グリモワールの修復師

アオキメル

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2章 リリスと闇の侯爵家

59 暗い恋心

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 執事と別れ、ダミアンは薔薇姫の部屋へと続く階段を登る。
 幼少の折から通いつめたよく知った道程だ。
 石造りの塔は冷え切っていて、石壁を触るとひんやりとした感触が氷のようだ。
 リリスがいた時はもう少し、血が通うように温かな空気を感じたはずなのに。
 気配のなさと冷たい空気もあいまって、この塔の主が居ないことを思い知らされる。

「…リリス」

 長い階段を登った先には薔薇の彫刻が施された木の扉がある。
 いつだってこの扉を開けば、愛しいリリスが迎えてくれた。
 ゆっくりと扉を開け、木の軋む音を聞きながら中に入る。
 持ち主のいない停滞した空気がそこにあった。
 先程感じた印象通りに、空虚な空間が広がっている。
 ダミアンはゆっくりとソファーに腰を下ろす。
 リリスと二人、話したり本を読んでいた場所だ。
 くるりと部屋の中を見渡す。
 リリスの香りと見知った景色のせいか思い出と重なりリリスの記憶の幻影が見える。
 困ったような顔でいつだってこちらを伺うように見るリリス。
 本棚の本を取ろうと背伸びをするリリス。
 遠く景色を諦めたように見つめるリリス。
 部屋に飾られた花を慈しむリリス。

 そこでダミアンは気づく。
 いつも花がいけてあった花瓶に花がない。
 リリスがいなくなってしまったから、飾るのを辞めてしまったのだろうか。
 愛でる物がいないのに切り取られた花は枯れることを待つだけで、ただ虚しい。
 部屋の主がいないのなら、ない方がいいのだろう。
 ダミアンは花瓶が置いてある場所が気になって、ソファから立ち上がり近づく。
 薔薇姫と呼ばれるリリスには、薔薇花がよく似合っていた。
 特に赤色の薔薇が良く似合う。
 黒い髪に赤い瞳とのコントラストがダミアンは好きだった。
 この場所には色とりどりの薔薇の花が入れ代わりに飾られていたはずなのにと心が軋む。
 これもまたリリスがこの場所にいた痕跡で、今は存在しないものだ。

 思えばこの花々はいつも何処から持ってきていたのだろう。
 オプスキュリテ侯爵家がある場所は寒さが厳しい辺境にある。
 春、夏、秋ならまだ分かるかもしれないが、冬は極寒で氷に囲まれた場所だ。
 そんな季節に薔薇の花が咲くだろうか。
 そもそも花というものは咲く季節が決まっているもの。
 薔薇の花がこんなにも年中、手に入るはずがないのだ。
 だというのに、リリスの部屋にはいつも薔薇の花が咲いていた。
 リリスと薔薇の花が違和感なく溶け込んでいたから、今まで不思議に思わなかったがこれは変だ。

 花を届けていた者はどのようにして、真冬の大地で薔薇を探していたのだろう。
 普通の花屋がこの凍てつく地に花だけを持ち商いしにくるだろうか。
 生花には寿命がある。
 暖かな地から取り寄せていると考えてみても不思議だった。
 考えていると花屋に対する違和感が浮かんでくる。
 一度屋敷でその花屋を見かけたような気がした。
 屋敷の使用人と話しながら庭を歩いていた気がする。
 花籠を持ち珍しい色の金髪を持ったリリスと同じくらいの女だったか。

「…魔法。…魔術。…精霊。」

 さて、不思議に思うものは基本的に魔法や精霊によって引き起こされる。
 花屋は”魔法使い”なのかもしれない。
 草花を愛する者ならば精霊や妖精に好かれて魔法を使えることもあると考えられる。

「魔法で生み出された花ということか…。
 怪しいな」

 ミルキが屋敷で花屋と会い、花選んでリリスに花を届けていたのだろうか。
 あの花屋と面識があると考えてもいいだろう。
 使用人と商いの者が会うことは、普通だ。
 だが、この状況からみると何もかも疑わしげに見えてくる。

「…っ」

 窓辺に目をやった時、頭の端に追いやっていた記憶が浮かんできた。
 今よりも数年前の記憶だ。
 薔薇姫の塔に尋ねると、稀にすごく待たされたことがあった。
 リリスの準備が整ってないなど色々理由をつけられて一人、門の前に待っていた。
 リリスに早く会いたくて。
 リリスのいる窓をじっと見ていたことがある。
 風に揺れるレースのカーテンに混ざって、見慣れない色彩が揺れた。
 明るい黄色の髪が風に揺れていた気がした。
 瞬きする間に何も無くなっていたけれど。
 見間違いかと思ったそれは、もしかするとあの花屋のものでは無いかと言う気がしてくる。
 全て考えすぎかもしれないが。

「…手掛かりにはなるかもしれないな」

 ぼんやりと思考を放棄して、リリスのベットに腰掛ける。
 いない少女のことを思い描きながら、ベットのシーツをなぞる。
 ため息がひとつ漏れた。
 落ち着いた時にでるため息だ。
 早くリリスに会いたい。
 リリスの黒髪が愛おしい。
 リリスの香りが恋しい。
 リリスの声が聞きたい。
 リリスの滑らかな白い肌に触れたい。
 リリスの宝石のような瞳を覗きこみたい。
 その瞳に映る自分の姿を確認するのがダミアンにとって喜びだ。
 自分だけがリリスを独り占めにしているかのようで満たされた気持ちになる。
 泣いてる顔も困った顔も安堵の微笑みも全てダミアンにだけ向けられればいい。
 この愛情がリリスにとって迷惑であったとしても、止めることなどできはしない。
 またひとつため息が漏れた。
 相手を求める甘いため息だ。

「…今度会う時は、逃げ出さないように鎖で縛ってあげよう。
 どこか遠く誰にも邪魔されない場所で、二人だけの世界で暮らそう。
 リリスには私だけいればいいのだから」

 しばらくリリスのベットに横になる。
 リリスのいた場所を堪能する。
 肌が匂いがリリスの残りを感じる。
 疲れた心が浄化されていくような感覚になる。
 そこに無粋な木の扉が軋む音が部屋に響いた。
 リリスのことだけで、頭の中を満たしていたのに。
 邪魔をするなんてと不機嫌な顔になりながらドアを睨む。
 ミルキならば文句をいってやろう。

「初めましてぇ」

 そこに、見知らぬ女が立っていた。
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