6 / 16
その瞳は、君の罪を知っている
しおりを挟む江戸吉原。
四千人もの遊女がいるとされる夜の世界の象徴。
花と艶、酒、煙草の香りが漂う、この世の極楽は、独特の賑わいがある。
しかし、現在は巳の刻。
酒は下げられ、大輪達は再び閉じ、小さな花々は、影でひっそり咲いている。
だが、今日は違った賑わいを見せていた。
吉原仲之町では、人盛りが出来ていた。
名物の道中ならば、路地からこっそり見るだけでも、一興である。
だが、今は違う。捕物だ。
しかも、女衒がスリを捕まえたとなれば、見物人が集まってもおかしくない。
「権助っ!」
「市ノ瀬様っ!」
黒い羽織を着た市ノ瀬は、腰に指した十手で同心だと分かる。
その後ろから、同じ色の房を絡ませた十手を持った男が二人が、走って来た。
「権助っ!」
「久蔵親分っ!伝八もっ!」
「権助、お前スリを捕まえたってのは本当か?」
「本当です。こいつですよっ!」
「おっ、てめぇ、平太じゃねぇかっ!」
伝八が、顔を見ると、目を開いて、男の名を言った。
「平太?」
「へぇ、どじょう長屋に住んでる奴ですよ。おい、平太、てめぇ、財布をスったのは本当か?」
「だから、俺は何もスってねぇって言ってんだろっ!」
「嘘つくなっ!見た人がいるんだぞっ!!」
「あぁっ!だったら、そいつを連れて来やがれっ!!」
「目撃した者がいるなら、権助連れ来なさい。」
喚く平太とは違い、市ノ瀬は冷静だ。
「それなら、ここにいます。」
「お玉さん。」
お玉は、初老の男共に久蔵の後ろに控えていた。
手には、権助の旅支度が握られている。
「権助さん、大丈夫ですか?」
「あっしは、平気ですよ。」
「お玉とやら、そちらは・・・。」
「はい。私めは、吉兵衛と申す、しがない商人でございます。実は、先程、財布をスラれまして・・・。」
「それが、この男だと?」
「そ、それは、そ、その・・・。」
市ノ瀬の問いに、吉兵衛は、顔を曇らせ、歯切れが悪い。
「どうした?」
「・・・私とぶつかったのは・・・そちらの方ではなく、あちらの渋髪色の着物の男なんですが・・・。」
「えっ?」
捕物を出来た人盛りに向かって、吉兵衛は、言いにくそうにその中の一人を指さした。
「あっ?俺が何だってっ!」
指した先にいたのは、煙管ふかせた渋髪色の着物の男で、肩で風をきるように大股で、前に出てきた。
「おめぇは、三次っ!」
「久蔵親分、お久しぶりで。」
久蔵が言うには、この三次という男は、げんべい長屋に住む遊び人だそうだ。
「てめぇ、吉原に来るほどの金があるとは知らなかったなぁ。」
「なぁに、格子の外から見ても、良いもんでがんすよ。」
格子女郎は、見ているだけでも嬉しいようだ。
浮世絵とは違い、いつも手元に置けないからこそ、その花の価値は上がる。
「で、お前が財布をスったのか?」
「とんでもねぇ。ぶつかっただけで、スリにされちゃ、かないやせんよ。」
「ということは・・・。」
「いい加減離せっ!」
三次の言葉を聞いた権助は、一瞬に拘束の手を緩めてしまった。
「あっ!?」
平太は、権助の手から逃れると、着物の襟を直し、
「おいっ、誰が俺がスったの見たって?俺は、そこの爺さんと会ったこともねぇんだぜ。」
「・・・・・・。」
権助は、拳を強く握り、悔しそうに顔を歪める。
「でも、スったのは、お兄さんだよ。」
「!?」
しかし、お玉は顔色を一つ変えずに言い放った。
「あぁっ!?小娘、俺の話を聞いてなかったのか?俺は、この爺さんと会ったことも、まして、ぶつかったこともねぇんだよっ!」
「正確に言えば、そっちのお兄さんがスって、お兄さんに財布を渡したんだよ。」
「あぁっ!?何、適当なことを・・・。」
「適当じゃないもん。私は見てたから。」
すごまれても、お玉は引かない。
「じゃぁ、徹底的に調べてもらおうかっ!!」
「あぁ、財布があるか、目ん玉かっぽじてよく見やがれっ!!」
三次と平太は、帯を解き、着物を脱ぎだした。
「おい、小娘、これで財布が出て来なかったら、どう落とし前つけてくれるんだぁっ!?」
「いくら吉原だからって、生まれたばっかりの姿を晒されるんだ。それ相応の責任は取ってもらうぜっ!」
三次と平太は、ドスの効いた声でお玉を睨みつける。
「脱ぎたかったら、勝手に脱げばっ!」
しかし、お玉は屈しなかった。
そればかりか、下から二人を睨みつけた。
「お玉さん・・・。」
権助は、今までの違うお玉の雰囲気に、どうしていいか分からなかった。
「親分、止めやしょうよ。」
「あぁ・・・。」
「いや、待て。もう少し見よう。」
岡っ引達は、止めさせよとしたが、市ノ瀬が止めた。
「脱ぎたかったら、勝手に脱げばいいんです。どうせ、財布は持ってませんから。」
「はぁっ?」
「何言ってんだ?」
権助と伝八は、お玉の言葉に顔を見合わせた。
「権助さんっ、袖を見て下さい。」
「えっ?・・・ん?これはっ!!」
お玉に言われ、袖を探ると、左側の袖から紐で結われた紺藍色の布が出てきた。
手の上で跳ねさせると、金属がぶつかる音が響く。
「そ、それですっ!私の財布はっ!!」
吉兵衛は、権助から財布を受け取ると、紐を解き、裏側に刺しゅうされた名を見せた。
「間違いないようだな・・・。」
「はい・・・。」
「おい、俺らがスったって言っておいて、これはどういうことだぁ?」
「その男がスったってことだろ。」
「違うよ。権助さんは私とずっと一緒にいたもの。おじ、吉兵衛さんの財布を取ることは出来ないよ。」
「じゃぁ、何で財布があるんだぁ?」
「それは、権助さんにぶつかったお兄さんが、よく知ってるよ。ぶつかった時に、権助さんの袖に入れたんでしょ。」
「・・・てめぇ、俺らに罪を擦り付ける気だろ?自分達で、爺さんの袖から財布をスったくせにっ!」
「そうかそうか、ガキのくせにオレらを嵌めようって、魂胆だなっ!」
「!?」
「・・・口は災いの元。」
真っ直ぐ睨んでいたお玉の瞳が細められた。
「あぁっ!!?」
「吉兵衛さん、このお兄さんとぶつかったのは、どっち側ですか?」
「え、えっと・・・右側ですね。」
「やっぱり・・・。」
「さっきから、何を言ってやがるんだっ!」
「お兄さん達の負けだよ。」
「ああっ!?」
「どういう意味だ?」
「どうして、吉兵衛さんの財布が、袖の中にあるって知ってたの?そんなの入れた本人しかしらない筈だよ。」
「・・・そ、そりゃぁ・・・。」
三次は、顔色を変え、視線が泳ぎ出した。
「お兄さん達、吉兵衛さん会ったこと無いんでしょ?何で知ってるの?」
「・・・・・・。」
たたみかけるお玉に、二人は押し黙る。
「それに、吉兵衛さんにぶつかったのは、右側。袖から取るには、右手じゃないとダメ。権助さんにぶつかったのは、左側。左の袖に入れるには、左手じゃなきゃいけない。」
「そ、それが、なんだって言うんだっ!?」
「これは、二人いないと出来ないってこと。右利きと左利きが。小豆色の着物のお兄さんは右利きで、渋髪色の着物のお兄さんは左利き。」
「どこに、そんな証拠があんだよっ!」
「小豆色の着物のお兄さんは、右手で帯を解いて着物を脱いだし、煙管を持っていた手も右手だった。渋紙色の着物のお兄さんは、謝った時に出した手も権助さんを殴ろうとした時の手も左手だった。何気なく使うのも、咄嗟の時に出るのも、それは利き手。」
「っ!?うるせぇ、小娘っ!」
平太が地面を蹴って、懐に隠していた合口をお玉に振り下ろした。
「!?」
「お玉さんっ!」
お玉は咄嗟に目を閉じた。閉じる瞬間見えたのは、小豆色の布だった。
〝キーンッ″
金属音が聞こえた。
目を開けると、久蔵の十手が平太の合口を止めていた。
「・・・。」
「!?」
〝キィーン″ 〝ドンッ″
「うっ!?」
久蔵十手は、下から押し上げるように、平太の合口を弾き飛ばした。
その衝撃に耐えられず、平太は地面に尻餅をついた。
「おらっ!大人しくしろっ!」
「くっ!?」
平太の身体に、伝八が白い縄をうった。
「チッ!?」
三次は、身を翻し逃げようとしたが、
「おわっ!?」
市ノ瀬に足を払われ、地面に沈んだが、
「くっ!・・・うっ!?」
〝ダンッ”
また立ち上がろうとしたので、市ノ瀬は十手で、腹を撃った。
転がった三次を伝八が縄を掛ける。
「この・・・っ!?」
悔しさから、お玉に恨み言を言おうとした三次は、顔を上げた次の瞬間、息を飲んだ。
そこには、逆光で影のようになったお玉の姿があった。
細められた瞳は、暗闇で光る動物の目のように光っていた。
その瞳に睨まれた三次は、全身の血が凍るような感覚に襲われた。
「引っ立てっ!」
血の気の引いた三次は、背後から聞こえる市ノ瀬の声で我に返ったが、震えは止まらず、抵抗せず、番屋までの道を歩き出したのだった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
天狗の囁き
井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
蒼雷の艦隊
和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。
よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。
一九四二年、三月二日。
スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。
雷艦長、その名は「工藤俊作」。
身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。
これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。
これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる