グリモワールの修復師

アオキメル

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3章 リリスと魔族の王子様

105 変化

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 ミルキがメルヒの屋敷に来て季節が変わるほどの月日が経った。
 夢の中で力を求めたリリスはその日から少しずつ違うリリスの記憶に侵食されていた。
 自分が違う自分に毎日変わっている違和感に心が追いつかない。
 頭の中では自分と同じ声で違う思考が動き出している。
 不協和音が絶えず鳴っているような気持ち悪さが常にあった。
 呼吸はしている。
 瞼も開いてる。
 でも、なんだか今日はもう、息ができないと思って。
 気がついたら、一人自分の世界に閉じこもっていた。
 私はリリス。
 私はただのリリス。
 侯爵令嬢のリリスから逃げ出した。
 修復師になりたいリリス。

 自分を抱きしめるようにベッドに丸くなる私に優しい声がかけられる。

「リリス様…」

 慣れ親しんだ声だ。
 昔から聞いている安心感を与える低い声。
 いや、もっと昔から聞いていたかもしれない。
 リリスはまだ十八しか生きていないと言うのにさらに昔のことを思い出す。
 彼は人ではない魔族だ。
 お城にいる時も塔の中にいる時も傍にいてくれた。
 ああ、ダメだ。
 やっぱり違う自分のことを自分の記憶のように混ぜてしまう。
 こんなことでは、いけないのに。
 呻くようにリリスはミルキに返事を返した。

「…うっ、ミルキ」

 それにミルキは優しく背中をさすってくれる。
 薔薇姫の塔の上でもミルキはこうやって体調の悪いリリスの背中を優しげな手つきで落ち着かせてくれた。
 そんなミルキのことが塔の中で暮らしていた時は信じられなくて。
 リリスのことをただ監視しているだけの使用人だと以前は思っていた。

『逃げますか?逃げませんか?』

 そうリリスの前で片膝をつき手を差し出したあの言葉で、リリスは初めてミルキをしっかりと見つめた。
 リリスには選ぶ権利なんてないと思っていた。
 ただ、その時まで問題を起こさずに大人しく令嬢として過ごす。
 決められた運命をそのまま受け入れて魔族の元へ嫁ぐことしか未来は用意されていないと思っていた。
 それなのに、あの塔から逃がしてくれると手を差し出してくれたのだ。
 それがどんなに嬉しかったか、思い出す度に心が暖かくなる。
 もしかしたら、ミルキはいつだってリリスのことを考えていてくれたのかもしれない。
 ダミアンお兄様が魔族の話をして、リリスが怖がる時もおとぎ話ですよと穏やかに慰めてくれていた。
 ダミアンお兄様が帰るとミルキがリリスが元気になるようなお話を聞かせてくれていた。
 食事の時は寂しくないように、いつも隣にいてくれた。
 思い出せばきりがない。
 いつだって、静かにリリスのことを見守ってくれていたのだと思う。
 その心に気づけたのは逃げ出したあの瞬間だったけど、きっと遅くはないはず。
 ミルキが魔族だって分かっても、その優しさは変わることはないのだから。

「リリス様、お辛いのでしたら無理をなさらずお休みください。
 私がメルヒ様に伝えに行きます」

「…大丈夫。
 もう少ししたらもと状態になるから」

 そこに扉を叩く音がして、返事をすることなくドアノブが下ろされた。
 私は丸めていた体を素早く起こしベッドに腰掛けるように座り直した。
 扉が開かれる。

「「「おはよう!リリス!」」」

 元気なカラスの三つ子の声が部屋に響いた。
 ピクリとリリスの体が震えるが、元気に見えるように顔に笑みを浮かべた。

「おはよう」

 その様子をため息を吐き出してミルキは三つ子達を咎めるように視線を向けた。

「騒がしいですよ…
 もう少し静かに出来ないのですか?」

「げっ、朝早く来たのにもういるわ」

「リリスのお世話がお仕事だったのに…。
 お仕事とられて寂しい」

「…魔族の臭い、嫌い」

 口々に不満の声をミルキに浴びせかけている。

「リリス様に使えているのですから、私がいることは不自然ではありませんよ。
 それよりも、私はあなた方の行動に問題があるかと思います。
 給仕の証したるメイド服を来ているのであれば、リリス様に馴れ馴れしく話しかけないことです。
 返事も待たずに部屋を入るのも、いけないことですが…。
 主人とは線を引くべきです」

 それに迷わずカラス達は答えた。

「いいの!」

「ボク達リリスと友達だもん」

「友達」

 カラス達はリリスと友達だと胸を張って宣言をした。
 リリスはそれに嬉しくなる。
 それにミルキは片手で頭を抑えて首を振った。

「ダメすぎる…。
 本当に困った精霊の雛だ」

「いいのよ、ミルキ。
 私が友達になって欲しいって言ったのだから」

「…それはあんまり良くないのですが、リリス様が嬉しそうなので仕方ないですね。
 せめて、ちゃんとマナーぐらいは守ってくださいよ。
 未熟者の精霊」

 このやり取りに呆れ気味の視線をミルキはする。

「「「むーっ」」」

 カラス達はむくれて不機嫌な顔になった。

「そんな顔しても訂正しませんよ。
 リリス様の準備は私がやりますから、あなた達は自分の主の世話でもしてきなさい」

 また、ため息を吐きながらミルキはカラス達を追い払うように手でしっしっと払った。

「リリスと一緒にいたいのに!」

「ひどい!」

「…」

 来た時と同じように騒がしくしながら、部屋を出ていった。
 リリスは力が抜けるようにベッドに倒れ込む。

「…やっぱり、お休みになられてはどうですか?」

 何もかも分かっているというように、ミルキはそんなリリスに毛布をかけ直した。

「…そうね、もう少し休むことにするわ。
 午後からなら、きっと大丈夫」

 ミルキの言葉にリリスはまた寝直すことにした。
 あの親しげにしてくれるカラス達は気づいているのだろうか?
 リリスの変化に。
 ミルキだけじゃなくて、リリスも魔族に作り変わろうとしていることに…。
 魔族が嫌いなあの子達に嫌われてしまったら寂しい。
 暗い気持ちになりながらリリスは瞼を閉じた。
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