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第一部
2.突然の婚約破棄(中編)
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「この役立たず――! よもや殿下を裏切るなど、恥を知れ!」
その晩、公爵である父に平手打ちされたエリスは、部屋で謹慎するよう命じられた。
エリスの部屋はこの屋敷で一番狭い。もともと使っていた部屋は、異母妹のクリスティーナに取られてしまったからだ。
そのとき一緒に、亡き母から譲り受けた貴金属や宝石類も奪い取られた。
残されたのは、デザインが古臭いからという理由で置いて行かれたドレスだけ。
エリスはヒリヒリと痛む頬を押さえながら、固いベッドに倒れ込む。
(いったいどうしてこんなことになってしまったのかしら……。わたしは、あの男性のことなんて何も知らないのに……)
本当に、一度も見たことのない男だった。
それなのに、あの男は私の肩に火傷の痕があるのを知っていたという。
(確かにここのところ殿下はわたしに素っ気なかったけれど……まさかこういう理由だったなんて……)
私はこれから先どうなるのだろう。
王太子から婚約を破棄された令嬢に、行く当てなどあるわけがない。
エリスは不安のあまり、両腕で自身の身体を抱きしめる。
エリスが王太子ユリウスと婚約したのは、まだ七歳のときだった。
年齢と家柄が丁度いいからと結ばれた婚約。
だがユリウスはとても優しくしてくれて、エリスは、この人に相応しい女性になりたいと、幼心に決意した。
それから約十年余り。エリスは必死に生きてきた。
婚約して一年後、エリスが八歳のときに実母が病気で死に、父が愛人と再婚したときも、エリスは気丈に振る舞った。
愛人には、実弟シオンと同い年の六歳になる娘、クリスティーナがいた。
つまり、父は少なくとも六年以上浮気をしていたのだが、エリスは父を責めることはしなかった。
だが、そんなエリスの思いを踏みにじるかのように、元平民だった継母と異母妹はやりたい放題に振る舞った。
屋敷の家具を全て入れ替え、宝石商を毎日のように呼び、ドレスを買い漁った。異国から珍しいものを取り寄せては、サロンで周りに自慢していた。
けれど父はそれを注意するどころか助長させる態度を見せ、そんな父親に見切りをつけたエリスは、実弟シオンのためにも自分がしっかりしなければと思ったのだ。
だがまもなくして、父はシオンを他国へ留学させると言い出した。
父は公爵家の入り婿だったから、正当な爵位継承者であるシオンを邪魔に思ったのだろう。
それに反対したエリスは、肩にタバコの火を押し付けられたのだ。
しかも父は、その怪我をこともあろうにエリスの責任にした。
火傷の傷が癒えないエリスを王宮に連れていき、ユリウスに向かってこう伝えたのだ。
「娘が粗相をして肌に傷を負ったため、殿下のお許しがいただけるなら、妹のクリスティーナを代わりの婚約者に据えられればと考えております」と。
その言葉を聞いたとき、エリスは自分の人生はもう終わったと思った。
父に愛されない自分。弟とも引き離され、屋敷では最低限の生活を与えられるだけ。
それだって、自分が王太子ユリウスの婚約者であるからだ。
物を取られたり、隠されたり、そういう小さい嫌がらせで済んでいるのは、自分が王太子の婚約者だから。
もしその地位を奪われたら、いったい自分はどうなるのだろう、と。
けれどユリウスは、涙を堪えるエリスを優しく抱きしめてくれた。
「傷なんて気にしないよ。僕の婚約者はエリスだ。それは変わらないよ。だから泣かないで」と。
その瞬間だった。
エリスが、ユリウスに恋をしたのは。
それからは、エリスは継母に何を言われても、クリスティーナにどんな嫌がらせをされようと、毅然として生きてきた。
自分が生涯ユリウスを支えるのだと。王太子妃になるのだと。
生きる目的を与えてくれたユリウスの優しさに報いたい、と。
毎日毎日、必死に努力してきたのだ。
――ああ、それなのに……。
(殿下は、わたしを信じてはくださらなかった……)
それがとても悲しかった。
とても悔しかった。
自分は何もしていないのに、愛しているのはずっとユリウスただ一人だと言うのに、その気持ちを信じてもらえないことが、ただただ苦しかった。
エリスは声を殺して泣いた。
灯りもつけず、暗い部屋でたった一人。
慰めてくれるユリウスは、もうどこにもいない。
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