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ACT1
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今から遡る事、数年前。
冷たい雨が降りしきる夜に、一人の若い女性が事故死した。
高速道路での、無謀なまでのスピードを出したが故の、当然の結果ともいえる、追突事故。
大型トラックと、モロに真正面からぶつかり、突っ込んだ車は、大破し炎上した。
車は、見るも無残に燃え焦げ。遺体も、目も当てられぬ悲惨な状態だった。即死だった事が、彼女にとっては最後の幸運だっただろう。
警察は、丹念にこの事件を調べた。が、こうなった原因は、調査するまでも無かった。
目撃者達の話では、女性の乗った車の方が、自らトラックに向かって衝突したと、みな口を揃えて証言したのだ。
どうして、そんな事をしたのか。
突然、女性の身体に異常が起きて、ハンドル制御が利かなくなったのか。もしくは、自殺か。
その疑問は、最後まで判明する事はなかった。彼女は、年の離れた弟との二人暮らしで、既に両親もなく、若い女性にしては珍しく、近しい友達も仕事仲間もいなかったので。
ともあれ、女性は亡くなった。
だが、この事故は、もちろん哀しい出来事ではあったが。それだけでは終わらず、話には続きがあった。
それは、彼女が普通の人間ではなかったという事。いや、彼女が特殊という訳ではなく。実は彼女は、その後の調べて、当時付き合っていた男…が、いたのだが。その人物は、カタギではなく、何と日本でも十本の指に入ると言われている、極道の幹部クラスの人間だったのである。
どうやら、そんな者と交際をしていた為、彼女は友人達からも遠巻きにされる扱いを受け、自分から親交を断っていたらしい。
警察は勿論、男を調べたけれど、その結果、彼は事件とは無関係であった。
ちなみに、その者は、犯人扱いをされたというのに、恨む事もせず、彼女の亡骸を引き取り、手厚く葬ってやったという。
墓もきちんと建ててやり、事故相手のトラックの運転手にも、損害賠償金まで支払ったのだ。そこまで、女性の為に尽くしてやったのだ。
その潔い態度に、ヤクザであっても、男の愛は本物だったのだろう、と関係者達は密やかに噂をした。
極道者だけど、案外いい所もあるのだな、と。
けれど。
この話は、そんな美談で終わる代物ではなかったのである……
軽快なメロディが鳴る。
聞き慣れた音に、デスクに向かってPCとにらめっこをしていた、この都心の郊外にあるマンションの一室の住人…篠崎司という名を持つ男性は、ふ、と画面から顔を上げた。
「……お客さん?」
ぼそりと呟き、ちらりと壁に掛かっている時計を見やる。
針は、正午を回っている。どうやら、また仕事に夢中になっていて、今日も昼食を摂るのを忘れていたようだ。
そう言えば、腹が空いたなぁ、などと、のほほんとした事を考えていた司の耳に、またもや音が聞こえてくる。あれは玄関に取り付けられているチャイムだ。
司は、かったるそうに椅子から腰を上げた。
長時間、机に向かっていたせいで、身体の節々が痛い。特に肩こりが酷い。
いささか年寄りくさいが、仕事が仕事だけに、凝り易くなるのは止む負えない。
何しろ彼は、一流ともまではいかないが、そこそこに人気のある童話作家なのだから。
司は、ちょうど良い、少し休憩するか、と呟きつつ、PCを切った。
やや、ぼさついた短い髪を掻き上げ、こきこきと肩を鳴らす。
仕草はぞんざいだが、しかし彼の容姿はそんなズボラさとは大違いで。
鴉の濡れ羽根色を思わせる漆黒の髪は、艶やかで美しく。顔立ちも、すこぶる麗しい。
澄んだ黒曜石の瞳に、通った鼻梁。桃色の唇に、白磁の肌。
スタイルも細身だが、バランスの取れた肢体で、足もすらりと長い。
一見すると、贔屓目ではなく、モデルか芸能人のような華やかさを漂わせている。
しかし、着ているモノは…いささか…いや、ずばり言って、ダサい。
よれよれの着古したシャツに、ジーンズ。足元は、怪獣…ゴジラもどきのスリッパという出で立ち。
でも、例えファストファッションで身を固めていようが、年も19才と若く、きちんとした身なりをして街でもうろつけば、十中八九逆ナンされるだろう。いや、男と判っていても、その美しさ故、同性からもモーションを掛けられても不思議じゃない。
が、司本人は、色恋にはとんと興味がない。向けられる秋波には、全く気付かない。
鈍感ではない。が、のほほんとした性格の持ち主なので、他人からの熱い視線というシロモノには無頓着なのだ。というより、敢えて避けている節がある。
別に、女嫌いという訳ではないし、彼とて年頃の若者、未経験というものでもない。
だが、それは司に取って、同時にとても苦く、とても辛い思い出の一つでもあるのだ。
何しろ、初体験の相手が……
――ともあれ今の所、司は愛だ恋だに、うつつを抜かす気にはなれないのである。
あの、凄まじい記憶が脳裏に残っている限り……
「まだ編集者が来る日でもないな。宅急便か何かかな?」
カレンダーに視線を飛ばしつつ、小首を傾げる。
今、彼は、某出版社からの依頼を受け、低学年向けの童話の執筆にここ数日取り組んでいる真っ最中なのだ。
けれども、締め切りにはまだまだ時間がある。
司は、その華麗な容姿とは裏腹に、前述の通りあまり社交性はなく、友達の数も限られているから、こんな風にアポイントも取らず誰かが訪ねてくる確率も低い。
司は、うーん、と伸びをして、扉を開け廊下に出た。
リビングにあるインターフォンに向かい、画像をオンにする。
セールスマンか何かの勧誘だったら、このまま居留守を使おう、などと考えつつ、映像を覗き込む。
刹那。彼は、鋭く息を飲んだ。
──テレビ画像に写っている人物。それは、宅配業者でも、セールスマンでもなかった。
解析度があまり鮮明とは言えぬのに。そこに見える人影の秀麗さ。
ダークブラウンの艶やかな髪。整った…整い過ぎた貌。鋭い眼差し。双眸の色は、光の加減なのか、氷のような蒼さを滲ませている。薄く、冷酷そうな口元。見惚れるような、均整の取れた肢体を包む、高級なダークスーツ……
「た…たつ、き…!?」
思わず名を呟き、数歩後ずさる。
──何故!?どうして、あの男がここに…俺の部屋の前にいる!?
なんで、この家がバレた!?
ずっと、ずっと…唯一の身内であった姉があの悲惨な“事故”で亡くなってから、息を潜めるようにして生きてきたというのに。
高校を卒業すると同時に、逃げるように姉と住んでいたアパートを引き払い、一人暮らしを始めたのだ。
誰にも…数少ない友人と、出版社と。それぐらいしか、この小さなマンションに自分が暮らしている事は知らない筈。
それなのに。どうして…!!
『──ここを開けろ、司。居留守を使おうとしても無駄だぞ?素直に開けないと言うのなら、腕ずくでもドアをこじ開けるが、それでもいいのか?』
マイクが、望まぬ訪問者の声を伝えてくる。
低く、冷たく…そして残忍で甘く。
数年前と、少しも変わらぬ…支配者の響きを持って。
「……っ!」
司は、震える唇を強く噛み締めた。
このまま、シラを切ろうか、という考えがちらりと頭を掠めるが。
あの男は。かつての…姉の恋人であった龍月という名を持つ人間は、自分に逆らう者は容赦しない性質を持っている。また、その“力”もある。
一条龍月。何を隠そう、彼の正体は。この日本の裏社会を牛耳ると密かに噂されている…最高峰の地位に在る、組…ヤクザの若き総帥…なのだから。
一条の名を知らぬ者は、この日の本には恐らくいないだろう。誇張でも何でもない。
日本中に点在する、極道一家の上に立つ、巨大組織。それが一条組だ。
表向きは、超大手の建設会社だが。本当は、外国のマフィアとも深い親交がある、警察組織も一目も二目も置くと言われている、暴力団組織なのだ。
そのトップに君臨しているのが、まだ年若い跡取り息子…龍月その人だ。
今のヤクザは、昔と違い、一見すると生え抜きのエリートに見える。しかし、纏う雰囲気といい、刃物のような鋭い気配といい。ただならぬ“気”を携えている。
芸能人のように華やかな顔立ちとは裏腹に、一皮剥けばその残虐な闘争本能を剥き出しにする、カタギとは相反する存在。
物腰はあくまで柔らかく、やたらめったら相手を威嚇する事はしないが。
彼がひとたび本性を現せば、そこら辺のチンピラなど気死しかねない迫力を纏う。
視線だけで、ゴロつきを殺す事だって可能かもしれない。
……そんなぶっそうな男と、美貌の童話作家である司の二人に、全体どのような接点があるのか。
それは、彼の姉、かつて事故死してしまった里奈が、龍月と恋人同士だったのだ。
もっとも、司は初め、龍月の正体を知らなかった。姉から紹介された時の彼は、鋭い気を纏い付かせてはいたが、普通の社会人に見えたから。
実際、龍月は里奈にも弟である司にも、優しく接してくれた。
姉が仕事で忙しかった時は、アパートにわざわざ食材を持って訪れ、手料理を振る舞ってもらった事も、何度もあった。
狭いキッチンに立つ大きな男の後ろ姿は、今でも鮮明に覚えている。
口数は決して多い方ではなかったけれど。時折向けてくれる笑みは、柔らかかった。
両親を早くに亡くしていた司にとって、龍月は兄代わりでもあり、父親のような存在だったのだ。
だけど、あの日。あの、運命の夜の出来事……
記憶から消す事のできない悪夢。
姉と自分を、絶望のどん底に落してくれた、悪魔の所業。
あの夜、何故自分は、龍月を……
姉が亡くなってから、その時初めて司は龍月がカタギでは無かったのだと知った。
警察から、男が日本でも一・二を争うヤクザの跡取りという事を教えて貰ったのだ。
――それ以降、司は彼との関係を断ち切った。
姉の遺体を龍月が引き取るとは思わなかったが、葬儀を挙げた後、司は遺骨を抱え、文字通り逃げるようにして、龍月の前から去ったのだ。
住み慣れたアパートを出て。
誰にも行方を告げず、長年暮らしていた街から離れ……
それなのに。
数年振りに、こんな風に、何の前触れもなく、突如あの男が自宅にやって来るだなんて。
どうしてだ!?どうして、今頃……
『司、聞こえないのか?いい加減にしろ、私は気が長くはないぞ?これが最後のチャンスだ。もう一度言う。ドアの鍵を開けるんだ』
画面に映る、にやりとした笑み。ス、と胸元に入る手。
もしかして。あそこには、銃でも入っているのでは?
「!!」
ゾクリとした震えが走る。
よもや、こんなマンションで、拳銃をぶっ放すとも思えないが。あの男のやる事は、予想不可能なのだ。
ひょっとして、ひょっとすると……
「……」
司は、ごくりと息を飲んで、何度も深呼吸した。
萎える足をで廊下を歩き、玄関へと辿り着く。
彼は、戦慄く指で、鍵とチェーンを解除した。
ゆっくりと、ドアが開く。
──果たして、そこには。
一日と忘れた事のない…かつての姉の恋人、龍月の玲瓏とした姿が在った。
魂まで貫くような双眸、人を喰ったような皮肉っぽい微笑み、甘くスパイシーなコロンの香……
どれも…変わっていない。
司は、不安と恐怖に高鳴る心臓を押さえつつ、破裂しそうな心臓を抱え。
無言で、男の貌を見上げた。
続く。
冷たい雨が降りしきる夜に、一人の若い女性が事故死した。
高速道路での、無謀なまでのスピードを出したが故の、当然の結果ともいえる、追突事故。
大型トラックと、モロに真正面からぶつかり、突っ込んだ車は、大破し炎上した。
車は、見るも無残に燃え焦げ。遺体も、目も当てられぬ悲惨な状態だった。即死だった事が、彼女にとっては最後の幸運だっただろう。
警察は、丹念にこの事件を調べた。が、こうなった原因は、調査するまでも無かった。
目撃者達の話では、女性の乗った車の方が、自らトラックに向かって衝突したと、みな口を揃えて証言したのだ。
どうして、そんな事をしたのか。
突然、女性の身体に異常が起きて、ハンドル制御が利かなくなったのか。もしくは、自殺か。
その疑問は、最後まで判明する事はなかった。彼女は、年の離れた弟との二人暮らしで、既に両親もなく、若い女性にしては珍しく、近しい友達も仕事仲間もいなかったので。
ともあれ、女性は亡くなった。
だが、この事故は、もちろん哀しい出来事ではあったが。それだけでは終わらず、話には続きがあった。
それは、彼女が普通の人間ではなかったという事。いや、彼女が特殊という訳ではなく。実は彼女は、その後の調べて、当時付き合っていた男…が、いたのだが。その人物は、カタギではなく、何と日本でも十本の指に入ると言われている、極道の幹部クラスの人間だったのである。
どうやら、そんな者と交際をしていた為、彼女は友人達からも遠巻きにされる扱いを受け、自分から親交を断っていたらしい。
警察は勿論、男を調べたけれど、その結果、彼は事件とは無関係であった。
ちなみに、その者は、犯人扱いをされたというのに、恨む事もせず、彼女の亡骸を引き取り、手厚く葬ってやったという。
墓もきちんと建ててやり、事故相手のトラックの運転手にも、損害賠償金まで支払ったのだ。そこまで、女性の為に尽くしてやったのだ。
その潔い態度に、ヤクザであっても、男の愛は本物だったのだろう、と関係者達は密やかに噂をした。
極道者だけど、案外いい所もあるのだな、と。
けれど。
この話は、そんな美談で終わる代物ではなかったのである……
軽快なメロディが鳴る。
聞き慣れた音に、デスクに向かってPCとにらめっこをしていた、この都心の郊外にあるマンションの一室の住人…篠崎司という名を持つ男性は、ふ、と画面から顔を上げた。
「……お客さん?」
ぼそりと呟き、ちらりと壁に掛かっている時計を見やる。
針は、正午を回っている。どうやら、また仕事に夢中になっていて、今日も昼食を摂るのを忘れていたようだ。
そう言えば、腹が空いたなぁ、などと、のほほんとした事を考えていた司の耳に、またもや音が聞こえてくる。あれは玄関に取り付けられているチャイムだ。
司は、かったるそうに椅子から腰を上げた。
長時間、机に向かっていたせいで、身体の節々が痛い。特に肩こりが酷い。
いささか年寄りくさいが、仕事が仕事だけに、凝り易くなるのは止む負えない。
何しろ彼は、一流ともまではいかないが、そこそこに人気のある童話作家なのだから。
司は、ちょうど良い、少し休憩するか、と呟きつつ、PCを切った。
やや、ぼさついた短い髪を掻き上げ、こきこきと肩を鳴らす。
仕草はぞんざいだが、しかし彼の容姿はそんなズボラさとは大違いで。
鴉の濡れ羽根色を思わせる漆黒の髪は、艶やかで美しく。顔立ちも、すこぶる麗しい。
澄んだ黒曜石の瞳に、通った鼻梁。桃色の唇に、白磁の肌。
スタイルも細身だが、バランスの取れた肢体で、足もすらりと長い。
一見すると、贔屓目ではなく、モデルか芸能人のような華やかさを漂わせている。
しかし、着ているモノは…いささか…いや、ずばり言って、ダサい。
よれよれの着古したシャツに、ジーンズ。足元は、怪獣…ゴジラもどきのスリッパという出で立ち。
でも、例えファストファッションで身を固めていようが、年も19才と若く、きちんとした身なりをして街でもうろつけば、十中八九逆ナンされるだろう。いや、男と判っていても、その美しさ故、同性からもモーションを掛けられても不思議じゃない。
が、司本人は、色恋にはとんと興味がない。向けられる秋波には、全く気付かない。
鈍感ではない。が、のほほんとした性格の持ち主なので、他人からの熱い視線というシロモノには無頓着なのだ。というより、敢えて避けている節がある。
別に、女嫌いという訳ではないし、彼とて年頃の若者、未経験というものでもない。
だが、それは司に取って、同時にとても苦く、とても辛い思い出の一つでもあるのだ。
何しろ、初体験の相手が……
――ともあれ今の所、司は愛だ恋だに、うつつを抜かす気にはなれないのである。
あの、凄まじい記憶が脳裏に残っている限り……
「まだ編集者が来る日でもないな。宅急便か何かかな?」
カレンダーに視線を飛ばしつつ、小首を傾げる。
今、彼は、某出版社からの依頼を受け、低学年向けの童話の執筆にここ数日取り組んでいる真っ最中なのだ。
けれども、締め切りにはまだまだ時間がある。
司は、その華麗な容姿とは裏腹に、前述の通りあまり社交性はなく、友達の数も限られているから、こんな風にアポイントも取らず誰かが訪ねてくる確率も低い。
司は、うーん、と伸びをして、扉を開け廊下に出た。
リビングにあるインターフォンに向かい、画像をオンにする。
セールスマンか何かの勧誘だったら、このまま居留守を使おう、などと考えつつ、映像を覗き込む。
刹那。彼は、鋭く息を飲んだ。
──テレビ画像に写っている人物。それは、宅配業者でも、セールスマンでもなかった。
解析度があまり鮮明とは言えぬのに。そこに見える人影の秀麗さ。
ダークブラウンの艶やかな髪。整った…整い過ぎた貌。鋭い眼差し。双眸の色は、光の加減なのか、氷のような蒼さを滲ませている。薄く、冷酷そうな口元。見惚れるような、均整の取れた肢体を包む、高級なダークスーツ……
「た…たつ、き…!?」
思わず名を呟き、数歩後ずさる。
──何故!?どうして、あの男がここに…俺の部屋の前にいる!?
なんで、この家がバレた!?
ずっと、ずっと…唯一の身内であった姉があの悲惨な“事故”で亡くなってから、息を潜めるようにして生きてきたというのに。
高校を卒業すると同時に、逃げるように姉と住んでいたアパートを引き払い、一人暮らしを始めたのだ。
誰にも…数少ない友人と、出版社と。それぐらいしか、この小さなマンションに自分が暮らしている事は知らない筈。
それなのに。どうして…!!
『──ここを開けろ、司。居留守を使おうとしても無駄だぞ?素直に開けないと言うのなら、腕ずくでもドアをこじ開けるが、それでもいいのか?』
マイクが、望まぬ訪問者の声を伝えてくる。
低く、冷たく…そして残忍で甘く。
数年前と、少しも変わらぬ…支配者の響きを持って。
「……っ!」
司は、震える唇を強く噛み締めた。
このまま、シラを切ろうか、という考えがちらりと頭を掠めるが。
あの男は。かつての…姉の恋人であった龍月という名を持つ人間は、自分に逆らう者は容赦しない性質を持っている。また、その“力”もある。
一条龍月。何を隠そう、彼の正体は。この日本の裏社会を牛耳ると密かに噂されている…最高峰の地位に在る、組…ヤクザの若き総帥…なのだから。
一条の名を知らぬ者は、この日の本には恐らくいないだろう。誇張でも何でもない。
日本中に点在する、極道一家の上に立つ、巨大組織。それが一条組だ。
表向きは、超大手の建設会社だが。本当は、外国のマフィアとも深い親交がある、警察組織も一目も二目も置くと言われている、暴力団組織なのだ。
そのトップに君臨しているのが、まだ年若い跡取り息子…龍月その人だ。
今のヤクザは、昔と違い、一見すると生え抜きのエリートに見える。しかし、纏う雰囲気といい、刃物のような鋭い気配といい。ただならぬ“気”を携えている。
芸能人のように華やかな顔立ちとは裏腹に、一皮剥けばその残虐な闘争本能を剥き出しにする、カタギとは相反する存在。
物腰はあくまで柔らかく、やたらめったら相手を威嚇する事はしないが。
彼がひとたび本性を現せば、そこら辺のチンピラなど気死しかねない迫力を纏う。
視線だけで、ゴロつきを殺す事だって可能かもしれない。
……そんなぶっそうな男と、美貌の童話作家である司の二人に、全体どのような接点があるのか。
それは、彼の姉、かつて事故死してしまった里奈が、龍月と恋人同士だったのだ。
もっとも、司は初め、龍月の正体を知らなかった。姉から紹介された時の彼は、鋭い気を纏い付かせてはいたが、普通の社会人に見えたから。
実際、龍月は里奈にも弟である司にも、優しく接してくれた。
姉が仕事で忙しかった時は、アパートにわざわざ食材を持って訪れ、手料理を振る舞ってもらった事も、何度もあった。
狭いキッチンに立つ大きな男の後ろ姿は、今でも鮮明に覚えている。
口数は決して多い方ではなかったけれど。時折向けてくれる笑みは、柔らかかった。
両親を早くに亡くしていた司にとって、龍月は兄代わりでもあり、父親のような存在だったのだ。
だけど、あの日。あの、運命の夜の出来事……
記憶から消す事のできない悪夢。
姉と自分を、絶望のどん底に落してくれた、悪魔の所業。
あの夜、何故自分は、龍月を……
姉が亡くなってから、その時初めて司は龍月がカタギでは無かったのだと知った。
警察から、男が日本でも一・二を争うヤクザの跡取りという事を教えて貰ったのだ。
――それ以降、司は彼との関係を断ち切った。
姉の遺体を龍月が引き取るとは思わなかったが、葬儀を挙げた後、司は遺骨を抱え、文字通り逃げるようにして、龍月の前から去ったのだ。
住み慣れたアパートを出て。
誰にも行方を告げず、長年暮らしていた街から離れ……
それなのに。
数年振りに、こんな風に、何の前触れもなく、突如あの男が自宅にやって来るだなんて。
どうしてだ!?どうして、今頃……
『司、聞こえないのか?いい加減にしろ、私は気が長くはないぞ?これが最後のチャンスだ。もう一度言う。ドアの鍵を開けるんだ』
画面に映る、にやりとした笑み。ス、と胸元に入る手。
もしかして。あそこには、銃でも入っているのでは?
「!!」
ゾクリとした震えが走る。
よもや、こんなマンションで、拳銃をぶっ放すとも思えないが。あの男のやる事は、予想不可能なのだ。
ひょっとして、ひょっとすると……
「……」
司は、ごくりと息を飲んで、何度も深呼吸した。
萎える足をで廊下を歩き、玄関へと辿り着く。
彼は、戦慄く指で、鍵とチェーンを解除した。
ゆっくりと、ドアが開く。
──果たして、そこには。
一日と忘れた事のない…かつての姉の恋人、龍月の玲瓏とした姿が在った。
魂まで貫くような双眸、人を喰ったような皮肉っぽい微笑み、甘くスパイシーなコロンの香……
どれも…変わっていない。
司は、不安と恐怖に高鳴る心臓を押さえつつ、破裂しそうな心臓を抱え。
無言で、男の貌を見上げた。
続く。
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