放課後、旧校舎にて

雲野いと

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3-1 死体とお茶会

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 翠子さんが、死体をゆっくりと床に寝かせる。仰向けになった死体は、目をかっ開いていて怖い。

 床に横たわるその顔に、見覚えはなかった。そのことに少し胸を撫で下ろす。この死体が知っている生徒であれば、もっと取り乱してしまっていただろう。

 しかし知らない生徒だからまだマシというだけで、死体の虚ろな目はずっと見ていられるようなものではない。
顔は見ないようにしよう、と視線を体の方に向けた。

 黒の学ランを着ている。胸ポケットについた校章が、彼が路傍高校の生徒であることを示していた。上靴のラインが赤いので、三年生らしい。
 
 死体は綺麗なものだった。体には外傷が見当たらず、血が流れ出ているわけでも、どこかが欠損しているわけでもない。初めこそ不気味に思ったが、見慣れてくると寝ているだけなのでは、と思えてくる。視線を顔に戻せば虚ろな生気のない目と視線がかち合うので、死体だとわかるが。顔を手で隠せば完璧だ。

 うんうん、と頷いて手をかざす僕を放置し、翠子さんはしゃがんでじっ、と死体を凝視していた。しばらくして立ち上がると、彼女は僕に言った。


「お茶用意して、三人分」
「三人?」


 僕、翠子さん、死体分ですか、まさか。はっはっはっ、いやあ、そんなわけないですよね、お客さん来るんですよね?そうですよね?午後十一時に訪ねてくる客なんて聞いたことないですけど、そうなんですよね。翠子さんですもんね、そういう常識のない知り合いくらいいますよね。はっはっはっ…。
 
 この場から逃げるため、窓に向かって猛ダッシュ。入り口の前には翠子さんがいるから、逃げるなら窓から逃げるしかない、と判断した結果だ。窓に手をかけようとした瞬間、ひとりでにカーテンが閉まる。後ろから殺気を感じた。翠子さんだ。やばい。

 翠子さんと目が合わないように後ろは振り向かず、お茶を用意するため、僕は奥の局室にすごすごと引っ込んだ。


 ああ、面倒事に巻き込まれる気配がプンプンする。


 ちなみに、局室というのは図書局員が使用する部屋のことだ。作業用の机や、新刊の受け入れに使う判子など、様々な物が置かれ乱雑としている。お茶など、図書室に関係のない備品もここに置かれている。

 図書室は局室を含め、三つの部屋に分けることができる。局室以外の部屋は、古すぎる本を仕舞っておく資料室と、本を読むための閲覧室だ。

 図書室に詳しくない人にとっての≪図書室≫は、閲覧室を差している場合がほとんどだ。しかし実際図書室と言えば、この三つの部屋の総称のことなのである。

 死んでしまった人間が紅茶を飲めるとは思えないが、彼女が淹れろと言うので仕方なく三人分用意する。

 死体のためにこんな夜中に局室で紅茶を注ぐ。凄い状況だ。

 注ぎ終わったカップはソーサーにのせ、おぼんで翠子さんの元まで運ぶ。


「淹れましたよー、翠子さ…」
 

 局室から出て自分の目の前にある光景を見て、沈黙。
 
 死体が起き上がり、翠子さんと一緒になって僕を見ていたからだ。生気のなかった虚ろな瞳は、少し光を取り戻していた。 

 まさか翠子さんがこんな、人を生き返らせるような芸当までできるとは。心の中で呟く。

 翠子さんはいつも通りのマイペースを貫き、「じゃあ閲覧室で皆で飲みましょ」なんて言って、死体をつれて閲覧室へ。僕も慌てて二人の背中を追いかけた。

 さっさと一番先にイスに座り、「如月早く、お茶―」と言った翠子さんに、カップを投げつけそうになりながらその手を抑えて机に並べる。そして並べ終わったら、僕もイスを引いて腰を掛けた。

 午後十一時図書室にて、僕は翠子さんと死体と一緒に紅茶をいただく。そして紅茶を飲んで優雅な気分、といきたいところだが、チラチラと視線が死体にいってしまう。

 翠子さんにコソコソと耳打ちをする。


「ええと、翠子さん。そちらの死体さんは…」
「三船君よ」


 三船…。うーん、やっぱり聞いたことのない名前だ。
 黙って紅茶を啜る三船君に、「紅茶で大丈夫だった?」と問いかけた。

「はい、大丈夫です」と三船君が答える。
「それはよかった」


 一口、また僕もカップを口へと運ぶ。

 さっきまで死体だったはずなのに、普通に動いて、普通に喋って、しかも紅茶まで飲めるとは。今の彼は、一体どんなモノなんだろう。

 元は人間であることに違いないが、もはや死体…ではないし、幽霊でもない。かといって生者というわけでも…。うーん?
 
 僕が首を捻らせ、紅茶を飲む手を休めていると、翠子さんはあっという間に紅茶を飲み終えたらしい。


「さて、紅茶も飲み終わったし…」

 空のティーカップが机に置かれる。慌てて残り少ない紅茶を飲み干した。
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