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はちみつバレンタイン(プチ続編)

脅迫

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それから午前中いっぱい使って、それまでの仕事を頑張って終わらせると、それまで椅子に座ってわたしや静夜を交互に見ていた椎名社長は、んーっとのびをして立ち上がった。
それまでわたしの仕事ぶりを見ているだけでなく、自分もちいさなノートパソコンを持ち込んで、いろいろ仕事をしていたようだ。

「なるほどねえ。簡単な仕事はではあるけど、一応ちゃんとできるんだね」

わたしのパソコン画面を見つつ、椎名社長。
その口ぶりが、いちいちカンに障るけれど。
椛さんの従弟でもあり「イタズラ仲間」でもある椎名社長に、仕事ぶりを認められたことは、素直にうれしい。

「じゃ、ちょうどお昼だし、約束どおり食事にいこっか、りん子ちゃん」

そして、わたしは椎名社長に車で連れられて、高級料亭の個室にふたりで入った。
おなじ社長秘書だし、

「静夜は一緒にこないの?」

とも聞いたのだけど

「元々椎名社長はおまえにご挨拶に見えたんだろう。しっかりお相手をしてこい。椛社長の従弟なら、信用できるだろうしな」

相変わらずクールにそう言って、ひとり社食に行ってしまった。
椎名社長の秘書の新田(にった)さんは、来るときに運転をしてくれていたはずなんだけど、この個室には入ってきていない。
どこかで待ってくれているんだろうか。

「あの、新田さんは……?」

一応尋ねてみると、

「新田は愛妻弁当があるから。車の中で食事中のはずだよ」

なるほど、愛妻弁当……。
わたしも椛さんに、愛妻弁当を作ってあげたりしたいな。
椛さんは、一緒に食事をしているときに見ている限りでは好き嫌いはないみたいだし、作り甲斐もありそう。
なんて妄想に耽っていると、

「で、りん子ちゃんはいつから浮気してるの?」

突然爆弾を落とされて、食べていた白ごはんをごくんと丸飲みしてしまった。

「寝屋川静夜くん、だっけ?」

ニヤニヤと、実に楽しそうな椎名社長。

「う、浮気なんかしていませんっ!」

「でもずいぶん親しげに近づいてたよね? 話し方だって親密そうだし」

「静夜とは、小学校のときからの同級生で……腐れ縁なだけです。朝、静夜がわたしに近づいていたのは……」

ええい、恥ずかしいけど仕方ない。
背に腹は代えられないっ!

「も、椛さんがつけたキスマークを……静夜がファンデーションで、隠してくれていたんです。わたし、キスマークの隠し方知らなかったから……」

口にしただけで、ゆうべの椛さんとの情事が脳裏によみがえってきた。
とたんに、じゅわっと顔が熱く火照ってしまう。

「あの椛が、キスマークをねえ。信じられないな」

「え?」

まだ熱い顔を上げると、椎名社長は座椅子から立ち上がって、わたしの隣までやってきた。

「椛は4年くらい前から、絶対にキスマークなんか残さなくなってたんだけどなあ。……あ、ほんとだ。うまく隠れてるけど、これ確かにキスマークだね」

指先で、つっと首筋……椛さんがつけたキスマークのあたりに触れられて、反射的に、ビクンと身体が反応してしまった。
椎名社長が、楽しげに笑う。

「あはは、りん子ちゃんて感度いーんだ? 椛の唇の感触、思い出しちゃった?」

「……ほっといてください。それより食事の続き、食べませんか?」

恥ずかしすぎて、多少ぶっきらぼうな言い方になるわたしの肩を椎名社長は抱いて、ぐいと自分のほうへと抱き寄せた。
椛さんのバニラの香りとはまったく違う、ミント系の香りがする──椎名社長。

「食事より、りん子ちゃんが食べたいな、俺」

「な……なんの冗談、ですか」

「冗談でもなんでもないんだけど」

この人、いったいなに考えてるの……!?

「わ、わたし……椛さんの……あなたの従兄の妻、なんですけどっ……!」

「うん、知ってる。だけど、それがなに?」

くすくすと、楽しそうに笑う椎名社長。
そんな笑い方までどこか椛さんと似ているものだから、なんだか癪(しゃく)に触ってくる。
そして椎名社長は、わたしに顔を近づけて言った。

「昔から椛は、自分の彼女に俺が手を出しても怒ったことがないんだよね」

「だから……わたしに手を出しても、大丈夫だって……そう言うんですか……?」

「まあ、そういうこと」

静夜って、絶対人を見る目がない。
この人、ぜんぜん信用なんかできないじゃない……!
わたしは、思い切り両腕を突き出して椎名社長の身体を押しのけようとする。

「椛さんは、そんな人じゃありません!」

「どうしてそう言い切れるの?」

「だってわたしは、」

「りん子ちゃんが、椛の奥さんだから? だから、過去の女とは違うって? どうしてそう言い切れるの?」

矢継ぎ早に言われて、一瞬なにも言えなくなってしまう。
だって、わたしと椛さんのあいだには、たくさんの人の絆が育んできてくれた、愛がある。
千春先生や、ナナシさんや、そういった人たちが育んできてくれた、絆。
わたしと椛さんの愛は、その絆で支えられているんだ。
だけど、それをこの場でどう説明したらいいのかわからない。
たとえば言えたとして、わたしが言ってもこの人には理解してもらえないだろう。そんな気がする。
この人は……椎名社長は、なにか……人間としてなにかが、欠落している。
そんな気がして。

……椛さんが説明してくれたら、話は別、なのかな。
この人からは、なんとなく……椛さんのこと、すごく大好きっていうオーラが伝わってくる……気が、する。
かなりねじまがったオーラでは、あるとも思うけれど。

「ま、いーや。めんどくさい」

椎名社長はわたしの身体を離すと隣にあぐらをかき、日本酒の瓶を取り上げてコップに注いだ。

「じゃあこのお酒、一杯だけ飲んだらこの場はもうりん子ちゃんに手を出さない」

「え、でもわたし……、」

お酒はちょっと、あまり……というか、かなり苦手なのだけれど。
飲めることは飲めるけど、酔いやすいし。
なにより中学時代の静夜との苦い思い出があったから、いままで極力お酒はさけてきたのだ。

「それとも、俺のお酒は飲めないとでもいうの?」

「そ、れは……」

戸惑うわたしに、椎名社長はとどめのひと言。

「俺がすすめたお酒を、りん子ちゃんは飲んでくれなかったって椛に言いつけたら……椛、怒るだろうなあ。椛、俺のことすげー大事にしてくれてるから」

「の、飲みます飲みますっ!」

わたしは、お酒の入ったコップを奪うようにして手に取った。
万が一にでも、ほんの少しでも椛さんに嫌われるような不安要素は、絶対に回避したい!
その一心で、コップになみなみと注がれた日本酒を、わたしは一気飲みした。

「おー、いい飲みっぷり」

機嫌がよくなったらしい椎名社長に、ほっとする。
それから椎名社長は、椛さんの武勇伝を聞かせてくれたのだけれど……。
武勇伝、といっても、ほとんどが過去の女性関係のことばかり。

初体験が中学一年のときだとか。
相手はセレブの年上のお姉さまだったとか。
そのせいで、椛さんの好みのタイプはいまだに年上のお姉さまなのだとか……。
聞いているうちに、わたしは胸がチクチク、モヤモヤしてきてしまって。
お酒のおかわりをせずには、聞けなくなってしまって……。

「りん子ちゃん。りん子ちゃん、聞いてるー?」

椎名社長の声すら、滲んで聞こえる。
ああ、もう……身体が、ふわふわ、ふわふわ。
意識は暗転してしまって……再び目を覚ましたときには、知らない部屋のベッドの中にいた。

「え……」

なんだかこのシチュエーションって、過去の……中学生のときの、静夜とのあの一件に似ている……。
嫌な予感を覚え、そっと身体にかけられた布団をめくったわたしは

「っ!!」

あまりのショックに、悲鳴すら出なかった。
また……また、わたし……やっちゃったの……?
静夜のときで、懲りてるはずなのに……!

そう。
わたしは下着すらつけていない、素っ裸で。
あろうことか、わたしの隣には、これまた裸の椎名社長が寝そべって、にっこり悪魔の笑顔を浮かべてわたしを見つめていたのだった。

「おはよう。おはようっていうか、まだ夜だけど。りん子ちゃんて、昼でも激しいんだねぇ」

昼でも激しいって……まさか、わたし……。
思わず最悪の事態を想像しかけて、慌ててぶんぶん頭を左右に振る。
落ち着け。落ち着くんだ、わたし。
いまのわたしはあのころの……なにも知らなかった、中学のあのころとは違う。

「申し訳ありませんけど、椎名社長。わたしと椎名社長のあいだには、なにもありませんでしたよね?」

慣れない駆け引きで、内心心臓がバクバクしていたけれど、せいいっぱい、椎名社長を睨みつけてみせる。

「どうしてそう思うの?」

「ほんとにシちゃったんなら、身体になんらかの感覚が残っているはずです」

少なくとも椛さんとのときは、そうだ。
わたしが寝ているあいだに、たまに椛さんがわたしの身体に触れたりとかしたりすることもあるけれど
そのときには必ず、起きたときにはわたしの身体に甘い痺れ──快感の名残りが、あるから。
椛さんに慣らされたこの身体だったら、たとえば相手が椎名社長だとしても、少なからず、そういうものがあるはず。
そう、確信があったから。

「いまのわたしの身体には、そういう余韻は一切ありません」

きっぱりそう言い切ると

「なーんだ。そのくらいのことがわかるくらいにはりん子ちゃんのカラダ、椛に慣らされちゃってるんだね。つまんない」

案外あっさりと、椎名社長は上半身を起こした。
椛さん以外の男の人の裸なんて、見たくない。
急いで背中を向けると、衣擦れの音がする。
どうやら、ちゃんと服を着てくれているらしい。

「確かに俺はりん子ちゃんの服を脱がせただけ。指一本触れてない」

やっぱり……!
静夜といい椎名社長といい、……ほんとにどいつもこいつもっ……!

「けど、ね。これ、なーんだ」

「なんだって……なんですか?」

「もう服は着たから、安心して見ていいよ」

そうは言われても、自然と警戒心をむき出しにしてしまいつつ振り返ったわたしは──絶句。
確かに、椎名社長……服はきちんと着ていた。
けど、……けど。
椎名社長の手には、椎名社長のものと思われるスマホが握られていて。
その画面いっぱいに、眠っているわたしの裸の上半身がバッチリ写っていたのだ。

「な、……」

「写メ撮るの、上半身だけにしてあげたんだから。感謝してよねー」

誰が感謝なんてしますかっ!

「け、消してくださいっ! 削除っ!」

慌てて布団を巻きつけて身体を隠しつつ、ベッドから降りる。
椎名社長のほうに駆け寄って手を伸ばしても、椎名社長はスマホを持った手を上に上げてしまって届かない。

「椛が奥さんにするってことは、りん子ちゃんは椛にとって、そこそこ大事な女なんだよね? だったら、そんな大事な女の裸の写メを俺が持ってたら、椛、ショックだろうなあ」

「椎名社長だって、椛さんのことが大切なんてすよね? だったら、そんなことしないでください!」

「だってこういう弱味でも握らないとりん子ちゃん、俺の言うこときいてくれなさそうじゃん?」

へらへら笑ってわたしを見下ろす、椎名社長。
こういう表情は、椛さんと違う。
椛さんは、こんないやらしい笑い方は絶対、しない。
……椛さんだったら、場合によってはもっとひどい手も使うかもしれないけれど。
椛さんも性格歪んでると思うけど、類は友を呼ぶってほんとうだ。

こうなったら……っ。

わたしはホテルの一室と思われる、その部屋を見回す。
わたしのバッグ……あ、あった!
ベッドサイドに置かれてあったわたしのバッグを拾い上げ、中からケータイを取り出すと、椎名社長が、

「なにするところ?」

「いますぐ、椛さんに連絡します。椎名社長にセクハラと脅しを受けてるって」

ほんとうに、そのつもりだったのに。

「いいの? 椛、いま大切な取引をしているんだよ?」

電話帳から椛さんの名前を見つけ出したところで、椎名社長のその言葉に、わたしの手が止まってしまう。

「りん子ちゃんは椛の仕事の邪魔をするの? そんなんじゃ、いい奥さんとはとても言えないね」

くっ……!
この男は次から次へと、わたしの弱いツボを……っ!

観念して、がっくりと肩を落としつつ、ケータイを元通りバッグにしまう。
そんなわたしに、椎名社長はまた楽しそうに笑った。

「まあまあ、俺そんなにがっつかないから安心してよ。とりあえず、家に帰ろうか」

「家? って……」

嫌な予感。

「椛の家だよ。昔から椛の許可がなくても椛の家によく泊まってたし、問題ない問題ない」

いやいや、問題ありまくりじゃないですかっ!?
そう突っ込む前に、

「早く服着ないと、また写メ撮っちゃうよ?」

スマホをこちらに向ける、椎名社長。
天使のような顔した悪魔、とはよく言ったものだけれど。
椛さんがそうであるならば、椎名社長は、その下についている堕天使、かもしれない。

「りん子ちゃんの会社のほうにはもう、りん子ちゃんの体調が悪くなったんで俺が家まで送ることになったって電話を入れておいたから」

椎名社長はそう言ったけれど、そんな……学生の早引けじゃないんだから。
そう思って、自分からも一応会社に電話を入れておく。
静夜は今日は既に帰宅していて、

『りん子さんのことでしたら、椎名社長から承っておりますから……体調がお悪いんですよね? どうか気兼ねせずに、ゆっくり休んで下さい』

受付嬢に、心配そうな声でそう言われてしまった。
うーん、わたし……椛さんの奥さんていうだけで、かなり甘やかされている気がする。

「あの会社は、椛がああだからね。かなり自由のきく社風だって聞いてるよ」

前田さんが運転手をつとめる黒塗りの車が、わたしが電話したとおりホテルまで迎えに来てくれると、その後部座席に
当然のように、わたしと一緒に乗り込みながら、椎名社長。

「だからりん子ちゃんも、そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」

そう、なのかな。
いや、だけどやっぱり社会人なんだから、そのへんはきっちりしないといけないと思うんだけど……わたしの頭が固すぎるんだろうか。
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