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まるくあたたかく4

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「ーーーー?」

どこだ、ここは。

まともに働かない頭で敬吾はぼんやりと考えた。

天井は見慣れた自分の部屋のものだが、右側にも足元のすぐそばにも、あるはずの壁がない。
布団の感触が違う。においも違う。枕の高さも違う。

どこだ、ここは。

「ーーあ。起きました?」

聞き覚えのある声の方を見るとそこには逸がいた。
ーー何故。

「ーーだ、ーー……」

すっかり喉が潰れてしまっている。
ほとんど声にはならなかったが予想していた問いなのか、逸は俺の部屋ですと応えた。

鈍い動きで大いに慌てた敬吾の反応も予想の範囲内だったらしく、恐縮したようだが落ち着いて軽く諸手を上げる。

「や、なんか俺と敬吾さん同じアパートだったらしいんですよ、んで敬吾さん寝ちゃって鍵開けれないし、どうせ俺んちもここだし、看病もしやすいしって。すみません」

逸が弁解する間、それを必死に聞きながらも敬吾はなんとか自らの喉を開かせた。

「おま、店、は」
「電話したらそのまま上がっていいって言われました」

戦力外という立場がこんなところで役に立つ。

「そうか……ごめん」
「えっ、なんでごめんですか」
「手間かけた……帰る、あれ」

重たい体を持ち上げると、服が違った。
逸がびくりと肩を揺らして視線をそらす。

「す……っすみません、着替えさせましたっ、あんまり寝苦しそうだったんで…………!!!」

確かに熱の出始めで寒気がひどく、やたら着込んでいたはずだと敬吾は思い出した。

「あー……重ね重ねどうも……」
「……? 怒んないんですか?」
「あ?なんで……野郎に野郎の裸見られたって別に……」

相も変わらずがさついた声で敬吾が言うと、逸はおどおどと自分の手をこねくり回す。

「えーっとでも俺は敬吾さんのこと好きでですね、そりゃもう色んっなこと妄想しまくりましたガッ」
「そーーだった。俺の、服は、どこだ」

あるはずもない握力を掻き集めて敬吾が逸のこめかみを掴むと、逸は慌ててその手首を掴み返した。

「いや嘘ですすみませんっや、妄想はしましたがっ……変なことはしてませんから!敬吾さん帰んないでここいて下さい、一人で熱風邪とか最悪ですよ!」
「…………………」
「ご飯とか作れないでしょう?俺得意な方なんでさせてください、下心とかじゃなくてっ」

ぎりぎりとこめかみを締められながらなんとか逸がそこまで言うと、敬吾の手から力が抜けた。

「ーー敬吾さんほんとひどかったんですよ、まだ熱上がるようなら救急車かなって思いましたもん」
「大げさな……」
「そのくらい心配なんですよ、お願いだから様子見させてて下さい、ほっとくのとか無理です凄い怖い」
「ーーーーーーー」

ーーなぜ、健康な方の人間がそんな縋るような目をするのか。

熱でぼやけた頭ではただでさえまともに考えられないのに、逸の瞳は更に敬吾を混乱させた。
一体何だと言うのだろうか、ただの風邪だ。

「俺の部屋にいるのが嫌なら、敬吾さんの部屋でも良いですから。まあ結局俺がついてくのには変わりないんですけど……」

違う方面から更に懇願する逸にまた混乱してしまって、敬吾はもう思考を放棄した。
何も考えたくない。
水を飲んで、汗を拭いて眠りたい。

「んー……分かった、じゃあそれで……人んちだと気が休まんない」
「はい!」

丸くなった背中と落ち込んだ首をぴょこんと伸ばして、逸は安心したように目を輝かせた。

「歩けますか?抱っこしていきましょうか」
「うんって言うとでも思ってんのか……」
「万に一つ」
「ねえよ」

そうしてまた、敬吾の記憶はそこで途切れた。

それから翌日にきちんと目を覚ますまでは、長時間眠っていられる体力もなく、細切れの睡眠の間に逸の影を見た。
その度にああまだいる、もう帰って休めばいいのにと思いながら。

それでも、死にたくなるような熱さと悪夢、重苦しさに苛まれていると、近くに人がいるというのは心強いものだった。
時折不快な汗を柔らかく拭き取られるのも、まるで子供に戻って甘やかされているようで、疲れて凝り固まった心が軽くなる。

あんなにも否定しておいて、勝手ではあるがーー

ーー居てもらって良かった。
本心からそう思った。




薄っすらと瞼が開き、小さく呻きながら敬吾はぼんやりした意識を神経に注いだ。
楽になっている、昨日よりは、かなり。
思い切り痰と鼻水を出し切ってしまえばもっとすっきりしそうだ。

サイドテーブル代わりのカラーボックスの上に、ティッシュとタオル、スポーツドリンクが二本置かれている。
思わず笑ってしまってから、帰ったのかとぼんやり思う。
良かったと思ったのに一方で、なんとも言えない気持ちになる。
開口一番に礼が言えない。
急に一人になって、心許ない。

ーーすっかり甘やかされてしまったようだと、気持ちを律しながら敬吾はボトルに手を伸ばした。
信じられないほど喉が渇いている。
一気に二本でも三本でも飲んでしまえそうだがーーボトルのキャップは、コキ、コキと小さく二度鳴っただけでその後はぴくりとも動かなかった。

「ーーうそだろ」

こんなものも開けられないほど弱っていたのか。
少なからずショックを受けていると、トイレの水が流れる音。そして静かに静かにドアが開いた。

「あっ、敬吾さん体どうですかーー」

ーーいたのか。

心配そうな逸の犬顔が覗き、なんだか一気に力が抜けてしまって、敬吾はそれまで考えていたことを全て忘れてしまった。

「悪い……これ、開けて」
「はいっ!」

逸は瞬時にベッドの足元に来て膝をついた。
さっきはあれほど頑なだったボトルのキャップが、いとも容易く軽やかな音を立てて回る。
この男は何かそういった、硬いものを柔らかくする、尖ったものを丸くするような超能力でも持っているのかと妙なことを考えてしまった。

「どーも……」

ホストか従者のように差し出されたボトルを受け取り敬吾が口をつけると、昨日よりは大分回復していると思ったもののそれはやはり相対的な感想だった。
まだまだ十分に弱っている体は弛緩していて、あれほど摂りたかった水分も無情に唇から零れ落ちた。
苛立ったように口元を拭う敬吾を逸はこれでもかと目を見開いて凝視していた、そして。

「ちょ敬吾さんチューしていいですガッ」
「……………」

ボトルの飲み口が逸の人中に軽くも鋭く突きを食らわした。
急所攻撃の想像を絶する衝撃と飛沫が鼻に入った痛みとで逸は崩れ落ちる。
緩んだ唇が濡れていくさまがどれほど扇情的だとはいえーー、
ーー失態であった。

敬吾は涼しい顔で一本目のスポーツドリンクを空にしていた。

「開けろ。」
「はい……………」


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