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4.再会-2
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二次会の参加は辞退して、早々に店から出ると、後ろからやや足早に駆けてくる人物の気配がした。往来は自分達と同じように週末の夜を楽しんだ人々で賑わっていて、しかし、その足音はまっすぐに渡瀬の方へ向かっていた。
振り返らなくても、その人物が誰なのかわかってしまったのが癪だった。
「俺も帰る、駅同じだろ」
芦原は、それが自然だとでもいった顔で、渡瀬の隣に並ぶと、歩調を揃えて歩き出した。
「……ん」
無視を決め込むのも、この場から逃げるのも。どちらをとったとしても、そうすることで芦原を意識していると言っているようなものだった。だから、至極素気なく、最低限の返事をすることに決めた。
「先輩たち元気だよなあ」
「そうだな」
無駄な感情を滲ませないように。そのためには、無駄な思考をしないことがいちばんだ。彼の投げかける他愛のない話題にも、模範回答的な言葉で返した。
先ほどの酒席での会話に出たところによると、彼の今の住居と渡瀬の最寄駅は、この駅から真逆にあるらしい。
あと三分もすれば、改札口にたどり着く。それまで何事もなくやり過ごしてしまえれば、この奇妙な時間も終わりを迎える。そのように渡瀬が安堵しかけた時だった。
「レイちゃんは?」
不意に芦原は、渡瀬が彼と別れた後付き合った人物の名を口にした。彼女は、入学して間もない頃よく映画同好会に顔を出していたし、その後も大人数での集まりの際などには顔を出していた。だから当然、彼も知っている人物だった。
「……続いてる」
お前に関係あるのか。嫌味がましく口にしてしまいそうなセリフを飲み込んでから、恐らく彼が聞きたかったであろう事柄について答えた。
すると、芦原の歩調が心なしか緩やかになった。隣を歩く影がやや後方にずれ出したので、仕方がなく、というよりほぼ無意識に振り返ってしまった。今となっては、その行動すら図られたものだったのかもしれない。だとしたら、芦原は相当たちが悪い。
目を向けた先、そこにはこちらを静かに見据える芦原がいた。
その視線には既視感があった。わずか数時間前、薄暗い店内で、正面から見てきていたそれと同質のものだった。
心臓が、再び不規則なざわめきの音を立てた。渡瀬は、その音に蓋をしようと急いで言葉を繋げた。
「研究室が忙しいとかで、あまり会えてないけど」
「あの子らしい」
当時から優秀だった彼女を懐かしむように、芦原は目を細めた。その表情からは、嫉妬だとか、そういった類の感情は読み取れなかった。
考えすぎなのだ。
渡瀬はこっそりと息を吐いた。もし、万が一。芦原が自分に何らかの感情を今も寄せているのだとしたら、彼女の話題に対する反応はもっと違ったものになったはずだ。
だから、あの視線にも他意はなかった。営業をしているということだから、仕事柄そういう癖がついたのかもしれない。渡瀬はそのように結論づけ、ささやかな謝罪がわりに同じ質問を彼に投げかけることにした。
「……お前は?」
「付き合ってる子はいる。ミキの知らない子」
思わず息をのんだ。
ミキ。彼にその名前で呼ばれるのは久々だった。そもそも、付き合っていた時ですら、人前では苗字で呼ばれていた。
見かけ通りどこかロマンチストな彼は、恋人との時間に特別な何かを欲しがるタイプらしかった。その手段の一つが、渡瀬が周囲には呼ばれることを渋る名前を、まるで二人の秘密ごとのように口にすることだった。
その瞬間、苦い思い出で蓋していた記憶の扉が開いたかのように、全身を懐かしい熱が吹き抜けていった。
それは、挫折によって焦点の定まらなかった自分の視界が、再び鮮明になった日々だった。そして、そこには必ず芦原の姿があった。
しまった、と思った時は遅かった。
うっかり視界が揺れてしまったのに気がついた。ここまで、再会による動揺を悟られないように、むしろ自分自身でも意識しないことに努めてきたのに。
「ミキ」
いつの間にか正面に回り込んでいた芦原が、そっと渡瀬の腰に右手を回した。横断歩道の手前。ちょうど信号が赤に変わったタイミングで、周囲にはまだ人はいなかった。
「……やめろ」
その手を、強く払い除けた。しかし、今度は渡瀬の動作を遮るように、両腕で背中から腰にかけてを何度かさすられた。
「やめてくれ……」
懇願するように言った。その言葉の宛先は、芦原でもあり、振り解くことができない自分自身でもあった。
振り返らなくても、その人物が誰なのかわかってしまったのが癪だった。
「俺も帰る、駅同じだろ」
芦原は、それが自然だとでもいった顔で、渡瀬の隣に並ぶと、歩調を揃えて歩き出した。
「……ん」
無視を決め込むのも、この場から逃げるのも。どちらをとったとしても、そうすることで芦原を意識していると言っているようなものだった。だから、至極素気なく、最低限の返事をすることに決めた。
「先輩たち元気だよなあ」
「そうだな」
無駄な感情を滲ませないように。そのためには、無駄な思考をしないことがいちばんだ。彼の投げかける他愛のない話題にも、模範回答的な言葉で返した。
先ほどの酒席での会話に出たところによると、彼の今の住居と渡瀬の最寄駅は、この駅から真逆にあるらしい。
あと三分もすれば、改札口にたどり着く。それまで何事もなくやり過ごしてしまえれば、この奇妙な時間も終わりを迎える。そのように渡瀬が安堵しかけた時だった。
「レイちゃんは?」
不意に芦原は、渡瀬が彼と別れた後付き合った人物の名を口にした。彼女は、入学して間もない頃よく映画同好会に顔を出していたし、その後も大人数での集まりの際などには顔を出していた。だから当然、彼も知っている人物だった。
「……続いてる」
お前に関係あるのか。嫌味がましく口にしてしまいそうなセリフを飲み込んでから、恐らく彼が聞きたかったであろう事柄について答えた。
すると、芦原の歩調が心なしか緩やかになった。隣を歩く影がやや後方にずれ出したので、仕方がなく、というよりほぼ無意識に振り返ってしまった。今となっては、その行動すら図られたものだったのかもしれない。だとしたら、芦原は相当たちが悪い。
目を向けた先、そこにはこちらを静かに見据える芦原がいた。
その視線には既視感があった。わずか数時間前、薄暗い店内で、正面から見てきていたそれと同質のものだった。
心臓が、再び不規則なざわめきの音を立てた。渡瀬は、その音に蓋をしようと急いで言葉を繋げた。
「研究室が忙しいとかで、あまり会えてないけど」
「あの子らしい」
当時から優秀だった彼女を懐かしむように、芦原は目を細めた。その表情からは、嫉妬だとか、そういった類の感情は読み取れなかった。
考えすぎなのだ。
渡瀬はこっそりと息を吐いた。もし、万が一。芦原が自分に何らかの感情を今も寄せているのだとしたら、彼女の話題に対する反応はもっと違ったものになったはずだ。
だから、あの視線にも他意はなかった。営業をしているということだから、仕事柄そういう癖がついたのかもしれない。渡瀬はそのように結論づけ、ささやかな謝罪がわりに同じ質問を彼に投げかけることにした。
「……お前は?」
「付き合ってる子はいる。ミキの知らない子」
思わず息をのんだ。
ミキ。彼にその名前で呼ばれるのは久々だった。そもそも、付き合っていた時ですら、人前では苗字で呼ばれていた。
見かけ通りどこかロマンチストな彼は、恋人との時間に特別な何かを欲しがるタイプらしかった。その手段の一つが、渡瀬が周囲には呼ばれることを渋る名前を、まるで二人の秘密ごとのように口にすることだった。
その瞬間、苦い思い出で蓋していた記憶の扉が開いたかのように、全身を懐かしい熱が吹き抜けていった。
それは、挫折によって焦点の定まらなかった自分の視界が、再び鮮明になった日々だった。そして、そこには必ず芦原の姿があった。
しまった、と思った時は遅かった。
うっかり視界が揺れてしまったのに気がついた。ここまで、再会による動揺を悟られないように、むしろ自分自身でも意識しないことに努めてきたのに。
「ミキ」
いつの間にか正面に回り込んでいた芦原が、そっと渡瀬の腰に右手を回した。横断歩道の手前。ちょうど信号が赤に変わったタイミングで、周囲にはまだ人はいなかった。
「……やめろ」
その手を、強く払い除けた。しかし、今度は渡瀬の動作を遮るように、両腕で背中から腰にかけてを何度かさすられた。
「やめてくれ……」
懇願するように言った。その言葉の宛先は、芦原でもあり、振り解くことができない自分自身でもあった。
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