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彼の好み リベンジ 5
しおりを挟む「何か頼みますか?」
「俺やっぱり米食いたい」
「ですよね」
「パエリアは……時間かかるか」
「あー、ですね」
「って言うか」
敬吾が腕時計に目を落とした。
「バスって大丈夫なのか、こんな遠いと思ってなかったから気にしてなかったけど」
「ああ──、」
逸が不穏に目を泳がせた。
口元の半端な笑みもどうにも決まりが悪い。
敬吾の目つきは一気に鋭くなる。
無論見ずともそれを分かっていて、それでも逸は微笑んだ。
「今──は、大丈夫、です」
「………………」
敬吾が目を伏せ、甘いワインを飲み込むことで先を促す。
グラスがごとりとテーブルに戻り、逸はやはり穏やかに口を開く。
「……ほんとは、バス無くなるまでここにいて、泊まっ……ていこうかと」
「………………」
「思ってたんですけど、もういいです。もう、充分すげー嬉しくて俺」
逸はやはり含みなく、いっそ照れたように見えるほど目を細めて笑っていた。
「でもまだ余裕あるからご飯物だけでも食べません?」
からりとまた楽しげにメニューに目を落とす逸を見ながら、敬吾はやはり嬉しいような、一方で怪訝な気持ちになる。
──こんなことで、一体何がそんなに嬉しいのだろうか、この男。
「……泊まるって、どこ泊まるつもりだったんだよ」
こんな辺鄙な場所で。
「あー、」
その逸の苦笑で敬吾も察しがついた。
そう言えば、木々に埋もれながらも妙に浮いている看板を見たような気がする。
山奥の道沿いなどこんなものだと意識にも登らなかった、妙に派手な異分子。
「……………ラブホっす」
いかにも粗忽者らしい笑みを浮かべる逸に、敬吾は小さくため息をついた。
「……入れないだろ」
男二人では、と言外に滲ませるとこれもまた済まなそうに逸が言う。
「……入れるとこですよ」
「下調べしてるよ………」
「…………………敬吾さん?」
呆れるでもなく怒るでもなく、ごく単純な疑問を解消させているだけの敬吾に逸は首を傾げた。
言ったら絶対に雷を落とされると思っていたから強硬手段に出ていたのだが、これでは──
今なら逃げ道があると言うのに、徐々に徐々に罠の方へと向かっているような。
「……敬吾…………さん?」
僅かな期待を、暴走しないよう手綱を引きながらそれでも滲ませてしまいつつ、戸惑いながら逸が呼ぶ。
敬吾はため息をついたが、妙に哲学的な、心底「わからない」とでも言いたげな吐息だった。
「お前さ、嬉しいの?それ」
「────」
訝しげな敬吾の流し目に、逸が目も口もぱくりと開く。
「うっ、うれしいですよ……………!!?」
「………………そうか」
敬吾がまたため息をつく。
今度は、「全くもう」とでも言うような。
「……じゃ、泊まってくか」
そう言って敬吾はパエリアを注文した。
「ありがとうございました、またお越し下さいね」
送り出してくれる女性に笑顔を返したのは敬吾だった。
本来社交性満載の逸は、いよいよ呆けて魂を手放してしまっている。
「おい、どっちだ」
分かれ道に出てそう尋ねる敬吾の声に、逸はぱちぱちと目を瞬かせた。
「──あ、右……ですけど……、……敬吾さん本気?」
「はー?なんだよ今更」
「だって…………」
一言たりとも怒鳴られないとは、欠片も思っていなかった。
不可思議が過ぎていっそ困ったような顔をしている逸を、こちらも困ったように敬吾が覗き上げる。
「だって味気ねえだろ飯だけじゃ……一応誕生日だろ」
「いやなんか無理聞かせてるみたいで」
これには本当に呆れてしまい、敬吾は盛大に溜め息をつき半眼で逸の犬顔を見た。
全く、全くもって今更である。
この男が自分に無理を聞かせることなど今に始まったことではないのだ。
むしろ、そうでなかったことがあったのかと敬吾は問い詰めてやりたくなる。
「……それ貸せ、上着」
「あ、はい」
生活圏外だとは言え誰かに見られて良いわけではない。
逸が慌てて寄越した上着を羽織ってフードも被ると、もしや逸もこのために少々季節外れの上着を着てきたのではないかと思えた。
大きなフードに顔を埋めて俯くと敬吾が小さく口を開く。
「──俺だって一応、喜ばしてやりてえとは思ってんの。思いつかねえけど。」
「────」
「行くぞもー……人来ねえうちにー」
「はい、………………」
あどけない声音をごまかすように、不機嫌そうに歩き出した敬吾を追い、逸はその手を取った。
フードの奥でびくついた敬吾がこちらを見た気がするが──それが睨んでいるのか照れているのか、フードのせいで分からない。
だから、ここはもう一つ甘えさせてもらおう。
指を絡める感触を、逸は五分足らずの間満喫することにした。
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