんよう」「あら、初めての方かしら」「仲良くしてくださいね」と声をかけてくれる。
名前を尋ねられ、「エリスと申します。この度皇室の末席に加えていただくことになりました。皆さまどうぞよろしくお願いいたします」と答えた後も、令嬢たちの態度が変わることはなかった。
(よかった。これなら上手くやれそうだわ)
エリスはほっと安堵する。
――だが、そのときだった。
別のテーブルについていた令嬢のうちの一人が、突然こう言い放ったのだ。
「あら、よろしくだなんて。いくら皇子殿下の妃だからって、しょせんは側室。それも小国出身の公女となど、仲良くなんてできませんわ」と。
「……っ」
その辛辣な物言いに、エリスは言葉を失った。
和やかだった空気に一気に緊張が走り、他の令嬢たちはどうすべきかと顔を見合わせる。
おそらく、今発言した令嬢は身分が高いのだろう。
他の令嬢は顔色を伺うように、ひそひそと言葉を交わし始める。
(どうしましょう。この空気……)
悪いのは自分ではない。
そうは理解していても、自分のせいで空気を悪くしてしまったことに、エリスは責任を感じえなかった。
来なければよかった、と、自己嫌悪に陥るほどには。
「……わたくし、おいとまを……」
エリスは呟く。もう、帰ってしまおうと。
反論するのも、肯定するのも、嫌味を返すのも、彼女にとっては億劫でしかなかったからだ。
――が、そんなとき。
身を翻そうとするエリスの行動を遮るように、険悪な空気を一瞬で吹き飛ばす陽だまりのような声が響き渡った。
「あら、エリス様。来てくださったのね。嬉しいですわ」
「――!」
刹那、ざわりと空気がどよめいた。
令嬢たちが口々に、「マリアンヌ様」と呟く。
――そう。彼女こそがこのお茶会の主催者、第四皇女マリアンヌだった。
金糸のように眩い髪に、泉のように碧い瞳。透き通るような白い肌。そして、たおやかな仕草。おまけに声まで美しい。
どこをとっても皇族らしい、噂に違わぬ美しいマリアンヌの姿に、エリスは思わず目を奪われた。
マリアンヌはそんなエリスに優しく微笑みかけて、そのあと、テーブルに座る一人の令嬢を見定める。
そして、昂然と言い放った。
「あなたのさっきの発言、わたくしはちゃんと聞いていたわ。この方を侮辱するということは、わたくしたち皇族を侮辱するのと同じ。今すぐ出ていきなさい。あなたには、今後一切わたくしのお茶会に出入りすることを禁じます」
「――!」
瞬間、さあっと令嬢の顔が青ざめる。
けれど彼女はなす術もなく、黙って会場から出ていった。
マリアンヌはそれを見届けると、空気をリセットするように、二度大きく手を叩く。
そして何事もなかったかのように美しく微笑んで、お茶会の再会を宣言したのだった。
488
お気に入りに追加
1,528
あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。

【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう
天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。
侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。
その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。
ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。

婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる