こっち向いてください

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「敬吾さーん、逸くんから電話ですー」
「岩井から?」

幸から子機を受け取り、ヘルプ要請だろうかと思いつつ敬吾は保留を解除した。

「もしもし、お疲れ」
『あ、お疲れ様ですー』
「どうした?」
『敬吾さんすいません、お願いがあるんですけど』
「おう」
『昨日来た荷物、問屋さんが伝票入れ忘れたらしくて』
「はぁ?」

気合の入った敬吾の顔が、また違う方向に力んだ。

『そっちにFAXで送ってもらえることになったんで、届いたら通用口まで持ってきてもらっていいですか?俺そっち向かってるんで』
「え?俺届けに行ってもいいけど」
『いえ、倉庫にも用事あるんで大丈夫ですよ。正規の什器がどうっしてもあとちょっと入んなくて使えないんで、代わりになりそうなの探しに』
「そーなんだ、分かった」

そう言って、敬吾はしばし無言になる。

「…………もしかしてお願いってそれだけ?」
『え?はい。よろしくお願いします』
「おう………」
『それじゃ、後で』

通話はそれで切れてしまった。
肩透かしもいいところだ………。
回線が開くと、確かにFAXが受信を始める。

延々吐き出され続ける紙を眺め、とんでもない入荷数に驚きを隠せなかった。
新店舗の開店に携わったことなどないから、これが多いのか少ないのかも分からないが。

やっと全て印刷された伝票を持って敬吾はバックヤードへ向かう。
通路を見回しても逸の姿は見えなかった。
まだ着いていないのかもしれないが、一応倉庫を開けてみるものの中は薄暗いまま。

一歩踏み込んで呼びかけてみるも返事はない。
まだだったか──と敬吾が振り返ろうとすると、通路から差す明かりを大きな人影が遮っていた。
驚いて一歩後ずさると、逆光のその人物に強く腕を掴まれ、そのまま倉庫の中に押し込まれてドアを閉められる。

「敬吾さん」
「お前っ………驚かすなよ!」
「あはは、すみません」

分かってはいたが顔が見えないのでさすがにほんの少し訝しかったのだ。
今になって動悸がする。
それも含めて落ち着かせたいが──
暗いわ、逸は何も言わないわ動かないわ、久しぶりに顔を合わせるのがこんな状況だとどうしていいか分からなくなってしまう。
敬吾は必死で考えを巡らせるが、そんな時に限って妙案など浮かばないものだった。

「……ほら、伝票。持ってきたぞ」
「あっ、ありがとうございます」

伝票の入った袋を受け取るのに逸の手は外れたが、それだけである。
相変わらず逸は動かないし何も言わなかった。
ドアの前に立たたれたままだと、出られないのだが──。

「手伝うか?什器探すの」
「──んん……」

イエスともノーとも取れない相槌を打って、逸はやはり呆けたようにそのままだった。

そして、ばさりと乾いた音がして──敬吾は体の前面に強い衝撃を感じ、そのまま強く、締め付けられる。
逸の腕があるのは肩や二の腕なのに、胸の奥が一番苦しい。

けれど──


「──岩井………っ」
「……ごめんなさい、少しだけ」

深呼吸のように深いのに荒ぶった呼吸が敬吾の耳元を擽る。
それが切なくて、今にも破裂してしまいそうで、慰めたいような、浸りたいような気持ちになるのにドアも気になる。
内開きだったろうか、外開きだったろうか?────

すっかり慌ててしまってはいるものの、どうせ逸の力が強くて抜けられない。
迷子の子供のように眉を下げて敬吾は控えめに逸のシャツを掴み、肩に頭を預けた。

お互い薄着だから体の感触がよく分かる。
体温の高さも、押し当てられた胸や腹の固さも。

──どうも、危うい。

「んっ、おい」

逸の顔が、鼻先で髪を掻き分けるようにしながら項近くに収まりを求める。

「……嗅ぐなって!すげー汗かいたから今日、」
「ぜんぜん大丈夫ですよ…………」

その、陶酔したような声。
いつものように気軽ではなく、深くて掠れていて、どうにも………

「……エロいにおいがします」
「やめろばか……」

──逸の腕がゆっくりと解けていく。

それが腰辺りまで下りたところでまた強く抱き竦められて、敬吾は弛んでいた目元を細めた。

「敬吾さん、好きです」
「!」
「大好き……」
「………っ今言うな、馬鹿」

諫めてはいても熱の灯っている敬吾の声に、逸は素直に体を離す。
ほとんど見えないけれどきっと、敬吾は顔を顰めながらも赤くなっているに違いない。

(見たいな……)

が、そんなことをしたら我も時間も忘れてしまう。
足元の伝票を拾い上げて、逸は最後に敬吾の頬を撫でた。

「じゃあ……俺行きますね。今日も多分遅いです」
「うん、……カレーくらいなら作っとくけど」
「やった!」
「………」

心底嬉しそうな笑い声を残し、敬吾の髪を撫でてすぐに逸は出て行った。

遠くの方で小さく「お疲れ様です」と声が聞こえて、敬吾はぴくりと背筋を伸ばす。

一瞬ひやりとはしたものの……
まだ、顔が熱い気がする。

顔が、と言うか、触れられたところが。
唇の触れた首がざわつく。

──全く、あの馬鹿。

逸の顔を頭から追い出すよう、店に戻ってからの仕事のことなど考えてみる。


(しかしなんっか忘れてる気がすんだよな………)


冷たいコンクリートの壁に凭れ、しばらく熱を移してから敬吾は倉庫を出た。







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