SINNES~歯車の紡ぐ夢~

希彗まゆ

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第3章:白桜夢流~NON ILYOUVE~

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最後のシステム解除を終え、夜にわたしは飛沢とシオウを先導して外へ出た。

「ああっ空気がうまいなあ! 何年ぶりかな」

研究所が見えなくなったところで、飛沢が足を止めてのびをした。周りは高級住宅街で、ここを抜けると街の入り口になる。

「お前はどこに行きたいんだ、ユウイ?」

 飛沢がこちらを向いた。

「どこでもいいのです。とにかく行ったことがないのですから」
「ああそうか、じゃあホテルでもとってのんびり回るか」
「博士、そんなのんきなこと言っていいんですか」

 シオウがくすくす笑う。
 ───本当に不可解なヒューマノイドだ。声を立てて笑う、ということがプログラムされていること自体、異質だ。
 わたしたちはホテルをとり───身元を明らかにできなかったため上等なホテルは選べなかったが───今夜は休むことにした。

休む、といっても正確には飛沢だけが、である。わたしとシオウにその必要はない。
わたしはなんとなく、あの夜からシオウを避けたい気分だった。
わたしがシオウに夢を与えたということがどんなことか戸惑ったし、「戸惑う」こと自体が初めての経験で、どうしたらいいのか分からなかった。

「ユウイ。傍にきてくれませんか」

 でもやっぱり、この夜も彼はわたしを呼んだ。隣の部屋で寝ている飛沢を起こさないよう、静かな声で。
わたしは迷ったが、黙っているわけにもいかないので結局シオウに近づいてしまった。
ベッドに腰かけていたシオウは読んでいた新聞を脇に置き、前に立ったわたしの腕を取った。袖をめくり、『怪我』の痕を見る。

「治りましたね。あなたの皮膚はとても強く造られているんですねえ」
「なぜ、笑うの」

 にこにこ微笑むシオウの理由が分からなくて、わたしは聞いた。

「感情機能が壊れているんじゃないの」
「はは、違いますよ」
「でもあなたは笑ってばかりいる」
「あなたの前だからです」

 ───やっぱり、理解不能だ。
 しかし戸惑うわたしを見て、さらにシオウは目を細めるのだ。

「ユウイ。あなたも少し笑ってみてはくれませんか」
「───それは、できない」
「どうして?」
「わたしにはそんな機能はつけられていない」
「ぼくにもついてませんよ」

 シオウは平然と言う。

「笑うというのは機能じゃないんです。感情が動くと自然とそれができるんですよ。迷うことができるなら笑うこともできるはずです」

 シオウの言うことが、わたしには分からない。彼は分からないことばかり言う。

「プログラムに頼らず、ただぼくの言ったことを受け入れてください。───あなたが迷っているのはぼくが分からないことを言うから。違いますか?」
「───違わない」
「ぼくが微笑む理由が分からない?」
「分からない」
「夢という理由が分からない?」
「ええ」
「ぼくがあなたを好きだということも?」

 わたしの思考は一瞬、停止した。
 好き───?

「……それは、」

わたしはようやくのことで言葉を押し出した。

「わたしに……何か、したいということ───?」
「少し違います」

シオウはわたしの腕を取ったまま、めくりっぱなしだった袖をおろす。

「あなたの言っているのは『好意』です。『好き』というのはね、無償からくるものなんです」
「無償───何も、保障されていないところから?」
「そう。それでもその人を幸せにしたいと思うこと。一緒にいたいと思うこともそうですね」
「それが、『好き』?」
「そうです」
「では、『シオウはわたしを幸せにしたいと思っている』?」

教えられたそのままを、あてはめてみる。言葉にしてみて、わたしはまた混乱する。
この公式は───どの基本に基づいているのだろう?

「基本は、だから『好き』ということですよ。そしてそこから夢が始まる」
「ゆめ───」
「ぼくの夢は、あなたの笑顔を見ることです」

わたしの笑顔がシオウの夢。
混乱が最高潮に達した。
───バチン……!
目の前がはぜたように一瞬明るくなり、突然力が抜けたわたしの身体をシオウが支えた。音を聞きつけた飛沢が、扉を開けて駆け込んでくる。

「どうした!? ───ショートか! 何をやったシオウ!?」
「すみません、一応予想はしていたのですが」

 飛沢の手がわたしの額にあてられる。

「シオウ、フロントに言ってメンテナンス室を借りてきてくれ。三流ホテルにもそれくらいはあるだろう」

 だめ───!
 思わず手をのばしかけたわたしの首の下に、また指の感触。シオウだ。

 動かしかけたわたしの手が、床に落ちる。
 ───今、メンテナンスなどされたら、ばれてしまう。
 ショートの修理は頭脳データも覗かれる恐れがある。
 わたしが受けた命令も見られてしまう───!
 白王博士の冷たい瞳を、わたしは最後に思い出していた。



次に目を覚ましたとき、わたしの頭はぼうっとしていた。記憶はあるのに、意識にもやがかかっているのだ。

「気分はどうですか」

 目を開けたわたしに気づき、シオウが近寄ってくる。彼の顔が視界に入ったとたん、胸の内部部品の一部が縮こまるような感触があった。
 ───こんなことは初めてだ。
 ショートしたとき、胸にまで支障をきたしてしまったのだろうか?
 いや、そんなことは理論上あり得ない。

「ここはメンテナンス室です。ろくな設備がなくて少々時間がかかりましたけど───飛沢博士が優秀でなかったらあなたの意識は途絶えたままでした」

 身体を起こして辺りを見回す。
 蛍光灯の光の中、わたしは台に寝かせられていたのだ。壁際でソファに寝転がり、飛沢は眠りこけている。この様子では、白王博士に命令されたデータを覗かれたわけではなさそうだ。

「あれから───どれくらいの時が?」

 わたしの問いに、三日、というシオウの返答。「まずい」と思った。
白王博士に命じられてから時間がかかりすぎている。具体的な日程を言われていたわけではないが、明らかに時間を取りすぎていた。

 ───すぐに、彼らを殺さなくては。

 そこまで考え、わたしはふと疑問に思った。
 白王博士はシオウがヒューマノイドだと知っていたのだろうか? その上で彼も殺すようにと言っていたのだろうか。

 いや、たぶん白王博士は知らないのだ。もしシオウがヒューマノイドだと知っていれば、こんなに危険なやり方はしないだろう。人間だと思っていたからこそ、わたしひとりだけをこんな形でよこしたのだ。
飛沢を殺すのは簡単だ。もし武器を持っていたとしても、所詮わたしの前では無力に近い。
問題は、シオウだ。彼をどうやって「殺す」か……。

「街に行きましょうか。もう動いても大丈夫のようですし」

ふいに、シオウがわたしの手を取った。考えていたことがことだけに、思わずびくりと身を引いてしまった。
 ───怪しまれただろうか?
 しかしシオウは微笑んだだけだった。

「飛沢博士は放っておいて、ふたりで遊んできましょう」

 ひとまとめにされた長い金髪。きらきら輝いて、わたしの瞳をまばゆく突いた。
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