蠍の舌─アル・ギーラ─

希彗まゆ

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憎み合う双子

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   ◆

「ああ、違うよそうじゃない!」

 声が上がり、少年ふたりの動きが止まる。照明が消えてかわりに電気が点き、体育館は明るくなる。見ていた演劇部員達がざわざわ喋り始めた。
 ひとりの少年が椅子から立ち上がり、舞台に歩み寄ってくる。彼は台本を持って、しかし慣れぬ感じで指示をした。

「ごめん、中断させて。でもここはもっと……憎しみをこめてほしい。アシュラムはいつもサリアを恨んでいるんだ。彼と会話する時は、いつも殺す勢いで」

 熱心な彼の様子に、舞台に立つ部員ふたりも神妙に聞いている。

「よし、ちょっと休憩しようか」

 演劇部長の声に、部員達はそれぞれに自由行動を取り始める。今は十月下旬で、文化祭は十一月のはじめ。もう間近い。体育館を使った稽古もあと何回も出来ないから、どうしても練習もはりつめたものになる。

「だけどおれなんかが書いた物語で大丈夫かな」

 指示を下していた少年は、心配そうに部長を振り返る。小太りで眼鏡をかけた演劇部長は「ミニチュア版映画監督」といった感じで、初対面の者は必ずといっていいほど吹き出さずにいられない。
 演劇部長は、少年の肩をぽんとたたいた。

「心配するなよ、早瀬(はやせ)。なんたって彩乃(あやの)さんのご推薦だ。いいよなあ、頭のいい美女が従姉でおまけに一緒に住んでるなんてさ」
「からかうなよ。戸籍上では姉弟だぜ」
「それでもいいなあ。うちの姉貴なんか弟を顎でこき使うんだぜ」

 演劇部長のぼやきに、閏(うるう)は思わず苦笑してしまった。
 早瀬閏は、本当は帰宅部だ。なのに何故彼がこんなところで監督もどきをやっているかというと、彼が書いて引き出しにしまっておいた物語を、彼の姉であり従姉である早瀬彩乃が見つけてしまったことから始まる。

 彼女は何かにつけて閏びいきだったが、その物語自体もえらく気に入ったらしく、早速演劇部長に「文化祭の出し物にどうか」と推薦したのである。
 もっともいくら花形の意見といえど、出し物を彼女ひとりの意見で決めるわけにはいかず、一応自分も目を通したのだが、演劇部長本人も気に入ってしまった。これを演ったら大好評間違いなし、と踏み切ったのだ。

「お」

 部長は入り口を見やり、閏に耳打ちする。

「『彼女』二号だぜ。さし入れじゃないの?」

 見ると、クラスメイトの幡多(はた)結珂(ゆいか)が包みを持ってきょろきょろしている。

「よせよ」

 いらぬ噂を立てられては結珂にも迷惑だ。慌ててそう言った閏を、結珂は見つけた。微笑んで駆け寄ってくる。

「閏くん、サンドイッチ持ってきたわよ。お腹空いたでしょ?」

 今はもう七時近くで、昼にお弁当を食べてから六時間近く過ぎている。閏は素直に包みを受け取った。

「ありがとう。あとで金払うよ」
「いいよ、手作りだもの」

 ピュッと誰かが口笛を吹く。結珂と一緒にやってきたらしい、親友の坂本(さかもと)だった。

「羨ましいね、独り者には堪えるぜ」
「年中女に苦労してないお前に言われてもピンと来ないな」

 やり返しに肩を竦める坂本に、閏は尋ねる。

「生徒会副会長が何の用だよ?」
「そうそう、今まで会議だったんだけど」

 結珂がかわりに説明する。彼女も一応生徒会役員なんてものをやっているのだ。

「前から言ってたでしょ、演劇部の出し物が文化祭に相応しいかどうか関係者が最終調査にくるって」
「で、もう時間もないし急で悪いんだけどさ、今からくるから」

 坂本がつけくわえる。
 脇で聞いていた部長が、その言葉を聞いて「本当に急だよ!」とうめくように言った。パンパンと手を叩いて部員達の注意を引き付けると、

「今から最終調査だ! 生徒会会長や実行委員長が来るから急いで準備して!」
「えーっ」
「そんな、いきなり!」

 悲鳴を上げながらも部員達は急いで駆けずり回る。なんとか準備が終わる頃、体育館に十人ほどの生徒が入ってきた。
 先頭にいる少年が生徒会会長、凪(なぎ)有(あり)博(ひろ)だ。後ろには実行委員長や放送委員長など、いわゆる「幹部」が揃っていた。
 彼らが舞台を見て全員が「問題なし」と判断すれば出し物はこれで進めても大丈夫だ。もし「不適当」と判断されれば、急遽ほかのものに変更される。その場合の出し物は演劇部の十八番、「鶴の恩返し」になるはずだ。

 凪は坂本を見つけ、何か喋っている。サンドイッチを頬張りながら台本を見直す閏を見ていた結珂は、「幡多」と呼ばれて振り向いた。
 生徒全員から畏れられ尊敬される、風紀委員長が立っている。何を隠そう彼は閏の双子の兄で、眼鏡を取って前髪をおろし、顔の相好を崩せば弟に瓜二つだ。身長も声も何もかも同じ。ただ、その顔つきと性格は決定的に違っていた。

「隣に座れ」

 そして厳格な彼は何故か、結珂には優しかった。……多少強引なところもあったが。

「行くなよ」

 小さいが強い意思を込めた言葉に、結珂は驚いた。サンドイッチを食べ終え、閏が台本から顔を上げている。声は結珂にかけられたはずだが、視線は兄の元にあった。警戒した目つきで、しかしどこか哀しそうだ。
 兄 ─── 達(たつ)弥(み)は明らかに気分を害したはずだが、表面には出さなかった。冷静な彼は、こんな場面でも変わらない。……例えそれが、世界中で一番憎んでいる双子の弟相手であっても。

「幡多。こっち来いよ」

 冷汗をたらした結珂に、思わぬ助け船。凪のそばから離れ、坂本が椅子に腰掛けたところだった。ぽんぽんと隣の椅子を叩く。
 結珂は実を言うと、坂本とはあまり仲良くない。どうしてか、何かというとからかわれるからだ。
 けれどこんな事態では他に選択はない。双子のどちらかを選んで空気をますます険悪にするよりは、ずっとましだった。

 急いで駆け寄り、椅子に座る。
 閏と目が合った。
 すまなそうに目を伏せる結珂に、閏はふっと笑う。

「気にすんなよ、そんな顔されるとこっちも困っちまうから」

 肩を竦める。

「サンドイッチ、うまかった」

 そしてもうふっきったように踵を返し、舞台近くの椅子へ場所を変える。

「八方美人が」

 坂本の向こうの席から、やや低めの声。眼鏡の向こうの切れ長の瞳は、わずかに細くなっている。
 彼のこの冷徹な仮面が崩れるところを、結珂は見たことがない。恐らくこれからもないだろう。

「お前らって絶対間違えられない双子だよな」

 こんな場面で彼らをからかえるのは、彼らの幼なじみで親友の坂本しかいない。

「閏と達弥、二度目に会った時には誰でも区別がついてるもんな」
「黙れ」

 冷たい声にも坂本は肩を竦めただけだ。

「親友にも厳しいのね、達弥ちゃん」
「坂本、言い合いはやめろ。そろそろ始まるぞ」

 苦笑しながらいさめて、結珂の左隣に腰を下ろしたのは生徒会会長だ。

「題名はなんだったかな?」
〈今から演劇部の出し物をご披露致します〉

 タイミングよく、アナウンス係の声が館内に響き渡る。

〈今年は趣向を変えまして、舞台は異国。憎みあう双子の悲劇 ─── 『蠍の舌(アル・ギーラ)』。はじめます〉

 体育館が暗くなる。かわりに舞台が明るくなり、劇が始まった。ファンタジーということだったが衣装も背景もとてもよくできている。そして何よりも演劇部員の全員がこの劇に入れこんでいるということが、彼らの熱演で分かる。本番のような気合の入り方だ。

「いいぞ」

 離れたところに座っている演劇部長が、部員の熱心な様子に小声でつぶやいた。そのときである。

 ガタン、

 強く椅子を蹴る音が館内に響いた。舞台の部員達はそのまま演技を続けたが、他の者はみな音のほうを向いた。

「くだらん」

 冷たい表情で冷たく言った、彼 ─── 早瀬達弥。眼鏡の向こうの瞳が氷のようだ。

「こんな舞台見たくもない。おれは反対だ」
「えっ ─── 」

 演劇部長が青くなる。風紀委員長と文化祭、関係がないようで実はある。風紀委員長、つまり「学校の風紀を乱す展示」と判断を下す役目 (特権とも言う) を持つ彼が「この舞台は反対」と言った、それは重要な意味を持つ。

 まず会議にかけられるだろう。そして彼は自分の意見が通らない場合、強行手段に出るのだという。彼は常に何らかの切り札を持っていて ─── それが彼が恐れられている理由のひとつだ ─── それをかざし、再度検討を促す。今までにそれで彼の思い通りにならなかったことはない。

「あ、あのちょっと」

 すたすたと体育館を出ていく風紀委員長に、演劇部長は取りすがろうとする。「舞台終わって!」と急いで指示を下し、更に追いかける。

「どこが悪かったか教えてくれよ! この劇は別に風紀を乱す内容じゃないぜ!」
「内容がくだらない。 ─── どこの能無しが書いたか知らないが」

 ちらりと視線を動かす。舞台に近い席から立ち上がった閏と一瞬合う。怒りのこもった弟の瞳を認め、すぐに彼は目を前に戻した。
 演劇部長が再度、勇気を奮う。

「彩乃さんの推薦なんだぜ」

 ところがそれがかえって達弥の怒りに拍車をかけた。ぎっと演劇部長をにらみつける。

「だったら尚更だ」

 すくんでしまった彼から生徒会長へと視線を移す。

「会議だ、生徒会長」

 明るくなり始めた館内に、風紀委員長の声が響き渡る。出ていく彼の背を見つめ、「やれやれ」と坂本が肩を竦めた。
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