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ことほぎ 7

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「あー、ちょっと除夜の鐘聞こえますね」
「ほんとだ……」

別段断りを入れることもなくテレビを消して、逸はベッドに腰掛ける。
敬吾がこういった昔ながらの風情を好むことは知っていた。
その通りに、隣に収まる敬吾は無表情ながらも気分が良さそうだ。
しっとりと唇を合わせ、逸が小さく「明けましておめでとうございます」といたずらっぽく笑う。

「うん……、」

曖昧な返事だけを返し、逸の肩に頭を乗せて、敬吾は遠く響く鐘の音を聞いた。

「……明日はゆっくり寝れますねー」
「うん……」
「お腹空いてないですか?」
「だいじょぶ……」
「……眠い?」
「ちょっとな………」
「ふふ」

逸が敬吾の頭を撫で、ベッドに上がるとその隣に敬吾も横になった。

灯りが消え、逸の腕の中に収まる暗闇の中の安心感は体に馴染んだものだったが、まだ遠くで鐘が鳴っている。
いつもと何ら変わりはないはずなのに、空気が生まれ変わっていくようだ。
心の中を雪がれたような清廉さと温かい安心感に、敬吾は子供のように目を閉じた。








「んー、……」
「……あ、起きました?」

まだ目が開かず、敬吾は逸の声に頷きだけを返した。
逸が微笑んだ気配がする。
薄っすらと冷たい、澄んだ空気。
醤油と出汁の良い香りがする。

「んんーー………」
「まだゆっくりしてて大丈夫ですよー」
「……んや、起きる………」

敬吾がそう言って伸びをすると、逸は笑って台所へと戻った。
ゆっくりベッドの上に体を起こして目を擦ると、差し込む朝日にちらちらと舞う埃が光っている。
聞こえるのは逸のお勝手仕事の音だけで、車の音も話し声も広報の放送も聞こえない。

──静かだ。

「……敬吾さん?」

お茶を持ってきた逸が、壁にもたれてベッドに座ったままの敬吾を見て足を止めた。

──具合でも悪いのだろうか。

その言葉を、なぜかいつものように口に出せない。
力の抜けた庵座でどこかを見ている敬吾が何か、図像のようにも世捨て人のようにも見えて、言葉も視線も奪われてしまっている。

そんなことは知る由もない敬吾はゆっくりと瞬きをし、なぜか硬直してしまっている逸の方に顔だけ向けた。

「……元旦って」
「えっ?」

たった今イコンかと思った敬吾が間抜けとも言えるほどの長閑さで口を開いたので逸は驚く。
危うくお茶を溢すところだった。

「なんか違うよなあ」
「? ちがう?」
「なんか……空気澄んでる」
「へ……………」

その言葉を吟味しているうちに敬吾はベッドから降り、顔を洗いに向かう。
その途中不思議そうな顔をしている逸を見て可笑しそうに笑った。

「なんかキラキラしてねえ?全体的に」
「えー?」

やっと気軽に、衆生のところまで下りてきてくれたようになった敬吾の声音に逸も砕けた困り顔をする。

「敬吾さんの回りいっつもキラッキラしてるからなあーーー」


敬吾は、相手にすらしてくれず洗面所へ行ってしまった。






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