5 / 15
第2章:記憶螺旋~MEMORL DORL~
Ⅰ
しおりを挟む
赤い花はすみれ。
水色の花はまあがれと。
きみに教わった。
ぼくは忘れない。
◇
トントン、と天井からノックの音。
ベッドに腰かけてぼうっとしていたぼくは、天窓を仰向いた。
地上からの光が目を突く。そしてわずかにそれを遮って、大好きな人影。
ガタンと天窓が開いて、まず包みが落とされる。いつものように。
「おはよう、ナキ! よく眠れた?」
続いて、彼女が落ちてくる。床に敷かれたバネ入りのクッションに、軽やかに着地する。
「今日はマーガレット、持ってきたの。ほら」
包みを開き、ぼくの前に水色の花を差し出した。
丸くて小さな水色の花。ぼくは受け取った。
「これがきみの好きな花?」
「そうよ。マーガレット。覚えてね」
彼女───ヒヨリはひとまとめにした髪をかきあげる。ぼくは目を細めた。彼女のその、背中までの長い髪がとっても好きなんだ。
「触ってもいいか?」
ついそう聞いてしまい、ヒヨリはちょっと驚いたようだった。彼女がこの部屋に来始めてから、ぼくがそんなことを言うのは初めてだったからだ。
「あのね、……髪の毛って好きな人にしか触らせちゃいけないのよ」
しばらくしてヒヨリはそう言った。気のせいか、頬が赤く染まっている。
ぼくはわざと鼻で笑った。
「ふうん、乱暴者のきみにも好きなやつなんているの」
「いるわよっあたしもう15よっ? 年下のあんたに言われたくないわよ」
「たった一年の差でどれだけ違うの」
ぼくは物心ついたときには、もうこの部屋にひとりでいた。どうしてここにいるのか、どうしてここから出る術がないのか、ぼくには分からない。
でもある日、ヒヨリが天窓を通じて遊びにくるようになった。
あれは───そう、確か一年くらい前のことだ。
そのときにぼくは初めて自分の歳を知ったのだ。
「少しだけ。いいだろ」
どうしても触りたくて、ぼくはもう一度押してみた。怒鳴られるのを覚悟で───ヒヨリはとても気が強かったから───手をのばしてみる。
意外にも、ヒヨリは黙ってうつむいただけだった。
怒ったのだろうかと思ったけど、髪への憧れが先立ってぼくはもどかしく指を更にのばす。
ひとまとめにしていたリボンをほどき、ゴムを取る。さらりと髪がこぼれ落ちた。
───なんて、きれいなんだろう。
赤茶けたぼくの髪とは、比べ物にならない。
うっとりして手で梳いていると、ピイィッと耳障りな音が鳴った。ヒヨリのGパンのポケットからだ。
ヒヨリは慌ててそこから携帯電話を取り出し、保留スイッチを押す。
「ごめんね、オギが呼んでる。また明日来るわ」
───オギ。
ヒヨリの兄のことだ。
いつもそいつからの電話が入ると、ヒヨリは急いでここを出ていってしまう。
「その包み、中に鏡が入ってるから」
バネ入りクッションについているボタンを操作しながら、ヒヨリ。
「鏡?」
「あんた前に持ってきたら、また見てみたいって言ってたでしょ」
「ああ」
そうだった。
「じゃ、ね」
みるみるうちにクッションが膨れ上がり、それに乗ってヒヨリは天井へ近づいていく。あたふたと天窓を開け、あっという間に地上へ出ていってしまった。
ここは地下。唯一地上とつながっているのは、高い天井についている、あの天窓だけ。
部屋には何もない。ベッドのほか、あの不思議なクッションと何が描いてあったのかさえわからない、古ぼけた額縁の絵。
それだけ。
でも今日はヒヨリが置いていった水色の花、それに鏡がある。
「マーガ……」
水色の花を取り上げて、ぼくは名前を思い出そうとする。
「マー……ガ、レトー?」
まーがれと。
違う、かもしれない。
一度聞いただけの名前───そうだった気もするし違う気もした。
またあとで聞けばいいやと思い直し、水色の花をベッドに置く。
次は鏡だ。
保護用の布を取り、鏡面を覗き込む。そばかすだらけの少女が映っていた。
「この前は中年の男。その前はきれいな青年。今日はそばかすの女の子か!」
ぼくはベッドに鏡を放り投げる。
自分の本当の姿を、ぼくは知らない。鏡に映るのが本当の自分の姿なのだとヒヨリは言うけど、そこに映るぼくの姿はいつも違うのだ。
殺風景の部屋を見渡し、ぼくはため息をつく。
天窓から射すおぼろげな光を仰ぎ、ため息をつく。
毎日が退屈だ。
でも地上に出たいとは思わない。
だってここにいれば、ヒヨリに会えるから。
どんなに退屈でも淋しくても、ヒヨリに会えるから。
水色の花はまあがれと。
きみに教わった。
ぼくは忘れない。
◇
トントン、と天井からノックの音。
ベッドに腰かけてぼうっとしていたぼくは、天窓を仰向いた。
地上からの光が目を突く。そしてわずかにそれを遮って、大好きな人影。
ガタンと天窓が開いて、まず包みが落とされる。いつものように。
「おはよう、ナキ! よく眠れた?」
続いて、彼女が落ちてくる。床に敷かれたバネ入りのクッションに、軽やかに着地する。
「今日はマーガレット、持ってきたの。ほら」
包みを開き、ぼくの前に水色の花を差し出した。
丸くて小さな水色の花。ぼくは受け取った。
「これがきみの好きな花?」
「そうよ。マーガレット。覚えてね」
彼女───ヒヨリはひとまとめにした髪をかきあげる。ぼくは目を細めた。彼女のその、背中までの長い髪がとっても好きなんだ。
「触ってもいいか?」
ついそう聞いてしまい、ヒヨリはちょっと驚いたようだった。彼女がこの部屋に来始めてから、ぼくがそんなことを言うのは初めてだったからだ。
「あのね、……髪の毛って好きな人にしか触らせちゃいけないのよ」
しばらくしてヒヨリはそう言った。気のせいか、頬が赤く染まっている。
ぼくはわざと鼻で笑った。
「ふうん、乱暴者のきみにも好きなやつなんているの」
「いるわよっあたしもう15よっ? 年下のあんたに言われたくないわよ」
「たった一年の差でどれだけ違うの」
ぼくは物心ついたときには、もうこの部屋にひとりでいた。どうしてここにいるのか、どうしてここから出る術がないのか、ぼくには分からない。
でもある日、ヒヨリが天窓を通じて遊びにくるようになった。
あれは───そう、確か一年くらい前のことだ。
そのときにぼくは初めて自分の歳を知ったのだ。
「少しだけ。いいだろ」
どうしても触りたくて、ぼくはもう一度押してみた。怒鳴られるのを覚悟で───ヒヨリはとても気が強かったから───手をのばしてみる。
意外にも、ヒヨリは黙ってうつむいただけだった。
怒ったのだろうかと思ったけど、髪への憧れが先立ってぼくはもどかしく指を更にのばす。
ひとまとめにしていたリボンをほどき、ゴムを取る。さらりと髪がこぼれ落ちた。
───なんて、きれいなんだろう。
赤茶けたぼくの髪とは、比べ物にならない。
うっとりして手で梳いていると、ピイィッと耳障りな音が鳴った。ヒヨリのGパンのポケットからだ。
ヒヨリは慌ててそこから携帯電話を取り出し、保留スイッチを押す。
「ごめんね、オギが呼んでる。また明日来るわ」
───オギ。
ヒヨリの兄のことだ。
いつもそいつからの電話が入ると、ヒヨリは急いでここを出ていってしまう。
「その包み、中に鏡が入ってるから」
バネ入りクッションについているボタンを操作しながら、ヒヨリ。
「鏡?」
「あんた前に持ってきたら、また見てみたいって言ってたでしょ」
「ああ」
そうだった。
「じゃ、ね」
みるみるうちにクッションが膨れ上がり、それに乗ってヒヨリは天井へ近づいていく。あたふたと天窓を開け、あっという間に地上へ出ていってしまった。
ここは地下。唯一地上とつながっているのは、高い天井についている、あの天窓だけ。
部屋には何もない。ベッドのほか、あの不思議なクッションと何が描いてあったのかさえわからない、古ぼけた額縁の絵。
それだけ。
でも今日はヒヨリが置いていった水色の花、それに鏡がある。
「マーガ……」
水色の花を取り上げて、ぼくは名前を思い出そうとする。
「マー……ガ、レトー?」
まーがれと。
違う、かもしれない。
一度聞いただけの名前───そうだった気もするし違う気もした。
またあとで聞けばいいやと思い直し、水色の花をベッドに置く。
次は鏡だ。
保護用の布を取り、鏡面を覗き込む。そばかすだらけの少女が映っていた。
「この前は中年の男。その前はきれいな青年。今日はそばかすの女の子か!」
ぼくはベッドに鏡を放り投げる。
自分の本当の姿を、ぼくは知らない。鏡に映るのが本当の自分の姿なのだとヒヨリは言うけど、そこに映るぼくの姿はいつも違うのだ。
殺風景の部屋を見渡し、ぼくはため息をつく。
天窓から射すおぼろげな光を仰ぎ、ため息をつく。
毎日が退屈だ。
でも地上に出たいとは思わない。
だってここにいれば、ヒヨリに会えるから。
どんなに退屈でも淋しくても、ヒヨリに会えるから。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』
姜維信繁
SF
1,769年の時を超えて目覚めた古代の女王壱与と、現代の考古学者が織り成す異色のタイムトラベルファンタジー!過去の邪馬壱国を再興し、平和を取り戻すために、二人は歴史の謎を解き明かし、未来を変えるための冒険に挑む。時代考証や設定を完全無視して描かれる、奇想天外で心温まる(?)物語!となる予定です……!

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる