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真実は、愛しくて

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別れ際上原先輩は、わたしにこう言った。

「キスしちゃったのはごめんね? 璃乃ちゃんのことずっと好きだったっていうのは嘘だから安心して。でも、竜一に飽きたらいつでも俺のところにおいでよ」

キスされたことよりも上原先輩のことよりも、さっきからずっと泣きそうになにかをこらえている新田さんのことが気になっていたわたしは、「はあ」とも「はい」ともつかぬような、上の空の返事をしただけで。
成宮さんの車に乗せられて「エテ」の駐車場に戻っても、

「そういうわけだから、俺もこれからは璃乃ちゃんに手は出さないから」

成宮さんがそう言って去って行っても、新田さんは無言のままで。
たぶん成宮さんも上原先輩の意図を、最初から知っていたんだと思う。そのうえでわたしと新田さんを上原先輩のところへ連れていったんだろう。

新田さんの車に乗ってマンションに戻り、冷蔵庫に食材がそろっていたのをいいことに新田さんの好物の煮込みハンバーグを作ったのに、新田さんはどこかぼんやりとしたままだった。
それでも話してくれるのを辛抱強く待ち続けてお風呂から上がってくると、新田さんは寝室のベッドに腰かけてケータイを見ていた。

「覚えてるか、これ」

声をかけられて、

「なんですか?」

新田さんの隣に腰かけて、ケータイを覗き込む。
そこには中学生のころのわたしが、雪柳と一緒にぎこちない笑顔で写っていた。

「あ、これ……確か上原先輩に撮られた写メです。『記念に一枚欲しい』っていきなり言われて戸惑って……だから笑顔、引きつっちゃってますけど」

この写メ、上原先輩に譲ってでももらったのだろうか。
わたしのそんな疑問を、新田さんはあっさりと打ち砕いた。

「これは、俺が撮ったんだ」

「え?」

新田さんはなにを言っているのだろう。
きょとんとするわたしを見つめて、新田さんははっきりと言ったのだった。

「おまえが思っている“上原先輩”は──おまえの記憶の中の“上原先輩”は……、俺だ。泣いているおまえに声をかけたのも、俺だった」

頭の中が混乱し、真っ白になり、また混乱する。
その中からひとつだけ、ぷかりとあぶくのように浮かび上がってきた推測があった。

「もしかして……入れ替わってた、とか……ですか?」

それでもわからないことがたくさんあるのだけれど、それが答えのような気がしてならない。
新田さんは「そうだな」とつぶやいた。

「順を追って話そうか。俺と聡一のあいだにあったことから」

新田さんの様子から、真剣な話だと察しがつく。
隣に座ったままできる限り、新田さんに向き直った。

「お願いします」

「……ああ」

新田さんはそれから言葉を探すように視線をさまよわせ、ケータイに写し出されたままのわたしの写メに視線を戻す。

「俺と聡一は仲が良くて、両親が離婚しても学校でも学校が終わったあとも一緒に遊んでた。聡一には絵の才能があって、コンクールでも何度も優勝していた。その筋の専門家に言わせれば、他の誰にも描けない線を聡一は描けるということだった。それは弟の俺にとっても誇りで、両親にとってもそうだった」

上原先輩は芸術方面に明るい、高校と一緒になっている中学校に通うことにしたのだという。
それはわたしとおなじ、S学院だった。
新田さんはお母さんと暮らしている家と遠いという都合で、おなじ学院には行かなかった。
わたしがS学院に行ったのは、せめてもの親戚の見栄だったのだけれど、上原先輩にはちゃんと実力も伴っていたのだ。

「親父やおふくろに止められてもいたのに、中学に入っても俺は聡一を毎日のように遊びに連れ出した。高校に入ってバイクの免許も取って、俺はますます浮かれた。天罰のように……高校三年の冬、雪の日に……事故に遭った」

いつものように上原先輩を後ろに乗せていた新田さんは、車と軽くではあったけれど接触事故を起こしてしまったらしい。
幸い新田さんにも相手の運転手にも大きな怪我はなかったけれど、上原先輩は右手の腱に傷を負ってしまった。
当然絵は当分描けなくなり、描けるようになっても、専門家に言われていたような「他の誰にも描けない線」を二度と描くことができなくなってしまった。

上原先輩は新田さんを憎み、新田さんもまた上原先輩に対して大きな罪悪感を背負うことになった。
自棄を起こした上原先輩は学校に行くのも億劫になり、かわりに新田さんをS学院に登校させ始めた。
新田さんは上原先輩になりきって、自分の学校を休んでまでS学院に通うことになったのだ。

「事故のことは学校のみんなも知っていたし、聡一は友達も多かったから、多少話が噛み合わなくても事故のせいと友達が多いせいだと友達も教師も思っていたようだった。俺はもうK大学に推薦が決まってたから、自分の学校にはあまり行かなくてもよかったしな」

そうして新田さんは上原先輩の言いつけどおり、学校であった出来事を逐一上原先輩に報告していた。
そんななか、新田さんの目に入ったのがわたしの姿だった。
ひとけのない中庭は、新田さんの……上原先輩のクラスの窓際の席からはよく見えた。
そこでいつも泣いているわたしを見つけたのだという。

「声をかけようと思ったのは、たぶん俺も心に闇を抱えていたから……だと思う。聡一という心の闇を。……自業自得なんだけどな。おまえには、中等部のころから嫌なことがあるとここによく来てたって、もっともらしい嘘をついた」

まさかわたしに名前を聞かれるとは思ってもいなかった、と新田さんは言った。

「それでもおまえのことも聡一には話しちまってたから、俺は本当の名前を名乗ることすらできなかった。だからあのとき、聡一の名前を名乗ったんだ」

新田さんは、そっとケータイの液晶画面……わたしの写メを親指で撫でる。
慈しむかのように。

「それからおまえと会って話すことは、俺にとって癒しになった。おまえは俺と話すと笑顔になってくれた。こんな俺でも誰かの光に、支えに、少しでもなれているんだって思えて……どんどんおまえに惹かれていった」

けれどそんな新田さんの胸の内を、上原先輩は見抜いてしまったのだという。
それは高校の卒業式の前日だった。

「もう入れ替わらなくてもいい。おまえには恋愛する権利も自由もない。聡一にそう言われて、俺はおまえへの想いを封じ込めた。……あのとき会う約束をしていたのに、守れなくてごめんな」

次々に明かされる信じられない真実に、わたしはふるふるとかぶりを振るだけでせいいっぱいだ。
けれど、心は不思議と穏やかだった。

「大学に行っても社会人になっても、おまえへの想いは消えなかった。そのあいだ、忘れられるかと思って何人かの女ともつきあったけど、無駄だった。おまえ以上に好きになれる相手なんて現れなかった」

そこで初めて新田さんはわたしのほうを向き、わたしの頬に、そっと愛しげに手を添える。

「ある日いつものように行きつけのバーに行ったら、おまえがいた。そのときの俺の驚きがわかるか? ずっと想っていた女がバーテンダー相手に、俺に都合のいい愚痴を吐いていたんだから」

わたしは返事のかわりに、頬に添えられた新田さんの手に自分の手を重ねた。
なにも、言葉が出てこない。

わたしは確かに上原先輩とは別として、新田さんを好きになった。
だけどずっと憧れていた上原先輩が、本当には新田さんだった。
その事実が嬉しすぎて、新田さんのことが愛しすぎて──。

「だから俺は契約を持ち出したんだ。ぶっちゃけ、結婚してるふりが必要だなんて言い訳だった。おまえをそばに置いておきたい、その一心だったんだ」

新田さんの唇が、わたしの額に触れる。
軽い、天使の羽が触れるようなキス。

「おまえがいまの俺を好きになってくれるだなんて都合のいいことは考えていなかった。なのに、おまえはいまの俺のことを好きだと言ってくれた。おまえと結婚するにしても、聡一が許してくれるかわからない。本当のことだっておまえに言うことなんて許されないと思っていた」

だけど、と新田さんの声が掠れる。

「聡一は、俺を……許してくれた。幸せになれって、……」

あとは言葉にならない。
そんな新田さんの頭を、わたしは両手で抱きしめた。

新田さんが、泣いている。わたしの大好きな人が、嬉しくて泣いている。
わたしはそのすべてを、彼のすべてを受け止めようと思った。

いま思えば、とわたしは思い返す。
小野さんのことがあったとき、新田さんはビルの屋上で、わたしにあたたかな言葉をかけてくれた。
中学のときのことも知らないはずなのに、わたしのすべてを受け止めてくれた。そのあともずっと、あたたかな心でわたしのことを受け止め続け、受け入れ続けてくれた。

だけどそれは、新田さんが“上原先輩”だったからなんだ。
新田さんは、ずっとずっとわたしのことを見ていてくれたんだ。

「わたし、嬉しいです。わたしの目に狂いはなかったんですね。わたし、ずっと新田さんのことが好きだったってことですもん」

だからわたしは、新田さんに想いを返す。
いままでずっと無意識にでも、そうしてきたように。

「何度でも言います。わたし、どんな新田さんでも大好きです。愛して、ます」

すると新田さんはわたしの両手首を優しくつかんで、顔を上げる。
まだ目は赤かったけれど、優しい微笑みを浮かべていた。
それはいままでにないくらい、安らぎに満ちた笑顔だった。

「俺も、何度でも言う。ずっとおまえのことが好きだった。これから先もずっと好きだ。一生かけても、愛し抜いてやる──」
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