上 下
2 / 112
第一部

2.突然の婚約破棄(中編)

しおりを挟む

 ◇


「この役立たず――! よもや殿下を裏切るなど、恥を知れ!」

 その晩、公爵である父に平手打ちされたエリスは、部屋で謹慎するよう命じられた。

 エリスの部屋はこの屋敷で一番狭い。もともと使っていた部屋は、異母妹のクリスティーナに取られてしまったからだ。
 そのとき一緒に、亡き母から譲り受けた貴金属や宝石類も奪い取られた。
 残されたのは、デザインが古臭いからという理由で置いて行かれたドレスだけ。
 
 エリスはヒリヒリと痛む頬を押さえながら、固いベッドに倒れ込む。

(いったいどうしてこんなことになってしまったのかしら……。わたしは、あの男性のことなんて何も知らないのに……)

 本当に、一度も見たことのない男だった。
 それなのに、あの男は私の肩に火傷の痕があるのを知っていたという。

(確かにここのところ殿下はわたしに素っ気なかったけれど……まさかこういう理由だったなんて……)

 私はこれから先どうなるのだろう。
 王太子から婚約を破棄された令嬢に、行く当てなどあるわけがない。
 
 エリスは不安のあまり、両腕で自身の身体を抱きしめる。


 エリスが王太子ユリウスと婚約したのは、まだ七歳のときだった。
 年齢と家柄が丁度いいからと結ばれた婚約。

 だがユリウスはとても優しくしてくれて、エリスは、この人に相応しい女性になりたいと、幼心に決意した。

 それから約十年余り。エリスは必死に生きてきた。


 婚約して一年後、エリスが八歳のときに実母が病気で死に、父が愛人と再婚したときも、エリスは気丈に振る舞った。

 愛人には、実弟シオンと同い年の六歳になる娘、クリスティーナがいた。
 つまり、父は少なくとも六年以上浮気をしていたのだが、エリスは父を責めることはしなかった。

 だが、そんなエリスの思いを踏みにじるかのように、元平民だった継母と異母妹はやりたい放題に振る舞った。

 屋敷の家具を全て入れ替え、宝石商を毎日のように呼び、ドレスを買い漁った。異国から珍しいものを取り寄せては、サロンで周りに自慢していた。

 けれど父はそれを注意するどころか助長させる態度を見せ、そんな父親に見切りをつけたエリスは、実弟シオンのためにも自分がしっかりしなければと思ったのだ。

 だがまもなくして、父はシオンを他国へ留学させると言い出した。
 父は公爵家の入り婿だったから、正当な爵位継承者であるシオンを邪魔に思ったのだろう。

 それに反対したエリスは、肩にタバコの火を押し付けられたのだ。

 しかも父は、その怪我をこともあろうにエリスの責任にした。
 火傷の傷が癒えないエリスを王宮に連れていき、ユリウスに向かってこう伝えたのだ。

「娘が粗相をして肌に傷を負ったため、殿下のお許しがいただけるなら、妹のクリスティーナを代わりの婚約者に据えられればと考えております」と。


 その言葉を聞いたとき、エリスは自分の人生はもう終わったと思った。

 父に愛されない自分。弟とも引き離され、屋敷では最低限の生活を与えられるだけ。
 それだって、自分が王太子ユリウスの婚約者であるからだ。

 物を取られたり、隠されたり、そういう小さい嫌がらせで済んでいるのは、自分が王太子の婚約者だから。
 もしその地位を奪われたら、いったい自分はどうなるのだろう、と。

 けれどユリウスは、涙を堪えるエリスを優しく抱きしめてくれた。

「傷なんて気にしないよ。僕の婚約者はエリスだ。それは変わらないよ。だから泣かないで」と。

 その瞬間だった。
 エリスが、ユリウスに恋をしたのは。

 それからは、エリスは継母に何を言われても、クリスティーナにどんな嫌がらせをされようと、毅然として生きてきた。

 自分が生涯ユリウスを支えるのだと。王太子妃になるのだと。
 生きる目的を与えてくれたユリウスの優しさに報いたい、と。

 毎日毎日、必死に努力してきたのだ。


 ――ああ、それなのに……。


(殿下は、わたしを信じてはくださらなかった……)


 それがとても悲しかった。
 とても悔しかった。

 自分は何もしていないのに、愛しているのはずっとユリウスただ一人だと言うのに、その気持ちを信じてもらえないことが、ただただ苦しかった。

 
 エリスは声を殺して泣いた。
 灯りもつけず、暗い部屋でたった一人。

 慰めてくれるユリウスは、もうどこにもいない。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい

矢口愛留
恋愛
【全11話】 学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。 しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。 クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。 スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。 ※一話あたり短めです。 ※ベリーズカフェにも投稿しております。

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。 私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。 処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。 魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

私はあなたの何番目ですか?

ましろ
恋愛
医療魔法士ルシアの恋人セシリオは王女の専属護衛騎士。王女はひと月後には隣国の王子のもとへ嫁ぐ。無事輿入れが終わったら結婚しようと約束していた。 しかし、隣国の情勢不安が騒がれだした。不安に怯える王女は、セシリオに1年だけ一緒に来てほしいと懇願した。 基本ご都合主義。R15は保険です。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

旦那様、離婚しましょう

榎夜
恋愛
私と旦那は、いわゆる『白い結婚』というやつだ。 手を繋いだどころか、夜を共にしたこともありません。 ですが、とある時に浮気相手が懐妊した、との報告がありました。 なので邪魔者は消えさせてもらいますね *『旦那様、離婚しましょう~私は冒険者になるのでお構いなく!~』と登場人物は同じ 本当はこんな感じにしたかったのに主が詰め込みすぎて......

処理中です...