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第2章:記憶螺旋~MEMORL DORL~
Ⅰ
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赤い花はすみれ。
水色の花はまあがれと。
きみに教わった。
ぼくは忘れない。
◇
トントン、と天井からノックの音。
ベッドに腰かけてぼうっとしていたぼくは、天窓を仰向いた。
地上からの光が目を突く。そしてわずかにそれを遮って、大好きな人影。
ガタンと天窓が開いて、まず包みが落とされる。いつものように。
「おはよう、ナキ! よく眠れた?」
続いて、彼女が落ちてくる。床に敷かれたバネ入りのクッションに、軽やかに着地する。
「今日はマーガレット、持ってきたの。ほら」
包みを開き、ぼくの前に水色の花を差し出した。
丸くて小さな水色の花。ぼくは受け取った。
「これがきみの好きな花?」
「そうよ。マーガレット。覚えてね」
彼女───ヒヨリはひとまとめにした髪をかきあげる。ぼくは目を細めた。彼女のその、背中までの長い髪がとっても好きなんだ。
「触ってもいいか?」
ついそう聞いてしまい、ヒヨリはちょっと驚いたようだった。彼女がこの部屋に来始めてから、ぼくがそんなことを言うのは初めてだったからだ。
「あのね、……髪の毛って好きな人にしか触らせちゃいけないのよ」
しばらくしてヒヨリはそう言った。気のせいか、頬が赤く染まっている。
ぼくはわざと鼻で笑った。
「ふうん、乱暴者のきみにも好きなやつなんているの」
「いるわよっあたしもう15よっ? 年下のあんたに言われたくないわよ」
「たった一年の差でどれだけ違うの」
ぼくは物心ついたときには、もうこの部屋にひとりでいた。どうしてここにいるのか、どうしてここから出る術がないのか、ぼくには分からない。
でもある日、ヒヨリが天窓を通じて遊びにくるようになった。
あれは───そう、確か一年くらい前のことだ。
そのときにぼくは初めて自分の歳を知ったのだ。
「少しだけ。いいだろ」
どうしても触りたくて、ぼくはもう一度押してみた。怒鳴られるのを覚悟で───ヒヨリはとても気が強かったから───手をのばしてみる。
意外にも、ヒヨリは黙ってうつむいただけだった。
怒ったのだろうかと思ったけど、髪への憧れが先立ってぼくはもどかしく指を更にのばす。
ひとまとめにしていたリボンをほどき、ゴムを取る。さらりと髪がこぼれ落ちた。
───なんて、きれいなんだろう。
赤茶けたぼくの髪とは、比べ物にならない。
うっとりして手で梳いていると、ピイィッと耳障りな音が鳴った。ヒヨリのGパンのポケットからだ。
ヒヨリは慌ててそこから携帯電話を取り出し、保留スイッチを押す。
「ごめんね、オギが呼んでる。また明日来るわ」
───オギ。
ヒヨリの兄のことだ。
いつもそいつからの電話が入ると、ヒヨリは急いでここを出ていってしまう。
「その包み、中に鏡が入ってるから」
バネ入りクッションについているボタンを操作しながら、ヒヨリ。
「鏡?」
「あんた前に持ってきたら、また見てみたいって言ってたでしょ」
「ああ」
そうだった。
「じゃ、ね」
みるみるうちにクッションが膨れ上がり、それに乗ってヒヨリは天井へ近づいていく。あたふたと天窓を開け、あっという間に地上へ出ていってしまった。
ここは地下。唯一地上とつながっているのは、高い天井についている、あの天窓だけ。
部屋には何もない。ベッドのほか、あの不思議なクッションと何が描いてあったのかさえわからない、古ぼけた額縁の絵。
それだけ。
でも今日はヒヨリが置いていった水色の花、それに鏡がある。
「マーガ……」
水色の花を取り上げて、ぼくは名前を思い出そうとする。
「マー……ガ、レトー?」
まーがれと。
違う、かもしれない。
一度聞いただけの名前───そうだった気もするし違う気もした。
またあとで聞けばいいやと思い直し、水色の花をベッドに置く。
次は鏡だ。
保護用の布を取り、鏡面を覗き込む。そばかすだらけの少女が映っていた。
「この前は中年の男。その前はきれいな青年。今日はそばかすの女の子か!」
ぼくはベッドに鏡を放り投げる。
自分の本当の姿を、ぼくは知らない。鏡に映るのが本当の自分の姿なのだとヒヨリは言うけど、そこに映るぼくの姿はいつも違うのだ。
殺風景の部屋を見渡し、ぼくはため息をつく。
天窓から射すおぼろげな光を仰ぎ、ため息をつく。
毎日が退屈だ。
でも地上に出たいとは思わない。
だってここにいれば、ヒヨリに会えるから。
どんなに退屈でも淋しくても、ヒヨリに会えるから。
水色の花はまあがれと。
きみに教わった。
ぼくは忘れない。
◇
トントン、と天井からノックの音。
ベッドに腰かけてぼうっとしていたぼくは、天窓を仰向いた。
地上からの光が目を突く。そしてわずかにそれを遮って、大好きな人影。
ガタンと天窓が開いて、まず包みが落とされる。いつものように。
「おはよう、ナキ! よく眠れた?」
続いて、彼女が落ちてくる。床に敷かれたバネ入りのクッションに、軽やかに着地する。
「今日はマーガレット、持ってきたの。ほら」
包みを開き、ぼくの前に水色の花を差し出した。
丸くて小さな水色の花。ぼくは受け取った。
「これがきみの好きな花?」
「そうよ。マーガレット。覚えてね」
彼女───ヒヨリはひとまとめにした髪をかきあげる。ぼくは目を細めた。彼女のその、背中までの長い髪がとっても好きなんだ。
「触ってもいいか?」
ついそう聞いてしまい、ヒヨリはちょっと驚いたようだった。彼女がこの部屋に来始めてから、ぼくがそんなことを言うのは初めてだったからだ。
「あのね、……髪の毛って好きな人にしか触らせちゃいけないのよ」
しばらくしてヒヨリはそう言った。気のせいか、頬が赤く染まっている。
ぼくはわざと鼻で笑った。
「ふうん、乱暴者のきみにも好きなやつなんているの」
「いるわよっあたしもう15よっ? 年下のあんたに言われたくないわよ」
「たった一年の差でどれだけ違うの」
ぼくは物心ついたときには、もうこの部屋にひとりでいた。どうしてここにいるのか、どうしてここから出る術がないのか、ぼくには分からない。
でもある日、ヒヨリが天窓を通じて遊びにくるようになった。
あれは───そう、確か一年くらい前のことだ。
そのときにぼくは初めて自分の歳を知ったのだ。
「少しだけ。いいだろ」
どうしても触りたくて、ぼくはもう一度押してみた。怒鳴られるのを覚悟で───ヒヨリはとても気が強かったから───手をのばしてみる。
意外にも、ヒヨリは黙ってうつむいただけだった。
怒ったのだろうかと思ったけど、髪への憧れが先立ってぼくはもどかしく指を更にのばす。
ひとまとめにしていたリボンをほどき、ゴムを取る。さらりと髪がこぼれ落ちた。
───なんて、きれいなんだろう。
赤茶けたぼくの髪とは、比べ物にならない。
うっとりして手で梳いていると、ピイィッと耳障りな音が鳴った。ヒヨリのGパンのポケットからだ。
ヒヨリは慌ててそこから携帯電話を取り出し、保留スイッチを押す。
「ごめんね、オギが呼んでる。また明日来るわ」
───オギ。
ヒヨリの兄のことだ。
いつもそいつからの電話が入ると、ヒヨリは急いでここを出ていってしまう。
「その包み、中に鏡が入ってるから」
バネ入りクッションについているボタンを操作しながら、ヒヨリ。
「鏡?」
「あんた前に持ってきたら、また見てみたいって言ってたでしょ」
「ああ」
そうだった。
「じゃ、ね」
みるみるうちにクッションが膨れ上がり、それに乗ってヒヨリは天井へ近づいていく。あたふたと天窓を開け、あっという間に地上へ出ていってしまった。
ここは地下。唯一地上とつながっているのは、高い天井についている、あの天窓だけ。
部屋には何もない。ベッドのほか、あの不思議なクッションと何が描いてあったのかさえわからない、古ぼけた額縁の絵。
それだけ。
でも今日はヒヨリが置いていった水色の花、それに鏡がある。
「マーガ……」
水色の花を取り上げて、ぼくは名前を思い出そうとする。
「マー……ガ、レトー?」
まーがれと。
違う、かもしれない。
一度聞いただけの名前───そうだった気もするし違う気もした。
またあとで聞けばいいやと思い直し、水色の花をベッドに置く。
次は鏡だ。
保護用の布を取り、鏡面を覗き込む。そばかすだらけの少女が映っていた。
「この前は中年の男。その前はきれいな青年。今日はそばかすの女の子か!」
ぼくはベッドに鏡を放り投げる。
自分の本当の姿を、ぼくは知らない。鏡に映るのが本当の自分の姿なのだとヒヨリは言うけど、そこに映るぼくの姿はいつも違うのだ。
殺風景の部屋を見渡し、ぼくはため息をつく。
天窓から射すおぼろげな光を仰ぎ、ため息をつく。
毎日が退屈だ。
でも地上に出たいとは思わない。
だってここにいれば、ヒヨリに会えるから。
どんなに退屈でも淋しくても、ヒヨリに会えるから。
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