七日メール

希彗まゆ

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二度と後悔せぬように

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<昔、まだろくに漢字も読めなかった頃さ。ぼく、【春夏秋冬】のこと【はるかあきふゆ】さんっていう人のことだと思ってたんだ>
<それってある意味すごく【読めて】たんじゃない? にしても、はるかあきふゆさんって瑠璃くん>
<そんなに笑うことないだろ>
<瑠璃くんだって笑ってるし>

 ああ……そういえば、そんな会話をしたこともあったっけ。
 思い出しながら、ぼんやり目を開ける。
 母の泣き顔があった。

「……ひかり」

 よかった、としがみついてくる母の重みを感じながら、辺りを見渡す。
 救急外来から運ばれたようだ、と気づくのにずいぶんかかった。

「瑠璃くんが身体で覆ってクッションみたいになってくれたの……だからあなたは軽傷ですんだのよ」

 その言葉に、はっと起き上がる。身体のあちこちが痛むがそれどころではない。

「瑠璃くんは?」
「まだ意識が戻らないの、特に外傷はないけど頭を強く打ったらしくて……集中治療室にいるわ」

 ご家族もきてるの、と母は涙声だ。
 母がここにいる──ということは。

「母さん、父さんは? ひとりにしてきたの?」
「寿樹がきてくれてるはずよ。家に電話して呼んだから」

 高一のわりにはしっかりした弟の顔を思い浮かべる。けれど、暁にかかってはどうだろうか。考えると、母と同じくらいに心もとない気がした。

「戻ろう、母さん。瑠璃くんはきっと無事。わたしももう平気だから」

 でも、と心配する母をむりやりつくった笑顔で宥めつつ父の病室へ行く。
 途中で寄ったトイレで血が流れた。痛みは何もない。事故のショックがあったのだろう──流産だった。

(ここまでは、本当に【過去】のとおり──)

 日付が違うだけだ。
 だとすれば──同じこの日に瑠璃くんと父が死ぬはずだ。
 その三つが重なった日が、わたしの【最悪の日】だったのだから。
 長いこと母を待たせられない。
 何かあったと悟られてはならない。
 これ以上負担はかけられない。
【二度目の経験】だったとしてもわたしには、人知れず散ってしまった命が哀しくて仕方がなかった。
 涙をこらえずにはいられなかった。

<……さん>

 ふと、よばれたきがした。
【そんな名称】でよばれるはずがないのに、優しい声で。【何故か聞き慣れた声】で。

 おかあさん……

 だいじょうぶ、とでもいうかのように。
 わたしの胸に、あたたかさをともすように。

「翔子……?」

 懐かしい、【いるはずのなかった親友】を思い出す。
 ますます泣きたくなったわたしの頭にふと、過去に来る前に話した翔子との会話が選び出されたかのように浮かび上がった。

<番人はちゃんと元の世界に帰ったから安心して>

 翔子はそう言っていたはずだ。

<【鍵】はいつもきみのなかに。きみの記憶のなかに>

 空間を転移していたとき、瑠璃くんの魂もそう言っていた。
 わたしは急いでそこから出て、廊下で待っていた母を急かすように先を急ぎ、そっと父の病室を開けた。寿樹が立ち上がる。

「何も変わったことはなかった?」

 小声で、母が寿樹に尋ねる。寿樹はただうなずいたのみだ。

「ひかり」

 ふと、いつから目を覚ましていたのか父が呼んだ。

「どうしたの、父さん」

 歩み寄って笑いかけると、父はわたしの頭を撫でた。幼い頃、そうしていたように。

「つらい思いはひとりで抱え込むんじゃないよ」

 その優しい瞳が、すべてを見通しているようで。

「つらいのは、……父さんじゃない……」

 病魔に蝕まれて、こんなに声もしゃがれてしまって。
 苦しくないはずがないのに、どうしてここまでおもってくれるのだろう。
 こらえきれずにわたしは泣いた。

「大好きだよ、父さん」

 年頃になってからなかなか言えずにいたその思いを、ようやくわたしは言葉にできた。
 痩せ細った父にしがみついて、何度も何度も繰り返した。



 それから父がまた眠ってしまうと、わたしは「トイレ」と言って抜け出した。
 またなのかと言われるかと思ったが、母はそんな余裕はないようだった。
 病室を出て、左へ向かう。つきあたりの壁を──身体が潜り抜けた。

(やっぱり)

 再び左へ曲がりながら、わたしは足を速める。

(やっぱり【ここ】でも番人のところにいける)

 黒い携帯が導いてくれるかのように、さっきから振動を増している。
 無論、電話やメールがきているわけでもない。何度も開けて確かめたから確かだ。
 ただ、それが番人とひきあうものでもあるかのようにわたしの心を奮い立たせてくれている。
 やがて開けた場所は、以前も一度きたことのある空間だった。
 はてまで続くような曇天と、大きな門と。
 その前に並んで立つ人形達。
 今度はわたしが語りかける前に、人形達が騒ぎ始めた。

「ひかりだ! ひかりがきたよ!」
「遅い! 遅いよ! 手遅れになるとこさ!」
「まあまだ間に合う、そう焦るな!」
「番人がお待ちかねだよ! お入り!」
「お入り! お入り!」

 人形達が道をあけ、門が開く。わたしはそこを駆けた。

「番人さん!」

 呼びながら走った。
 早くしないと──その思いに駆られて、そうせずにはいられなかった。

「ようやく来たな」

 ふわりと黒い人影が現れて、わたしは今度こそぶつかった。そのまましがみつく。

「番人さん! ごめんなさい……ごめんなさい」

 人影は、見る影もなかったのだ。
 黒いシルクハットもマントもぼろぼろで。
 声も前よりもしゃがれているようだった。
 それは間違いなく、暁に【ちから】としての養分を吸われたからだろう。

「お前にやった携帯は私の心臓。遠くにあっては生きられぬゆえ自らトンボの姿になり現世(うつよ)に出た結果。望月ひかり、お前が謝ることは何もない」

 番人は、そんな危険を冒してまでわたしにこの携帯をくれたのだ。
 なのに、わたしは三日間も無駄にすごした。あの日を思うと悔やんでも悔やみきれない。

「望月ひかり。二度と後悔をしないために来たのだろう?」

 その声に、わたしはしゃくりあげながら顔を上げる。
 うなずいた。

「はい。志木暁にこれ以上好きにさせたくありません」
「望月勇雄は寿命だが、王月瑠璃は天命ではない。志木暁から護る手立てはある」

 すがりつくわたしを、番人は優しく押しとどめる。

「だが望月ひかり。お前はもうひとつ、思い出さなくてはいけない。【祈りの芽】はお前のどんな願いからできた?」

 それなら、とわたしは確信を持って口を開いた。

「大切な命に対して二度と後悔しないこと」

 番人はふかくうなずいた。

「お前の中の【うまく育たなかった芽】をもう一度育てなおそう。もう一度、時空の狭間で」

 く、と番人の右腕が挙がったかと思うとわたしは吹雪の中にいた。
 視界はただ真っ白で何も見えない。

「ここが時空の狭間、ですか?」

 風の音に負けぬようにと、半ば叫ぶように尋ねる。

<そうだ>

 番人の声が、どこからか、する。

<そこから一歩も動かず、己の真実だけを見極めよ。そのとき【芽】は成長しきるだろう>

 ふつり、声が途絶えた。
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