花嫁は龍神に奪われる

柴田輔

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ACT2

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 オメガ。それは、第二の性を指すもの。
 人は、生まれながらに男女性とは別の“サガ”をその身に備えている。
 曰く、『アルファ』『ベータ』そして…『オメガ』。
 これらには、確たるヒエラルキーが存在している。
 まず、アルファ。これは数は少ないものの、総じて有能な因子を持ち、社会に於いても卓越した能力を発揮する者が多数で、ほとんどが例外なくエリートコースを歩む。リーダーの気質があり、文字通り人の上に立つ存在だ。
 続いて、ベータ。こちらは良くも悪くも、ノーマルそのもの。特別に頭が良い訳ではなく、さりとて愚かという事もなく。簡単に言ってしまえば、可もなく不可もなくという所か。本当に、普通の人間だ。ちなみに、この因子を持つ者が一番多いのも特徴である。
 最後に、オメガ。これは、いささか特殊で。絶対数が極端に少なく、希少種と言われるアルファよりも更に少ない。そして、彼等は社会の中では冷遇されている。
 何故なら、オメガには発情期…ヒートと呼ばれる特徴があり。これになってしまうと、仕事も学業も何もかも手に付かず、ひたすら身体は甘い疼きと強い欲望に苛まれ、日常生活をまともに送る事さえできないのだ。
 従って、ヒートの時期に入ってしまったオメガは、学校や会社を休まざるを得ない。
 それは、誘発フェロモンと呼ばれる独特の“匂い”を、当人の意志なく撒き散らしてしまうからだ。悪くすると、これに刺激された相手、その対象はアルファ…何故か、アルファはオメガなど足元にも及ばぬ上の地位に立つというのに、彼等の放つフェロモンには抵抗できず、性欲を刺激され、飢えた野獣と化してオメガを襲い犯してしまうのである…なので、そんな最悪な状況を避ける為にも、オメガは一定期間、自宅でじっとしているしか術がない。故に、重要なポストになかなか就く事も出来ず、社会進出の大きな足枷となってしまうのである。




 とにもかくにも、この性…オメガの因子を持つ者は、他の二つの性質を持つ者に比べ、日々苦悩が絶えない。
 ベータはともかく、エリートのアルファからは、軽蔑の目で見られる事も珍しくなく、時に性欲のはけ口にされてしまう事も珍しくない。
 アルファにしてみれば、完全無欠な自分達を惑わす唯一の欠点を突いてくる、彼等のフェロモンが憎悪の対象となってしまうのだろう。
 むろん、オメガに非は無い。無いが、アルファにとっては、仕方のない事で済まされるような簡単な問題ではなく。プライドの塊の彼等としては、オメガは旧約聖書にある、アダムとエバをそそのかした、蛇そのもののように思えるのであろう。
 現代社会では、人は人を差別してはならないと教わるけれど。
 やはりアルファの根底には、オメガを強く蔑む感情が、強く潜んでいるのである。
 だから、オメガの性質を持って産まれ落ちてしまった者は、生涯強い劣等感に苦しめられ、時に、その宿命に耐えかねて、自ら死を選ぶ者さえいる。
 ――だが。
 そんな風に、迫害されるオメガだが。実の処、彼等には、アルファやベータにはない特別な“才能”が隠されているのだ。
 少子化の世に於いて、切望し期待されるモノ。貴重な特徴。
 すなわち、それは……






「――検査の結果、今宮さん…貴方は、後天性のオメガだと判明しました」
 白い白い、診察室。病院独特の、ほのかに漂う消毒薬のような匂い。
 壁に四方を囲まれた部屋。医師と彼、の他には誰もいない。看護師の姿も、今は無い。
 時折、天井からドクターや医療関係者を呼び出す放送の音が微かに零れ落ちてくる他には、物音の消えた室内。
 デスクの上にあるPCを見つめている、初老の医師。
 電子カルテの映像を、抑揚の無い表情で眺めているその横顔には、疲労の色が薄く滲んでいる。
 きっと、多忙なのだろう。この病院は、毎日大勢の患者が詰めかけている。
 今日も、予約をしてあったとはいえ、外来は沢山の人で溢れかえっていたし。
 お医者さんっていうのも大変だなぁ。昼食とか、きちんと食べているのかな。医者の不養生、って言うしね、なんて。
 埒もない事を、ぼんやりと考えつつ。患者用の椅子に座り、自分も電子カルテに浮かぶ文字や映像を見つめながら、今宮葉月は、下された診断結果を他人事のように聞いていた。
 さらさらの黒髪、少しばかりゆとりのある、学校の制服…ブレザーに身を包み。
 細い身体を、緊張に強張らせている少年。
 葉月は、呆然と目を瞬かせた。
 医師の台詞が、把握できないのは、軽い現実逃避なのかもしれない。
 説明された、検査結果を認めたくなくて。
 何かの間違いなんじゃないか、冗談なんじゃないかって思いたくて。
 ……もちろん、そんな筈はないのは判っている。
 医者がこんな場面で、ふざけた事を口にする訳もない。
 それは、手渡された血液検査の結果表にも、如実に現れているのだから。
 アルファとベータ、オメガの名称が書かれている、グラフ表。
 一番下には、IDと自分の…今宮葉月、という名前が印字されていて。
 そのグラフは無情にも、オメガという項目で、他の二つを大きく引き剥がして、ぐん、と上を向いているのだから。
 まごう事無く、貴方はオメガです、と教えてくれる残酷な紙切れ。
 葉月は、手にした結果を、無自覚のままくしゃり、と握り締めた。



 ……頭の中が、ぐちゃぐちゃになっている。
 医師の言葉は耳に届いているのに、きちんとした言語として届いてこない。
 ただ、心臓だけが激しく波打っている。どくどく、どくどく、と。
 背中を伝う、冷たい汗。空調は効いている院内なのに、体温が数度上昇しているような心地がする。
 きっと、今の自分の顔色は、青を通り越して真っ白になっているに違いない。
 葉月は、ぼんやりとそんな事を考えつつも、ごくりと息を飲み。
 ようように、口を開いた。
「……先生。何で…何で、僕が…」
 オメガなんですか?
 そんな筈、ないでしょう?
 だって僕は、子供の頃に受けるセックスチェックで、ベータだと判定されているんです。
 母子手帳にだって、書いてあります。ほら、見て下さい。
 医師から、診察に来る時には持参して下さいと念押しされていた、古びた手帳を差し出しつつ、わななく声で呟く。
 今は亡き母が、大切に保管してくれていたそれは、色あせている。
 手帳を掴む指先が、嗤ってしまえる程にわなないているのが悔しい。



 ……大体、今日ここに来たのだって、先週学校で行われた献血で、血液から少し変わった兆候が見受けられると連絡が来ていて。精密検査を受けるように勧められて、つい三日前に、再検査を受けさせられて。そして、結果が出たから、保護者を伴って来院するように、と電話が来て。
 母はもう鬼籍に入っているし、父は仕事で多忙だから、話を聞くくらい自分一人で大丈夫、と軽い気持ちで訪れただけなのに。
 それなのに、こんな…とんでもない事を言われるだなんて。
 想像もしていなかったのだ。
 それはまぁ、もしかすると、ガンとか言われたらどうしよう、って不安にも思っていたけれど。それより、ショックが大きい。
 オメガ。この僕が…あの、オメガだって?
 でも、どうりで医師が、保護者がいないと、と言い淀んで、結果説明をするのを渋った筈だ、と、頭のどこかで冷静にそんな風にも考えてしまう。
 確かに…医師の言っていた事は正しい。
 こんな事なら、父親にも付いて来てもらえば良かった。この衝撃は、自分には大き過ぎる。
 忙しい父に代わり、死んでしまった母に代わり、昔から何でも自分の事は自分でしてきた。年の離れた妹の世話も、男ながらも炊事洗濯にも手馴れ。
 料理だって、割りと得意で。童顔も手伝って、悪友達からは、葉月って母ちゃんみたいだな、なんてからかわれる事もあるけど。
 それでも、家事をこなし、父や妹の面倒を見れる自分を、誇らしく思っていた。十七歳だけど、周りの同級生とは違う。自分は、友人連中よりも大人なんだ、といつもこっそりと自画自賛していたのに。
 それなのに、今は…どうしようもない程、心が乱れている。
 ――やっぱり、まだ子供なんだ。僕は、ただの高校生なんだと。
 混乱と哀しみ、驚愕の中で、意気消沈してしまう。
 医師は電子カルテから顔を上げると、打ちひしがれている葉月を、気遣うような目で改めて見つめた。
 
 
 
 
 
   続く。
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