天使の紡ぐ雪の唄

希彗まゆ

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水に浮かぶ

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谷本くんはその日を境に、態度をがらりと変えた。
女子の誘いには絶対にのらなくなったし、休み時間にいなくなることが多くなった。

「女に飽きたんだろ。今に男に走るんじゃねーの?」

男子生徒の誰かが冗談混じりに言ったものだ。
そして同じ頃から、聖治がわたしの傍から離れなくなった。

神経質なほどについて回る。
ちょっと姿が見えなくなると血相を変えて追ってくる。

二、三日もすると、すっかり

「高波夏樹と須藤聖治はデキている」

という噂が流れ、困ったわたしは

「校内では友達と一緒にいるから大丈夫」

と一時間かけて聖治を納得させたのだった。
わたしはあの日の帰り道、追ってきた聖治に

「護ってやる」

と言われていた。

理由を聞かずに、わたしはただ「ありがとう」と頷いた。
聞かなくても分かった。
谷本くんのあの行動から、わたしを護ってくれるというのだ。

ただ、わたしは決定的な勘違いをしていた。

谷本くんのあの行動は、あくまでも「女の子が好きだから」だと思っていたし
聖治が護ってくれるのは「友達だから」だと思っていた。

その間違いに気づいたのは、それから五日ほど経ってからだった。



その日の放課後、図書委員だったわたしは顧問から

「図書室の模様替えを手伝ってくれ」

と泣きつかれ、他の委員達と共に2時間かかって肉体労働をさせられた。

「ご苦労さん、もう帰ってもいいよ」

顧問の声に、委員達はどやどやと図書室を出ていく。
わたしは、面白そうな本を見つけてひとりだけ残った。

「戸締まりしといてくれよ」

と言われて更に1時間、気がつけば日はとっぷりと暮れている。
部活も副部長に任せて出てきたのだが、この時間ではもう終わっているだろう。

慌てて戸締まりをし、職員室に鍵を返して校舎を出たわたしは
水音に気づいて振り向いた。

すぐ脇に、三階分の高さの建物がある。

それは室内プールで、わたしの学校の水泳部は毎年県大会にまで出場しているため
3年前に新しく建てられたものだった。

水泳部員が残っているのだろうか。
部員の中には友達がいる。

待ってて一緒に帰ってもいいなと思い、わたしは建物に入っていった。
靴を脱ぎ、濡れているので靴下も脱いで鞄に入れる。

プールサイドに入ると、室内プール特有のむっとした空気がわたしを包んだ。
飛び込み台もあるだけに、天井が高い。
そこに取りつけられた電気は、ふたつしかついていなかった。

見渡してみると、部員の姿はない。
確かに、音がしたのに。

プールに近寄ってみる。
薄暗い水が、静かに漂っている。

こんな時間だし、もう帰ったのかな──。
では誰がここの鍵を開けたのだろう。
それとも開けっ放しで帰ったのだろうか。

ふと顔を上げたわたしは、目を疑った。
穏やかな水面に、人が仰向けに浮かんでいる。

谷本くん……!

制服のまま、彼は目を閉じている。
なにをしているのだろう、こんなところで。

「……谷本くん?」

恐る恐る呼んでみるが、返事はない。
自分の声だけが室内に短く反響する。

勇気を出して足を踏み出した。
プールサイドに回りこみ、できるだけ近寄ると、もう一度呼んでみる。

「谷本くん」

反応なし。 
プールサイドにひざをつき、手をのばして触れてみようとした。とたん。

「きゃあっ!」

いきなり手がのびて、引っ張られたわたしは水音を立ててプールの中に落ちた。
必死で顔を上げると、水の中に立った谷本くんが笑っている。

「あはは、ひっかかりやすいんだね、夏樹ちゃんて。それに悲鳴が意外と可愛い」

心底楽しそうに笑っている谷本くんに腹が立ち
恐いのも忘れて、わたしは眉をつりあげた。

「驚かさないでよ、もしかしたらと思って心配したんだから!」
「もしかしたらって?」

谷本くんの瞳が、からかうように細くなる。

「死んでるとでも?」
「──もういい!」

わたしはプールから上がり、重くなってしまった制服を絞った。
あとから谷本くんも上がってくる。
髪をかきあげた彼に、思わず息を呑んだ。

水も滴るいい男とは、彼のためにある言葉だ──なんて思う。
そんなことを思ったのが照れくさくて、わたしは尋ねる。

「なにをしてたの?」
「水の上に寝ると、気持ちがいいから」

谷本くんは、どこか懐かしそうな口調だった。

「まるで、空に浮かんでるみたいなんだ」

──そうかもしれない。
わたしは、昔スイミングスクールに行っていた頃を思い出していた。

初めて水に浮かんだとき。
水に身を任せて、ただゆらゆら漂ったとき。
それは今谷本くんが言った、そんな感じだった気がする。
あの時は、ただ「きもちいい」としか表現できなかったけれど──。

そこでハッと我に帰る。
谷本くんが、自分を見つめていた。
そして初めて、わたしは濡れた制服を意識した。

「寒くない?」

自分の両肩をしっかり抱いたわたしに、谷本くんが尋ねてくる。
言わずもがな、わたしは震えていた。

「管理人室にストーブがあったよ。あたっていこう」

言って、歩き出す。
確かに、このままの格好では帰れない。
仕方なく、わたしもあとを追った。
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