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ことほぎ 8
しおりを挟む「すっっ、……げーー良い匂いするー……」
顔を洗って戻ってきた敬吾は、眉根を寄せてしみじみとそう言った。
逸は嬉しげに頬を緩ませて鍋の中を返している。
「うまいっすよーー、煮しめと餅とあんことくるみとー、酢の物来てます」
「……ちょっと舐めていい?」
「どっ、どうぞどうぞ」
慎重に温めた粒あんをスプーンに掬ってやり敬吾がそれを含んで感激している間、逸は敬吾のあどけない表情と子供のような瞳に悶え、顔を背けてそれをなんとか隠していた。
「うっっま!すげー甘いのにすげー美味い!なにこれ……」
「あはは、良かった……あ、ちょっとばあちゃんに電話だけしちゃっていいですか?」
「んん、どーぞどーぞ……あー、俺もばあちゃんの声聞いてみたい」
「え、いいですけど……何喋ってるかわかんないと思いますよ?」
「いや別に内容聞きたいとかそんな無礼なこと考えてねーから……」
「ああ、じゃあ……」
にこにこと嬉しげに、逸は火を止めてリビングに戻り端末を取った。
敬吾が祖母を好んでいることがとても嬉しい。
スピーカーから呼び出しのコールが一度流れただけで受話器の上がった音がする。
『はいはい、いっつだがー?』
「あ、ばあちゃん?」
「……………!!?」
「煮しめ届いてたよ」
『んだがー、味こなんたがー、あんこさな、塩入ってねえがらな、ぺんこ入れで、しずがっこにかんまぜで』
「うん」
『くるみさばな、おぢゃっこ入れでまぜでがら』
「うん」
『たんっと食べで下さいー、うふふ』
「うん、ありがと」
──「ばあちゃん」が何を言っているのかは、全くもって分からなかったが。
その高くて丸い響きの声と訛の音律は温かく、勝手ながらも慈しまれているような、頭を撫でてもらっているような気持ちになってしまう。
逸の方を盗み見ると、敬吾と同じく微笑んではいるが労るような深い表情をしていた。
──大好きなんだな。
気持ちはよく分かる、と更に敬吾が笑ってしまうと、逸の話は思いも寄らない方向へ舵を切った。
「ばあちゃん、俺すごい好きな先輩がいてさー、あんこその人も食べたの。めちゃめちゃ美味しいって言ってたよ」
「!!?」
敬吾が仰け反ると狙ったようにそれを逸が見やり、いたずらっぽく笑う。
『あら!いっつのこれんか?』
「あはは、どうだろなー」
『連れで来たんせ、ばあちゃんど蒸しパン食べするように、くるみ入ったの作んねばね』
「ばあちゃんがこっち遊びに来てくれたら紹介するー」
『あら!意地悪喋ってがら!うふふ……』
──通話を切ると逸は体ごと向き直り、俯いてしまっている敬吾にキスをした。
そのキスがあまりに優しくて、却って照れてしまう。
目線を上げられないまま頭を撫でられ、敬吾はどうにか色気染みていない話題を探した。
「……お前あれ話通じてんの?」
「なんとか……。いやでも実は分かってないのかも知れないですけど」
「へえ、俺全然無理だった」
「そりゃそうですよー」
可笑しそうに笑う逸の顔をやっと見上げて、意味は全く分からなかったあの声を思い出す。
「でもなんか、聞いてるだけでもいいな、おばあちゃんの声ってなんか」
「……でしょう?」
──少し誇らしげになった逸の表情はまた敬吾を照れさせた。
なぜこう、やたらきらめいて見えるのか──目がちらついて困るほどだ。
(……元旦だからだ………)
そう思い込み、目を擦ると敬吾の胸中など何も知らない逸は気軽に言った。
「さて、飯食いましょー、腹減ったー」
「うん……あ、つーかあれ危なくねえの?ばーちゃんの電話の出方」
「あー、詐欺的な?」
「そう」
まるで身内のように心配してくれることが嬉しく、逸は切なげに笑う。
が、その表情は一瞬で子供のようなしたり顔に変貌した。
「実は掛かってきたことあるんですけどね、2回ほど」
「えっ!!?」
「『いっつの声でねえ!!』っつってガチャ切りした猛者なんで大丈夫ですよ、ばあちゃん」
「おぉ………」
「なんか、一つはかなり下調べして掛けてたみたいなんですけどね。声も風邪引いたとか言われたから色々話しかけたら知らないうちに切れてたって言ってました」
「…………それはさ」
「言葉通じなかったんでしょうね。向こうに」
「ばーちゃん………」
「最強でしょ」
「うん」
「逆にじいちゃんは引っかかりかけてましたけど」
「………じーちゃん。」
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