蠍の舌─アル・ギーラ─

希彗まゆ

文字の大きさ
上 下
22 / 35

月を待つ

しおりを挟む
 真夜中を、もう過ぎただろうか。
 腕時計はあるのに見る気になれない。手を挙げることすら億劫だ。

「…………」

 別荘の庭、 ─── 今は降りしきる雪が積もってすべての植物が白く覆われている。
 初夏にバルコニーからここを見下ろすと、花が一斉に咲いてそれは美しい景色だった。
 閏は傘もささず、雪を全身に受け止めていた。コートも着ずに、本州から出てきたままの格好だ。

 しん しん しん

 雪が降っている。思い出ではなく、本当に。あの日も、……こんなに降っていただろうか。こんなに激しく降っていただろうか。
 頬が痛いのは寒いせいだろう、けれど実際にそうとは感じない。寒さを感じない。

 閏は月を待っていた。
 じっと曇天を見上げて、やがてこの雪が降り止む瞬間を、雲が晴れてあの白皙の星が輝きを落とすのを待っていた。
 月が現れたら、きっと待ち人もやってくる。そんな気がする。否、確信すらある。

 ふと、閏は苦しげに瞳を伏せた。
  ─── あんなことがあった場所なのに。すべての悲しみが始まった場所なのに。

(どうして楽しかったことばかりを思い出すんだろうな)

 幸せだったことを。懐かしく美しい思い出だけを。

  ─── もし、この先何十年も経って、自分ももうひとりもそれぞれに死ぬ時がきたら。

(その時に、その瞬間に、この美しく懐かしい同じ思い出を抱いていたとしたら、おれ達はきっと心底では許しあっていた)

 そして、閏は自嘲するように微笑んだ。

  ─── そんな都合のいい夢は、

(きっとおれしかみていないだろう)

 涙が落ちる。
 そんな想像には、悲しみには、とうに慣れていたはずなのに。

  ─── 涙が落ちる。

 知らぬ間に。
 とめどなく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

【毎日更新】教室崩壊カメレオン【他サイトにてカテゴリー2位獲得作品】

めんつゆ
ミステリー
ーー「それ」がわかった時、物語はひっくり返る……。 真実に近づく為の伏線が張り巡らされています。 あなたは何章で気づけますか?ーー 舞台はとある田舎町の中学校。 平和だったはずのクラスは 裏サイトの「なりすまし」によって支配されていた。 容疑者はたった7人のクラスメイト。 いじめを生み出す黒幕は誰なのか? その目的は……? 「2人で犯人を見つけましょう」 そんな提案を持ちかけて来たのは よりによって1番怪しい転校生。 黒幕を追う中で明らかになる、クラスメイトの過去と罪。 それぞれのトラウマは交差し、思いもよらぬ「真相」に繋がっていく……。 中学生たちの繊細で歪な人間関係を描く青春ミステリー。

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

どんでん返し

井浦
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

現 ─うつつ─

きよし
ミステリー
──この、今見ている景色が夢なのか現実なのか、明確に判断することは可能だろうか。 ある十六歳の少年は、父親のお盆休みに家族四人で父の実家に向かっていた。 実家は長野県松本市にあり、父の運転する車で観光を楽しみながらの旅であった。 平和そのものの日常は、ある宿場町を過ぎた辺りで一転する。 現実か夢か、戸惑う少年は、次第に精神的に追い詰められていく。 本作はフランツ・カフカの「変身」に着想を得て、なにか書けないかとプロットを考えてみたのですが、上手くまとめられませんでした。 「変身」では朝起きると毒虫に変化していたので、知っている人に変わる、知らない人に変わる、小動物に変わる、等など考えてみたのですが、よくある設定で面白くない。よくある設定でおもしろいもの、と思い出来上がったのがこのお話です。 今までとは違うものを書きたかったので、そこはクリアできているとは思います。 面白いかの判断は読んでくださった皆さんが決めることでしょう。 お口に合えば幸いです。

処理中です...