人間不信の異世界転移者

遊暮

文字の大きさ
上 下
58 / 95
銀雷は罪過に狂う

46話 クウとリリー

しおりを挟む
 私は、背を向けて去っていくシンさんの後ろ姿を見届けながら、立ち尽くすしかありませんでした。

 私の横でシンさんの背が見えなくなっても手を振っているのは、クウと呼ばれていた私よりも小さな女の子です。

 ……どうしてこうなったんでしょうか。

 私は未だに図りかねています。
 あの男の人は、一体どういう人なのでしょう。
 知っているのは、名前がシンであること、真白とクウという名前の二人を大切にしていること、私に暴力を振るう様子が無いことだけです。

 四年前に母が死んだあの時から、正義を目指していた私は悪に成り下がりました。
 ええ、少なくとも私自身は成り下がったと感じていました。
 だってそうでなければ、私が村のみんなに虐げられる理由が分からないのですから。
 自殺もできません。母からいただいた命。それを自ら絶つことは明確な悪と私が認識してしまっています。

 私はそれでも最初の一年は諦めませんでした。
 幼い子は庇護欲を掻き立てられると本で読みましたので、大人びていると言われていた私は口調をわざと幼く感じるように直してみました。
 結果は気持ち悪いと言われただけでしたが。
 以前は子供のくせに大人ぶっていて気持ち悪いと言っていたくせに、口調を変えてもそう言われ続けるとは思いませんでした。
 次に、薬草を摘んで、母が残してくれた本を見ながらポーションを作って配ってみました。
 結果は……それが当たり前になって私の仕事が増えただけでした。

 一年が経ってからは正義を、次の年には抵抗を、その次の年には命以外の全てを、四年経った今では生きることにすら諦めを覚えるようになりました。

 ――私は正義ではない。

 村のみんなが正義で、私はその敵。
 それが結論だと私は理解し、諦めていただったのに。

 正義か悪かは自分が決める。
 盗賊の血で全身を真っ赤に染めながらそう言い切ったシンさんに、私は一瞬とはいえ憧れてしまった。
 何者にも縛られないその自由な生き方に。

 盗賊は悪だ。でも、あんなに楽しそうに同族を殺せるシンさんも紛れもない悪だった。
 そして私は気づいてしまう。
 悪が悪を殺す。だったら、正義が正義を殺すというのも肯定されるんじゃないのかと。

 だけどすぐに私は頭を振ってその考えを振り払う。
 人間を殺すのは悪。それが許されるのは正義が悪を殺す時だけです。
 私はそうやって母親から教わった。であれば、それは私の中で絶対のものになる。
 それが私を縛る呪縛の鎖。母親に依存しきっていた私は、母親の教えを自分の考えで上塗りすることなどできないでしょう。母と村のはずれにあるこの家で二人きり。そういう風に育ったのだから。

 他人は怖い。
 私を見つければ何度も暴力を振るってくるし、平気な顔をして人を言葉で傷付ける。
 いつしか私は心が壊れて感情を自分で制御できなくなってしまった。

 不安定で、自分で自分が分からない。
 幼く感情のままに動いてしまう外側と、それをどこか他人事のように見つめる外側。
 人格が二つある訳でもないのに、二つはどこか乖離している。
 これはきっと、内側の私が虐められないために、幼い仮面を被って過ごしていたからでしょう。
 これでは狼ではなく、まるで狐のようですね。

 でも、そうでもしないと、耐えられなかったから。

 外側も内側も、同じ私。ただ役割が違うだけ。
 冷静な内側で感情をコントロールしながら、外側で少しずつ出していく。そうやって私は自分を保ってきました。

 だけどそれももうとっくに限界を超えている。
 内側で処理しきれない感情は私を徐々に破壊していきます。自ら命を絶つことのできない私は、破滅を待つだけでした。
 私という悪に天罰が下る時を。

 そんな中で出会ったシンさんに、私はどうしても勝手に期待してしまう。
 全てを諦めていたと思っていたのに。
 盗賊から助けてもらった。傷を治してもらった。美味しい食事を与えてくれた。
 それで十分過ぎるのに。これ以上私は何を求めているのでしょうか。

 盗賊にあんなことをしているのを見せられて、普通は怖いと思う筈なのに、今は不思議とシンさんのことを怖いと思えなくなっていました。
 分からない。だけどシンさんのことを知れば、自ずと答えは出るのかもしれません。

「クウ……ちゃん、家に入るです」

「……うん!」

 見た目は年下でしょうし、ちゃん付けでも大丈夫かと勇気を出して言って見ましたが、問題は無いようです。
 村の子供達は石を投げてくるだけの存在でしたので少し怖かったですが、少しでもシンさんのことを知るにはこの子に聞くのが早いでしょう。
 あの真白さんという方は近寄り難いですから。

 それに、きっとクウちゃんと真白さんは人間ではありません。
 これはさっき村のみんなが警戒している時に気付いたのですが、匂いが人間のものとは違いました。
 人間ではないなら、シンさんが私を守るようにクウちゃんに言い付けたのも納得できます。

 シンさんは血の臭いで分かりにくいですが、恐らく人間でしょう。黒髪黒目は人族にしては珍しいですが、いないわけではありません。

 辺りが暗くなってきたので、私はクウちゃんと共に、家に入ります。

 母との思い出が詰まった大切な家。
 中に入るとかび臭さを感じますが、もう慣れたものです。

 私はクウちゃんと藁を敷き詰めたベッドとも言えないような場所に並んで座りました。

「クウちゃん、少し話をするです」

 もうすっかりこの口調が染み付いたことを感じながら、クウちゃんに話し掛けました。

「……か……いた」

「何を言ったです?」

 何でしょう。猛烈に嫌な予感がしてきました。
 ポツリと口の中で呟いたクウちゃんに、私は聞きました。

「……おなかすいた……」

「へっ」

 あんなに食べてたのに!?
 そう言えば母が死ぬまでは私も朝昼夜と三食食べていたことを思い出します。
 ですが、シンさんと真白さんはもう行ってしまいました。
 私の家にはほんの僅かな食料だけ。それも、あの料理を食べた後では食べ物にも思えないようなものばかりです。

「うう……」

 ……話を聞く前に私、この子に食べられたりはしませんよね?

「クウちゃん! が、我慢するです!」

 夜は長くなりそうです。


 △ ▼ △▼ △ ▼ △▼ △ ▼ △▼ △ ▼ △


「――あのクソガキがっ!」

 拳を勢い良く叩きつけられた木の壁が軋みを上げる。

「親父、荒れてんな」

「いつも冷静なのに珍しいこともあるわねー」

 ディルクの苛つきを露わにした表情を見て、息子と妻が呑気に声を上げるが、それがいっそうディルクの苛立ちに拍車をかける。
 普段は人当たりが良く、村人みんなに好かれる族長であるディルクだが、今回はあのリリーが原因なのだ。それがディルクには許せなかった。
 そんな父を見かねたのか、息子のルッツが声を掛ける。

「親父がそんなになってんのって、リリーとあの人間が原因だよな? それなら俺があいつらをボコって――」

「やめろ!」

「!」

「……ダメです。絶対にあの旅人達には手を出してはなりません。暫くはリリーにもです」

 ルッツが反論をしようとして、息を詰まらせる。
 獣人族の中でも高い戦闘能力を持つ狼人族。その村の村長には、村の中で一番強い男が成ることが決まっている。
 つまりディルクは、細い見た目に反して村の中で一番の実力者なのだ。
 その自慢の父が、顔中から汗を滲ませて微かに体を震わせている。それがルッツには信じられなかった。

「大袈裟ねー。二人は人間じゃなかったみたいだけど、一人は人族じゃない。何を恐れることがあるのかしら」

 このバカ女が、とディルクは心の中で吐き捨てた。
 元々あの売女の代わりにと、顔が二番目に良かった女を伴侶として仕方なく迎え入れただけなのだ。その選択は失敗だったと何度思ったことか。

 リリーの母親――カミラは、村どころか狼人族最強の戦士であり、そしてディルクの婚約者だった。
 強く、美しかったカミラとディルクの結婚は、誰もが楽しみにしていた。

 ――カミラが誰とも知れぬ子供をお腹に宿していると判明するまでは。

 この村では婚前交渉は固く禁じられている。獣人は繁殖力が強く、簡単に身ごもってしまうからだ。
 ディルクは自分よりも強いカミラのことを誰よりも尊敬し、愛していたが、その感情はいとも簡単に憎悪へと変わった。

 カミラはお腹の子供と共に村の柵の外で家を建て、償いのために村を警備をすることになったが、四年前に病気で死亡。
 狼人族最強の戦士も、劣悪な環境で病気にかかってしまえば死ぬのはあっという間だった。
 残されたのは、珍妙な毛色と美しいカミラの面影を残した十歳の少女ただ一人。

 彼女は村中から疎まれ、蔑まれた。
 村に来た鑑定士に見てもらった際に判明したユニークスキルを妬んだ人間もいたかもしれない。
 ディルクは彼女が成長したら奴隷商にでも売ろうかと考えていたが、成長が止まって薄汚い見た目の彼女は、ユニークスキルを保持していたとしても到底売れるとは思えなかった。
 当然だ。精神が不安定で強力な力を持つということは、いつ暴走するか分からないということなのだから。
 労働力としての能力がなかったら、早々に殺していただろう。それでもディルクは、リリーの顔を見るたびに激しい憎悪が沸き立つのを感じていた。

 そのリリーが行方不明になったのが三日前。
 悩みのタネが無くなったとリリーの家を潰そうと計画しているところに、彼女が帰ってきた。
 化け物どもを連れて。

 人外の二人は勿論のこと、あのシンという人族の少年も十分に化け物だった。
 ディルクは気付いていた。彼と会話している間、常に濃厚な殺気が向けられていることに。
 本能から恐怖を感じるような、おぞましい殺意。幸いすぐに襲ってくる様子はなかったからよかったものの、笑顔が引きつらないように気を付けるので精一杯だった。
 正直、他の二人よりもあの人族の方が何倍も恐ろしく感じたのだ。

「……そういえばリリーのやつ、よく見ると意外と顔はよかったな」

 息子の呟きを聞いて、ディルクは思い出す。
 あれだけあった傷が、すっかり治っていたのだ。使ったのは恐らく上級以上のポーション。リリーは下級の物しか作れないため、あの者達が持っていた物を使用したのだと予想する。
 あれ程高価な物を惜しげも無く使うとは、余程リリーが気に入ったのかとディルクは考え……何かを思いついたのか口元を歪ませた。

「ルッツ、あの者達には決して手を出さないでくたさい。分かりましたね?」

「……分かった」

 これならばいい厄介払いができるとディルクは心の中でほくそ笑んだ。
 ルッツの不満そうな表情に気付くことなく。
しおりを挟む
感想 131

あなたにおすすめの小説

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… 6月8日、HOTランキング1位にランクインしました。たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

「お前のような奴はパーティーに必要ない」と追放された錬金術師は自由に生きる~ポーション作ってたらいつの間にか最強になってました~

平山和人
ファンタジー
錬金術師のカイトは役立たずを理由にパーティーから追放されてしまう。自由を手に入れたカイトは世界中を気ままに旅することにした。 しかし、カイトは気づいていなかった。彼の作るポーションはどんな病気をも治す万能薬であることを。 カイトは旅をしていくうちに、薬神として崇められることになるのだが、彼は今日も無自覚に人々を救うのであった。 一方、カイトを追放したパーティーはカイトを失ったことで没落の道を歩むことになるのであった。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

神様との賭けに勝ったので、スキルを沢山貰えた件。

猫丸
ファンタジー
ある日の放課後。突然足元に魔法陣が現れると、気付けば目の前には神を名乗る存在が居た。 そこで神は異世界に送るからスキルを1つ選べと言ってくる。 あれ?これもしかして頑張ったらもっと貰えるパターンでは? そこで彼は思った――もっと欲しい! 欲をかいた少年は神様に賭けをしないかと提案した。 神様とゲームをすることになった悠斗はその結果―― ※過去に投稿していたものを大きく加筆修正したものになります。

神様との賭けに勝ったので異世界で無双したいと思います。

猫丸
ファンタジー
ある日の放課後。 突然足元に魔法陣が現れる。 そして、気付けば神様が異世界に送るからスキルを1つ選べと言ってくる。 もっとスキルが欲しいと欲をかいた悠斗は神様に賭けをしないかと提案した。 神様とゲームをすることになった悠斗はその結果――― ※チートな主人公が異世界無双する話です。小説家になろう、ノベルバの方にも投稿しています。

神の宝物庫〜すごいスキルで楽しい人生を〜

月風レイ
ファンタジー
 グロービル伯爵家に転生したカインは、転生後憧れの魔法を使おうとするも、魔法を発動することができなかった。そして、自分が魔法が使えないのであれば、剣を磨こうとしたところ、驚くべきことを告げられる。  それは、この世界では誰でも6歳にならないと、魔法が使えないということだ。この世界には神から与えられる、恩恵いわばギフトというものがかって、それをもらうことで初めて魔法やスキルを行使できるようになる。  と、カインは自分が無能なのだと思ってたところから、6歳で行う洗礼の儀でその運命が変わった。  洗礼の儀にて、この世界の邪神を除く、12神たちと出会い、12神全員の祝福をもらい、さらには恩恵として神をも凌ぐ、とてつもない能力を入手した。  カインはそのとてつもない能力をもって、周りの人々に支えられながらも、異世界ファンタジーという夢溢れる、憧れの世界を自由気ままに創意工夫しながら、楽しく過ごしていく。

処理中です...