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断案と憧憬 9

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運良く濡れ鼠にはならずに済んだらしい後藤が「折角だから飯でも」と言うと、逸は軽く時計を見ただけで「いいですよ」と応じた。
後藤の方が驚いて軽く目を見開いている。
同じ目論見の客で混み始める前にと近場の店に決めてしまうと、後藤は逸に先に入っておくように頼んだ。一服してから追ってくるらしい。その間逸は遅くなる旨と常備菜の有無などを敬吾に連絡をする。

──やはり、いつものようには敬吾のことが気に掛からないし、食事を一緒にとれないことを悲しく思うこともない。

少しひやりとするような気持ちになって、まだ既読は確定しないメッセージ画面をぼんやりなぞって動かした。
そこへ「飲む?」と急に声が掛かり、跳ね起きるように驚いて笑われた。

「まーた敬吾と何かあったの」

欲求不満な顔してますよ、といつかも聞いたような台詞を言って、後藤は苦笑しながら腰を下ろす。

「……ちょっと飲もうかな」
「お」

楽しげにメニューを開きつつ、「岩井くんが、『けーごさんの飯が』って言わないとか相当だもんねぇ」と後藤は言った。逸は表情を変えないまま何度か瞬いている。

「……やっぱそうすか?」
「うわーー自覚してんだ」

これは思った以上に深刻なのだろうか。
面白がるのはやめるふりをして、後藤は少し仰け反った。

「なんで?冷めた?」
「冷めた……?」
「敬吾に」
「…………」

後藤の放ったそれはとんだ爆弾発言だったが、自分でも不思議なほど逸は驚かなかった。
混沌としているこの胸中を整理できるきっかけになるのなら、どんな解釈でも一考の価値があるのだ。
少し視線を落として考える。
確かに言葉にすればそう見えるのかも知れない。今の自分は。だが──

「冷めるとかではないすよ……」

後藤は、面白くもつまらなくもなさそうに逸をちらりと見ただけで、同じく平坦にメニューを捲る。

逸は厨房の上に掲げられた黒板のメニューを眺めているが、やはり何も頭に入ってこない。
視線は自分の中に向いていた。

何か少し達観したような、俯瞰しているような気持ちになっているのは確かだが。
敬吾への気持ちが薄れているとは全く思わない。それどころかいつにも増して狂おしいほどだ。だがまるで地中深くで渦巻くマグマのように、感情として現れてこない。

「全然違いますけど……」
「…………」

本当にこれは何なのだろう。
ふと思考停止した瞬間に、逸ははたと目を見開いた。

「つーか、仮にそうだったら後藤さんはどうなんすか、すげー普通に言ってましたけど」
「ぶち殺すよそんなもん」
「…………。」

後藤の即答に少し頬を引きつらせて、逸は「じゃーなんで」と言いかけ、電子音に遮られた。後藤がオーダーをすべくボタンを押していた。さきほどとは打って変わってにやにやと笑っている。

「こりゃ記憶飛ばすまで飲んで喋ってもらうしかねえなぁー」
「あのねぇ……」
「暴れそうになったら締め落とすけどいいよね」
「やですよ」





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