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第一部
15.マリアンヌとのお茶会(前編)
しおりを挟むアレクシスがエメラルド宮に居室を移して二週間が過ぎた日の午後、エリスは馬車で水晶宮に向かっていた。
第四皇女マリアンヌが主催するお茶会に出席するためである。
第四皇女マリアンヌとは、クロヴィスの実妹で皇后の三人目の子だ。
絵画や音楽など芸術性に優れた才能を持ち、二十歳という若さでありながら公共事業として美術館や音楽堂の建設に力を入れていると聞く。
クロヴィスと同じく美しい金髪と碧い目をした、人形のように愛らしい見た目の女性である。
またアレクシスの情報によれば、彼女はシーズンの間、月に一度このようなお茶会を開いているとのこと。
招待客は毎度三十名以上という大規模なもので、その全員が伯爵家以上の娘だという。
(どうしましょう……。何だか緊張してきたわ)
帝国貴族の伯爵位というのは、周辺諸国の侯爵、あるいは公爵程度の力を持っているものだ。
エリスはアレクシスの妻とはいえ、片田舎の小国の公爵家の出身。
そんな彼女が、今日のような高貴な娘たちとのお茶会に不安を感じるのは当然のことだった。
(でも、しっかりしなくちゃ。今日のお茶会は、わたしと殿下の仲の良さをアピールする絶好の機会だもの)
エリスは二週間前のアレクシスの言葉を思い出す。
俺は女が嫌いだ。だからこれ以上妻はいらない。そのために、俺たちの仲が良好であると周りに示しておきたい――アレクシスはそう言った。
それを聞いたとき、エリスは確かに思ったのだ。
彼の力になりたい。アレクシスのことはまだ怖いけれど、彼の事情も理解してあげたい、と。
(わたしは彼の妻だもの。できるだけのことはするわ)
そんなことを考えている間に、目的地に着いたようだ。
エリスは馬車から降り、侍従の案内で会場までの長い廊下を進んでいく。
水晶宮と呼ばれるだけあって、建物のほぼ全てがガラス製だ。
流石に床は大理石だが、それ以外の壁や天井、梁や柱に至るまで、ガラスで造られている様は圧巻である。
(綺麗。本当に水晶でできているみたい。帝国って凄いのね)
エリスがエメラルド宮を出るのはこれが初めてだ。
輿入れのときは精神的に追い詰められていたために、帝都の様子を見ている余裕はなかった。
だからエリスが街を見るのもこれが初めてなのだが、帝都の街並みは美しく立派で、エリスをどこまでも驚かせた。
お茶会の会場は巨大な温室のようになっていた。
ガラスでできたドーム状の広い建物の中には、青々とした沢山の観葉植物や、色とりどりの花が咲き乱れている。
いくつも並べられたテーブルでは、先に到着したであろう令嬢たちがお喋りに興じていた。
令嬢たちはエリスに気が付くと、皆一様に優しく微笑み、
「ごきげんよう」「あら、初めての方かしら」「仲良くしてくださいね」と声をかけてくれる。
名前を尋ねられ、「エリスと申します。この度皇室の末席に加えていただくことになりました。皆さまどうぞよろしくお願いいたします」と答えた後も、令嬢たちの態度が変わることはなかった。
(よかった。これなら上手くやれそうだわ)
エリスはほっと安堵する。
――だが、そのときだった。
別のテーブルについていた令嬢のうちの一人が、突然こう言い放ったのだ。
「あら、よろしくだなんて。いくら皇子殿下の妃だからって、しょせんは側室。それも小国出身の公女となど、仲良くなんてできませんわ」と。
「……っ」
その辛辣な物言いに、エリスは言葉を失った。
和やかだった空気に一気に緊張が走り、他の令嬢たちはどうすべきかと顔を見合わせる。
おそらく、今発言した令嬢は身分が高いのだろう。
他の令嬢は顔色を伺うように、ひそひそと言葉を交わし始める。
(どうしましょう。この空気……)
悪いのは自分ではない。
そうは理解していても、自分のせいで空気を悪くしてしまったことに、エリスは責任を感じえなかった。
来なければよかった、と、自己嫌悪に陥るほどには。
「……わたくし、おいとまを……」
エリスは呟く。もう、帰ってしまおうと。
反論するのも、肯定するのも、嫌味を返すのも、彼女にとっては億劫でしかなかったからだ。
――が、そんなとき。
身を翻そうとするエリスの行動を遮るように、険悪な空気を一瞬で吹き飛ばす陽だまりのような声が響き渡った。
「あら、エリス様。来てくださったのね。嬉しいですわ」
「――!」
刹那、ざわりと空気がどよめいた。
令嬢たちが口々に、「マリアンヌ様」と呟く。
――そう。彼女こそがこのお茶会の主催者、第四皇女マリアンヌだった。
金糸のように眩い髪に、泉のように碧い瞳。透き通るような白い肌。そして、たおやかな仕草。おまけに声まで美しい。
どこをとっても皇族らしい、噂に違わぬ美しいマリアンヌの姿に、エリスは思わず目を奪われた。
マリアンヌはそんなエリスに優しく微笑みかけて、そのあと、テーブルに座る一人の令嬢を見定める。
そして、昂然と言い放った。
「あなたのさっきの発言、わたくしはちゃんと聞いていたわ。この方を侮辱するということは、わたくしたち皇族を侮辱するのと同じ。今すぐ出ていきなさい。あなたには、今後一切わたくしのお茶会に出入りすることを禁じます」
「――!」
瞬間、さあっと令嬢の顔が青ざめる。
けれど彼女はなす術もなく、黙って会場から出ていった。
マリアンヌはそれを見届けると、空気をリセットするように、二度大きく手を叩く。
そして何事もなかったかのように美しく微笑んで、お茶会の再会を宣言したのだった。
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