セクスレス

希彗まゆ

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ザッハトルテ 2

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ボクがまだ物心つく前に両親は離婚して、ボクは母とずっと二人暮らしだった。

学校に行けば友達もたくさんいたし、中一になってから彼女と身体の関係ももったりしたから、孤独とは縁遠かったかもしれない。
それでも家に帰れば淋しさがいつもつきまとったし、だからボクは人のぬくもりが好きだった。特に肌と肌で感じられる、自分の彼女とのぬくもりが好きだった。
人の体温ってすごくあたたかくて、心まであたたまるような気がしたから。

母はずっと独り身だったけど、それまで恋人をとっかえひっかえでね。
でもボクが高校に上がった年に、とある男と再婚した。
ボクと母はそれまで特別仲がいいってわけじゃなかったけど、仲が悪くもなかったし、母がこれで幸せになれるなら、ボクもまあいいかなって程度だった。

だけどそれを後悔したのは、母が再婚してからすぐのことだった。

母は再婚してからも夜の仕事をやめなかったんだけど、だから夜はいつもその男とボクはふたりきりで……ある晩、男がボクの部屋にきたんだ。
最初は世間話だったり母の話だったりしたんだけど、そのあいだに男はボクのそばに身体をすり寄せてきて……いきなり、押し倒された。
なにするんだ、って言ったら、男は嗤った。

「男か女かわからないような、そんなきれいな顔をしてる君が悪いんだよ」

そう言って、男は力ずくでボクを抱いた。
抵抗したけど、まだそのときのボクは子供だったから、男の力には勝てなかった。
そのときに分かったんだ。ボクの容姿は女のようにも見えるんだって。その男に、その身体でもって教えこまれた。

ボクは翌日から、彼女の家に泊まり込んだ。またあんなことがあったらと思っただけで、胃液が逆流したから。
だけどボクは世間的に、まだ本当に子供で。世の中をひとりで渡っていくだけの力なんて、全然なくて。
ボクのことを心配してくれた彼女の両親が、ボクの母に連絡を入れた。
母に心配をかけたくなくて、でも本当のことなんて言えなくて、ボクは家に戻った。

その日は休日で、男も家にいて──夜になったら家を出て友達のところにでも行こう、そう考えてたけど、その日に限って夕方、母が出かけたのを見計らって、男はまたボクを襲った。
その最中に、母が家に戻ってきたんだ。忘れ物でもしたんだろうね。
母はリビングで男に組み敷かれてるボクを見て、驚いて──次には鬼の形相をして、ボクに言ったよ。

「あんた、わたしの男に色目を使ったの!?」

って。

それからはもう、どろどろのぐちゃぐちゃ。
母は男と別れたけど、当然のようにボクのことも家から追い出した。

「あんたがわたしの人生をめちゃくちゃにしたのよ!」

そう泣き喚いて、手がつけられなかった。
ボクだってもう、母と一緒にいたくなかった。なによりも誰よりも自分の存在が、母を不幸にしたんだって実感してしまったんだ。

彼女とも、別れた。誰かと恋をするのが、恐くなってしまったから。同時に、恋愛そのものを馬鹿げたものだって思うようになった。そう思うことでボクはきっと、心の均衡を取ろうとしたんだと思う。

母に捨てられたあとは高校を卒業するまで孤児院で過ごしたけど、なんの因果かそこでもボクは女からだけじゃなく男からも告白されるようになって。
そのたびに、いっとき父親だった男にされたことがフラッシュバックして、心が壊れてしまったんだろうな。同時に、心を閉じてしまったんだと思う。誰からも、誰の心も受け入れようとしなくなったんだと思う。

そのときからだよ、ボクに告白してきた人間とキスをしてお金を取るようになったのは。
もちろん、男女問わずね。
これは純愛なんだって息巻いてる男も女も、

「ボクのキスが欲しくないの?」

って餌をまいてやれば、誰もが食いついた。

そのたびにボクは確信したんだ。
ああ、所詮愛なんてこの世には存在しないんだって。
心からボクが人を愛することなんて、この先ないだろうって。

その孤児院は海の近くにあったから、独りになりたくなるとボクはいつも海に通ってた。
夏場なんかは人がいて嫌だったから、夜とかね。だからどっちかっていったら冬の海のほうが好きだったかな。
海を見てると少しだけ、ボクの心も癒されて、少しでもボクのしていることも赦されるような気になったから。

高校を卒業したら、ボクは孤児院が仲介してくれたカフェで働くようになった。なんでも、そこのマスターが養子を貰いたくてよく孤児院にきてボクのことを見ていて、ぜひ自分のカフェで働いてほしいって孤児院のほうにかけあってくれたらしい。

もうわかるよね、そのカフェは「ショコラ」で、そのマスターっていうのがさっき会ったマスターだよ。
当時のボクはそんな話を聞いても、マスターに会っても、「どうせボクの容姿で決めたんだろ」って思ってた。
でもマスターは特別ボクになにかを強要するわけじゃなかった。
調子に乗ったボクは、お店の客相手にキスでお金を取るようになった。

あるときそれがマスターにばれて、ボクはひとりマスターの部屋に呼ばれた。
マスターはなにも言わないでしばらく黙っていた。
それがボクには、無言で責められてるように感じた。だからつい、言ってしまったんだ。

「マスターも、ボクのキスが欲しい? ボクがキスをしたら、赦してくれる?」

マスターはふいに部屋を出て行って、しばらく戻ってこなかった。
そんな反応を見せられたのは初めてだったから、ボクは少し戸惑って……マスターが戻ってきたときには、ちょっとほっとした。
マスターは持ってきたホットココアをボクに渡してくれて、頭を撫でてくれた。

「私はチョコレートが大好きでね。このホットココアも大好きなんだ。これを飲んだら君のささくれた心も心の傷も、少しくらいは癒されるかもしれないよ。それに、赦すか赦さないかは私が決めることじゃない。いつか君がもっと大きくなって大人になったら、君自身が判断するべきことだ。君がいつかまた人を愛することができるようになって、心の枷を外せるようになったらそのときは、君自身を赦せるときがくるだろうね」

そんなことを言われたのもされたのも初めてだった。
なんだかむずがゆくて、嬉しいような切ないような感じで、ちょっとだけホットココアを飲んでみた。
そのときのホットココアの美味しいことといったら──。
知らないうちにボクは涙を流していて、マスターに聞いていたんだ。

「マスターは、どうしてボクを拾ってくれたの?」

そしたらマスターは微笑んで、言ってくれた。

「君が一番、救いを求めているように見えたから」

ボクですら気づいていなかったそのことに、マスターだけが気づいてくれていたんだ。

「マスターはボクを養子にしないの?」

泣きながらそう聞いたら、マスターは「しないよ」って答えた。

「だって君は、まだお母さんのことが好きだろう? いつか、君はきっとお母さんを幸せにできると私は信じているから」

ボクと母とのことは、孤児院のほうから聞いてでもいたんだろう。
マスターは、ボクですら気づいてない、ボクが一番ほしかった言葉をくれたんだ。
泣きじゃくりながらボクは、ホットココアを飲み干した。

──もうそのころには性別を隠すようになってたし、ボクも急にはキスでお客を取るのをやめることなんてできなかったから、ずるずるいままできちゃったけど……。

つまりボクが性別を隠すようになったのも、キスでお客を取るようになったのも、全部過去の傷からきていたことなんだ。
性別を隠すことでボクは、自分の心を防衛していたんだと思う。恋愛なんてなんだ、って唾を吐きたくなるいう気持ちもあったしね。いま思えば、恋愛への冒涜だったのかもしれない。
だけど過去の傷からだからって、それを正当化するつもりはない。そんなことで、ボクが皐月さんに与えた不安やなにかマイナスのものを償えるなんて、思ってない。

あとは、皐月さんが判断してくれるのをボクは受け入れるよ──。
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