こっち向いてください

もなか

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再襲 9

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「いっちー料理するんでしょ?」と桜が逸を台所から出さず、敬吾は美咲の番を仰せつかった。
とは言っても抱くのはまだ危なっかしいし眠そうなので、座布団の上に寝かせた美咲を文字通り見ているだけなのだが。

美咲も美咲で初めて見る人間が珍しいのか真正面から視線を合わせて離さないし、ただただじっと見つめ合っているさまは幾分滑稽でもある。
さすがに苦笑いが浮かんで桃のような頬をつついてみても反応はなく、やはりガラス玉のような瞳が敬吾を見上げるばかりだった。

(ほんとにテンション低いなあ……)

敬吾の中の赤ん坊の概念はもはや覆りかけている。
当の美咲は、いよいよ眠くなってきたのかとろとろと瞼を落とし始めた。

ふと微笑んで美咲が夢の世界へ旅立つのを見送ってやり、敬吾はしばらくその寝顔を見つめていた。






「しっかし美咲ちゃん、ほんと大人しいですねー……」

昼食を食べ終え、コーヒーを飲みながら逸が感心したように言う。
見つめる先の美咲は平和に寝息を立てていた。

「そうなんだよねー、もっとてんやわんやするもんだと思ってたんだけど……」

ケーキを食べながら桜も不思議そうに美咲を見ている。

「これ普通?」

ポップコーンをつまむ敬吾も美咲を見ている。
その視線が逸に向き、逸は首を振った。

「うちの双子の時はもーパニックでしたよ。良く泣くし食うし寝るしタイミングズレズレだしで」
「へぇー」
「いっちゃんち双子ちゃんいるの?」
「はい、俺の下が男の子と女の子で」
「お母さん大変だったろうねー!」
「まあでも3人育てた後だったし……結構歳離れてるんで、上3人もかなり世話はしましたけど」
「そっかー」

懐かしそうに逸が笑う。
良い思い出であることには違いないらしい。

「ふにゃ………」
「あ、」

美咲が初めて乳児らしい動きを見せた。
くしゃりと歪んだ顔に、小さな拳がふわふわと揺らされる。

「はいはいーミルクかーい」
「やっっばいかぁわいいいい………」

ぎゃんぎゃん泣くでもなく、必要十分な程度にだけ訴える泣き声がいじらしい。
    
顔の前で拳を握りしめ、逸はそれこそ子供のようなきらめく瞳で美咲を見つめていた。
桜はバッグからポットを取り出している。

「ちょっと敬吾あやしててよ!」
「岩井。ゴー」
「えっ」

幾分疑問は残るが異論はない。
むしろうきうきと逸は美咲を抱き上げてあやしてやり、敬吾は面倒無くいいとこ取り状態で可愛い部分だけを眺めていた。

「お姉さん声だけで分かるんですねー」
「分かるねぇ……っていうか研究したね、攻略すんの面白くて」
「すげえ……」
「もう我が家クイズ大会状態だから、泣くと」
「あはは!楽しそう」
「我先に答え合わせし始めるから子育ては割りと楽であります……よしと。いっちーありがとうー」

哺乳瓶の先を含むと美咲の眉間の皺は溶けて行き、心底安心した表情になって小さな小さな嚥下音が響き始める。
その音が愛おしすぎて、雁首揃えてしばし無言だった。

「……やばいな、可愛い」
「そうだろうそうだろう」
「俺もう………死にそうです」


逸は数年ぶりに、敬吾は初めて感じるこの独特の暖かな空間は、長いようで短い数分間、庇護愛に満ちた幸福を味わわせてくれていた。






──また肉をたらふく食べ、美咲と二人を遊ばせて、本当に桜はさっさと帰って行った。

逸は相変わらず限界まで膨らませた胃が苦しそうだが未だ残る幸福感の残滓に微笑んでいる。


「正志さんデレッデレでしたねーー」
「だなあ」

迎えにやってきた正志の蕩けぶりと言ったら凄まじかった。
家ではきっと幼児言葉なのだろうと邪推してしまうほど。
しかし美咲の反応が淡白なあたり、確かに敬吾に似ているかも知れないと逸も思ってしまった。
それを思い出して笑う逸を見て、敬吾も少し噴き出す。

「でもお前も人のこと言えないくらいデレデレしてたぞ」
「えっ!そうですか!?」
「自覚ねえのかよ」

逸は意外そうな半笑いをし、敬吾は呆れた。
あれだけ可愛い可愛い連呼しておいて無自覚だとは。
何より、逸のテンションは今少し下がってしまっている。

「子供好きすぎだろ」

敬吾とて別に子供嫌いと言うわけではないが、他人の家の子供まで無条件に可愛いわけではない。

苦笑しながら敬吾に言われ、逸は座布団から腰を上げてソファに座る敬吾の隣に腰を下ろす。
桜が帰ってもそれまでと同じ配置でいたのを、やっと今疑問に思ったらしかった。

ゆったりと抱き寄せられ、どこにも無理な力はかかっていないのに敬吾はころりと逸に凭れさせられる。

「敬吾さんの姪っ子だからっていうのは、かなり大きいですよ?」
「…………………」

機嫌良さそうに顔を擦り寄せてくる割に、寂しげになっていた逸の声は回復しなかった。
なんでそんな声を出すんだ………と敬吾が訝しむ間に、ふんわりと纏わされていただけの逸の腕がくっと締まりだす。
余裕を持って自分を囲う腕が敬吾は好きだったが、その長さと力強さが発揮されてしまうとどうも小憎たらしい。
やはり、きつくはないが逃れることは許されそうにない強さで抱きしめられ、敬吾はきゅっと目尻を細めた。

どうも撫でろと言われている気がして敬吾がそうしてやると、逸は深く呼吸を逃がす。


面倒そうだが優しいその手が、火の消えたような侘しさも喪失感も、逸に何もかも忘れさせて行った。






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