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エクレア
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それから数日経っても、アヤのことが頭から離れずにいた。
洗濯をしているときも、料理をしているときも、お風呂に入っているときも
気がつけば、アヤのあのキレイな微笑みが頭の中を占めてしまっているのだ。
あれから夏美に何度も誘われているけれど、あのカフェに行くのは断っていた。
行けばわたしはアヤに目を引かれてしまうだろうし、心も惹かれてしまうことがわかっていたから。
もしも惹かれ続けてしまって好きになんてなってしまったら、それはわたしの中では浮気だ。
そうなったらもう、葛志に夜抱かれることなんて、できない。
なのにカフェに行かなくてもアヤのことを考えているなんて……これは既に、浮気に入ってしまうのだろうか。
──ううん、違う。
ぽかりとあぶくのように浮かんだその考えを、わたしは慌てて打ち消す。
そんなんじゃない……浮気なんかじゃない。
アヤは性別がわからない、わたしが今まで会ったことのない人間。
だから自然と興味が引かれるだけだ。ただ、それだけのこと──。
言い聞かせながらパスタを茹でていると、ふいに背後から声がかかった。
「今日はミートソースか?」
「きゃあっ!」
驚いて振り返ると、葛志がコートを脱ぎながら立っていて、眉をしかめた。
「なんだよ、悲鳴上げることないだろ」
「ごめん……いつ帰ってきたの?」
ほんとうに、気づかなかった。
「たった今。つか、チャイムも鳴らしたけど? なにか考え事でもしてたのか?」
「なんにも!」
訝しそうな葛志に急いでそう答え、ゆで上がったパスタをお皿に盛りつけ、ミートソースをかける。
テーブルの上に置いたとき、そこにケーキの箱が乗っていることに気がついた。
「これ……葛志が買ってきたの?」
「ああ。おまえ最近ぼうっとしてるだろ。疲れてるんじゃないかと思って……たまには甘いもの食えよ」
ぶっきらぼうに言っているけれど、そんな葛志の気持ちがありがたくて、そして申し訳がなくて……そっと目を伏せた。
「ありがとう。……この箱、エクレアが美味しいって評判のケーキ屋さんのだよね」
すると葛志は機嫌を良くしたように、声のトーンを上げた。
「そうそう。会社の同僚の女の子からそう聞いてさ、会社終わってからすぐ買いに行ったんだ。エクレア、最後の二個だったけどゲットできた」
「ほんと? 嬉しい、ありがとう」
夏美からもここのケーキ屋さんのエクレアは美味しいと聞いていたけれど、実際には食べたことがなかったから、素直に嬉しかった。
スウェットに着替えてきた葛志がダイニングに戻ってきたときには、サラダも並べてエクレアも箱から出して、二つのお皿に乗せておいた。
葛志は椅子に座ると、すぐにミートソースに手をつけ始めた。
……いつからだろう、いただきますなんて言ってくれなくなったのは。
ううん、葛志は昔からそうだったかもしれない。
高校時代から、手作りのお菓子をあげても、わたしが「美味しい?」と聞かなければ無言で平らげるだけ。
「男の人なんてそんなもんよ」
と夏美は言うけれど、本当にそうだろうか。
だとしたら男なんて、なんて味気のない生き物なのだろう。
ミートソースを食べ終えると、葛志はさっさと自分ひとりだけエクレアに手を伸ばした。
わたしのために買ってきてくれたのに? 一緒に食べようとなんて、思ってはくれないの?
それとも、こんなことを思うわたしが贅沢なのだろうか。
わたしがごはんを食べ終えるのを、彼は待ってくれたことがない。
「うわ、甘っ! でもこの上にかかってるチョコ、美味いな」
チョコ、と聞いて思わずドキリとしてしまう。
ビターチョコレートといいホローチョコレートといい、アヤとは二日間とも、チョコの話をした。
テレビでチョコの話題をやっていても、アヤのことを思い出すくらいだ。
……わたし、重症かもしれない。
葛志がエクレアを食べ終えて、お風呂に入りに行ったあと、ようやくわたしもエクレアにありつく。
確かに、美味しい。葛志が言った通り、このチョコの部分が特に。
だけど、どうしてだろう。──このエクレアは、涙の味がする……。
切なくて、虚しすぎて。わたしは本当に、涙を流してしまっていた。
どんなに美味しいと評判のエクレアも、独りで食べたって淋しいだけだ。
葛志がお風呂から上がれば、わたしもすぐにお風呂に入って、葛志に抱かれなければならない。
わたしが泣いているだなんて知られたら、葛志になんて言われるかわからない。
泣いている暇なんて、ない──。
わたしは急いでエクレアの残りを口の中に押し込み、手の甲で涙を拭う。
スカートのポケットの中に入れていたケータイが、着信を告げたのはそのときだ。
口の中に残っていたエクレアを、コップのお水で流し込み、電話に出る。
『皐月? わたしだけど』
夏美だ。
相手が夏美だとわかった瞬間から、わたしは彼女がなにを言うかを察していた。
『明日カフェに行かない? アヤが会いたがってるわよー、あんたに!』
「行く」
とっさに、そう答えてしまっていた。
浮気なんかじゃない。会うだけ。会って、ちょっと話すだけ。
アヤはわたしにとって、オアシスのような存在なのだ、きっと。
「行くよ、カフェに」
だからこんなにも、心がアヤを求めてしまうのだ。
そう、自分に言い聞かせて。
洗濯をしているときも、料理をしているときも、お風呂に入っているときも
気がつけば、アヤのあのキレイな微笑みが頭の中を占めてしまっているのだ。
あれから夏美に何度も誘われているけれど、あのカフェに行くのは断っていた。
行けばわたしはアヤに目を引かれてしまうだろうし、心も惹かれてしまうことがわかっていたから。
もしも惹かれ続けてしまって好きになんてなってしまったら、それはわたしの中では浮気だ。
そうなったらもう、葛志に夜抱かれることなんて、できない。
なのにカフェに行かなくてもアヤのことを考えているなんて……これは既に、浮気に入ってしまうのだろうか。
──ううん、違う。
ぽかりとあぶくのように浮かんだその考えを、わたしは慌てて打ち消す。
そんなんじゃない……浮気なんかじゃない。
アヤは性別がわからない、わたしが今まで会ったことのない人間。
だから自然と興味が引かれるだけだ。ただ、それだけのこと──。
言い聞かせながらパスタを茹でていると、ふいに背後から声がかかった。
「今日はミートソースか?」
「きゃあっ!」
驚いて振り返ると、葛志がコートを脱ぎながら立っていて、眉をしかめた。
「なんだよ、悲鳴上げることないだろ」
「ごめん……いつ帰ってきたの?」
ほんとうに、気づかなかった。
「たった今。つか、チャイムも鳴らしたけど? なにか考え事でもしてたのか?」
「なんにも!」
訝しそうな葛志に急いでそう答え、ゆで上がったパスタをお皿に盛りつけ、ミートソースをかける。
テーブルの上に置いたとき、そこにケーキの箱が乗っていることに気がついた。
「これ……葛志が買ってきたの?」
「ああ。おまえ最近ぼうっとしてるだろ。疲れてるんじゃないかと思って……たまには甘いもの食えよ」
ぶっきらぼうに言っているけれど、そんな葛志の気持ちがありがたくて、そして申し訳がなくて……そっと目を伏せた。
「ありがとう。……この箱、エクレアが美味しいって評判のケーキ屋さんのだよね」
すると葛志は機嫌を良くしたように、声のトーンを上げた。
「そうそう。会社の同僚の女の子からそう聞いてさ、会社終わってからすぐ買いに行ったんだ。エクレア、最後の二個だったけどゲットできた」
「ほんと? 嬉しい、ありがとう」
夏美からもここのケーキ屋さんのエクレアは美味しいと聞いていたけれど、実際には食べたことがなかったから、素直に嬉しかった。
スウェットに着替えてきた葛志がダイニングに戻ってきたときには、サラダも並べてエクレアも箱から出して、二つのお皿に乗せておいた。
葛志は椅子に座ると、すぐにミートソースに手をつけ始めた。
……いつからだろう、いただきますなんて言ってくれなくなったのは。
ううん、葛志は昔からそうだったかもしれない。
高校時代から、手作りのお菓子をあげても、わたしが「美味しい?」と聞かなければ無言で平らげるだけ。
「男の人なんてそんなもんよ」
と夏美は言うけれど、本当にそうだろうか。
だとしたら男なんて、なんて味気のない生き物なのだろう。
ミートソースを食べ終えると、葛志はさっさと自分ひとりだけエクレアに手を伸ばした。
わたしのために買ってきてくれたのに? 一緒に食べようとなんて、思ってはくれないの?
それとも、こんなことを思うわたしが贅沢なのだろうか。
わたしがごはんを食べ終えるのを、彼は待ってくれたことがない。
「うわ、甘っ! でもこの上にかかってるチョコ、美味いな」
チョコ、と聞いて思わずドキリとしてしまう。
ビターチョコレートといいホローチョコレートといい、アヤとは二日間とも、チョコの話をした。
テレビでチョコの話題をやっていても、アヤのことを思い出すくらいだ。
……わたし、重症かもしれない。
葛志がエクレアを食べ終えて、お風呂に入りに行ったあと、ようやくわたしもエクレアにありつく。
確かに、美味しい。葛志が言った通り、このチョコの部分が特に。
だけど、どうしてだろう。──このエクレアは、涙の味がする……。
切なくて、虚しすぎて。わたしは本当に、涙を流してしまっていた。
どんなに美味しいと評判のエクレアも、独りで食べたって淋しいだけだ。
葛志がお風呂から上がれば、わたしもすぐにお風呂に入って、葛志に抱かれなければならない。
わたしが泣いているだなんて知られたら、葛志になんて言われるかわからない。
泣いている暇なんて、ない──。
わたしは急いでエクレアの残りを口の中に押し込み、手の甲で涙を拭う。
スカートのポケットの中に入れていたケータイが、着信を告げたのはそのときだ。
口の中に残っていたエクレアを、コップのお水で流し込み、電話に出る。
『皐月? わたしだけど』
夏美だ。
相手が夏美だとわかった瞬間から、わたしは彼女がなにを言うかを察していた。
『明日カフェに行かない? アヤが会いたがってるわよー、あんたに!』
「行く」
とっさに、そう答えてしまっていた。
浮気なんかじゃない。会うだけ。会って、ちょっと話すだけ。
アヤはわたしにとって、オアシスのような存在なのだ、きっと。
「行くよ、カフェに」
だからこんなにも、心がアヤを求めてしまうのだ。
そう、自分に言い聞かせて。
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