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Ⅸ
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気がつくと、視界いっぱいに玲の顔があった。
彼はわたしの頬をたたいていて、何度も何度もわたしの名前を呼び続けていた。
脱出ポッドが、起動していない───。
次第に我に返るわたしの瞳を見つめて、玲はもう一度、わたしを呼んだ。
「芽生……聞こえてる? 芽生」
どうして……。
どうして、ドームが爆発しないの。
確かに、スイッチを押したのに。
わたしの表情を読み取ったように、玲はわたしの手からリモコンを取り上げ、身体を引きずるようにしてポッドの入口を開けた。
「きみが最初にこのスイッチを押そうとしたあの幼いころ。あの後、このスイッチだけじゃドームが爆破しないようにぼくがデータを書き替えたんだ。誰ももう、爆破なんてできないように」
わたしの身体から力が抜ける。
では、もうわたしにできることは何もないのだ。
わたしはなんて無力なのだろう───。
ぽたぽたと涙を流すわたしの頭を、玲は抱きしめる。
「オアシスに着いて生活が安定したら言うつもりだった。
───『禁忌の都』に行ったきみのことを知っている人間がいる。知っていてなお今もそこにひそんでいるふたりの人間がいる。
そこには、ぼくの親友と、ぼくの……ぼくと芽生の子供がいるんだ」
こど……も……?
わたしと、玲の───?
「一緒に『禁忌の都』に行ったその数年後、きみはひどい風邪を引いて寝込んだことがある。覚えてる?」
こくん、とうなずくと、玲はわたしの頭を優しく撫でる。
自分の身体のほうが、つらいだろうに。
「あのとき、芽生の卵子を採取させてもらった。誰にも内緒でぼくの精子とかけあわせて子供を作ったんだ。人工授精に詳しい歳の離れた親友が地下牢獄にいたから、彼を助け出して一緒に作ったんだよ。
ちゃんとした赤ん坊に育ったら、きみにももっと早く言うつもりだった。
だけど、その子供はすぐに未知の病に侵されてしまった」
形のいい指がわたしの顎をつまんで上を向かせる。
玲───泣いて、いる。
あの強くて優しい玲が泣いている───。
「救う手立てはクローンに脳を埋め込むあの方法しかった。だからぼくもきみのお父さんに頼み込んで、研究に参加させてもらった。自分がレクリアの被験体になるなんて思いもしなかったけど───。
子供のことは誰にもばれないように、親友に頼んで『禁忌の都』に移動して育ててもらってた。必要な物資は時々彼が車で取りにきていたんだよ。
……ぼくのこの今の身体には、チップが埋め込まれている。ぼくがどこにいても、それによってデータはきみのお父さんのもとに転送される。
だから、きみとオアシスで暮らしてもデータは取れてレクリアを完成させることができる」
玲───レクリアが完成していないことを、はじめから知っていた……?
わたしと玲の子供のために、騙されたふりをしてそんなことを、
でも、
どうして───?
なぜ、彼はわたしとの子供をそんなにも早く欲しがったのだろう。
いずれ子供も作ろう、と確かに玲は言っていた。
でも実際には既に子供は、いたのだ……。
玲は泣きながら微笑む。
わたしの頬を愛おしげに撫でる。
「だって、
ぼくとの子供がいればきみはこの世界のことを少しでも好きになれると思ったから」
物資を「禁忌の都」に送れなくなったら、その親友もわたしたちの子供も困るだろう。
生活していけなくなるだろう。
子供のことも、玲のことだからだいぶ前から考えていたに違いない。
だから。
だから───誰が魔がさしてもいいように、玲はドームが爆破しないようにデータを書き替えたのだ。
「子供の浅知恵だって笑ってもいいよ。誰に笑われてもいい。
でもどうしても、ぼくは芽生をぼくの手で幸せにしてあげたかったんだ───」
わたしは玲の身体にすがりついた。
そんなことない。
そんなこと、誰にも言わせない。
「きみが人魚の肉を食べたと分かって、オアシスで暮らしている間にその子にちゃんと完成したレクリアを施して、そしたら親友に連れてきてもらおうと思った。その子のために兄弟も作って……一緒に遊んであげたかった」
だけど、それはかなわない。
玲はあと数日で、死んでしまう。
わたしは、むせぶように泣く玲のてのひらに、ひと文字ひと文字丁寧に言葉を書いた。
『なんていうなまえ?』
玲はしばらくして少しだけ泣きやんでから、答えた。
「聖夜の聖って書いて、ヒジリ。男の子だよ。今2歳だ」
わたしは更にてのひらに書いた。
『うれしい。ありがとう』
「ぼくを怒らないの? 勝手なことをして。勝手に子供を作ってて……怒らないの?」
いつもわたしを引っ張ってくれていた玲。
その頼りがいのある玲がそんなことを聞くなんて、おかしくて笑ってしまった。
声も出さずに微笑むわたしに、玲がそっとくちづける。
「きみの笑顔が一番好きだ。ぼくをオアシスに連れて行って……大好きな、芽生」
わたしはうなずいた。
そこが、玲の選んだ死に場所なら。
わたしが反対する理由はない。
彼はわたしの頬をたたいていて、何度も何度もわたしの名前を呼び続けていた。
脱出ポッドが、起動していない───。
次第に我に返るわたしの瞳を見つめて、玲はもう一度、わたしを呼んだ。
「芽生……聞こえてる? 芽生」
どうして……。
どうして、ドームが爆発しないの。
確かに、スイッチを押したのに。
わたしの表情を読み取ったように、玲はわたしの手からリモコンを取り上げ、身体を引きずるようにしてポッドの入口を開けた。
「きみが最初にこのスイッチを押そうとしたあの幼いころ。あの後、このスイッチだけじゃドームが爆破しないようにぼくがデータを書き替えたんだ。誰ももう、爆破なんてできないように」
わたしの身体から力が抜ける。
では、もうわたしにできることは何もないのだ。
わたしはなんて無力なのだろう───。
ぽたぽたと涙を流すわたしの頭を、玲は抱きしめる。
「オアシスに着いて生活が安定したら言うつもりだった。
───『禁忌の都』に行ったきみのことを知っている人間がいる。知っていてなお今もそこにひそんでいるふたりの人間がいる。
そこには、ぼくの親友と、ぼくの……ぼくと芽生の子供がいるんだ」
こど……も……?
わたしと、玲の───?
「一緒に『禁忌の都』に行ったその数年後、きみはひどい風邪を引いて寝込んだことがある。覚えてる?」
こくん、とうなずくと、玲はわたしの頭を優しく撫でる。
自分の身体のほうが、つらいだろうに。
「あのとき、芽生の卵子を採取させてもらった。誰にも内緒でぼくの精子とかけあわせて子供を作ったんだ。人工授精に詳しい歳の離れた親友が地下牢獄にいたから、彼を助け出して一緒に作ったんだよ。
ちゃんとした赤ん坊に育ったら、きみにももっと早く言うつもりだった。
だけど、その子供はすぐに未知の病に侵されてしまった」
形のいい指がわたしの顎をつまんで上を向かせる。
玲───泣いて、いる。
あの強くて優しい玲が泣いている───。
「救う手立てはクローンに脳を埋め込むあの方法しかった。だからぼくもきみのお父さんに頼み込んで、研究に参加させてもらった。自分がレクリアの被験体になるなんて思いもしなかったけど───。
子供のことは誰にもばれないように、親友に頼んで『禁忌の都』に移動して育ててもらってた。必要な物資は時々彼が車で取りにきていたんだよ。
……ぼくのこの今の身体には、チップが埋め込まれている。ぼくがどこにいても、それによってデータはきみのお父さんのもとに転送される。
だから、きみとオアシスで暮らしてもデータは取れてレクリアを完成させることができる」
玲───レクリアが完成していないことを、はじめから知っていた……?
わたしと玲の子供のために、騙されたふりをしてそんなことを、
でも、
どうして───?
なぜ、彼はわたしとの子供をそんなにも早く欲しがったのだろう。
いずれ子供も作ろう、と確かに玲は言っていた。
でも実際には既に子供は、いたのだ……。
玲は泣きながら微笑む。
わたしの頬を愛おしげに撫でる。
「だって、
ぼくとの子供がいればきみはこの世界のことを少しでも好きになれると思ったから」
物資を「禁忌の都」に送れなくなったら、その親友もわたしたちの子供も困るだろう。
生活していけなくなるだろう。
子供のことも、玲のことだからだいぶ前から考えていたに違いない。
だから。
だから───誰が魔がさしてもいいように、玲はドームが爆破しないようにデータを書き替えたのだ。
「子供の浅知恵だって笑ってもいいよ。誰に笑われてもいい。
でもどうしても、ぼくは芽生をぼくの手で幸せにしてあげたかったんだ───」
わたしは玲の身体にすがりついた。
そんなことない。
そんなこと、誰にも言わせない。
「きみが人魚の肉を食べたと分かって、オアシスで暮らしている間にその子にちゃんと完成したレクリアを施して、そしたら親友に連れてきてもらおうと思った。その子のために兄弟も作って……一緒に遊んであげたかった」
だけど、それはかなわない。
玲はあと数日で、死んでしまう。
わたしは、むせぶように泣く玲のてのひらに、ひと文字ひと文字丁寧に言葉を書いた。
『なんていうなまえ?』
玲はしばらくして少しだけ泣きやんでから、答えた。
「聖夜の聖って書いて、ヒジリ。男の子だよ。今2歳だ」
わたしは更にてのひらに書いた。
『うれしい。ありがとう』
「ぼくを怒らないの? 勝手なことをして。勝手に子供を作ってて……怒らないの?」
いつもわたしを引っ張ってくれていた玲。
その頼りがいのある玲がそんなことを聞くなんて、おかしくて笑ってしまった。
声も出さずに微笑むわたしに、玲がそっとくちづける。
「きみの笑顔が一番好きだ。ぼくをオアシスに連れて行って……大好きな、芽生」
わたしはうなずいた。
そこが、玲の選んだ死に場所なら。
わたしが反対する理由はない。
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