セクスレス

希彗まゆ

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プラリネ 2

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一睡もできないと思っていたのだけれど、アヤからメールがきたおかげで少し安心できたのか、明け方ごろにわたしはソファで眠ってしまっていたらしい。
起きたときには太陽はすっかり昇ってしまっていて、カーテンを透かしてリビングに明るく降り注いでいた。

葛志は朝食も食べないで会社に行ったのだろうか。
早めにマンションを出て、どこかで食べてから会社に行ったとも考えられる。

冷蔵庫の中身はなにも減っていなかったし、葛志がなにかを食べて行った痕跡はなにもなかった。
チクリと、また痛みが胸を突き刺す。
こんな罪悪感、いつまで持てば楽になれるのだろう。
アヤと出逢わなければ、わたしはまだいい奥さんでいられただろうか。
葛志との愛をやり直すこともできただろうか。

ううん、そんなの言い訳だ。
アヤのせいにして、浮気をしているという現実から目を背けようとしているだけ。
夫である葛志が落ち込んでいるというのに、わたしはいまも確実に、アヤのことを、アヤのことだけを愛してしまっているのだ。

今回の件で傷ついているのは葛志のほうのはずなのに、わたしは自分のことだけしか考えていない。
自分の傷をアヤが癒してくれる、そのことしか考えていない。
わたしは、いつからこんなに卑怯者になってしまったんだろう──。

午後3時までは、そんなことをぐだぐだと考えながら、ぼんやりと過ごした。
いままでのこと、これからのこと。
どうしたらいいのかまったく思いつかなくて、目の前が真っ暗だ。

わたしはこのまま葛志に束縛されたまま、一生を終えていくのか……そう考えたら、たまらなくなった。
もしそうなったら、アヤとはどうなってしまうのだろう。
アヤは……誰かと結婚したり、するのだろうか。
するとしたら、男性と? それとも、女性と?
アヤの性別がどっちだとしても、なんなく、アヤならどっちとも結婚できる気がするから不思議だ。

暖房をかけたまま寝てしまったから、肌がガサガサに渇いてしまっている。
顔だけ洗って、適当に化粧水と乳液をつけて、アヤを待つ。
こんなに落ち込んでいると、化粧をする気もなくなるんだな、と自嘲気味に思った。
せっかくアヤに会えるんだからと、なんとか色つきリップだけはつけることにする。

午後3時ぴったりにチャイムが鳴り、扉を開けるとアヤが立っていた。
久し振りに見るアヤは、驚くほどにきらきらと輝いて見える。
本当に、わたしと違う世界の人なのだと……実感してしまう。

玄関に入ると、アヤは黙ってわたしを抱きしめてくれた。
強く、でも優しく。
時折ぽんぽんと、子供をあやすかのように背中を撫でてくれる。
それだけでわたしの涙腺が崩壊するのには、充分だった。
ばかみたいに、わたしは声を上げて泣いた。

傷ついているのは、葛志なのに。落ち込む資格なんて、わたしにはないのに。傷つく資格だって、ないのに。
それでも弱いわたしは傷ついてしまって、こうして泣くことしか、アヤに甘えて泣くことしか、傷を癒すすべを持たないのだ。
アヤはわたしが泣き止むまで、辛抱強くそのままでいてくれた。

どれくらい時間が経っただろう。
やがてようやくわたしの涙も乾くころ、わたしはアヤの持っている男女兼用バッグから、いい香りが漂ってきていることに気がついた。

「……チョコ……?」

数日ぶりに会うのに、初めて発した言葉がこれなんて、いろんな意味でわたしらしい。
アヤは少しだけ身体を離して微笑んで、わたしの頭を撫でた。

「あたり。一緒に食べようと思って、買ってきた」

「……お店は? 休憩時間、何時まで?」

「一時間あるから、大丈夫」

そしてアヤは行儀よく「お邪魔します」とブーツを脱いだ。
アヤのブーツ……女にしては大きいサイズだけれど、これだけでは男か女かは判断できない。
そんなことを考える自分に、相変わらずわたしはなんだかんだでアヤのことが知りたくてたまらないんだな、と気づいて、また泣きたくなる。

アヤはダイニングテーブルの上にチョコの箱を置いて、開いた。
中に入っていたのは、ゆうべわたしがチョコレートのサイトで見たばかりの……プラリネ。

どうして、わざわざこのチョコを……?
そんな思いで見上げるわたしに、アヤは微笑んでみせる。

「これがいまの皐月さんの状況なら。哀しくてつらい状況なら。食べて、なくしちゃおうと思って」

そんな発想、思いつきもしなかった。

「気休めにしかならないかもしれないけど、ボクにできることはこれくらいしかなくて」

「……そんなこと、ない……」

アヤの気持ちが嬉しくてたまらなくなって、また涙があふれる。
アヤと一緒に食べるプラリネは、憎らしいことに、とてもとても美味しかった。

いまのつらく苦しい状況をこうしてわたしは食べて飲み込んで、やがてそれはわたしの力となる。
生きる、力になる。

食べることは生きることなんだよ、と、プラリネを食べながらのわたしの頭を撫でるアヤ。
そんなアヤの隣に立っていると、まるで陽だまりの中にいるようにあたたかい。

心も身体もすっかりあたたまって、わたしはアヤのおかげで心の再生ができたのだと実感した。
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