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断案と憧憬 10
しおりを挟む──なんだ、帰ってこないのか。
釣り好きの同級生から貰った魚をそのまま冷蔵庫に仕舞い、敬吾は簡単な返信を打つ。
こんなもの敬吾一人ではどうにもできない──魚の種類すら忘れてしまった。
「いつの間に仲良くなってんだよ」
まあ自分もちょこちょこと柳田と会っているし、文句があるわけではないのだが。
とりあえず逸が言っていた常備菜を見てみようと冷蔵庫を開ける。
ナムルと茹で鷄、昨日の残りの肉豆腐があった。どれも旨いことは知っているのだが──
すっかり魚の気分だ。
刺し身でも煮魚でも塩焼きでもいい、とりあえず魚が食べたい。
「……外行くか」
面倒そうなため息をひとつ付き、敬吾はもう一度上着を持った。
「結局ねえ、えっちする時しかいちゃいちゃしてくれないんすよ!あの人は!!」
「いいねー酔っ払ってんねー岩井くん」
それほど飲ませたつもりもないのだがと考えつつ、後藤は求められるままに酌をしてやる。
きっと酔いたいのだろう逸は、酒が深くなるにつれ寂しさが暴走していた。
「そーじゃなきゃ俺なんてもーポイですもん、相手してもらえねえもん……」
「そーなの?」
「そーすよ」
だらしなくテーブルに肘をつき、コップの縁を掴んで、逸は事切れるように頷いた。
「俺なんかいなくてもいーんですけーごさんは……」
「それはまあ──」
誰でもそんなものではないだろうか。
恋人など、いれば楽しいがいないからと言って死ぬようなものではない。──よな?と考えて後藤は首をひねってしまう。
「まーでもそうしないってことは好きだからじゃないの?」
随分無神経なことを言いそうになってしまって話の鼻先をそらしてみるが、逸は重たそうに首を振った。
「それはそれで手間でしょ……、別れるのだってエネルギーつかう、けーごさんそーゆーことしない」
「そうかぁ?あいつ嫌ならとっとと縁切るよ」
「だからー、嫌とまでは多分おもってないから……」
「あー」
それはそうか。
余計なことは言わずともやはりデリカシーなく頷いて、後藤はぺろりとグラスを空にする。追加の注文をしているうち、逸はまた更に沈み込んだようだった。
「…………おればっか好きだ」
今度は後藤もさすがに気を利かせ、こみ上げた笑いを飲み込んだ。
なるほどこれは撫でてやりたくなる頭である。
そうしない代わりに「そうかねぇ」とだけ返して、その頭がゆっくりと上がっていくのを眺めていた。
「さっき俺嫌いならとっとと切るよっつったけど、違うかも。好きでもなきゃこんな面倒な関係続けなくない?」
「………………」
「あいつからしたら他に女の子でも探した方が遥かに楽じゃん」
「……………」
──分かってますよそんなこと、と、また俯いた頭から地を這うような血を吐くような声がする。
敬吾が十分に好いてくれていることも、それで満足すべきであろうことも。だが──
「たりない……」
「………………」
「俺…………」
この願いが横暴なことも醜いことも、愛や情ではないことも分かっている。
ただ敬吾を独占していたい。
敬吾の思いが尠いならそれでもいい。ただそれなら常に目の届くところに置きたい。叶わないならば食ってしまいたいほどだ。
その狂った欲望と敬吾を重んじる理性とが産む反発が、例えようもなく辛い。だから敬吾には進んでそばにいて欲しいのだ。
「……分かってんすよ、無茶なことゆってんのは……」
「…………」
実際のところ逸は何も口に出していないから後藤には返答のしようもなかったが、なんとなし察せられる気がした。
「惚れてんねえ」
「……………」
そうでもなければあの敬吾を男が落とすなどできまいが。
やはり逸がいなくとも自分にはどうこうできなかったろうなと後藤は妙な納得をする。
だが逸よりも付き合いが長いのは事実だ。
「岩井くんが何してえのかは分かんないけどさあ、あいつも結構飛んでるよ」
「………?」
「小学校の頃かなー、同級生の女の子が泣いてたのよ。どうしたーって聞くじゃん、そしたら飼ってた犬が死んじゃったのって」
「………はあ」
後藤は大して似せる気のない口真似で続けた。
「俺はまーそっかー元気だしなーくらいにしか思わなかったんだけど、あいつはさ、じゃあどうしたいのって。で、もう一度犬に会いたーい、じゃあ死んでみるしかないんじゃなーい?ってなった」
「…………え。」
さすがに呆けたような顔をする逸を見て笑い、後藤は「すげーよな」と言う。
「別にグズグズ泣かれんのが嫌で怒ったとかそういう感じじゃねーよ?ただふつーーに、とりあえず死んだもんが生き返らないのは知ってるし、じゃあ可能性があんのはそれじゃねって提案した感じ」
「…………………へえ……」
「すげーよね。感情どこだよ」
「…………………」
確かに突飛なエピソードだが、敬吾らしいと言えば敬吾らしい。
それだけにどう受け止めていいのか分からず逸は少し狼狽えていた。
ちなみに女の子も幼さ故か素直に飲み込んだらしく、「それは無理だね」「じゃあ諦めるしかないね」と話は続いたらしい。
「だからね?」
「あ、はい」
「あいつ結構肝座ってるから、思い切って言ってみるのも手なんじゃねえの」
「………………」
「なんだそんなことかよって言われるかもよ。ほれ呑め」
まだ残っているグラスの中身を更に増やされながら、逸はしばし呆けたままだった。
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