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おあずけ1

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「敬吾さん」
「ん?」
「逸くんと何かありました?」
「げほっ」

絵に描いたように咳き込んで、敬吾は自分よりも若干背の高いバイト仲間を見た。

そのほんの僅かな差を妙に大儀に見上げてしまうのは、自分が縮こまってしまっているからかーーー

「え………、…………え?」
「あったんですかー?」
「なんでまた」
「全っ然元気ないですもん、逸くん」
「え、」

ごく気軽に心配そうな顔をしているだけで、妙な勘ぐりや下衆な好奇心は見えない。
そこに安心はしたがーー

「……………げんきない?」
「はい。や、そもそもなんですけど逸くんて敬吾さんのこと好きですよね?」
「さっちゃんって鋭いよね……」
「あれに気付かない人間なんかいませんて」
「……………」

それはまあそうか。
幾分動転していたことを自覚して、敬吾は姿勢を正した。

「まあそれでですね、逸くん超分かりやすいじゃないですか。敬吾さんいると元気だし。それが最近ずいぶん沈んでるなーって」
「へー…… え、サボってるってこと?」
「敬吾さん鬼ですね……」

はたと気付いたように言い放った敬吾に、幸は若干気の毒そうな視線を向ける。

「いやいや、仕事はちゃんとしてるし敬吾さん以外に冷たいとかそんなことじゃないですよ?ただ元気ないんですよ。え、どうした二日酔い?みたいな」
「えー」
「風邪引いた?みたいな。朝ごはんちゃんと食った?みたいな」
「分かった分かった。へー、そうかな」
「じゃあ心当たりなしですか?」
「うん、全然……」
「絶対敬吾さん関係だと思ったんだけどなあ。じゃあほんとに具合悪いんじゃないですかねー、もしかして」

いや、そんな風でもないけどーーと言いかけて敬吾はやめた。
危うくボロを出すところであった。

ここのところ逸は妙に積極的だ。
いや、もともと積極的どころではないアプローチを繰り返していた男だがーー敬吾が陥落して以降は、てっきり図に乗るものと思っていた予想を裏切ってすっかり大人しくなっていたのだ。

それがまた解凍され始めている、というような。
とは言え、来訪が増えたとか、スキンシップが増えたとか、他愛もない話で連絡が来ることが増えたとか、その程度ではあるが。
その、見ることが増えた逸の顔を思い返すにつけ元気がないとはーーないとはーーーー


(………あれ?)


再凍結、されているかもしれない。








(きつい…………!!!)


バイトから帰るなり逸はベッドに倒れ込んだ。


(触りたい…!敬吾さんさわりたいー!!!!)


ばふばふとひとしきり布団を掻き回して、気が済んだらぱったりと手足を投げ出す。
ここのところ自分の操縦の仕方が分からなくなったように感じていた。
中途半端に敬吾に触れてしまったものだから、今までどうにか閉じ込めていた欲求が暴れ出してしまっている。
圧のかかり切った堰が、耐えきれず小さな亀裂を産むように。

そもそもが異性愛者である敬吾が、自分を受け入れてくれた。
もしかしたら、そこに積極的な恋愛感情は無いのかもしれない、情けや諦めのような気持ちだったのかもしれない、だがそれを虚しいと感じる隙もないほど好きで好きで、どんな形であれ触れられるのなら構わない、身に余る幸福だ、そう思うのだが。

それを、未だ最後までは遂げられない、それを幾度も繰り返す、ではーーー

若い上に浮かれきっている逸には生殺しも良いところであった。

(爆発する……………)

このままでは酷いことまでしてしまいそうで、敬吾と会う前には自己処理をするのがここのところ逸が敷いている対策だった。
その上でできるだけ接触も避けるという徹底ぶりである。

逸の世界は今のところ敬吾が最優先事項であるからそんなことにはなるまいが万が一、万が一にもその敬吾に狼藉を働くような危険性は排除しておかなければならない。

今の逸は、付き合いたての頃のように敬吾を遠巻きにしていた。

(ご飯どうしよ)

ここのところ、予定が合えば夕食は一緒に取っている。
敬吾はあまり料理はしないらしかった。

会いたいけれどもーーー
何かしでかしたらどうしようという危惧と、会えば逆に辛いというわがままがちらりと顔を出す。

ーー今日は、やめておこうか……

一瞬弱気になるものの、だがやはり、とどこかで引き留められる。
外に行く予定もないし、外食は不経済だしーーそんなものはどうにかする気になればどうにでもなるというのに。
その柔らかさに慰めを求めるように、逸は掛け布団をぽんぽんと叩いた。
が、つい先日ーーと言っても一週間ほど前だがーーそこに敬吾が寝ていたことを思い出して、また追い詰められてしまった。
そうなるともうこの部屋のどこにでも敬吾の影を見つけられてしまう。

「ダメだ……やっぱ外行こ……」

ファストフードでも齧ればいい。
誰か捕まるなら付き合ってもらうのもいいだろう。
適当に上着を拾いながら玄関に向かい、端末を操作する。さて誰に声をかけてみよう。

「うおっーー」
「わ、すいませんーー……!」

ドアの外に誰かいたらしく、逸は慌ててドアを引いた。がーー

「あれ、出かけるとこか」
「敬吾さん!どうしたんですか」
「いや、どうしたっつーか」

そこにいた予想外の人物は、手に下げていた大きなレジ袋を軽く上げた。

「お前んちホットプレートあったっけ?」
「ありますけど」
「焼き肉しようと思って。うまそうなタン安かったから超買ってきた」
「マジですか!」
「でもお前出掛けるんじゃねーのか、明日でもいーー」
〈もしもーし。あれ?もしもーーし〉

端末から遠い声が漏れてくる。

「ごめんうるさい。じゃあな」
〈はっ?そっちがかけてきーー〉

言うなり本当に通話を切って、逸はこともなげに敬吾に向き直る。
敬吾の顔はこの上なく呆れてかつ驚いていた。
誰にでも優しい男だと思っていたが、こんな傍若無人な振る舞いをすることもあるのか。

「お前今のはねーだろ……俺のは別に明日でもいいって。かけなおせよ」
「いや!全然!!約束してたとかじゃないんですよ、暇かなと思ってかけただけなんで!メールでもしときます」
「そうかぁ……?」

訝しげなままの敬吾を、半ば強引に招き入れると逸はしまったと思った。
今日は会わないでおこうと思ったのではなかったか。

……結局、敬吾を目の前にしてしまうとこうなる。

我ながら呆れてしまって逸も履いたばかりの靴を脱いだ。





「こんないっぱい買ってきてくれたんですか?俺も半分出しますよ」
「いいって。しょっちゅう飯作ってもらってるし」
「えー、いいのにそんな」

本当に含みなく淡々と敬吾は袋の中身を取り出していた。
さっき言っていたタンはもちろんだが、ロースやらホルモンやらカルビやらと続々肉のパックが積まれていく。

「うおーー」
「あと酒」
「あっ俺下戸です、すみません」
「そーなのか、一口もいけないくち?」
「飲めないわけじゃないんですけど……酒癖悪いらしくて。自分は覚えてないんですけど」
「へー、たち悪いな」
「よく言われます。敬吾さん飲むんですね」
「まあ人並みには」
「へえ……」

酔った敬吾が見られるのか。
どんな顔をするのだろうーーと逸は少々浮かれた。
しかしはたと静止した。

(……抜いてねえ……………)



肉と一緒に、逸の理性も尽きていくのだった。






「あーーーー、うまかったー!ごちそうさまでした!」

肉も野菜もたらふく食べて、逸は満足げに箸を置いた。
目を見張るばかりの食いっぷりに敬吾もビールを煽りながら微笑む。
まだそれほど人に奢る機会はないが、気持ちよく食べてもらえると嬉しいものである。

「そーか、良かった」
(か)

今置いたばかりの箸に被さるように逸は俯いた。

(かっ、わっいいい……………)

背中が震えて、手まで痺れる。
これはまずい。

「あ………っの俺、皿洗いますね…………」
「ん、そーか?」

敬吾がぐっと缶を傾けた。

「あ!いや、敬吾さんはゆっくりしてて下さい!なんか海外ドラマやってますよ?好きなやつ」
「んじゃお前も少しゆっくりしろよ」
「や、俺は……一回休むとめんどくさくなっちゃうんで、」

一度持った皿を置き直し、また別の皿を持ってみるなど挙動不審ぶりを大いに披露しながら逸は敬吾を牽制した。
それを見て訝しげに眉根を寄せつつ、敬吾が缶を置く。

「なんだよー、じゃあ手伝う。」
「……………」
「よっこらせ」

すねたようなその表情に逸が魂を飛ばしている間。
その逸の肩を手すり代わりにしながら敬吾は立ち上がっていた。
んじゃ片付けますかねー、と幾分年寄りじみた声音でこぼしつつ台所へ向かう敬吾を、見送っているようで逸の目は全く機能していない。

(なんっで今日に限ってこんなかわいーんだこのひと…………!!!)

また少々痺れてしまった指を握り握り、逸も台所へ向かった。

「そーいや今日女子高生ががっかりしてたぞ。あのかっこいー人がいないーって」
「え?」

いまいち意味が分からなかったのは水の音がうるさかったせいだろうか。

「え、……俺?じゃないすよね?」
「お前だろ」
「え、えー………そう、すかねー……、店長も敬吾さんも男前じゃないすか……」
「いや全然だろ、俺も店長も普通にいたし。お前はいわゆるイケメンだよな」
「えー……そうすかー……?」

謙遜というより純粋に困っている、なんとなれば少々嫌がってすらいる逸を、敬吾は意外な気持ちで見上げた。
てっきりよく言われているものと思っていたのだ。

「あんま嬉しいもんじゃねーのか」
「んー、まあ褒めてもらってどーもって気持ちはありますけどー……」
「へー、女の子ってなんなの?お前的に」
「人間……すかねー」
「ふーんなるほど」
(よく喋るなあ敬吾さん……)

普段無口な人だから、違う一面を見られるのは嬉しい。
嬉しいのだが、違う方向でお願いしたかった。逸は黙々と泡を流す。

「バレンタインとかチョコ渡されたりしてな」
「ないですよ」
「あるだろ」
「そうじゃなくて、あっても受け取りません」
「ああ、そーゆーのは嫌なんだ?」
「だから、そういうことじゃなくて……」

不思議そうに目線を振られて、その稀なあどけない表情にどうしようもなく感動するのに、妙に平らな気持ちで逸は敬吾を見つめた。

ーー分からないのか?

黙らせてしまおうか。
ありがちな少女漫画みたいに。

「恋人がいるからもらえないってちゃんと断ります」

敬吾が滑稽なほど肩を揺らす。
それが照れだとか喜びからではないのがこれでもかと伝わってきてまた冷めたような気持ちになった。
その冷静さはある種自棄じみた強気に繋がる。
来年のバレンタインまで捨てられない自信など、普段の逸ならば欠片も持ち合わせていないはずだった。

「あ。あー……、そう」

その曖昧な相槌。
意味するところは何なのだろう。

「……もったいねえなー、女の子は全然ダメなの?お前……」
「敬吾さん」

普段頭の切れる人なのに、話題の変え方がこのお粗末さとはーーー
もったいないなどと言えるほど自分だって好色ではないくせに。
それほどまでに動揺しているのかと、少し心が震えた。喜びとも怒りともつかない、ただの揺れ。

濡れたままの手で敬吾の手首を掴むと、皿を拭いていたタオルが落ちた。
驚いて逸を見た顔が、僅かに赤くてーーー

「…………っ、」

自分の血潮の音が、ざわざわと逸の耳にうるさい。
顔が勝手に近づいていく。

どれほどそうしていたのか、わずかに顔を離すと敬吾の呼吸は苦しげに乱れていた。

逸はごめんなさいと言ったつもりだったが、声になっていなかった。
ただただ、敬吾の顔を撫でて見つめている。

しばらくそうしていてーー
ーー我に返ったら返ったで、逸は固まった。

(やっっべ…………………)

キスどころか触れるのも我慢していたから、興奮と心地よさとで加減も何もあったものではなかった。
敬吾の薄い唇は微かに赤くなっている。
これは殴られても仕方がない、と当然のように考えていたのだが。

特にこれと言って拘束しているわけでもない腕の中、敬吾は別段逃げようともしなかった。

「……………?」

不思議ではあるが、敬吾に拒絶してもらわないと逸としては困ってしまう。
殴ってくれるくらいでちょうどいいのだがーー
その間にも敬吾は大人しいまま。

つい先ほどの敬吾と同じように、沈黙よりはましだろう、程度に逸は謝った。
謝ったがまだ体が固まっているので離れられない。

その逸に、敬吾も言葉を返さなかった。
ほんの僅か肩に回っている腕にその手が触れたが、押し返すでもなく。

「……………敬吾さん?」
「………………」

火花を散らして回路が繋がったように、逸が敬吾を掻き抱く。
まともに肺が潰れて敬吾が苦しげに呻いた。
それも聞こえないほど、逸は浮足立って、しかし浮かれていた。

さきほどまでの冷静さはどこへやら、指先まで脈が打つようで、舌もまともに回らない。

「敬吾さん、おれたぶん我慢できないですよ」

腰の辺りで、敬吾が逸のパーカーを掴んだ。

「……とちゅうでやめらんないですよ?」
「う、……」
「…………………」
「……うん」





若さの割にキスや愛撫が好きな逸にしては性急だと、敬吾はぼんやり考えていた。

脱がせるというよりはひん剥いて、そのくせ泣きそうな顔をしてこちらを見て、捕食のような乱暴さで触れるくせに大切そうに抱き寄せる。
そんな風に翻弄されているともう、敬吾本人でもよく分からない思考回路になるらしかった。
その混沌に慣れてしまっておかしな余裕すらある。
が。

「いぃっつ!」

大きく仰け反った敬吾に、逸は何を言うでもなかった。

「なっなんか言えよ先に!」
「すみません」
「………………っ」

予告なく急に挿し込まれて、しかもそれを平淡に形ばかり謝罪され、敬吾は冗談なしに自分の腕を噛んだ。
ーー声が出そうだ。

「痛い……………っ」
「すみません……」
「思ってないだろ!!」
「ごめんなさい」
「………!!」
「敬吾さん、力抜いて。息詰めないで、吐いて……」
「……っ無理、………っ!」

またも敬吾は後悔していた。
この男にほだされるのは危険なことなのだ、本当に。
膠着状態だったそこを無理にねじ込まれて、敬吾はまたも仰け反る。が、その僅かな距離すら許されずに腰を引き戻されて音を上げた。

「っ、無理、無理無理ごめん岩井悪かった!やっぱダメっ……」
「いやもう俺も無理ですよ」

相変わらず妙に冷めて聞こえる声が敬吾には怖い。
断られたのも衝撃だった。
この男はいつだって自分の欲求よりも敬吾を優先してきたのだ。
どれだけ切羽詰まっていても辛そうでも、あと少しでも、引いてくれと言ったら引いた。何度も、例外なく。

敬吾がその衝撃に呆然としている間も逸はそこを押し開こうとした。

「ぃ……………ッ無理だってばっ、何勝手なこと言ってんーー」
「敬吾さんが今日は良いって言ってくれたんでしょう」
「うっ」

でもでもだってを続けたがる敬吾を牽制して、それに、と逸は続けた。

「ここのことだったら俺のほうが知ってんすよ。敬吾さん、自分で解れ具合とか確かめたことあるんですか?」
「ーーーーーーは?」
「ちゃんと柔らかくなってますよ、お酒入ってるからですかね……痛いのは敬吾さんが力入れてるからです、力抜いて」
「は…………っ!?」
「お願い……俺もう、限界です」

甘えるように背中に伸し掛かられて、敬吾はぞくりと肌が粟立つのを感じた。
肩を唇で食まれる。
たまらないように僅かに繋がったそこを揺らされて、敬吾の眉根が泣き出しそうに歪んだ。
何度も囁かれる自分の名前が切なく聞こえて現実味がないほどだった。

「ーーーー!」

その甘やかな逃避が、内臓を押し上げられるような衝撃で取り払われた。
か弱い子犬のようだった逸の呼吸は、もはや獣だった。

「っあ……敬吾さん、」
「い……………ッ動くな!動かすなっ!」
「ごめ、なさ……ああ、やばい」

大方敬吾に押し込めたそれを、更に強欲に逸は飲み込ませようとしていた。
内部の熱さに慄くような気持ちで、敬吾がこわごわ口を開く。

「これ……っ全部?も、う入んない?……」
「…………………」

ぽかんと目と口を開けた後、逸はとろけそうに笑う。
そうして自分の骨盤を押し当てた。
敬吾が鋭く息を吸い込む。

「全部ですよ、ほら……大丈夫だったでしょ?」
「全っ然っ大丈夫じゃねえよ馬鹿………っ」

さすがに最初から気持ちいいとは思ってもらえないか。
澱が落ち着くように興奮を抑えられて、逸は優しく敬吾の背中に重なった。

「すみません。俺は……めちゃくちゃ気持ちいい」
「っーー」

また敬吾がビクリと揺れた。
それが、今度はきっと喜んで良い類のものだと逸は予感して嬉しげに笑う。

「……ここが、敬吾さんのいちばん奥」
「っ!?」
「俺のが届くとこがいちばん深いとこ……」
「うるせえよっ、何言ってんだお前っーー」
「すみません……喋ってないと即行出ちゃいそうで」

何が嬉しいのか笑いながら、歌うように逸は言った。
何故このタイミングでいつもの口調に戻るのか。
何が嬉しいのかなど当然敬吾も分かってはいるがーー恐ろしいほどの圧迫感と重さに、筋道だった思考などかなぐり捨てて久しかった。

「出てもいーよ別にっ………!」
「それは……そうなんですけど、もったいなくて」

また馬鹿なことをと敬吾は思ったが、逸があまりに純朴で照れたようにそう言うので、否定する気持ちも削がれてしまった。
しかし単純に体は辛くなってきている。

「……っも、しんどいんだって……」
「あ、そうか……すみません」

すっかり忠犬に戻った逸は素直にそう言った。
その焦ったような僅かな動きが響いて響いて、敬吾の背中が張り詰める。

「じゃあ、あの……少し動いてもいいですか」
「えっ!」

先ほどの残響がまだ尾を引いている敬吾である。

「ちょっとだけ……」

甘えるように、逸の髪が肩に擦り付けられた。

ーー敬吾は動物が好きである。

「っ………、あんま急にすんなよ……、」
「はい……」

その短い返事に既に獣の影が見て取れて、敬吾は眉根を寄せた。

逸が欲望をむき出しにすると、その落差もあってどうしようもなく肝が冷える。

その危惧の割には逸は比較的理性的に動いた。

「……このくらいは?」
「だい、じょぶ……」
「……………」
「っん……」
「!」
「………っ、」
「っあー……やばい、凄い」

なにがだと、馬鹿かと罵倒したかったが逸があまりに馬鹿正直に応えそうで怖くて敬吾はまた唇を噛む。

そうでなくても、逸としてはかなり抑えているのであろうその反復が、耐え難いほど感情を掻き乱した。

単純な感触や衝撃は言わずもがな、その熱さ、破裂しそうな、けれど抑えられた逸の呼吸、そもそも自分が男に乗られているなどという事実、自分の体に快楽を見出されているらしいという信じがたいこれまた事実。

声も呼吸さえも飲み込んでどうにか耐えていられそうだと思ったところで。

咳き込むように逸が敬吾の名を呼んだ。

「っちょ……っと、ごめんなさい……、敬吾さん、少しだけ」
「へ……っ?」
「すみませ……やば、止まんね……」
「んんっーーー!」

突然激しく突き上げられ、敬吾は枕に強く押し付けられた。
耳が壊れそうなほどの、粘った水音と肌のあたる破裂音。
不思議と痛くはなかったが掻き乱される衝撃と羞恥心がひどく、敬吾は痛いと訴えた。そうすれば止めてくれるかもとーー徒労であろうことは分かっているのだがーーそれにしても自分はひどくこの男に甘えているーー。

ーー子供でもあるまいし。

またも逃避気味に考えてしまっていると、ひときわ強く骨盤を押し当てて逸が動くのをやめた。

ーーそのまま、それ以上に入るわけもないのに押し上げられる。

「う……っ!やめ、なんっーー」
「すみ、ませ…… ……出そう」
「っーー」
「中……に出して、いいですか」
「え、それ、は別に、え?」

本当に困惑してしまって敬吾は素直に答えた。
逸はコンドームを付けていたはずだしそもそもが男同士だしーーと絵本でも読むように純朴に考えていた。
と、また重たく押し上げられる。

「んんっ!」
「奥に…… 出したい、」
「や………っ岩井、痛……」

逸にはもう何も聞こえていないようだった。
没頭しきったように頭を垂れて敬吾に腰を押し付けている。

「敬吾さん……」
「うる、うるさいっーー」
「敬吾さん……敬吾さん、もう、好きです……大好き」
「うるさいってばーーー」
「ん……」

逸がまた、敬吾の肩に頭を預ける。
急に押し黙られて、敬吾はその中で逸が震えるのを感じた。
そうして、詰められていた逸の呼吸が暴れる。

「っ…………、」

ひとり赤くなってしまった敬吾を、逸は淡々と表返してベッドに押し付けた。
そこに磔るように、手をつなぎ、体重をかけて、唇を貪る。

そうしているうち手首を一つにまとめられて乳首に触れられ、敬吾はただ驚きに身を捩った。
逸は意に介さず、我を忘れたようにそうしていた。

長いことそうしていてやっと唇が離れ、喘ぐように呼吸をする敬吾をよそに、逸は敬吾のそれを口に含んだ。
これには、敬吾もさすがに呼吸より驚きを優先する。

「おわっ!?なにっーー」
「ん……?」
「く、口かよ!いいってば!!」
「いいってなんふか……」
「え、遠慮です」
「俺がしたいんですけど」
「ええーーー、」

敬吾の困惑もやはりよそにして、逸はそのまま愛撫を続ける。
複雑な気持ちになるほど技巧的なやりようだった。

「っ、んーー、岩井、放せってもう……出るから……、」
「出して欲しいんれすよ」
「っは!?何言っ……」

わざと音をさせて口から出すと、逸はそこに唇で触れながら言う。

「俺がどんだけ耐えてきたか」
「うっ、えっ?」
「敬吾さんの負担になんないことなら今日は我慢なんかしませんよ。エロいこと全部させてもらいますから」
「ーーー!……っだって、あれか……」
「それです」

言うなりまた口に含むと、本当に遠慮なく逸はそこを攻め立てた。
何と言おうかもう、この短い間に把握され切ってしまっている。

「っ、ぁー……、岩井ほんと、だめだって……」

苦しげに呟くと、逸が目だけでちらりと敬吾を見上げた。
その視線。
反抗的というかーー挑戦的というかーーとにかく、見られている。
その目に晒されていることこそが一番羞恥塗れなのだと一瞬で敬吾は知った。
これもまたこの男が我慢しないと言ったうちの一つなのだ。
背中に走った震えは、半分ほど恐怖由来でもあった。

「っーーー……」
「………。ごちそうさまでしたー」
「言いやがった……………」
「敬吾さん、ちょっと体起こして……」
「?」

ベッドの上に敬吾の上体を起こさせると、自分の膝の上に敬吾の足を載せて抱き寄せ、子供でもあやすように自然に逸は敬吾を抱き上げた。
ぐっと腰を寄せられたのは気になるが、こうして抱きしめられるのは嫌いではなかった。全方向に体重を任せられるのは楽なものである。
特に深く考えず、敬吾は逸にされるがまま自分も楽なように頭を預けて腕を回した。

すると。
ぬく、と妙な音がしたと同時、指を挿し込まれる感触に敬吾は頭を跳ね上げた。

「やっ、何!?なんだよ、まだすんのかっーーー」

敬吾の抗議に、妙に神妙な顔でまた逸は平坦に応じる。

「できるならしたいですけど……、無理なら」
「無理だバカ抜けっ!」

逃げようと試みては腰に回った腕に引き止められて、尺取り虫のように敬吾がもがく。
相も変わらず能面のような顔で、暴れる敬吾を拘束しつつ逸はその中を探っていた。
敬吾の背中はぞくぞくと粟立つ。

「っ……、岩井……っやめろって」
「……………」
「……岩井!」
「……………」
「っ、なん………っやめ、やだ」

敬吾の言葉が拙くなっていく。
聞こえていないのか無視しているのか、逸は応えずに淡々と黙殺する。

ついに敬吾が自ら言葉を飲み込むようになって、それでも溢れてしまう、細い細い吐息の糸のような声が逸の耳には大音響に聞こえた。
その不本意な、自分のものとは思えない声が漏れるたび敬吾は苦しげに張り詰めて肌は赤らんでいく。

「……敬吾さん」
「っ、…………っ」
「ここ気持ちいいでしょう?」

敬吾の肩が跳ねた。ぎくり、と聞こえるほどに。

「分かんないですか?ここ、ほら」
「っ!!…………!……っ」
「違いました?……じゃ違うとこと、ここ、ね?」
「おまっ、えっ、い、いい加減にし……んんっ!」
「言ってくれなきゃ分かんないですもん」

馬鹿振りで言い切って、逸は残酷に拘束の腕を強めた。
その力の必死なまでの強さと指の長さ、逸の言う通りその指先から溢れるような認めたくない感覚に敬吾は絶望的な気持ちになっていた。
自覚していないだけで既にぼろぼろと泣いている。

「やめ、ろって……!たのむ、から」
「気持ち良いから?良くないから?」
「ばかっ、ほんともうやめ……」
「敬吾さん……」

ぐずついてきた敬吾の声音に、逸が僅かに指を引く。
安心したように敬吾が体から力を抜いた。

「………敬吾さん」

必死に呼吸をしている敬吾の髪を撫でて、逸は忠犬には戻りきれずにいた。
この腕の中で、爪弾けば奏でられそうなほど張り詰めている意地も、理性も羞恥心も何もかもかなぐり捨てて欲しい。
むき出しの生身に、素直になって欲しい。
この行為に快感を見出して欲しい。

「んっ!」
「敬吾さん……」
「っや、やめ馬鹿」
「敬吾さん、お願いだから……」
「は?、っなに、何言ってっ、」

こんなに強引なくせにどうしてお前が何かを乞うのかと、敬吾はいっそ腹立たしい気持ちになった。
無自覚な慇懃無礼を押し付けられるような。

だが、苛立ちに目一杯逸の胸から離れてやると、その顔は紛れもなく本心から言っているらしかった。
またも敬吾に折れさせかねない、少々悲しげで所在なさ気なあの顔をしている。ーー同時に、獰猛でもあるのだが。

「っふ……っ」
「敬吾さん、どうしてそんな意地張るんですか?」
「っ、やだ、やめろ……って、」
「なんで……?」

逸の声が悲しげに沈み始めてしまう。
自分をどうしたいのかは、なんとなく分かった。だが。
少なくとも今はできない相談だと、敬吾はまたふつふつ沸いてくる怒りとともに頭の中でだけ饒舌に言い聞かせていた。

「……っ岩、井、ほんともう、やめろ」

わずかに混じっていた甘い響きも鳴りを潜めた敬吾の声に、逸がぴくりと肩を強張らせた。
これはきっと、怒っているーー
ーー分かっているのだが、引けない。この機会を諦めるのが惜しかった。
敬吾の鎖骨を唇で食みながら、ぐずる子供のように眉根を寄せて逸は腕に指先に更に神経を注ぐ。

「……どうして?俺、」
「それ以上やったら大っ嫌いになってやる」



乱れているが地を這うような重苦しい怒気の滲んだ声に、逸が沈黙で応える。

欲を張りすぎて引き時を見誤ったのが、大きな間違いであった。






「どけ。寝る。」
「はい……………」






「しゃ、シャワーとか浴びなくて……」
「お前つぎ起こしたらほんとぶち殺すからな」
「すみません……………」


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