蠍の舌─アル・ギーラ─

希彗まゆ

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果てまで

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 その休日、学校は賑わっていた。
 校庭ではバザーや生徒達による飲食店が開かれ、ブラスバンドの演奏をバックにダンス部の踊りが披露されている。
 校内での催し物の案内アナウンスがひっきりなしに流れ、体育館では演劇部が劇を上演中だ。
 文化祭は十一月頭から三日間行う予定だったが、殺人事件が立て続けに起きた上、生徒である風紀委員長とその弟が死んだ。そのふたり元々の存在に影響力があったため、生徒達には大事件だった。
 結局二週間ほど延期され、今は十一月中旬の土曜日だ。明後日の月曜日がちょうど休日だから、その三連休を使っての少し遅い文化祭だった。



「サリア、ぼくはお前をなぜ憎んだか? お前がいない今、お前を殺してしまった今、こうしてようやく分かるなんて ─── ようやくお前を好きだと思い出すなんて!」

 演劇部員が『蠍の舌』を熱演している。劇の最後、弟のアシュラムが自らに蠍の舌を使った場面だ。
 観客は大入りで、全員がかたずを呑んで見入っている。既に泣いている女生徒もいた。もしかしたら、双子のどちらかに憧れていた生徒かもしれない。

「サリア、サリア。お前を殺した蠍の舌で、ぼくは自らに罰を与えよう。これはお前を憎んだ罪、殺した罪。蠍の舌など本当はいらなかった。
 サリア、 ─── 兄さん。
 兄さんはぼくを許してくれるだろうか?
 昔のように仲良くなれるだろうか?
 ぼくは思い出を抱いていく、だからどうか……どうか…… ─── 」

 アシュラム役の部員が、床に倒れ伏していた格好のままそうして声を途絶えさせる。
 舞台は暗転し、幕がおりる。
 劇はそれで終わりだった。
 たちまち割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。

「ありがとう。却下を取り下げてくれて」

 体育館の壁を背に、立ったまま見ていた彩乃が言った。舞台には参加しなかったらしい。つきあって隣に立っていた凪生徒会長が「とんでもない」とかぶりを振る。

「きっとあの二人も喜んでると思うわ。……でもやっぱりこうして見ると、文系のウルウより理数系のタツミは台詞の書き方がヘタね」

 すぐそこに双子がいるかのように、彩乃は弟達をからかう。凪はそんな彩乃の横顔を見た。一番深い傷を受けているはずの彩乃は、北海道から戻ってきた三人のうちで一番落ち着いているように見えた。

「でも、少し淋しいわね」

 彩乃は微笑する。

「舞台でもひとり、現実でもひとりになっちゃったわ」

 すると凪は珍しく、坂本のようにからかうような笑みを浮かべた。

「舞台は舞台。現実のあなたには、あなたのそばにいたいという男がちゃんといますよ」
「そうかしら? 慰めなら ─── 」

 言いかけて、彩乃は気付く。まさかという視線に凪は「どうですか」というふうにちょっと首を傾げてみせた。生徒会長はなかなかに茶目っ気があるらしい。

「やだ ─── あたしウルウ以外、年下を好きになったことないのよ」

 面食らいながら、彩乃。でも凪はそんなことではくじけない。

「たった二ヶ月の差が、なんです」
「……二ヶ月?」
「彩乃さん三月生まれでしょう。おれは五月始めです。二ヶ月なら同級生で充分通りますよ」
「よく知ってるわね、部長が喋ったの?」

 彩乃は苦笑する。

「気持ちの整理に時間がかかると思うわ、それでも?」
「それも計算のうちです」
「 ─── あなた、政治家になれるわ」

 彩乃は笑おうとして、少しだけ涙ぐんだ。


 ◆


「結末、『双子仲良く』に変えなくてよかったのかな」

 生徒会室の窓から体育館のほうを見下ろしながら、結珂がぽつんとつぶやく。さっき一回目の上演を、坂本と見てきたばかりだ。
 その坂本はというと、さっきから椅子に腰掛けて映画研究会の出し物をチェックしている。結珂の言葉を聞いて、それでも一応返事をした。

「いいんだよ、あれはあくまで劇なんだから。本当のことはおれ達が分かってればいいんじゃねえか」

 あの日から彼は、普段通りの行動を取っていた。双子の葬式の次の日からは、もう学校でいつものように結珂をからかったり、友達の面倒を見たり。
 でも、どこか違うと結珂は思った。
 どこか ─── それがどこなのか分からないけれど……。

「坂本、ちょっとこっち向いて」

 窓から離れた結珂、振り向いた坂本の顔を正面からじっと覗きこむ。

「おれの目があんまり綺麗だから見惚れちゃう?」
「そうか。目の輝きが足りないんだ」

 ふざける坂本に構いもせず、やっと結珂はそのことに気づいた。

「は?」
「だってあんた普通にふるまってるんだもの、そんなんじゃショック受けてるんだって一見分からないじゃない。こうしてちゃんと目を見ないかぎり」

 ぽかんと結珂を見る、坂本。しかしすぐに切り返す。

「お前だって毎日やけに明るいじゃねえか。もしかして空元気だろ」
「仕方ないでしょ、あんたがそんなに落ちこんでるんだもん」
「ばか、おれは別に…… ─── ふうん」

 ふと、坂本は気付いたようににやりと笑う。

「空元気だったのおれのため?」
「や、やだ違うわよ!」

 なぜか結珂は慌てる。

「つらいはずのあんたが平気なふりばっかしてるからっ……そ、そういえばしばらく目が赤かったの文化祭の書類準備で徹夜とか言ってたけど、ほんとはひとりで泣いてたんでしょっ?」
「……なに、言ってんだ。お前」

 驚いた坂本は、とたんにばつが悪そうに顔を背けた。意外なことに赤くなっている。
 結珂は思いがけない一面を発見し、面白くなって目を輝かせた。

「なーんだ、坂本って本当は全然普通の男の子なんだ! 分かってよかった、もう恐くないわよ」
「……ほんとに?」

 ふんふん鼻歌を歌いだそうとした結珂に、ふいに坂本は手をのばした。抵抗する間もなく抱きしめられる。かなり近い距離、正面から見すえられた。坂本の表情は、今度こそもういつもの「からかい顔」に戻っている。

「ほんとに恐くない?」
「……その距離だとまた話は別かも……」

 やばいと思ったが、でも前のようにイヤだとは思わなかった。振りほどこうとしない結珂に、坂本は急に尋ねる。

「………お前、達弥のこと今も同じ気持ち?」

 聞かれて初めて結珂は思い出した、自分が達弥に憧れていたのだと。
 いつからか、 ─── 北海道に行く前から坂本と一緒にいる間に ─── その気持ちを忘れてしまっていた。
 なんとなく罪悪感を覚えて、結珂はうつむいてしまう。

「あたし……友達としてなら、すごく好きだった。ううん、今だってそう。閏くんも達弥くんも、同じくらい」

 結珂は思い出す。
 彼女は双子が憎みあっていたことしか知らない。見たことがない。それが哀しかった。

「達弥くんと閏くんのこと考えると、今も哀しい。あたし、ふたりが信頼しあってるとこちゃんと見たかったもの」

 坂本はちょっと黙ってから、こう言った。

「お前は見てるよ、あいつらが信頼しあってた証拠。あいつらが今まで誰にも気付かれずに入れ替わりを続けてた、そのことだ。
 達弥が最後に言ってただろ、昔しょっちゅう入れ替わって遊んでたってさ。お互いに好きなものも考え方も全部分かってた、それだけ信頼しあってたって、あいつ自身がそう言ってた。
 あいつもたぶん気付いてなかっただろうけど、今まで入れ替わり続けることができたのだって結局はどこかで信頼しあってたからだ。じゃなきゃすぐおれや凪が見破ってたぜ」

 結珂は坂本を見上げる。静かな瞳が、そこにあった。
 双子が、親友ふたりがいなくなってから、坂本はそうやってひとりでやるせなさに決着をつけたに違いない。
  ─── なんて強いんだろう、
 そう思うと胸が不思議にあたたかくなって、そして心が軽くなっていくのがわかった。
 これで双子のことを考えることがあっても、もう哀しくない。きっと優しい気持ちで思い出すことができるだろうと思うと、涙が出てきそうだった。
 しばらく坂本は黙っていた。結珂の気持ちを考えて、そうしていたのかもしれない。けれどやがて、甘い笑みを浮かべた。

「幡多。おれとつきあわない?」

 突然の台詞に、結珂は驚いて目を見開く。本当にいきなり、何を言うのだろう。

「な、……なんで?」
「好きだから」

 恥ずかしげもなく、坂本は告白する。結珂のほうが赤くなってしまう。

「嘘よ……だっていつも意地悪だった」
「好きだったから」

 微笑んでいる坂本の目は真剣だ。

「お前、おれが好き?」

 見上げていると吸いこまれそうになって、つい結珂はうなずいてしまった。
 次の瞬間はっと我に帰った結珂だが、もう遅い。坂本の目が悪戯っぽく光ったところだった。

「あ、あ、待って今の ─── 」

 結珂の言葉が途中で切れる。
 からかうように、でも優しく。
 坂本らしい、キスだった。


 ◆


 そして文化祭は盛況のうちに終わりを迎える。
『蠍の舌』の台本は三日目の後夜祭で生徒会長の指示により潔く焼かれた。
 全部、一冊残らず。
 今年の上演を最初で最後にした理由を生徒会長は、

「親友達への追悼です。最初にするのも、最後にしたのも」

 と言ったそうだ。
 正しい判断だと結珂は思う。
 だって蠍の舌など必要ないのだ。
 あの双子にも、ほかの誰にも。
 もう必要ない。これからも。

「叔母さん、あの別荘は手放さないってさ。思い出がいっぱいつまってるからって。冬休みになったらまたいつものように彩乃さんと、親しい友達を連れてこいって言ってるんだ」

 屋上から賑やかな校庭を見下ろしながら、坂本は言う。

「凪も行くぜ、お前も来いよ。きれいなところいっぱい見せてやる」
「きれいなところ?」

 夜風が冷たいけれど、坂本に抱かれている結珂はちっとも寒くない。うっとりとすら、している。

「冬だから花はないけど、森はすごく綺麗だ。枯れ木に雪が積もるだろ、お前きっと泣くぜ」
「そんなにきれい?」
「雪景色がずっと続いてるんだ、……果てまでだぜ。ずっと、ずっと…… ─── 」

 気が遠くなるほど真っ白に、
 雪の地平線が続いているのだという。

 本当に永久に。
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