セクスレス

希彗まゆ

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チョコレートマカロン 1

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イブだからといって、わたしたち夫婦はパーティーをするわけでもなく、プレゼント交換をするわけでもない。

葛志は、元からそういったイベントごとはめんどくさがって、プレゼントをもらうことすら嫌がる傾向がある。
だからわたしも、わたしだけでもとプレゼントを用意することもいつからか、なくなった。

アヤはどうだろう、とふと思う。
アヤのためにイブに渡そうとしていたクリスマスプレゼントはあるけれど、アヤもプレゼントなんて重いと嫌がるだろうか。

だけど、アヤはケーキをプレゼントしてくれた。
人にプレゼントを贈る人が、自分がもらったら嫌がるとか、そんなことがあるだろうか。

あるかもしれないな、なんて思いながら翌朝リビングの掃除をしていると、ケータイが鳴った。
リビングのテーブルの上に置いておいたケータイを取ると、アヤからのメールだった。

ゆうべも19時をすぎるとアヤは「今度、ケーキの感想聞かせて」と短いメールをくれた。
それにはもう、「とっても美味しかったよ。葛志も甘いの嫌いなのに、食べてたくらい」と返していた。

今日もカフェに行ってもいいのだろうか。何時にカフェにきてほしい、というメールかもしれない。
わくわくしながらメールを開くと、もっと嬉しい内容がわたしを待っていた。

『今日一日休みを取ったんだ。皐月さん、一緒にドライブに行かない?』

アヤが、休日をわたしのために使ってくれるなんて。
しかも、ドライブに誘ってくれている。
まるで本当の恋人同士のようだ。

急いでOKの返事を返すと、『じゃあ11時にカフェの裏口に来て』と返ってきた。

どうしよう、なにを着て行こう。
クローゼットの中を開けて考えてみたけれど、万が一葛志にまた怪しまれたら困ると思って、服も化粧も女友達と出かける程度のお洒落にとどめておいた。

クリスマスプレゼントもちょうど渡せる。
クローゼットの中の、引き出しに隠しておいたその包みを取り出して、バッグを持って外に出る。

カフェ「ショコラ」に着いてから裏口のほうへとまわると、そこは従業員専用の駐車場にもなっているようで、黒い車にもたれかかるようにしてアヤが待っていた。
アヤの私服は初めて見るけれど、まるで宝塚の男役のようにすらりとしていてかっこいい。
黒を基調としたカジュアルな服装なのに、きらきらと輝いて見える。

「アヤ」

駆け寄りながら呼びかけると、アヤは顔を上げてわたしを認め、微笑んでくれた。

「迎えに行ってもよかったんだけど、待ち合わせしたほうがデートっぽいでしょ?」

「アヤが相手だったら、アヤの家にだって行ったのに」

「ボクの家は、ここの二階だよ。マスターに部屋を借りて住んでるんだ」

アヤの貴重なプライベート情報をひとつゲットできて、わたしは嬉しくなってしまう。
それが顔に出ていたらしく、アヤはクスクス笑ってわたしの頭を撫でた。

「皐月さん、お昼ご飯は?」

「あ、食べてない」

「ボクも。じゃあ、先にどこかでランチでもしようか。乗って」

アヤはわざわざ助手席にまわってドアを開けてくれる。
そんなところも、葛志とは大違いだ。
誰かにこんなふうに扱われたことなんてなかったから、ますますときめいてしまう。

わたしが助手席に乗るとアヤも運転席に座って、エンジンをかけた。
そういえば、アヤ……車を運転できるということは、免許証も持っているということだ。
ということは、免許証を見ることができれば、アヤの性別も本名もわかる。

ちょっと、いやかなり見てみたい衝動に駆られたけれど、いまが幸せならばアヤの素性なんてどうでもいい、と思い直した。
アヤと一緒にいるときは、極力一緒にいる喜びを味わいたい。
余計な考えなんて、したくない。

「なにか食べたいものはある? 特になければボクのオススメの店に連れてくけど」

「アヤのオススメのお店ってどんなところか、行ってみたいな」

アヤが普段どんなものを食べているのか、どんなものが好きなのか、知りたい。
こういうのを知りたいと思うのは、素性を知りたいのとは違うよね、と自分に言い聞かせてみる。
アヤは笑って、

「そうだな。じゃあ、美味しいパスタの店にでも行こうか」

車を走らせること、10分。
暖かな感じのイタリアンレストランに、アヤはわたしを連れて行ってくれた。

「ここはどの料理もオススメだよ。皐月さん、なにがいい?」

席に座ってメニューを広げてくれるアヤに、わたしは逆に聞いてみる。

「アヤは、なにがいい?」

「トマトとモッツァレラのスパゲティかな。チーズが好きなんだ」

「じゃあ、わたしもそれがいい」

「了解」

アヤは店員を呼んで、トマトとモッツァレラのスパゲティを二人分頼む。
パスタといえばすぐにミートソースが浮かんでしまう、子供なわたしとは違うな、となんとなく嬉しく思った。

アヤは見るからに品もいいし、夜とか自分の部屋でチーズをつまみにワインでも飲んでいそうだ。
想像してみて、いかにもしっくりくる、と思わず微笑みが漏れてしまった。

アヤと食べるスパゲティは本当に美味しくて、アヤの舌は確かなんだなと思う。
スパゲティ自体も美味しいのだと思うけれど、アヤと一緒に食べる料理ならなんでも美味しく感じる自信がある。

「どう、美味しい?」

「うん、すごく!」

「皐月さんて、食べてるときほんとに幸せそうだね」

「だって美味しいから」

「そんなに食べっぷりがいいと、料理もし甲斐があるだろうな。皐月さんに、手料理を食べてもらいたいって気分になるよ」

アヤがそんなことを言い出すとは思わなかったので、スパゲティをもぐもぐとしつつ、きょとんとしてしまう。

「アヤって料理できるの? というか、わたしのほうがアヤに手料理食べてもらいたいくらいだよ」

「一応、一通りは。皐月さんの手料理、ボクも食べてみたいな」

アヤに自分が作った料理を食べてもらえたら、どんなに幸せだろう。
アヤのために料理をして、アヤのためにお風呂を沸かして。
そんな生活ができたら、どんなに幸せだろう。

浮気をしているという自覚が薄れていることにふと気がつき、少しの罪悪感が胸をチクチクと突き刺す。
最初はアヤのことを好きになることさえ、恐かったのに。好きになることさえ、避けようとしていたのに。
いまでは自分は、こんなにも厚顔で身の程知らずだ。

お会計のときになって、わたしはワリカンで払う気でいたのに、「ボクが誘ったから」という理由で半ば強引にアヤが二人分支払ってくれた。
葛志以外の人とデートをしたのは初めてだからかもしれないけれど、本当に葛志とは違うな、と思う。
葛志はつきあいはじめのころから、ずっとワリカンだった。
高校を卒業して葛志が大学に通い始めて、その大学の友達とダブルデートをしたときくらいしか奢ってくれたことはない。

もちろん、結婚してからは葛志が払ってくれるけれど、世の中の夫婦では夫が会計をするのは常識なのじゃないだろうか。
もっとも、葛志の場合はワリカンにしていたのは、まだ高校だったからとも考えられるけれど、これがアヤだったらと考えると、違うと思う。

きっとアヤなら高校生のときにも、自分が誘ったら奢ってくれそうだ。
それくらいの甲斐性も、アヤにはあると思う。

でも、このお金はアヤが例の“お客”たちとキスをした、その代金のものだろうか?
いや、まさか……アヤはそこまで考えなしじゃないと信じたい。

だとすると、あのキスのお金は何に使っているのだろう?
そもそもどうして、キスをしてお金をもらっていたのだろう。
そう考えるとぐるぐると止まらなくなってしまいそうだったから、わたしはむりやり考えることをやめた。

「皐月さん、どこか行きたい場所はある?」

ふたりして車に乗って暖房をかけてから、アヤが尋ねてくる。

「アヤが行きたいところなら、どこでも」

迷わず答えると、アヤはまた笑った。

「皐月さんて、本当に……」

そこまで言って、わたしの髪をくしゃくしゃと撫でる。

「本当に?」

「なんでもない」

そこまで言ったら、最後まで言ってほしいのに。

「前にもおなじこと言いかけたことあったよね。なに?」

「そうだったっけ?」

悪戯っぽく微笑んで、アヤはとぼけてみせる。

「葛志さんとのデートのときも、毎回そんなふうだったんだろうね。皐月さんは」

どうしていま、そんなことを言うのだろう。
ふたりきりでいるときは、葛志のことなんて聞きたくないのに。
テンションが下がってしまったわたしの気持ちを察したのか、アヤもバツが悪そうにわたしの髪から手を離した。

「ごめん。ボクってデリカシーがないな」

そんなんじゃない、と言いたかったけれど、胸の中が重たくなってしまって口に出すことができなかった。
アヤはわたしとこうしてデートしているのに、どんな気持ちで葛志の名前を出したのだろう。
少しは葛志の存在を気にしていると、嫉妬に似た気持ちを抱いてくれていると、そう思ってもいいのだろうか。

「そんな顔しないで」

そんな顔って、いまのわたしはどんな顔をしているのだろう。
きっと醜い顔をしているんだろうな、と思ったら、アヤの顔が見られなくなってうつむいた。

「罰として、ひとつだけ。どんな質問にも答えるよ」

アヤは本当に、後悔しているようだった。
驚いて顔を上げると、困ったようなアヤの微笑がそこにある。

「……どんな質問でもいいの?」

「うん」

本当に、どんなことでもいいのだろうか。
たとえば性別とか、本名とか。わたしへの気持ちとか。
そんなことを考えてしまう自分が、心底嫌になる。ついさっきまで、素性なんて知らなくてもいいと考えていたというのに。

アヤの素性やわたしへの気持ちを質問してもよかったけれど、そんなことをしたらいまのアヤとわたしのあいだにあるなにかが壊れてしまう気がした。
わたしには夫がいて、アヤは浮気相手。その関係は変わらないというのに、いまさらなにが壊れるというのか。

けれど、たとえばアヤと過ごす貴重な時間や、たとえばアヤが見せてくれる極上の微笑みや。
そんなものまで、壊してしまうような気がしたから。

だから、わたしはまったく関係のないことを質問した。

「アヤって、チョコのことに詳しいけど、それはどうして?」

そんな質問がくるとは思ってもいなかったのだろう。アヤは、目をぱちくりとさせる。

「そんな質問でいいの?」

「うん」

たぶん、アヤも自分の素性に関することを聞かれるとでも思っていたのだろう。
気が抜けたように、アヤはフッと笑った。

「チョコのことに詳しいかどうかはわからないけど。マスターがチョコレート好きでね。店の看板も『ショコラ』っていうくらいだから。マスターが話してくれたチョコの話を覚えてて……それだけだよ。マスターが話してくれたことは、他のことも全部覚えてる」

「アヤにとってマスターって、大切な人なんだね」

「そりゃあね。ボクを拾ってくれた人だから」

意味深なことを言って、アヤは少しだけ淋しげな笑みを見せた。
拾ってくれた人って、どういう意味なのだろう。
アヤには家族と呼べる人がいないのだろうか。
そういえば、アヤからはあまりそういった家族のにおいというか、そんなものが感じられない。

「海に行ってもいい?」

なにかを思い出したのか、そうでないのか、淋しげな微笑みのまま、アヤはわたしの顔を覗き込む。
コクリとうなずくと、「ありがとう」と言って、アヤはエンジンをかけた。

充分にあたたまった車の中、きれいなハンドルさばきで運転をする。
アヤの運転は、とても穏やかだった。
ゆっくりすぎるわけでもなく、けれど乱暴に急くようなわけでもない。
たとえるならば、一緒に乗っている人を大切にするような、そんな運転。

アヤは途中で、音楽をかけた。
流れてくる音楽はジャズやクラシックがごちゃまぜになっていて、それは普段アヤが運転するときに聞いているのだとアヤは話してくれた。

やがて海に着くと、アヤは車を停めて、ハンドルの上に腕を置き、その上に顎を乗せてしばらくのあいだ海を見つめていた。
こんなふうに物思いに耽るアヤを、わたしは初めて見た。

「海には、よくくるの?」

そっと尋ねてみると、アヤは前を向いたまま、「うん」とうなずく。

「休日には、季節を問わず来てるかな。誰かを連れてきたのは、これが初めてかもしれない」

その「初めて」がどうしてわたしなのか聞いてみたかったけれど、それがアヤのなにかを追い詰めてしまう気がして、ぐっとこらえた。
なにか別の話題、と考えたわたしは、そういえばと思い出してバッグの中から包みを出す。

「あの、これ……ゆうべ渡そうと思って買っておいたものなんだけど……クリスマスプレゼント」

アヤは海からわたしへと視線を移し、「ボクに?」と尋ねてくる。
そのアヤの薄茶色の瞳が、どこかすがりつくようなものだったから、わたしは笑顔を作ってみせた。
アヤがいつも、わたしにしてくれているように。
アヤがいま、なにを考えているのかわからないけれど、少しでもアヤの心が軽くなってくれるようにと思いながら。

アヤはやわらかく微笑むと、包みを受け取ってくれた。

「ありがとう。実はボクも皐月さんに、プレゼントがあったんだ」

「え? クリスマスプレゼントならケーキをもらったよ」

「それとは別にね。街に出たとき、ちょっと可愛いなって思ったものがあったから。皐月さんにどうかなって思って」

そう言うとアヤは、持っていた男女兼用のようなシンプルなバッグから小さな、クリスマス用に包装された袋を取り出し、渡してくれた。

「ありがとう……開けてもいい?」

「いいよ。ボクも、開けてもいい?」

「うん」

そしてお互いに、それぞれ受け取ったプレゼントを開けにかかる。
出てきた中身を確認して、わたしとアヤは同時に顔を見合わせた。
アヤが、嬉しそうに微笑む。

「すごい、偶然」

「ほんと」

わたしもつい、嬉しくなってしまう。

アヤがくれたものは、小さなチョコレートマカロンを模したケータイのストラップだった。
そしてわたしがアヤにプレゼントしたものは、本物のチョコレートマカロン。
ふたりとも、お互いへのプレゼントにチョコレートマカロンを選ぶだなんて、本当になんて偶然だろう。

「アヤって言ったらチョコレートだなって思って。ケーキがいいかなとも思ったんだけど、去年友達にもらったチョコレートマカロンが美味しかったのを思い出したの。賞味期限もけっこうあるし、口当たりが軽いからひとりでもわりと食べられるなって思って」

「じゃあ、一緒に食べようか」

そう言ってアヤは、箱を開けてマカロンをひとつ出し、わたしに渡してくる。
自分もひとつ取って、ふたりで「いただきます」をして同時に口に入れた。

「うん、確かに美味しい」

「でしょ? 美味しいよね」

美味しいものを、ふたりで分け合える幸せ。一緒に食べられる幸せ。
そんなことを、久し振りに思い出した。

わたしを見るアヤの瞳がもっと優しくなって、顎に手がかけられる。
触れるだけの、優しいキスが降ってくる。

あのカフェの二階の部屋以外でのキスなんて初めてで、妙に緊張して、同時におなじくらい興奮もしてしまう。
それはアヤも同じなのかもしれない。
二度目からは、いつもより少し激しいキスだった。

「アヤ、……好き……」

息を切らせながらのわたしの告白に、アヤはわたしの首筋にそっとキスをする。

「──皐月さんの身体に、アト、残せたらいいのに」

顔を上げたアヤの瞳が、切なそうに潤んでいる。

「皐月さんの全部、ボクのものにできたらいいのに」

そんなことを言うなんて、本当に今日のアヤはどうしたのだろう。
母親にすがりつく子供のようにも見える。

「──いいよ。全部、アヤのものにしても」

熱に浮かされたようにそう口にしてみると、アヤは切なげに微笑んだ。

「そんなこと、できるわけがない」

わたしには葛志という夫がいる。
そしてアヤには、人に素性を明かせない理由がある。
そのふたつがある限り、わたしがアヤのものになることは永遠にないのだ。

わかってはいるけれど、そんなにはっきり言わなくたっていいのに。
アヤはまるで、自分に言い聞かせているかのよう。

冬の海を背景に、アヤは何度もわたしにキスをした。
唇だけでなく、わたしの服を開いてアトを残さないように、身体のあちこちにも。

アヤの身体から放たれるチョコのような独特な甘い香りで、わたしのクリスマスはいっぱいになった。
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