こっち向いてください

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行く末11

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「ほんとに帰るのー?泊まってかない?」

眉を下げた桜に両手を握られ、逸はまた困惑しきりだった。
敬吾に似た顔でわざとあざとくおねだりなどされてしまうと、嬉しいも照れるも飛び越えてただただ混乱してしまう。

「泊まんねーよ、こっちだって暇じゃねんだから」

どれほど冷たくてもやはりこの方が収まりが良い。
ほっとしたように敬吾の方を見てまた桜に視線を戻すと、今度は桜が頬を膨らませた。

またも逸は恐慌状態に陥っている。

「敬吾は帰ればいーじゃん!いっちーは泊まってって!」
「えぇ!!?」
「やった、んじゃ俺帰る。岩井頑張れよ」
「ちょ、嘘でしょ敬吾さん待って、」
「じゃあ河野さん、また」
「うん、気を付けてね」

そう言うと敬吾は本当に駅舎に入っていってしまった。
逸の背中に冷や汗が落ちる。
敬吾のことだ、本当に一人だけ帰りかねないーーー。
逸が口をぱくぱくさせていると、河野が苦笑しながらため息をついた。

「ほらほら桜ちゃんもその辺にしてあげて。逸くんも忙しいんだから」

河野が言うと、桜は驚くほど素直に握っていた手の力を緩めた。
が、頬はまた膨らんでいる。

「あーあー、帰っちゃうのかー。敬吾あんなんだからあんっまり相手してくれないんだよね」
「いやぁ、かなり構ってくれてると思うよー?」

また苦笑しながら河野が言うと、むっと唇を付き出して桜が河野を見上げた。
本当に表情豊かだと逸は思う。
その表情が今度はころりと気安くなって、無垢な瞳が逸をとらえた。

「ところでさ、いっちーってゲイの人?」
「えっーー」
「あっごめんね無神経で!でも偏見とか全然ないからね、ただそうかなって思って」
「ああ、いえそれはべつにーー」

逸は心底驚き、慌てていた。
質問が不躾だとか失礼だとかは全く思わないし隠すつもりもないが、今日は敬吾が一緒だーーーー

「ーーーーや、違い……ますよ?」
「んー、じゃマニアック趣味系?あたしこの顔してていっちーみたいな反応する人あんまいないよ」
「あっ!!?そうーーー、かあ………」

雷に打たれるように、なるほどと逸が思う。
勘や思い込みではなく、桜の言い分はある意味証言だ。
敬吾も似たようなことを言っていたし、これはごまかせそうにないーーと、逸は半ば観念してしまった。
そして後で敬吾に何と言えば良いのかと、底知れない不安がひたひたと湧き上がってくる。

ーーが、黙っていればいるほど最悪の形で敬吾に迷惑をかけるような気がして、逸はただ口を開いてみたり閉じてみたりしていた。

なぜ自分は今までこうも開けっぴろげにしてきたのだろう、少しか隠そうとしていれば、こんな時の対処も自然にできたのではーーーと、今考えても仕方がないことにまで思いを馳せてしまいながら。

「ええっと……はい、俺はゲイですね……」

頬を引きつらせながら逸が白状すると、その内側にある何倍もの苦悩には気づく由もなく桜がけろりと微笑んだ。

「やっぱりー?女の子泣くねー!」

ぱんぱんと逸の二の腕を叩く桜に、逸が懇願するように正面から顔を見合わせる。

「ーーあの、でもーー俺は、そうなんですけどっ、」

ーーなんと言えば良いのか。

迷子の子供のような、それを探す親のような複雑な表情をする逸を、それでも桜はきょとんと不思議そうに見返している。

「……………えーっともしかして、」

その唇がぽかりと開いて、逸が悲痛に目を細めた。

「ーーーーー敬吾?」

頭の芯が痺れるようで、何も考えられなくなった。
桜はまだ、勘ぐりも雑念もないような顔をしている。

そして、逸の二の腕に激痛と言っていいような衝撃が走った。

「いっーーーー、」
「なぁんだー!もー、言ってよー!」
「い、いやいやいやいや…………」
「いけると思うよー?」
「えっ?」

さっき叩いた二の腕を撫でながら、桜は本日一番の、まさしく花が咲いたような笑顔を逸に向けている。

「敬吾、好きでもない人間と二人っきりで車になんか乗んないから!いっちー押して!超押して!」
「あっ、あっはいーー!」

桜の解釈の推移を必死で追い、やっとその笑顔に追いついて逸は笑った。

「がんばります……!」
「うん!そしてうちにお嫁に来て!」
「あっはいっ…………」

どちらかと言うと旦那なのだが。

そんなことを考える余裕まで取り返しながら、逸は桜に抱きつかれている。
一瞬の緊迫があまりに張り詰めていので、優しく緩めただけでも反動は大きかった。

「あ、じゃあ……電車来ちゃうのでお姉さんまた。河野さんも」
「絶対また来てね!」
「気を付けてね、逸くん」
「敬吾さんと都合が合えばぜひ」
「敬吾いなくてもいーからべつに!」

なぜか拗ねたような顔をして逸の手を離し、桜は一歩下がりながら笑って手を振った。
底抜けに明るい人だが、こういう不思議な淑やかさも敬吾に似ているーー
そう思うと自然と笑みが零れ、逸も二人に手を振って踵を返した。

ホームに入るとちょうど電車が滑り込んできたところで、目を引く細身の背中がその扉に踏み込んでいく。
それを大股に走って逸も追いかけていった。

「敬吾さん!」

後ろ姿が振り向く。
目が合う前から少し笑っていた。

「よく間に合ったな」
「ほんとに乗らないでくださいよもーー……」
「姉貴絡むとめんどくせーんだもん」

なるほど、これでは確かに桜も淋しいかもしれないーー
逸は苦笑し、ボックス席の敬吾の向かいに腰掛けた。
車内は空いており、二人が乗った車両はほぼ無人だ。
まだ動かない車窓を眺める敬吾を、逸も眺める。

「ーーーん?」

その視線に気づいた敬吾が眠そうな横目をくれた。

「やっぱり似てますね」
「……そうかあ?俺弟だけど姉貴が美人なのは認めてるぞ」
「敬吾さんも美人ですよ」
「お前は目ん玉がいかれてる」
「もう……」

眠そうに、車窓に肘を掛け指の背に頬杖をつく敬吾を、やはり逸は微笑んだまま見つめていた。

「ーーあ、敬吾さんすみません……俺お姉さんにゲイなのばれちゃいました」
「あ?」

ふと片眉を上げ、すぐにそれを戻して敬吾はため息をつく。

「だろうな。まあ仕方ねえよ」
「付き合ってるのバレたらどうしようってすんごい焦りましたけど……なんか、俺の片思いってことでお姉さん納得したみたいで」

少し考えた後、敬吾がふっと笑った。

ーーああ、やっぱりこの人の、こういった落ち着いた綺麗さがすきだ。
目を細めて逸が微笑む。

「勝手に思い込んだんだろ?どうせ……」
「ーーー」

目を瞑ったままおかしそうに笑っている敬吾を、逸は微笑みを潜めて唖然と見つめた。

その逸の困惑に気づかないのか無視をしたのか、敬吾は少しだけ目を開きまた笑う。
そうして今度は深く目を閉じた。

「悪い、ちょっと寝る」
「あ、はいーーーー」

しばらくすると敬吾の肩が完全に弛緩した。
逸がそっと敬吾の隣に腰を下ろす。


今日ならば、こちらにもたれ掛かってくれそうな気がした。










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