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風火の失踪
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──水琴。
すべてはきみのために。
***
「やめて! 映像を止めて!」
白い塔の中で、水琴は叫んでいた。
真っ暗な中に映し出されている過去の映像。
そこにはかつて存在した天才科学者の研究の没頭する姿。
彼は巨大流砂の原因を突き止めた。
それは一体何だったのか──。
「知りたくないわ! 翠陸……お願い、これ以上あたしに過去を見せないで……!」
「水琴、お前はもう思い出しかけているのだろう? 藤雅(とうが)という能力者の出現、風火の失踪、彩地と毬黄との別れ」
姿は見えず、ただ翠陸の声だけが淡々と響く。
淡々と──容赦なく。
「そして、巨大流砂の原因──それは、水琴。お前のチカラによるものであると」
巨大流砂……狂暴なチカラの塊。
まるで世界そのものを憎悪し、すべてを無に帰すかのように何もかもを呑み込んでいったもの。
今もそのチカラは動き続けている。
たったひとつ世界に残った最後の街をも呑み込もうと、地響きを伝えてくる。
望まないのに。誰も望まないのに。チカラの源の水琴でさえ。
「望んでなかったのに──」
か細くつぶやく水琴の前で、映像は展開を始める。
月に一度の買い物に出た彩地のあとをつけてきた、ひとりの青年の出現。
彼もまた、能力者のひとりだった。
◆
「なぜこんな男を連れてきたんです、姉さん」
階段を昇って研究室に入ろうとした彩地は、迎えに出た紫嵐のその一言でようやく背後の男の存在に気づいた。
「や、ばれちまったか。どこまで気づかずにいられるか、もう少し試したかったんだけどな」
眼鏡の奥、リラ色の瞳を細めて、青年はひょうひょうとした口調で言った。
「誰よ、あなた!」
彩地は青ざめ、声を聞いて毬黄がとんできた。
黒髪の青年を見て彩地と紫嵐を後ろにかばい、低い声で命じた。
「今すぐにこの塔から出ろ。興味本位で俺たちに関わるな」
「研究所を使ってるってことは、あんたたちは科学者だろう? ただ住み込んでるって感じじゃねえしな」
青年はどこからかナイフを3本取り出した。
身構える毬黄に、苦笑する。
「あ、悪い。俺、ナイフをいじるのクセなんだ。気にしないでくれよ」
言っている間にも片手で器用にナイフを操る。
本当にそうしてもてあそんでいるだけのようだ。
「自己紹介な。俺は藤雅。世界政府から派遣されて、ここら一帯の科学者を連れにきたんだ。まあ……警察の一種なのかな、一応。非公式ではあるけど。必要なら暗殺も任されるし」
「そして、能力者でもある」
新たに緑炎の声が加わる。藤雅の手が止まった。
「モニターの能力者の数値がひとりぶん増えた。能力者のお前を、よく頭の古い世界政府が雇ったな」
「能力者は能力者でも、チカラを持たない能力者だからさ」
藤雅はにやりと笑う。
「いや、言いかえるなら、俺のチカラは並外れた生命力さ。怪我は人並みに負うけど回復力は化物並。あんたたちで言う致命傷も、俺の身体は三日もありゃ治っちまう。ついでに成長も二十歳かそのくらいで止まっちまった。それから10年くらい経ってるけど、外見的には少しも歳をとらねえ。……今はまだいいが、あと10年もすりゃ俺もひとところにはいられねえだろうさ。あんたたちと同じに、世間から隠れて生活しなきゃならねえかもな」
「御託はどうでもいいぜ」
イライラと、毬黄。
「科学者狩りをやってるって言ったな。俺たちを連れてく気か?」
「さあて、どうしたものか」
気だるそうにため息をついて、藤雅は壁に背をつけた。
右手は休みなくナイフをいじり回している。
「政府の事情もあるが、あんたたちにも事情があるんだろうしなあ……ひとまず退くよ」
きびすを返そうとする藤雅へ、緑炎が声をかけた。
「用心棒になる気はないか」
「あんたのか?」
振り向く彼に、緑炎はかぶりを振る。
「能力者の少女の、だ。──それとも世界政府に恩があるか?」
そんなものはねえよ、と藤雅は肩をすくめる。
面白そうに3本のナイフを同時に回転させた。
「なにか思惑がありそうだけどなあ。……まあいいか。ここなら俺も過ごしやすそうだ」
こうして白い塔の住人は、ひとり増えた。
◇
しかしそれから間もなくして、住人の数はまた6人に戻ることになる。
夜も更けた頃、緑炎は研究室に風火を呼び、研究データをコンピュータに次々と映し出してみせた。
13歳になっていた風火は、通常の同い年の少年よりもはるかに知能が発達していた。
それでも専門的な個所はさすがに理解しがたく、そこには緑炎の説明が加わった。
この夜、緑炎が風火に説明したもの──それは、巨大流砂に関したことだった。
コンピュータに映し出されたデータを見つめ直していた風火は、長い沈黙のあと口を開いた。
「なるほど、博士が今夜人払いをしているわけが分かりましたよ。第三者の余計な口出しで、ぼくが取り乱すのを恐れたんですね」
風火は普段、緑炎を「博士」と呼んでいた。
緑炎の答えを待たず、風火は了承した。
「水琴を救えるのは、ぼくしかいないんですね──ならば、どんなことでも協力します」
「念を押しておくが、“お前自身が水琴に再会する”ことは二度とない。それでもいいか」
「かまいません。ぼくのすべては水琴のものです」
自分の欲望など、希望など、水琴の前にはすべて泡となってもいい。
研究室を出た風火は、自分と水琴が共有している寝室へ戻った。
最後の別れを告げにきたのだ。
今は風火の代わりに、藤雅が傍らにいた。
水琴はすやすやと、よく眠っているようだった。
「水琴をお願いします」
小声の風火に、藤雅はうなずいた。
「お前の代わりにゃならねえだろうがな」
「でも、博士はそのためにあなたを水琴につけたんです。ぼくがいなくなったあとも、はじめから水琴を知っているみんながいなくなったあとも、強い生命力を持ったあなたなら水琴のそばに変わらずいることができる。だから──」
「ある意味それも用心棒か。……だけど思い切ったことするなあ、お前さんたちも。もし俺がいなかったら、このお嬢ちゃんはひとりきりだぜ」
「一応、そのために博士も子孫を残すようですから」
外界から人を呼び込むことはできない。
“この計画”がどこから外に漏れるか分からないからだ。
風火は水琴の寝顔をじっと見下ろした。
一度だけ頬に手がのびたが、触れる直前で、起こしてしまうのを恐れて思い留まった。
「ぼくがいなくても泣くんじゃないよ。きみに見えなくても、ぼくはきみの傍にいる。いつもだ。
眠るたびにいい夢をごらん。おやすみ、ぼくの水琴」
そうして最後のささやきを残し、その夜以来、風火は白い塔から姿を消した。
◇
風火がいなくなったと知った水琴は、毎日泣き暮らした。
勝手にどこかに行ってしまった風火をなじり、止めなかった緑炎を怒り、なぜ出て行ってしまったのか教えてくれない大人たちを憎んだ。
「ねえ、水琴……あなた、チカラをなくしたい? それともこのままがいい?」
藤雅の隣に座って涙を拭う彼女の前に、彩地が料理を運んできた。
先日になって緑炎の子供を身ごもったと分かった彼女は、母となる自覚のせいか、以前よりも穏やかな表情をするようになった。
もう声高に怒鳴ることも、強い正義感のために妹や毬黄と喧嘩をすることもない。
「あたしのチカラはとても強いって、緑炎が言ってた。お母さんも強いチカラのせいでとても苦しんだって。それにね、なんだか分からないけど、あたしのせいで世界がたいへんなことになってるんだって。みんな砂になって、呑み込まれていっちゃうんだって」
水琴の言うことを聞いて、彩地は驚いた。
緑炎が水琴に真実を教えたことが、意外に思えた。
「だから、あたしこんなチカラいらない。あたしのためにみんなが苦しむの、つらいもの。普通の女の子になりたい」
「それを聞いて、安心したわ。緑炎はあなたのために、あなたのチカラをなくしてしまうものをつくっているのだもの」
立ち上がる彩地に、水琴は目を輝かせた。
「本当!? 本当に、あたしのチカラがなくなるのね!?」
「まだ製作途中だけどね。さあ、ご飯をお食べなさい。食器はあとで持ってらっしゃいね」
彩地が出ていくと、水琴は隣を振り向いた。
寝転がった藤雅が、あいもかわらずナイフを使って危険な遊びをしている。
「藤雅……、ひとつ聞きたいの。いい?」
「なんだい、お嬢ちゃん」
気だるそうに、藤雅。
水琴は思い切って尋ねた。
「風火が出ていったのは、あたしを嫌ったため?」
藤雅の手の動きが鈍ったのを見て、水琴は泣きそうになった。図星だったのだろうか。
「ねえ、そうなの? あたしのチカラがみんなを苦しめてるから、あたしのこと嫌いになっちゃったの? だから出ていったの?」
「風火はそんな奴だったかい?」
逆に尋ねる藤雅に、水琴は詰まる。
たちまち黒い瞳に涙を浮かべた。
「どうしたらチカラを操れるのか分からない。あたし、こんな世界、なくなってしまえばいいといつも思ってた。お母さんはみんなに石を投げられて、お父さんはあたしたちをかばっていつも怪我をしてたわ。でも今はもっと祈ってる。こんな世界なくなってしまえばいい。だって風火がいないもの!」
水琴のその憎悪があるからこそ、巨大流砂が生じる。
しかしそれをいくら言っても、幼い水琴は自分の心を思うようにコントロールできないのだった。
「困ったお嬢ちゃんだな」、と起き上がった藤雅は、ナイフをたたんで無造作にポケットに突っ込み、かさばらないのを確かめてから水琴を膝に座らせた。
「あいつはな、今もお嬢ちゃんのすぐ傍にいるぜ。お嬢ちゃんには見えないかもしれないけど、な」
「ここにいるの? どうして分かるの?」
「感じるからさ、あいつの魂をね。見るんじゃなく、感じるんだ。今にお嬢ちゃんにも分かるようになるさ」
「どうしたら風火を感じられる?」
「それにはな、俺や緑炎のいうことをちゃーんと聞いて、いい子にしてることさ。彩ちゃんがつくった料理も残さず食べること」
ずるい、とつぶやく水琴だったが、「風火はここにいる」という藤雅の言葉に嘘はないように思われた。
それに、「藤雅」という青年は嘘をつく人間ではない。
出会ったばかりの頃、風火が藤雅を簡単に水琴に近づけた。
それは風火が彼をひと目で信用したということだった。
それを水琴は、知っていたから。
それから水琴は、藤雅を頼るようになった。
気だるげな、どこかおどけた口調の彼の存在は水琴の心を和ませたし、同じ能力者であり、とりあえず大抵のことでは彼が先に死んでしまうことはない、という安心感もあった。
緑炎の人選は、いつも確かなものだった。
「へえ、そりゃあ石薬(しゃくやく)じゃねえか」
いつか、風火にもらったガラス玉を取り出して、床に転がして遊んでいた水琴に、藤雅は教えてくれた。
「そいつは生きた宝石なんだぜ。こいつは懐かしいもんを見たなあ」
「生きた宝石って?」
「そのまんま、こいつは生きてるってことさ。お嬢ちゃん、そいつを割ってみな」
風火からもらった大切なものなのに、とためらった水琴だったが、あんまり熱心に藤雅がすすめるので、恐る恐る床に落としてみた。
今までちょっとの高さからでも落としたことのなかったガラス玉──石薬は、驚くほどあっけなく砕けてしまった。
声もなく残骸を見つめていた水琴の黒い瞳に、みるみるうちに涙が浮かんでいくのを見て、藤雅は慌てて声をかけた。
「お嬢ちゃん、泣くのはも少しこらえて、見ててごらん、な」
「────」
涙がいっぱいたまった瞳で恨めしそうに藤雅を見上げてから、水琴はガラス玉の残骸に視線を戻した。
すると、次第に残骸が集まり、溶け合ってかたまりあい、元のガラス玉の状態に戻ってしまった。
「わあ、すごい!」
水琴ははしゃいで、目を輝かせてガラス玉を拾い上げた。
いくぶんほっとしながら──水琴を泣かせたら、あとで緑炎にどんな嫌味を言われるか分からない──藤雅は言う。
「そいつは脆いけど、寿命のうちなら毀れても何度でもそうして蘇るのさ。まるで俺みたいに、さ。まだ子供だった頃、誰かが苦労して持ってきてくれたっけなあ」
「藤雅も、これ持ってる?」
「これはな、貴重品なんだぜ。世界でも何箇所かでしかとれねえのさ。子供のころに緑色の光の石薬を持ってた、あれ一個きりでなあ、そいつが死んじまってからは今になるまで、お目にもかかってなかったな」
「──寿命が、あるの?」
「大体、20年てとこかな。俺がもらった石薬は、もうその時点で歳、とってたからなあ」
水琴はガラス玉──石薬に目を落とす。
青い光が散って、とてもきれいなのに。
これがいつか、なくなってしまうのだ。
淋しそうな水琴の顔を見て、藤雅はため息をつきながら微笑した。
「もう一度毀してごらん、お嬢ちゃん」
藤雅の意図が分からずに、それでも水琴は「何度もごめんね」と石薬に謝りながらそっと毀した。
それを見て藤雅は、持っていたナイフのひとつで自分の親指に傷をつけた。
石薬が溶け合う寸前に、そこへ血を数滴、滴らせた。
「あ」、と驚く水琴の前で、石薬は元の形に戻る。
「何をしたの、こんなことして、痛いのに」
おろおろする水琴の髪の毛を、藤雅はくしゃっと撫でる。
「こんなもん、じきに治るさ。それよりな、お嬢ちゃんのガラス玉、俺の血を入れたから寿命も延びたし再生力も強くなったはずだぜ」
言っているうちに、指の傷は治ってしまった。
それでも自分のためにこんなことまでしてくれた藤雅の気持ちが、水琴には嬉しかった。
すべてはきみのために。
***
「やめて! 映像を止めて!」
白い塔の中で、水琴は叫んでいた。
真っ暗な中に映し出されている過去の映像。
そこにはかつて存在した天才科学者の研究の没頭する姿。
彼は巨大流砂の原因を突き止めた。
それは一体何だったのか──。
「知りたくないわ! 翠陸……お願い、これ以上あたしに過去を見せないで……!」
「水琴、お前はもう思い出しかけているのだろう? 藤雅(とうが)という能力者の出現、風火の失踪、彩地と毬黄との別れ」
姿は見えず、ただ翠陸の声だけが淡々と響く。
淡々と──容赦なく。
「そして、巨大流砂の原因──それは、水琴。お前のチカラによるものであると」
巨大流砂……狂暴なチカラの塊。
まるで世界そのものを憎悪し、すべてを無に帰すかのように何もかもを呑み込んでいったもの。
今もそのチカラは動き続けている。
たったひとつ世界に残った最後の街をも呑み込もうと、地響きを伝えてくる。
望まないのに。誰も望まないのに。チカラの源の水琴でさえ。
「望んでなかったのに──」
か細くつぶやく水琴の前で、映像は展開を始める。
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◆
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「や、ばれちまったか。どこまで気づかずにいられるか、もう少し試したかったんだけどな」
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「誰よ、あなた!」
彩地は青ざめ、声を聞いて毬黄がとんできた。
黒髪の青年を見て彩地と紫嵐を後ろにかばい、低い声で命じた。
「今すぐにこの塔から出ろ。興味本位で俺たちに関わるな」
「研究所を使ってるってことは、あんたたちは科学者だろう? ただ住み込んでるって感じじゃねえしな」
青年はどこからかナイフを3本取り出した。
身構える毬黄に、苦笑する。
「あ、悪い。俺、ナイフをいじるのクセなんだ。気にしないでくれよ」
言っている間にも片手で器用にナイフを操る。
本当にそうしてもてあそんでいるだけのようだ。
「自己紹介な。俺は藤雅。世界政府から派遣されて、ここら一帯の科学者を連れにきたんだ。まあ……警察の一種なのかな、一応。非公式ではあるけど。必要なら暗殺も任されるし」
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「モニターの能力者の数値がひとりぶん増えた。能力者のお前を、よく頭の古い世界政府が雇ったな」
「能力者は能力者でも、チカラを持たない能力者だからさ」
藤雅はにやりと笑う。
「いや、言いかえるなら、俺のチカラは並外れた生命力さ。怪我は人並みに負うけど回復力は化物並。あんたたちで言う致命傷も、俺の身体は三日もありゃ治っちまう。ついでに成長も二十歳かそのくらいで止まっちまった。それから10年くらい経ってるけど、外見的には少しも歳をとらねえ。……今はまだいいが、あと10年もすりゃ俺もひとところにはいられねえだろうさ。あんたたちと同じに、世間から隠れて生活しなきゃならねえかもな」
「御託はどうでもいいぜ」
イライラと、毬黄。
「科学者狩りをやってるって言ったな。俺たちを連れてく気か?」
「さあて、どうしたものか」
気だるそうにため息をついて、藤雅は壁に背をつけた。
右手は休みなくナイフをいじり回している。
「政府の事情もあるが、あんたたちにも事情があるんだろうしなあ……ひとまず退くよ」
きびすを返そうとする藤雅へ、緑炎が声をかけた。
「用心棒になる気はないか」
「あんたのか?」
振り向く彼に、緑炎はかぶりを振る。
「能力者の少女の、だ。──それとも世界政府に恩があるか?」
そんなものはねえよ、と藤雅は肩をすくめる。
面白そうに3本のナイフを同時に回転させた。
「なにか思惑がありそうだけどなあ。……まあいいか。ここなら俺も過ごしやすそうだ」
こうして白い塔の住人は、ひとり増えた。
◇
しかしそれから間もなくして、住人の数はまた6人に戻ることになる。
夜も更けた頃、緑炎は研究室に風火を呼び、研究データをコンピュータに次々と映し出してみせた。
13歳になっていた風火は、通常の同い年の少年よりもはるかに知能が発達していた。
それでも専門的な個所はさすがに理解しがたく、そこには緑炎の説明が加わった。
この夜、緑炎が風火に説明したもの──それは、巨大流砂に関したことだった。
コンピュータに映し出されたデータを見つめ直していた風火は、長い沈黙のあと口を開いた。
「なるほど、博士が今夜人払いをしているわけが分かりましたよ。第三者の余計な口出しで、ぼくが取り乱すのを恐れたんですね」
風火は普段、緑炎を「博士」と呼んでいた。
緑炎の答えを待たず、風火は了承した。
「水琴を救えるのは、ぼくしかいないんですね──ならば、どんなことでも協力します」
「念を押しておくが、“お前自身が水琴に再会する”ことは二度とない。それでもいいか」
「かまいません。ぼくのすべては水琴のものです」
自分の欲望など、希望など、水琴の前にはすべて泡となってもいい。
研究室を出た風火は、自分と水琴が共有している寝室へ戻った。
最後の別れを告げにきたのだ。
今は風火の代わりに、藤雅が傍らにいた。
水琴はすやすやと、よく眠っているようだった。
「水琴をお願いします」
小声の風火に、藤雅はうなずいた。
「お前の代わりにゃならねえだろうがな」
「でも、博士はそのためにあなたを水琴につけたんです。ぼくがいなくなったあとも、はじめから水琴を知っているみんながいなくなったあとも、強い生命力を持ったあなたなら水琴のそばに変わらずいることができる。だから──」
「ある意味それも用心棒か。……だけど思い切ったことするなあ、お前さんたちも。もし俺がいなかったら、このお嬢ちゃんはひとりきりだぜ」
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外界から人を呼び込むことはできない。
“この計画”がどこから外に漏れるか分からないからだ。
風火は水琴の寝顔をじっと見下ろした。
一度だけ頬に手がのびたが、触れる直前で、起こしてしまうのを恐れて思い留まった。
「ぼくがいなくても泣くんじゃないよ。きみに見えなくても、ぼくはきみの傍にいる。いつもだ。
眠るたびにいい夢をごらん。おやすみ、ぼくの水琴」
そうして最後のささやきを残し、その夜以来、風火は白い塔から姿を消した。
◇
風火がいなくなったと知った水琴は、毎日泣き暮らした。
勝手にどこかに行ってしまった風火をなじり、止めなかった緑炎を怒り、なぜ出て行ってしまったのか教えてくれない大人たちを憎んだ。
「ねえ、水琴……あなた、チカラをなくしたい? それともこのままがいい?」
藤雅の隣に座って涙を拭う彼女の前に、彩地が料理を運んできた。
先日になって緑炎の子供を身ごもったと分かった彼女は、母となる自覚のせいか、以前よりも穏やかな表情をするようになった。
もう声高に怒鳴ることも、強い正義感のために妹や毬黄と喧嘩をすることもない。
「あたしのチカラはとても強いって、緑炎が言ってた。お母さんも強いチカラのせいでとても苦しんだって。それにね、なんだか分からないけど、あたしのせいで世界がたいへんなことになってるんだって。みんな砂になって、呑み込まれていっちゃうんだって」
水琴の言うことを聞いて、彩地は驚いた。
緑炎が水琴に真実を教えたことが、意外に思えた。
「だから、あたしこんなチカラいらない。あたしのためにみんなが苦しむの、つらいもの。普通の女の子になりたい」
「それを聞いて、安心したわ。緑炎はあなたのために、あなたのチカラをなくしてしまうものをつくっているのだもの」
立ち上がる彩地に、水琴は目を輝かせた。
「本当!? 本当に、あたしのチカラがなくなるのね!?」
「まだ製作途中だけどね。さあ、ご飯をお食べなさい。食器はあとで持ってらっしゃいね」
彩地が出ていくと、水琴は隣を振り向いた。
寝転がった藤雅が、あいもかわらずナイフを使って危険な遊びをしている。
「藤雅……、ひとつ聞きたいの。いい?」
「なんだい、お嬢ちゃん」
気だるそうに、藤雅。
水琴は思い切って尋ねた。
「風火が出ていったのは、あたしを嫌ったため?」
藤雅の手の動きが鈍ったのを見て、水琴は泣きそうになった。図星だったのだろうか。
「ねえ、そうなの? あたしのチカラがみんなを苦しめてるから、あたしのこと嫌いになっちゃったの? だから出ていったの?」
「風火はそんな奴だったかい?」
逆に尋ねる藤雅に、水琴は詰まる。
たちまち黒い瞳に涙を浮かべた。
「どうしたらチカラを操れるのか分からない。あたし、こんな世界、なくなってしまえばいいといつも思ってた。お母さんはみんなに石を投げられて、お父さんはあたしたちをかばっていつも怪我をしてたわ。でも今はもっと祈ってる。こんな世界なくなってしまえばいい。だって風火がいないもの!」
水琴のその憎悪があるからこそ、巨大流砂が生じる。
しかしそれをいくら言っても、幼い水琴は自分の心を思うようにコントロールできないのだった。
「困ったお嬢ちゃんだな」、と起き上がった藤雅は、ナイフをたたんで無造作にポケットに突っ込み、かさばらないのを確かめてから水琴を膝に座らせた。
「あいつはな、今もお嬢ちゃんのすぐ傍にいるぜ。お嬢ちゃんには見えないかもしれないけど、な」
「ここにいるの? どうして分かるの?」
「感じるからさ、あいつの魂をね。見るんじゃなく、感じるんだ。今にお嬢ちゃんにも分かるようになるさ」
「どうしたら風火を感じられる?」
「それにはな、俺や緑炎のいうことをちゃーんと聞いて、いい子にしてることさ。彩ちゃんがつくった料理も残さず食べること」
ずるい、とつぶやく水琴だったが、「風火はここにいる」という藤雅の言葉に嘘はないように思われた。
それに、「藤雅」という青年は嘘をつく人間ではない。
出会ったばかりの頃、風火が藤雅を簡単に水琴に近づけた。
それは風火が彼をひと目で信用したということだった。
それを水琴は、知っていたから。
それから水琴は、藤雅を頼るようになった。
気だるげな、どこかおどけた口調の彼の存在は水琴の心を和ませたし、同じ能力者であり、とりあえず大抵のことでは彼が先に死んでしまうことはない、という安心感もあった。
緑炎の人選は、いつも確かなものだった。
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声もなく残骸を見つめていた水琴の黒い瞳に、みるみるうちに涙が浮かんでいくのを見て、藤雅は慌てて声をかけた。
「お嬢ちゃん、泣くのはも少しこらえて、見ててごらん、な」
「────」
涙がいっぱいたまった瞳で恨めしそうに藤雅を見上げてから、水琴はガラス玉の残骸に視線を戻した。
すると、次第に残骸が集まり、溶け合ってかたまりあい、元のガラス玉の状態に戻ってしまった。
「わあ、すごい!」
水琴ははしゃいで、目を輝かせてガラス玉を拾い上げた。
いくぶんほっとしながら──水琴を泣かせたら、あとで緑炎にどんな嫌味を言われるか分からない──藤雅は言う。
「そいつは脆いけど、寿命のうちなら毀れても何度でもそうして蘇るのさ。まるで俺みたいに、さ。まだ子供だった頃、誰かが苦労して持ってきてくれたっけなあ」
「藤雅も、これ持ってる?」
「これはな、貴重品なんだぜ。世界でも何箇所かでしかとれねえのさ。子供のころに緑色の光の石薬を持ってた、あれ一個きりでなあ、そいつが死んじまってからは今になるまで、お目にもかかってなかったな」
「──寿命が、あるの?」
「大体、20年てとこかな。俺がもらった石薬は、もうその時点で歳、とってたからなあ」
水琴はガラス玉──石薬に目を落とす。
青い光が散って、とてもきれいなのに。
これがいつか、なくなってしまうのだ。
淋しそうな水琴の顔を見て、藤雅はため息をつきながら微笑した。
「もう一度毀してごらん、お嬢ちゃん」
藤雅の意図が分からずに、それでも水琴は「何度もごめんね」と石薬に謝りながらそっと毀した。
それを見て藤雅は、持っていたナイフのひとつで自分の親指に傷をつけた。
石薬が溶け合う寸前に、そこへ血を数滴、滴らせた。
「あ」、と驚く水琴の前で、石薬は元の形に戻る。
「何をしたの、こんなことして、痛いのに」
おろおろする水琴の髪の毛を、藤雅はくしゃっと撫でる。
「こんなもん、じきに治るさ。それよりな、お嬢ちゃんのガラス玉、俺の血を入れたから寿命も延びたし再生力も強くなったはずだぜ」
言っているうちに、指の傷は治ってしまった。
それでも自分のためにこんなことまでしてくれた藤雅の気持ちが、水琴には嬉しかった。
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