グリモワールの修復師

アオキメル

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2章 リリスと闇の侯爵家

57 お休み

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メルヒは部屋の窓まで歩き、外を眺める。
 部屋から見える森の方を見ているようだった。

「リリスにはまた怖い目に遭わせてしまったねぇ。
 敷地内だから大丈夫だと思ったのだけど。
 まだあの狼がうろついてるとは思わなった」

 リリスはそんなメルヒをベットの上から見つめる。
 そっと自分の胸に手を置いた。

「この花嫁の印がある限りは、またグレイはやってくると思います…」

「花嫁の印。
 …それ、解除できるといいんだけどねぇ。
 魔物ならともかく魔族がおこなった物だから解除は難しいものになると思っていたけれど。
 リリスの場合はなぜか定着してるからねぇ。
 ステラがなにかいい策を持って帰ってくれるといいけどねぇ」

 ステラという名前を聞いて、金髪に明るい緑色の瞳を持った女の子の姿を浮かべる。
 リリスにとってはフルールという名前の方がしっくりくる、メルヒの弟だ。
 リリスはずっと女の子だと思っていたが、本当は男の子だったらしい。
 傍らにはいつもドラゴンの翼をもった猫のココを連れている。
 リリスを塔の中から連れ出してくれた大切な親友だ。
 今はリリスの花嫁の刻印について調べるために帰ってしまった。
 こまめにこの屋敷に来ると話していたのでまた会えることを楽しみにしている。

「今度から外の用事は僕も一緒について行くことにするよ。
 もしくはカラス達に頼もうかな。
 リリスになにかあったら、ステラにも怒られてしまうしねぇ」

「そうですね。
 その方が私も安心します…」

 メルヒがいてくれるなら安心だとリリスは思った。

「それで、リリスは狼に何をされたのか覚えてるかな?
 眠ったことで大方回復してると思うけどねぇ…」

 その言葉に顔がこわばる。
 何をされたかなんて、とてもリリスの口からは言えない。
 その様子をみてメルヒは聞くのを辞めた。

「…だいたい察しがついたから、無理に言わなくてもいいけどねぇ。
 元気ならそれでいいよ。
 家出中とはいえ、貴族令嬢を預かってる身としては、不安なわけだけど」

「私はただのリリスですよ。
 …あの家には戻りませんよ。
 なので、気にしないでください。
 こういうことが無くても、この国で私を貰う殿方なんていませんよ。
 面倒な事情を持っているのですから…」

 メルヒに言われたことで、自分が侯爵令嬢であったことを思い出す。
 しかしその記憶は自分の部屋の中だけで完結してしまうものばかりだ。
 ミルキにダミアンお兄様、ごく稀に父様母様だけが私の部屋に訪れる。
 私の世界はたったこれだけの人達で構成されていた。
 家で行われる夜会には仮面を着けて何度か参加した事があるが、ダンスに誘われたことは無かった。
 踊ってくれたのはダミアンお兄様だけだった。
 仮面舞踏会なのだから、もう少し誘われたりするものだと思ったが現実はそうではなかった。
 気に入ったパートナーと親密に踊る人々を眺めることは好きだったが、決してそこには混ざれないのだと寂しかったのを覚えている。

「…本当に、誰もリリスを迎えないとでも思っているの?
 リリスは可愛い女の子なんだよ。
 もう少し夢を見ていいと思う」

 メルヒがそう声をかけてくれるが、あまり希望的には思えない。
 けれど、夢ならば今も見ている。

「夢ならば見ていますよ。
 素敵な殿方を望むよりも、心からやりたいと思える夢です。
 私はこのまま、魔術書グリモワールの修復師になりたいです」

「そうだったねぇ。
 それもまた、夢だ。
 リリスの心のままに生きるといいよ。
 でもね、貴族だったということを全て忘れ去ってはいけないよ。
 嫌な記憶かもしれないが、いつどこで何があるか分からない。
 誇りだけは胸に抱いて生きた方がいい。
 まぁ、貴族令嬢を抜きにしてもリリスは女の子だ。
 何かあったら大変だから注意するといい」

 眼鏡の向こうに見える紫色の瞳がこちらを見ている。
 優しい瞳だと思うが、その中に別の感情が隠れているような不思議な色をしていた。
 その瞳がまっすぐこちらを見るから、眩しくて目を逸らしてしまう。

「…そうですね、気をつけます」

 メルヒは窓の横の壁にもたれかかりながら、なにかを考えはじめた。
 上に乗ってるカラス達は、今もすやすやと寝息をたてている。
 カラス達が落ちないように気にしながら立って歩くメルヒは器用だ。
 なにか思いついたようで、こちらに歩いてくる。

「さてと今後の予定の話をしよう。
 染色の作業をリリスには学んでもらおうと思ったけれど。
 またあの狼が来るかもしれないなら、先に製本をやろうと思うのだけど、どうかな?」

「染色じゃなくて、本を作るのですか?」

「そうだよ」

 その言葉を聞いて、リリスは楽しい気持ちになってくる。
 今まで、ずっとメルヒの作業の手伝いや魔術書の保存修復についての授業ばかりだった。
 座学も面白いと思っているが、自分で本を作れるなんてもっと面白そうだ。
 どんな本を作れるのだろう。
 まだ見ぬ、自分の本の形態を思い浮かべ思いを馳せる。
 自然と口角があがってゆく。

「本を直すなら本を一から作ってみないとねぇ」

「それは、わくわくしてきました」

「もともとは好きな形態で本を作ってもらおうと思っていたけど。
 今回は狼よけというのをメインに考えようか。
 一人でもちゃんとあの狼を追い返せるようになって欲しいからねぇ」

「それって、普通の本じゃなくて魔術書グリモワール作りってことですか?」

 リリスは魔術に関する知識が足りないのを自覚しているので不安になる。

「そうだねぇ、作るものは魔術書グリモワールだ。
 そこまで強い物ではないけどねぇ。
 普通の本を作ってから、最後にページに簡単な術式を組みこむ。
 工程としては普通の本を作るのと変わらないから、安心するといいよ」

「それなら、できますよね…。
 初めての本作り楽しみです。
 もう元気ですし工房行って作りましょう」

 リリスは本を作れるということが楽しみだった。
 はやる気持ちが押さえられず、ベットから抜け出そうとする。

「ダメだよ、リリス。
 今日は、寝てなさい」

 それにメルヒが肩に手を置いて止めた。
 そのまま、ベットに押し戻された。
 ポフッと枕に頭が沈む。
 確かにこうしていると、うとうとしてくる。
 朝食も食べる気がしない。

「元気そうに見えるけど、リリスは病みあがりだからねぇ。
 自分がどんな状況だったか、分かってる?
 あの狼に魔力を食い潰されそうになってたんだよ。
 魔力と生命力は繋がっていて、それなりに危険な状態だった。
 何かしようなんて考えてないで、眠ることが今日のリリスの仕事だよ」

「そんな…」

 リリスはうとうとしながらも、むくれて口を尖らせる。
 すぐに本を作りたくて仕方なかった、何もしない時間はもったいないと思ってしまう。

「明日になったらねぇ」

 メルヒはあやすように、リリスに言い聞かせる。
 上に乗っているカラス達を優しく手で持ち、リリスのベットに乗せていく。

「カラス達も、リリスと一緒に休むといい」

「「「…カァ」」」

 小さく返事が聞こえた。

「じゃあ、ゆっくりするんだよ」

 そのままメルヒはリリスの部屋から出ていった。
 リリスは疲れていたのか自然と眠りに落ちていった。
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