七日メール

希彗まゆ

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舞い上がれ万札

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 すっかりずぶぬれになって帰ってきたわたしを心配する母に「傘忘れちゃって」と言い訳したが、お風呂場の鏡で見ると目が真っ赤になっていた。

(泣いたって、バレたかな)

父がいなくなって落ち込みきっている母を、それでも毎日空元気で家事をやってくれている母を、これ以上追い詰めるようなことはしたくなかった。
 湯船につかって身体の芯まであったまると、早々にパジャマに着替えた。

「姉ちゃん、電話。三船(みふね)さんから」

 弟が子機を渡してくる。三船──翔子だ。
 そういえばほったらかしだったと慌てて電話に出たわたしは、そのまま夕食の時間まで話し込んだ。
 その夜は、久しぶりにぐっすり眠れた。
 誰かの夢を見たような気がしたけれど、いつも夢を事細かく覚えているわたしには珍しくおぼろげで分からなかった。



『おはよう。今日すごくいい天気。そういえばお金、どうしよう』

 今日は火曜日。
「人生最悪」の日から続いていた体調不良も、本当に久しぶりに消え去っている。
 朝ごはんのトーストをかじりながら春夏秋冬にメールを打つ。
 ゆうべ電話で翔子とは愚痴を言い合ったりしただけで、お金をどうするか具体的な相談をするのは忘れていた。

『おはよう、ひかり。例のお金のことならひかりが気にするまでもないからね』

 ホットミルクを飲んだところでそんな返信が返ってくる。

『気にするまでもないって、どういうこと?』

 支度を整えて靴を履く。
 さっき洗面所で確認したところまだ目は赤かったが、ゆうべは母も弟も触れないでいてくれた。
 そのかわりというか、夕食がわたしの大好物ばかりだったことに感謝した。今朝も母も弟も何かと笑顔だ。
 父はこんなに、あたたかい家族を作ってくれた。わたしにくれた。
 わたしへのメールの返信の最初には、そういえばいつも春夏秋冬は「ひかり」と呼ぶ。あとは「きみ」なのに何故だろう?
 ちょっと疑問だったが、本当に父にもこのメールが見えているのだろうかと信じたい気持ちにもなっていた。

(そんなことあるはず、ないけど……)

 話したかったこと。一緒にやりたかったこと。
 父がいなくなって、それらがいっしょくたになって心残りとしてわたしを苦しめていたから。

『学校に行ったら、いやだろうけど八川健路を見ていてごらん』

 家を出たところでその返信。
 頭の中はハテナマークでいっぱいだったわたしだが──すぐにそれは納得することになった。



 学校につくと、先に来ていた翔子が「おはよう!」と元気な声をかけてきてくれた。

「おはよ、ねえ健路──八川いつものとこかな?」
「八川?」

 翔子は心配そうに眉をひそめる。

「うん、バスケ部の朝練じゃない? ひかり、もう関わらないって決めたんじゃなかったの?」
「うん。今日は見学」
「見学って」

 確かに顔だけは綺麗だけどマザコンじゃ意味なくない?と続ける翔子は、それでも教室を出るわたしのあとについてくる。
 バスケ部の部員達に憧れる女生徒達の群れに紛れて八川健路を見守るわたしたちだったが、そうしているうちに終了時間がきてしまった。
 肩透かしをくらった気持ちのわたしは、見てしまった。恥ずかしそうにタオルを手渡す女生徒と、こちらもはにかむようにそれを受け取る健路の姿を。

「なんじゃーあれ!」

 翔子が小声でキレる。

「あの子前から八川の周りつきまとってた子だよね?」
「うん……確かどっかのお嬢さんだから健路──八川には丁度いいんじゃない」

 春夏秋冬のバカ。
 心の中でそうつぶやいたわたしは痛む胸を押さえて目を外そうとした──とたん。

「わっ!?」
「きゃっ!?」

 健路と新しい彼女が同時に悲鳴を上げた。
 健路が持っていたボールがはじけ、お金が舞い上がったのだ。勢い良く天井に向けて、噴射でもしたかのように。
 体育館内はたちまち大騒ぎになった。

「なにこれ、八川くん手品!?」
「でも全部八川くんの身体にはりついてってるし! ちょっと不気味かもォ!」

 噴射した万札は、確かに健路の身体に耳なし芳一の呪文のように一枚一枚はりついていく。

「おれじゃねぇよ! ちょっ……これなんとかしてくんね!?」

 気がつけば焦っているのは健路だけで、体育館は驚きと笑いの渦になっていた。

「八川先輩、これ誰かの走り書きみたいですけど」

 目の前の「マジック」にほかのギャラリーと同じく驚き笑っていた新しい彼女が、ふと足元に落ちた一枚の紙切れを拾い上げる。読み上げた。

「『健路と別れてくださってとても感謝しております。今後一切の関わりを親子共々かたくご遠慮致します』……」

 一気に静まり返る、体育館。
 わたしと翔子だけが思い当たり、互いに顔を見合わせた。
 健路は更に焦って「な、なんにもねぇよ!」と意味不明な言葉をわめき、ギャラリー達は皆思いついたことをひそひそと隣同士で話している。
 わたしは翔子と共に教室へ逆戻りして自分の鞄の中を探ってみた。
 ──ない。

「ないよ、翔子」
「鞄に入れっぱなしだった? 間違いない?」
「うん、間違いない」

 わたしたちは再度顔を見合わせ、同時に吹き出した。

「あはは、なあにあれぇ! ひかり何したの!?」
「わたしはなんにも、ほんとに何も!」
「でもいい気味! 誰かがバチ与えたのかもね! 胸がすっとしたぁ!」

 クラス中がびっくりしたようにわたしたちを見ていたが、どうでもよかった。
 間違いない、これは春夏秋冬の仕業に違いない。
 やがて授業が始まっても健路は戻ってこなかった。いつの間にか鞄もなくなっているから、ひそかに早退したのかもしれない。

『ありがと、春夏秋冬』

 教師の目を盗んでこっそりとメールを送ると、

『ぼくは何も。きっときみの心を誰かが汲んでくれたんだよ』

 と素知らぬふうな返信がきた。
 顔も見たことのない春夏秋冬が携帯の向こうで悪戯っぽく微笑んでいる気がして、わたしも胸がくすぐったかった。
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