七日メール

希彗まゆ

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最終章 いつかまた逢おう

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 糸が裂け、粉のように雪に散る。

「望月ひかり……お前……」

 暁が苦しそうに胸を押さえる。その形相に気おされそうになって、わたしはとどまった。

(一歩でも動いたらだめ)
「望月ひかり!」

 しゃがれた声。番人のものだ。
 見ると、【自由】になった番人がこちらに向かってきていた。

「その【芽】を抜け!」

 迷わずに、わたしは茶色い茎をつかんで思い切り引き抜いた。
 ささくれたかたい茎がてにひらにいくつも傷を作る。血が飛び散ったが、かまわなかった。

「ギャアァッ!」

 獣のように暁が悲鳴を上げる。

「あ──」

 見ると、引き抜かれた芽の中から、新しい芽が雪の中に現れるところだった。
 薄い黄緑色のそれは、みずみずしい光を放って暁の全身を一瞬にして消し去った。

<おわった>

 暁がいたはずの空間が、名残のようにくすぶっているのを見つめていたわたしの頭の中に、死神が語りかけてくる。

<おうづきるりはたすかったありがとう>

 ありがとう──そう言いながら死神はわたしの手から鎌を取り戻すと、どこかへ歩いていった。
 かわりに番人がわたしのもとへたどり着く。
 痛めたわたしの手をとり息を吹きかける。
 うそのように傷が消えていく。

「芽が育ったな」

 そして番人も、雪の中きらきらと輝く芽を見下ろす。

「【時は戻った】」

 え、とわたしは顔を上げる。番人の視線はそのままだ。

「過去と、王月瑠璃がいなかった未来と。その中間の時点まで時は戻った」

 番人の右手が左右に動く。
 窓を拭くような仕草に空中にあらわれたのは、ひとつの風景。

「現世(うつよ)だ。望月ひかり、お前をここに帰す」

 うつりかわる風景のいくつかに、見覚えがある。
 見ていたわたしは、ふと何かの気配に誘われて振り向いた。

「……翔子」

 身体は透き通っていたけれど。
 間違いなく、それは【わたしが知っている翔子】の姿。

<たくさん伝えたかった。だからあたし、【春夏秋冬】の片割れになったの>

 たくさん伝えたかった──愛している、ということも。
 とてもとても大事だよ、ということも。

「つたわったよ」

 涙が頬を伝う。
 とめられなかった。

「つたわったよ、翔子」
<ひかり>

 そして。
 翔子の隣に、父の姿を見つけてわたしは声を上げて泣いた。

「とうさん……とうさんとうさん」

 父の魂がわたしを抱きしめる。
 確かにあたたかさを感じて、わたしは何度もしゃくりあげた。

「いかないで、いっちゃいやだ、もうはなれたくないよ」

 亡くなった瞬間にも、葬式のときにも言えなかった我侭が次から次へと飛び出す。
 困ったふうでもなく、父は静かに微笑んでいた。
 やがてどれくらいの時が経ったのか、喉もかれてしまったわたしにゆっくりと、父は言った。

<父さんは我侭を言って、【春夏秋冬】のメールのはじめだけひかりに呼びかけさせてもらっていたんだ。気づいたかい?>

 疑問に思っていた、【最初だけの呼び捨て】。
 最初の文だけいつも「ひかり」と呼ばれていたわけがそれで分かった。

「ね、」

 わたしは泣きはらした瞳で父を見上げる。

「わたしが打った父さんへのメール、届いてた?」

 仏壇の前で、天国まで届くようにと打っていたメール。

<見ていたよ>

 見ていたよ──いつもそばで。
 もうどうしようもなくなって、わたしは嗄れた声で泣いた。
 最近ずっと泣いてばかりだったけれど、きっともうこんなに泣くことはないだろう。

<ひかり>

 父と翔子の輪郭が溶けていく。
 もういってしまう。
 必死の思いで、わたしは問いかけた。

「また会える?」

 未来の、どこかで。
 また、どこかで。

<会えるよ>

 父が言い、翔子がうなずく。

<いつかまた逢おう。でも忘れないでほしい。父さん達はいつもひかりのそばにいるよ>
「うん」

 いつか、【瑠璃の魂】もそう言っていた。
 今度こそ信じられた。

「うん。また、逢おう」

 今度父が目を覚ますときは、翔子が目を覚ますときには。
 そこは未来のどこかで、きっとわたしや瑠璃くん達に囲まれて「おはよう」という朝がいい、と思った。
 わたしは名前の由来をいつか父に聞いたことを思い出していた。

「父さん! 翔子!」

 わたしは、目を赤くしながら笑って手を振った。

「ひかりの朝が、待ってるよ」

 父と翔子は笑ったようだった。
 そうして、ふたりは消えていった。
 わたしもまた、意識がどこかに溶けていくようだった。
 ぼんやりと、むかしのゆめをみる。

 こんなふうに金色の雲に包まれた太陽の朝に、ひかりは産まれたんだ
 だから、ひかりと名づけたんだよ
 ひかりの未来のすべてを誰かに祝福してもらえるように──



「ん……」

 スカートのポケットからの振動に、わたしは目を覚ました。
 まだぼんやりした意識の中で、ピンク色の自分の携帯を取り出して開ける。
 仲のいい友達のひとり、逸子(いつこ)からだった。

『授業つまらん! ひかりの付き添いに行った王月くんがうらやましいよ~』

 逸子の笑い顔が目に見えるようで、わたしはつい吹き出した。
 そして、その内容に今度こそ鮮明に目覚める。

「おうづき……くん?」

 携帯も元から持っていたピンク色だ。日付を見ると、【最初に春夏秋冬からメールがきた】あの日になっている。

「【戻ってきた】?」

 声が降ってくる。
 見上げると、瑠璃くんの姿があった。

「瑠璃、くん」
「ひかりちゃんが体験してたこと、番人に見せてもらってたからきみが今現世(うつよ)に戻ってきたっていうことも分かってる。あと──分からないだろうから言っておくけど、ぼくはここに転入してきてるから──」

 瑠璃くんの言葉がとぎれる。わたしが抱きついていたのだ。
 驚いたような顔をしていた瑠璃くんは、やがて微笑んでわたしの頭を優しく撫でる。

「もうだいじょうぶだよ」
「うん」
「ぼくも全部覚えてるから」
「うん」
「先生に見つかるよ」
「う──」

 うなずきかけ、慌てて身体を離すわたしに瑠璃くんは笑ってみせた。

「嘘。田幡先生ならいつものように、見回りだよ」
「瑠璃くんの意地悪」
「ごめん、あんまりうなずくから可愛くて」

 顔が赤くなるのが分かった。

「そういえばまだ告白の返事、聞かせてもらってないな」

 本当に、意地悪だ。

「分かってる、でしょ」

 わたしの反応で、もう瑠璃くんには分かっているはず。
 立ち上がって、上靴を履く。隣で、瑠璃くんはぽつりと言った。

「ぼくももう一度、逢いたいな」
「誰に?」
「ひかりちゃんのお父さんと、翔子に」
「うん……逢えるよ。瑠璃くんならきっと」

 今なら、何故父が瑠璃くんに一連の話をしたのか分かる気がする。

「ヘンな理由だね」

 瑠璃くんは笑う。

「だって、瑠璃くんにもまた逢えた」

 どうしても、感動で声が震えてしまう。
 涙をこらえるのがせいいっぱいだった。
 気づいたのか、瑠璃くんが顔を覗き込んでくる。

「ひかりちゃん、ぼくはもうどこにもいかないよ」
「約束?」
「約束する」

 今度はそっと、瑠璃くんの身体を抱きしめる。
 抱きしめ返そうとした瑠璃くんの手がためらうのが分かって、わたしは微笑んだ。

「きっと、だいじょうぶ」
「でも」
「わたし、瑠璃くんのこと大好きだから」

 とくん、と瑠璃くんの心臓が高鳴ったのが伝わってきた。
 瑠璃くんの手が、しっかりと背中に回される。気が遠くなる気配もなかった。あの吹雪の中で、わたしの「拒絶反応」も克服できたようだった。
 ひかれあうように、くちづける。
 次の瞬間、どどどっと何人かが倒れこむ気配がして瑠璃くんはそっとカーテンを開いた。
 いつのまにそこにいたのか。
 というか、いつのまに集まっていたのか。
 わたしの友達と、瑠璃くんの友達と思われる男友達何人かがそこに崩れるように折り重なっている。

「だから押すなって言っただろー」
「だって全然見えなかったし」
「あたしはばっちり見えた!」
「俺も~!」

 頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になった気分だ。
 瑠璃くんが咳払いした。

「授業はどうしたのかな?」
「とっくに終わったよ。チャイムが壊れて鳴らなかっただけ。今修理中だって」

 逸子がにやにやしながら答えた。

「新聞部に教えにいこうぜ! 美形転入生王月瑠璃の恋のお相手望月ひかり!」
「おっ、いいねえ」
「逸子までっ!」

 どたばたと去っていく逸子達を追いかけようとしたわたしの手を、瑠璃くんはやわらかくつかんで引き寄せた。

「無駄だと思うよ。それに、ぼくは別にかまわないから」
「わたしはかまう! 恥ずかしくて校内歩けないよ!」
「そんなんじゃ結婚式もずっと下向いていそうだね」
「! ちょ、どういう意味、」
「意味を教えるのはまだ早そうだから」
「瑠璃くん!」

 わたしたちのじゃれあいを、誰かが見て笑いあったようだった。


──やくそくだよ
──もういちど、
──きっとまたあえるまで





《完》
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