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第一部
13.突然の謝罪(前編)
しおりを挟む午後八時を回った頃、エリスはダイニングにてアレクシスと夕食を共にしていた。
だが食事が始まって三十分が過ぎた今も、二人の間に会話らしき会話は一切ない。
二人は十人以上掛けられる長いテーブルの端と端に座り、無言でナイフとフォークを動かし続けていた。
(どうしましょう……。わたしから話しかけた方がいいのかしら。でも、余計なことを言って前回のように怒らせてしまってはいけないし……)
――気まずい。料理の味がしない。
部屋の空気の重たさに、胃が痛くなってくる。
エリスは憂鬱な気持ちで、それでも淑女らしくピンと背筋を伸ばし、料理を口に運ぶ。
けれどしばらくして、メインの肉料理が運ばれてきたときだ。
アレクシスが不意にこんなことを言う。
「君は、料理をするらしいな」と。
「……え?」
エリスは驚いた。
この一ヵ月、一度も宮を訪れていないアレクシスがどうしてそのことを知っているのだろう、と。
それに、今アレクシスは自分のことを「君」と呼んだ。前回、初夜のときは「お前」呼びだったのに――。
(急にどうなさったのかしら……)
エリスは一瞬放心するが、すぐに我に返って返事をする。
「申し訳ございません。皇子妃が料理をするのは、よくありませんでしたか?」
「いや、そうは言っていない。――ただ……」
「ただ……?」
「どんな料理を作るのだろうかと思ってな」
「……? 殿下は、料理に興味がおありなのですか?」
「興味と言うか…………いや、もういい」
「…………」
(いったい何なの……?)
エリスは困惑した。
目の前のアレクシスが、まるで自分と会話したがっているように思えたからだ。
絶対に有り得ないことだとわかっているのに、一瞬でもそう感じてしまったことが、自分でも不思議でならなかった。
(もしかして、どこかお身体の具合でも悪いのかしら? でも、もしそうならこちらにいらっしゃったりはしないはず。……やっぱりわたしの気のせいね)
エリスは再び食事を食べ始める。
だが、食後のデザートが運ばれてきたときのことだ。
アレクシスが突然「人払いをしろ」と言い出した。
それを受けてセドリックを含めた全ての使用人は外に出され、部屋にはエリスとアレクシスだけが残される。
当然エリスは恐怖した。
アレクシスと二人きり――初夜のことを思い出し、身が縮んだ。
いったい自分は何を言われるのだろうか、何か粗相をしてしまったのだろうか、と。
そんな中、アレクシスが口にした言葉。それは、エリスの予想を上回るものだった。
なんとアレクシスは「すまなかった」――と、謝罪の言葉を口にしたのだ。
「……え?」
エリスは耳を疑った。
そもそも、いったい何に謝られているのかわからなかった。
それに帝国の皇子であるアレクシスが自分に謝罪をするなど、考えられないことだ。
茫然とするエリスに、アレクシスは繰り返す。
「悪かった。伽のこと……手荒に扱ってすまなかった」
「……っ」
「君はもう知っているかもしれないが、俺は女が苦手なんだ。その上俺は君を"乙女ではない"と誤解していた。……それで、あんなことを」
「…………」
「だからといって許されることではないと理解している。許してほしいとも思っていない。ただ……謝っておかねばならないと。……怖い思いをさせて、本当にすまなかった」
心から後悔しているように、エリスを見つめるアレクシスの瞳。
その眼差しに、エリスは悟る。
この人は、本気で謝ってくれている――と。
だからと言って許せるわけではない。
あの夜の恐怖が無かったことになるわけではない。
それでも、アレクシスは心から悪いと思って、こうして謝ってくれている。
家族にもユリウスにも裏切られてきたエリスにとって、それはとても大きなことだった。
「……殿下、わたくしは……」
けれどそんなアレクシスを前にして、エリスの脳裏に過ったのは懐かしいユリウスの顔で――十年を共に過ごし、支え合ってきたかつての恋人で。
エリスは、唇をぎゅっと噛みしめる。
本当は、ユリウスにこうして謝ってもらいたかった。
「全部僕の誤解だった。本当にごめん。許してほしい」――そう言って抱きしめてもらいたかった。
けれど、もうそんな日は来ないのだ。
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