祓魔師

柴田輔

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祓魔師

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 “お前、キレイだな……祓魔師なのか。でも、なんか魔族っぽいな。綺麗過ぎるんだよ。だけど…気に入った。そうだな、俺…お前に仕えてやっても…いいぜ?幸い、フリーなんだ” 
 そう言って笑った『彼』は。
 魔物のくせに、愛嬌のある顔立ちで、どこか可愛らしくて。人間臭くて。そして…何故か、とても哀しそうな目を持っている獣、だった。




 『祓魔師』。通称、エクソシストと呼ばれる者。
 彼等は悪魔を追い祓う事を生業としている、エクソシスムと呼ばれる人間達。
 魔族と戦う事のできる稀有な才能を持つ輩だが、カトリック教会の中ではその地位は低く、下級叙階に属している。
 しかし、彼等は弱き心を持つヒトにとっての、守門…ゲートキーパーである。
 彼等が悪しきモノを祓う事により、ヒトは光の中を歩いて行ける。
 例えその身分が低くても。祓魔師は、生きた護符そのものなのである。



 そして、今日も。
 エクソシストは、闇に蠢く魔を滅する為。
 人知れず、ひっそりとその美しい手を、血で穢し続けて行く。





 激しい音が、子供部屋から鳴り響く。
 ガラスの割れる音。本が飛び散り、壁という壁にぶち辺り。
 ごぉごぉと唸りを上げて、尋常ならざる風が室内に巻き起こっている。
 ──可愛らしいピンクで彩られたベットに腰掛ける、一人の幼い少女。
 年の頃は、10才にも満たないだろう。まだあどけなさの残る幼子。
 だが。今の少女は、荒れ狂う風によって、亜麻色の髪を振り乱している。
 蒼い瞳は、信じられぬ程に吊り上り。口元は裂けんばかりに広がり。
 にぃ…と、不気味な嗤いを顔中に浮かべている。
 素顔は可愛い子だけに、その変貌ぶりは心底震え上がる程に恐ろしい。
 少女は、白いパジャマを纏い、ベットにちょこんと腰を下ろしている。
 彼女の周囲では、割れたガラスの破片がキラキラと輝き、舞い上がっている。しかし、それらは幼子を傷付けようとはとしていない。
 何故なら。その怪異を起こしているのは、他ならぬその子だから。
 そして、ガラスの切っ先が狙っているのは……
『性懲りもなく、また来たか。貴様で何人目のエクソシストかな?』
 小さな唇から溢れる、呪詛と嘲りに満ちた声。とても低くて、とても邪悪で。
 幼子の発する声音ではない。
 その声の主は、少女に憑りついている悪魔。
 彼女は現在、魔にその身を拘束されているのだ。
 悪魔に見初められ、身体を奪われ。操り人形と化した、哀れな娘。



 ……そんな我が子を、父と母が部屋の片隅で二人寄り添い。恐怖と救いを求める瞳で、見つめている。
 両親は、変わり果てた娘に、かたかたと震えていたが。
 縋るように、部屋の中央に立つ一人のエクソシストに視線を移した。
「お、お願いいたします、神父様!娘を…キャロルをお助け下さい!」
 血を含んだような、母親の叫び。
 娘…悪魔の花嫁となった少女、キャロルは、その悲痛な声に嘲るように嗤った。
『無駄な事だ!この娘、もはや我が生贄になる宿命。光栄に思うがいい、下種な人間共。娘の無垢なる魂は、我が食い尽くしてくれる。無能なお前達は、黙って見ておれ!…そこなる神父も、命が惜しければ早々に立ち去れ!』
 歯を剥き出して、キャロルが怒鳴る。
 けれど、指差された神父…青年は、異形の娘の嘲笑にも眉一筋動かさなかった。
 教会から派遣されてきた彼、はまだ年若く。見た所、20代後半で。一見すると、とてもではないが神父には見えない容姿をしている。
 太陽の輝きを集めたかのような、豪奢なブロンド。長い睫毛に、けぶるような、サファイア・アイズ。
 アラバスターの肌に、均整の取れた身体つき。
 しなやかな鞭の如き美しさを誇る肢体を、黒の神父服に包み。上に祓魔師だけが着用を赦される白く長い上着…スルプリを羽織っている。
 聖職者というよりは、どこぞのモデルか俳優のようだ。
 けれど、彼が漂わせている“気”は、勘の鋭い者ならば、只人ではないと判るだろう。
 研ぎ澄まされたようなオーラ。蒼紫の双眸に宿る、冷徹さと清廉さ。
 刃物のような、凍り付くが如き冷たい迫力。
 それは、エクソシストだけが持つ事のできる、聖なる力。
 彼の名は、シド・メイスフィールド。27才という、まだ年若き神父だが、その実力は並み居る祓魔師達の中でもトップクラスで、彼の右に出る者はいないと噂されている。100年に一人の逸材、とも。
 人並み外れた美貌に、尋常ならざる霊力を備えているシドは、実の処、同業者達から若干浮いた存在だ。それにはもちろん嫉妬や僻みもあるが…それ以上に、桁はずれな能力は、畏怖すら感じさせるのだ。
 アレは本当に人間か?あの恐ろしいまでの霊力はどうだ。もしやアイツは、化け物の一員ではないのか?
 あの男の美しさは、尋常じゃない。人を誑かす、堕天使なんじゃないのか?



 ……などと、、陰口を叩かれ捲っている。もっとも、面と向かって喧嘩を売る輩はいないけれど。
 ともあれ、シドは仲間達からも怖れ敬遠されている。どれだけ美しかろうが、ヒトは結局の所、異端なモノを易々とは受け入れはしないのである。
 だが、どんなに怖れられていようが、当の青年は全く気にしていない。
 元々、人嫌いの性質なのだ。故に、同胞達に煙たがられようが、そんなのは些細な雑音にしか過ぎない。
が、根っからの冷血漢というワケでもない。
 彼にとって、大切なモノは…すぐ傍に。手の届く範囲に、ひっそりと存在しているのだから。




 ともあれ、シドは悪魔の恫喝など柳に風、という風情で聞き流していたが。
 不意に…己の背後に生じた“気配”に、その美しいかんばせを一瞬だけ歪めた。
 あまりにも馴染んでいる“気”。それは……
「──何ですか。お前を呼んだ覚えはありませんよ?」
 視線を露とも動かさず、抑揚のない呟きを零す。けれど、そのトーンにほんの少しの柔らかさと、慈しみが混じっている。
 それに背後のモノは、不満そうにゆらり、とその姿を揺らめかせた。
『何だよ、シド。だって仕事じゃんか。それって、俺の出番だって事だよな?』
 この修羅にそぐわぬ、どこかのほほん…とした声。
 突如響いて来たソレに、抱き合って震えていた両親がハッと顔を上げ。継いで、ひいっ!と短い悲鳴を上げる。
 悪魔に憑かれている少女も、うろん気な視線を投げ付ける。
 ……それぞれの注目を浴びて、何の予告もなく出現した陽炎の如きソレが、ゆっくりと形を造って行く。
 黒いシルエットが、除々に輪郭を象る。
 やがて。
 シドの後ろに、一人の男……が現れた。
「!?」
 神父の後ろに出てきたモノに、娘の両親達が唖然となっている。
 それは無理のない事だろう。何せ、そこにいたのは紛れもない異形の存在だったのだから。
 ──漆黒の髪。滑らかな小麦色の肌。見事なバランスのボディ。嫌味なくらい長い足。血のような、真紅の双眸。その瞳には、猫のようなスリットが入っている。それだけでも彼が人間ではない事が判るが。
 異様なのは、目だけではない。彼の頭には、ぴょこん、と獣の耳が生えているのだ。
 いや、耳だけではない。目を凝らしてみれば、長いしっぽもゆらゆらと蠢いている。
 顔立ちは、どちらかと言えば童顔だけど。スタイルは抜群にいい。神父にも負けず劣らずだ。年齢不詳だが、恐らくシドよりは若干年上だろう。
 胸元に丸いピンク色の綺麗な宝石のような石を下げ、修道士のような、濃いグリーンのローブのようなものを纏っているが、どう見ても普通の人間なんかじゃない。
 彼は悪魔や人間達の視線を受けて、ほりほりと鼻の頭を掻いていたが。
 思い出したようにシドを押し退けると、彼の前に出た。
 青年を庇うかのように、毅然として立つ。
 彼は、憑りつかれている少女を痛ましげに眺めた。



「ひでぇなぁ。あの子、まだ子供じゃんか。そんな子に憑りつくなんて、悪魔ってマジむかつくよなぁ」
 のんびりとした呟き。しかし、猫のような瞳には、はっきりと判る怒りの色が滲んでいる。
 悪魔は、ふん、と鼻で嗤った。
『……何かと思えば、貴様“獣人”か。ヒトでもなく、魔族でもない半端な生物如きが、偉そうな口を叩くな』
「あっ、そーいう言い方、俺いっちばん嫌いなんだよ!テメーこそ、いたいけな少女に憑っつきやがって、ロリコンかっつーの!」
 キモいんだよヘンタイ!バーカ!バーカ!
 べーっ、と舌を出す。
 シドは、緊迫感のない彼の様子に、思わず額に手を当てた。
「……何を言ってるんですか、キリト。ふざけていないで、さっさと引っ込みなさい」
「えーっ、どうして!コイツ、悪魔じゃんか!退治するんだろ、シド?なら、俺が必要だろう?俺、お前の使い魔なんだぞ!」
「祓いはしますけど、お前の出番はありませんよ。大体、召喚していないのに、何でのこのこ出で来るんです?」
「だってシド、滅多に仕事で俺を呼ばねぇし!」
 使徒なのに、使徒の仕事させてくんねぇし!そーいうのって、ひどくねぇ?
 ぷんすこ、とムクれる。
「お前の力を借りなくても、悪魔祓いくらい簡単にできるんですよ、私は」
「ひでー!もっと部下を大切にしろよ!可愛くねーぞ」
「誰が部下ですか。大体、エクソシストに可愛さを求めてどうするんです?」
 ……本当に、この緊迫感に満ちた場にふさわしくない、呑気なやりとり。
 両親達も、一瞬恐怖を忘れ、ケモミミを付けている男…を凝視してしまっている。
 と、その目線を感じたのか。
 キリト、と呼ばれた彼は、へらりと笑った。



「あ、どーも。初めまして、俺はコイツ…シドの使徒で、キリトって言って、見ての通り獣と人間のハーフなんすケド、れっきとした悪魔祓い人のアシスタントで…」
「自己紹介は結構。命令です、キリト。引っ込みなさい」
「横暴!やだよ、俺だって仕事してぇ!」
「お前がしゃしゃり出て来ると、碌な事が無いんですよ!物は壊すし、手間ばかり掛けさせてくれるし!」
「!も、物は壊すけど、俺だって一生懸命働いてんだぞぉ!」
 シドのイジワル!と、泣き真似をする。
 すると、二人のしょーもない会話に痺れを切らしたのか。
 少女が突如、ベットから立ち上がった。
『目障りだ、貴様ら!さっさと去ね!』
 カッ!と口を開き。黒い液体を吐きかけてくる。
「!」
 咄嗟に、キリトがシドを押し退ける。
 その為、黒い液は獣人の肩口に見事ヒットしてしまう。
「ぐ…!」
 しゅうぅぅ…と、煙を上げて、液体がローブを溶かす。
 それは皮膚にも付着し。見る見るうちに、火傷のような傷を広げて行く。
 肉の焦げる匂い。
「!?貴様ッ…!」
 庇われてしまったシドが、顔をしかめて呻くキリトの傷を見て声を上げる。
 彼は、さっきまでの仮面のような無表情さをかなぐり捨て、射るような目で少女を睥睨した。
 そのまま、床を蹴る。
 空を、しなやかな影が舞う。



「!」
 豹のような身のこなしで、シドが少女のすぐ前に着地する。
 咄嗟の事で、わずかにたじろいだ彼女に、青年が右手を突き出す。
 彼は、間髪入れず、何の躊躇もなく…その手を少女の額に宛がった。
 刹那、信じられない現象が起きる。
 シドの指が、少女の頭にずぶっ、と入り込んだのだ。
「!?ぐが…っ!!」
 文字通り、肉を抉って白い繊指が額にめり込んでいく。
 その様に、母親が絶叫を上げて、そしてとうとう失神してしまう。
 それも無理はあるまい。少女の額に、腕が抉り込んでいるのだから。
 父親も、あり得ない光景に、真っ青になっている。
「キャロル!!」
 掠れた悲鳴が響く。
 キリトは、肩口を押さえたまま、そんな父親に慌てて声を掛けた。
「だ、大丈夫です!あれは、悪魔を祓う為の攻撃ですから!お嬢さんの身体に、害は無いです!」
 だから、心配しなくていいです、と続ける。
 ……そんなキリトの言葉を裏付けるかのように、少女の身体からは血の一滴も零れてはこない。
 だが、白目を剥き。口元から泡を吹き出している姿は、両親にとっては耐え難い光景だろう。
 蒼白な顔になっている父親を眺めつつ、キリトが安心して下さい、と何度も宥めている。
 彼は獣人だが、どうやら優しい気質を持っているらしい。必死になって、父親を気遣う彼とは反対に、冷静に“仕事”を続けているシドの方が、よほど魔物っぽいのが皮肉である。
 シドは父親の絶叫も無視して、冷徹に祓い続けていた。



 ――やがて。
 ぎちっ…と嫌な音を立てて、ゆっくりと腕が引き抜かれていく。
 白い指先が、額からずるり、と離れる。
 そして。その指先が掴んでいるモノは……どす黒い、アメーバーのようなグロテスクな生き物……
『グギィィィ…ッ!!』 
 額から掴み出されたソレは、シドの手の中で、往生際悪くウネウネと蠢いている。
 白い煙を纏い、くねるソレは、吐き気を催すおぞましさだ。
 シドは、アメーバーのようなそれを、無機質な目で見つめた。
「……下等魔族の分際で、私の大事な使徒によくも傷を付けてくれましたね。楽に死ねると思わないで下さい」
『離セ…!ギッ…!!』
 力を込めて握られ、苦鳴を漏らす。
 シドは冷笑すると、静かに呪文を詠唱した。
「In numele Tatalui si al Fiului si al Sfantului Duh…」
 古い、異国の言葉。謳うような、美しく荘厳な旋律を秘めた魔封じのスペル。
 普通の人間には発する事のできない、不思議な声音。
 悪魔が、激しく痙攣する。
『ヨ、止セ…ヤメロ…ヤメ…!!』
「──滅せよ!!」
 悪魔とシドの声が同調する。
 瞬間、部屋中に白い光が爆発するかのように起こる。
 激しいハレーション。響き渡る、断末魔の悲鳴。
 




 ……そうして。
 白光がフッ、と消え。
 静寂が訪れる。
 同時に、少女の身体がぐらり…と傾き。そのまま、ベットにもたれかかるようにして、倒れてしまう。
 父親がそれを見て、母親を一旦床の上に横たえ、慌てて名を呼んで傍に駆け寄る。
「キャロル!!」
 愛娘の名を叫んで、軽く揺さぶる。
 気絶している少女の顔からは、魔の気配は綺麗に消え失せ。
 さっきまでの毒婦のようなおぞましさは消滅し…今は安らかな寝息を吐いている。
 心臓もとくとくと、正常な鼓動を刻んでいる。
 悪魔が去ったのだ。
 父親は、涙を零して、少女をひしと抱きすくめた。




 娘の無事を悦ぶ父親には目もくれず、シドが軽く指先を払う。
 そこには、悪魔の肉片一つすら残っていない。完全に焼き尽くしてしまっている。
 シドは軽く吐息をつくとキリトの元に歩み寄った。
「……傷を見せなさい」
 床に尻もちを付いている獣人に、冷たく言う。
 キリトは、肩口を押さえたまま、へらへらと笑った。
「や、大した事ねぇし。これぐらい…」
「見せろと言っている!」
「はいっ!!」
 青年の迫力に、耳としっぽがピン!と立つ。
 シドは、丁寧に傷を観察した。
「肉が爛れている。教会に戻って、聖水で洗ってあげます」
「ほ、放っといても別に…」
「傷が残る事は赦しません。お前は私の使徒なんですから」
 一流のエクソシストの使い魔に、悪魔の刻印を残されては私の面目丸つぶれです。
 素っ気なくいいつつも、目にはありありと心配する光が浮かんでいる。
 シドは、口ごもったキリトに腕を回すと、彼をひょいっ、と肩口に抱え上げた。
 まるで米俵だ。
 キリトは、抱え上げられたまま、じたばたと手足を振り回した。
「ち、ちょ…!シド!一人で歩けるし…!」
「黙っていなさい。マスターのいう事を聞かない人には、お仕置きをしますよ?それとも、もしかして…そのお仕置きを望んでいますか?キリトは、大好きですよね?恥ずかしい…折檻が」
 意地悪く口元を吊り上げる。
 途端、何か思い当たる事があるのか、キリトが口をぴたりと閉じる。
 それでも、赤の瞳には、不満の影が見え隠れしている。更には、頬は薄い朱色に染まっている。
 シドは薄く微笑むと、キリトを抱えて踵を返した。
 何の感慨もなく、部屋を後にする。
 背後では、娘を抱いた父の歓喜の泣き声が響いていたが。
 青年は全く意に介する事なく、さっさとその家を後にしたのであった。






 去って行く祓魔師と獣人の影が、朝焼けの光に滲んでいく。
 清涼な早朝の風が、二人の髪を優しく揺らす。
 穏やかな一日が、静かに始まろうとしている……




 FIN



 


   
 
 
 
 

 
 
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