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紅(あか)凪ぎの地

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いつからお前は破滅に向かったのか?

●神の住む場所

その街に英雄が現れてから、一年が過ぎた。

長は紅凪と水琴のために邸を建て、紅凪は約束どおり街を浮かせ続けている。
人々は紅凪を崇め、自然街の実力者は紅凪となった。

だが、紅凪がこの街に住み始めてから
人々は、彼を英雄にしたのは間違いだったと気づいた。

紅凪は平気で無意味な殺人をした。
気紛れに邸の使用人を殺し、新しい使用人を呼んではまた殺す。
すぐに使用人に来ようとする者はいなくなったが、そうすると今後は街に出て子供を殺した。

無論、そう極端に多くの人間を殺すわけではない。
何しろ世界にはこの街にしか人間はいないのだ。
やたらと殺したのでは、すぐに人間はいなくなってしまう。

一度、長が紅凪のところへ行き、人々を殺さぬように頼んだ。
だが紅凪は当然のようにそれを拒否し、少しだけ街を傾げさせ、笑って脅してみせた。
以来、長は何も言わなくなった。



邸は、街の東よりにあった。
それより東には邸より高い建物はないので、美しい日の出が見える。
水琴は、いつも金色の朝日に照らされて目覚めるのだ。

水琴は、三、四人はゆうに手を広げて寝られそうなベッドから身を起こし
薄衣の上にふかふかのガウンを羽織り、朝食を摂るために階下へ降りた。

スリッパを履くのは好きではない。
しかし一面に敷かれたやわらかな絨毯のおかげで、彼女の小さな足は冷たく冷えることはなかった。

「おはようございます……水琴様」

給仕を任せられている若い男の使用人が、食堂に入ってきた水琴に頭を下げた。
子供達を殺されるよりはと、結局こうして使用人は差し出されることになったのだ。

だが使用人達も、水琴には心からの笑みを見せる。
水琴は殺人を楽しむ紅凪を嫌い、何度も使用人達をかばってきているのだ。
紅凪も水琴だけは殺さずにいた。

ふたりの関係はどういったものなのか気にならぬ者はいなかったのだが
水琴のほうには一切記憶がなく、紅凪もまた知っているはずなのにしゃべろうとしないので知る術はなかった。

水琴はあたたかい朝食を摂りながら、ふと広い食堂を見渡した。

「草咲(ささぎ)さんはどうしたの? 今日は姿が見えないのね」

草咲とは、若い男の使用人の他に、食堂に控えているはずの女の使用人だ。
若い男の使用人は、首を傾げた。

「さあ……さっきまでいたのですが……」

水琴は食事の手を止め、席を立った。

「あ、水琴様!?」

若い男の使用人が声をかけたが、かまわずに水琴は足早に食堂を出た。
エレベーターを使い、四階へ。
それが邸の最上階で、フロアすべてが紅凪の私室になっていた。

水琴は滅多にこの階へくることがない。
紅凪とはできるだけ、顔を合わせたくなかったからだ。

エレベーターの扉が開く。
カーテンは閉めきっており、フロアの中は薄暗い。

中央の赤い絨毯の上で、少年――紅凪は上半身を起こした。
寝起きなのだろうか、紅凪は上半身に服を纏っていなかった。

「珍しいね、きみがこの部屋にくるなんて」

ここへおいでよ、と手招きする。
水琴は歩み寄りながら、この絨毯の色について考えていた。

――こんな色だっただろうか、前に二、三度きたときには白だったように思うのは、気のせいだろうか?

近づいた水琴は、危ういところで悲鳴を呑み込んだ。
紅凪の背後には、草咲の遺体。全身から血を流して、それが絨毯を真っ赤に染めているのだった。

立ち尽くす水琴の顔を、紅凪は覗き込む。

「どうしたの? ああ、見苦しいかな」
「! やめて!」

制止の声は、炎の出現する音にかき消された。
草咲の遺体は、見る間に炎に覆い尽くされていく。
すぐに、草咲の身体は跡形もなくなった。
灰すらも、そこに一粒として残っていない。

「何を震えているの、水琴?」

水琴は手を振り上げた。
よけもせず、紅凪は彼女の平手を頬に受け止める。
涼しい顔をして、それから突然吹き出し、笑い出した。

「何故そこで泣くのかなあ? 草咲ちゃんが好きだったの、きみ?」
「どうしてよっ!」

水琴は泣きながら紅凪を殴り続ける。

「どうして!? 草咲さんが何をしたっていうのっ!」
「何をしたって? ──見てごらん水琴」

紅凪の声に、水琴は彼が指差すものを見やった。
ひとふりの短剣が、そこに落ちている。

「彼女はぼくを刺そうとしたんだ、無謀にもね」

短剣を拾い上げ、力を込めて裸の胸に突き下ろす。
水琴は驚いてくちもとを覆ったが、不思議なことに短剣は紅凪の皮膚の上で止まっていた。

紅凪は何度も短剣の先を胸に強く押し付ける。
だが、少しも短剣はそこに沈んでいかないのだ。

「ぼくの身体は、どんな刃だって通らないんだ。銃弾もだよ。誰もぼくを殺すことなんてできないのさ」

短剣を放り投げ、水琴に手をのばした。
水琴はその手を振り払う。
エレベーターに駆け戻り、階下へ降りていってしまった。

「どうしました、水琴様」

食堂の前を通り過ぎたとき、若い男の使用人が声をかけたが、水琴は応じずに部屋へ走った。
ドレッサーを開け、ろくに選びもせずに手を触れたよそ行きの服を身につける。
そのまま邸を出た。

街に出るのは、何日ぶりだろう。
あの紅凪と共に暮らしているということで、街の皆に合わせる顔もなく、水琴はあまり邸から出ないようにしていたのだ。

街の住人は水琴を見ると、そそくさと頭を下げて通り過ぎていく。
下手にかかわって、紅凪に目をさけられてはたまらないからだ。
慣れたつもりでも、やはり少し哀しい。

うつむいて歩いているところへ、珍しく誰かが声をかけてきた。

「水琴様……」

顔を上げると、懐かしい女性の姿。
水琴は嬉しくなって、女性の名をつぶやいた。

「金音(こがね)」

金音は、水琴と紅凪が行き倒れていたところを夫と一緒に助けて介抱してくれた、パン屋の女将である。
彼女は、水琴と辛うじて対等に話をしてくれる、貴重な存在のひとりだった。

「まあ……また紅凪様が……」

水琴を家に招んだ金音は、紅茶を彼女の前に置いて哀しくつぶやいた。
パン屋の主人は、奥でパンを作っている。
パンの焼ける香ばしい香りが、家の中に充満していた。

「紅凪様は、死ぬことがないのかしら?」

金音の言葉に答えず、水琴は紅茶をすすった。
思いを馳せながら飲み込んだため、むせ返る。

「あたし、チカラがほしいわ」

咳がしずまってから、水琴は言った。
背中を撫でてやっていた金音は、思わず手を止める。

「水琴様……?」
「あたしも紅凪のようなチカラがほしい。そうすれば紅凪に抵抗できるわ、紅凪に思い知らせてやれる!」
「やめてください、水琴様!」

ガチャリと扉が開いた。パン屋の主人が顔を出す。

「どうした金音。何を騒いでいる……ああ、水琴様。いらしてたんですか」

水琴を見て嬉しそうな声を上げたパン屋の主人は、ふたりの様子に眉をひそめた。

「庵白(あじら)、あたしはチカラがほしいって言ったの。そう思うのは当然でしょう?」

水琴は、パン屋の主人──庵白に視線を向けた。
いつになく強い調子の彼女にたじろぎながら、しかし庵白は何かを決めたように小さくうなずいた。

「白い塔、という建物を知っていますか、水琴様」
「庵白、あんた何を……!」
「教えて」

目をむく金音を押しのけるように、水琴は庵白を促す。

「この街の一角に、廃墟がある。誰も寄りつかない、無人の廃墟です。それに囲まれるように、ひときわ高い、細長い建物があるのです。それを皆、白い塔と呼んでいます」
「──初めて聞くわ、そんな話」
「水琴様には元々記憶がない上に、紅凪様もあまりそういった情報を水琴様の耳に入れないようにしているからでしょう」
「それで、その白い塔というのは、なんなの?」
「そこには、神が住んでいると聞きます」
「神……?」

復唱した水琴に、庵白は次の言葉を言っていいものかどうか、さすがに思案した。
水琴は詰め寄る。

「教えて!」

思い切ったように、庵白は口を開いた。

「……そこに住む神に相応のものを差し出せば、望むものをなんでもかなえてくれるのだそうです」

望むものを、なんでも。
黙り込んだ水琴の肩を、金音がつかむ。

「だめです、あの白い塔に入った人間に、誰も戻ってきた者はいないんですよ!」

水琴はしかし、金音の手を振り払って店を飛び出した。

「二度と戻ってこられないのよ!!」

金音は、顔を覆った。庵白が、妻を支える。

「……なあ金音、俺は思っていたんだ。俺たちが紅凪様を助けなければ、そりゃ街は沈んでしまっただろうが、皆がむやみな恐怖に駆られることもなかったんじゃないかって」
「だからって水琴様をけしかけるようなことを!」
「お前は水琴様が好きなんだな」
「あの子は純粋だわ。紅凪様とはどんな関係かわたしたちも知らないけれど、あの子は紅凪様とは違うわ」
「金音……」

庵白は、金音を抱き寄せた。
連れ添ってまだ数年しか経っていないが、これから何十年が経っても彼女に対する愛情は尽きないだろう。
そんな確信が、庵白にはあった。

「お前……パンの焼き方は、知っていたな」
「突然何を言うの」

金音は庵白の真面目な顔に戸惑った。
ふと、あることに気づく。

「まさか……」
「きっと、そうだろう」
「そんな──だってそんな!」
「紅凪様を恐れて、誰も水琴様に白い塔の話をしなかったんだ。それを、俺は話してしまった。ただで済むはずはない。そう遠くない日に、紅凪様はここへくるだろう」
「あんたはなにもしていないわ!」
「すまない、……金音」

泣き出す金音を、庵白は強く強く、抱きしめた。
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