星物語

秋長 豊

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第7章 それぞれの戦い

37、現れた鍵

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 彼女の体の震えは収まっていた。むしろ、うつろだった目は狂気で満たされ、完全に目の前のエシルバに切り掛かろうとしている。エシルバはどうしたらよいのか分からず、とにかく彼女を傷つけてはいけないと自分に言い聞かせた。

「心の弱い人間は哀れだ」
 ナジーンは勝ち誇ったように下品な笑いを漏らした。

「黙れ」

「なんだって?」

 エシルバは拳を握り締めてから静かにもう一度言った。
「黙れよ!」

 それでもなお、ナジーンは人を見下すような目を止めなかった。

「哀れなのはあなたの方だ」
 エシルバは、力を込めて言った。

「優しさなど無意味だ。この世で勝ち残るのはそれさえも利用し、掌握し、こうかつに操る者だけだ」

「あなただって、最初はシブーを志す心を持っていたはずだ。アタッシュケースの中に納まった、ピカピカの制服、銀色のベルト、バドル銃、そのどれもが真新しくで、うれしい気持ちになったはずだ。それなのに、どうしてこんな」

「そんなことは、どうでもいいのだ」ナジーンは言い放った。「さぁ、どうする。エシルバ。君が石板の文字を読もうとしないのならば、その子の命は助からない。しかし、もし君が賢い選択をしたのならば彼女は救われる」

 エシルバはあっと息をのみこんだ。ポリンチェロが手に持っていた短刀を自分の胸に突き刺そうとしている。標的が自分ではないのだと悟り、これほどまでに焦ったことはなかった。

「君は賢いはずだ」ナジーンは追い詰めにかかった。

 この男は、石板に書かれているという言葉の意味を知りたがっている。しかし、エシルバには文字なんて見えなかった。例え見えたとしても、絶対に教えるわけにはいかない。エシルバの決心は堅く、揺るぎないものだった。そうだ、ナジーンにうそを言えばいい。適当に言ってもばれないだろう。なぜなら、あの石板の文字を読めるのは自分だけなのだから。

「分かった」

「そうか、話す気になったか」
 ナジーンは優しい声になってエシルバを自分のそばに招いた。エシルバはポリンチェロのことを心配して振り返りながら彼女のそばに歩み寄った。うそを言えばいい。ただそれだけが頭の中を占領し、無駄な考えを起こさないようにしていた。ただ、ここで不思議なことが起こった。

 うそを言おうとした途端、口がこわばり、何も言えなくなってしまったのだ。ナジーンが恐ろしいほど顔を近づけて声をひそめた。

「さぁ」
 彼女の視線を浴びていると、うそが言えない状態になってしまった。なぜ? エシルバは必死に口を動かそうとしたが、やはりうまく声が出なかった。不安になったエシルバはとっさにナジーンから離れて冷や汗を拭った。

「私のこの目からは逃れられない」
 気が付けば、エシルバはナジーンとポリンチェロの板挟みになっていた。エシルバはナジーンの視線から逃れるようにしてポリンチェロに向き直った。

「少し痛めつけないと分からないようだ。ポリンチェロ」
 ナジーンは目で合図を送った。そんなばかみたいな命令を彼女が聞くだろうか? そう思った次の瞬間、ポリンチェロはナイフを突き出して襲い掛かってきた。

「やめろ!」

 リフの叫び声がしたのと同時に石がエシルバの近くをかすり、ナジーンの頭に命中した。一瞬妙な間があり、カヒィが飛び出してエシルバ目の前に飛び出た。

「やれ!」

 ナジーンの強烈な合図でポリンチェロの手に力が戻った。

 ナイフが音を立てて床に落ち、ポタポタ血が滴る音がした。カヒィは彼女を抱き締めて、何とかその場に立っていた。数秒たってから腹部に激しい痛みを感じたのか膝からくずれ落ちた。

「あんなやつに負けちゃ駄目だ」
 カヒィはポリンチェロにそうささやいた。

「僕も、負けない」

 ポリンチェロは手をダラリと垂らし、目からボロボロ大粒の涙をこぼした。エシルバは血相を変えてうずくまる2人を抱き寄せた。

「カヒィ!」エシルバは泣きそうになるのをこらえて必死に叫んだ。

 彼の傷口からは血があふれ出し、立つことも容易ではなかった。床に倒れ込み、完全に無防備な状態へと追い込まれてしまった今、エシルバはもう立ち向かうしかなかった。

「よくやった」ナジーンが楽しむように言った。
 リフは拳を握り締めてナジーンに殴り掛かろうと走った。だが、ナジーンは素手であっという間にリフを払いのけた。

「リフ、ジュビオ、逃げるんだ」
「君たちを置いて行けるわけないじゃないか!」

 リフはぐったりするカヒィとポリンチェロの体を起こしながら、徐々に近づいてくる足音に顔を険しくした。

「ちょうどいい」
 床に落ちた短刀を拾いながらジュビオレノークが言った。
「あんたを殺せば、母の無念を少しは晴らせるってわけか」

「駄目だ、ジュビオ! やめろ!」リフが叫んだ。

「ばかな子どもだ」

 殺意をとがらせたジュビオレノークは両手に短刀を握りナジーンに切り掛かった。だが、ナジーンの獣のように力強い手が彼の細い腕をいとも簡単につかみ、床に重いきり踏みつけた。もう、全員がボロボロでまったく歯が立たなかった。踏みつけられながらもジュビオレノークは憎しみの目を絶やさなかった。

「いい目だ」

 仲間が次々と傷つけられていく光景を見て、エシルバは悔しさと悲しみに支配されていた。ナジーンはジュビオレノークの手からこぼれ落ちた短刀を拾い、その切っ先を彼に突き立てようとしている。

「お願いだ! やめて! やめて!」
 エシルバは何度もそう懇願し、ひざまずいた。

「君は橋の上でこの子と戦っていたじゃないか。それなのに、かばうというのかい?」

 床に転がる親友の体、したたる血、この絶望的な状況下、エシルバの脳裏には真っ白な光の中にはるか昔の記憶が流れていた。一瞬のような、永遠のような、そんな穏やかで平和な満ち足りた光景だった。光の中に、かすかに美しい女性の後ろ姿が浮かんで見えた。やがて女性はゆっくりと振り返り、こっちに歩いてきてのぞき込んだ。

 ――お母さん?

 記憶にないはずの母がそこにはいた。優しい笑みを浮かべ、ほっそりとしたしなやかな手を伸ばしてエシルバの右手を優しく包み込んだ。母はそっと優しく右の手にキスをしてくれた。

 ――お母さん、お母さんなんでしょ? 待って

 ハッとしたとき、右手の甲が焼けるように痛み始めた。今までとは明らかに違う手がもげそうなくらい激しい痛みだった。

 しかし、「負けたくない」と強く思ったのと同時に、痛みがスーッと引いてうそのようになくなってしまった。驚いて見ると、右手の甲から鍵の文様が跡形もなく消えていた。

 エシルバが食い入るように手を見つめていると、目の前の床に見たこともない大きな鍵が現れた。何が起こったのか、エシルバはさっぱり分からなかった。

「それは?」

 ナジーンの顔に欲望の色が渦巻いた。

「ブユの鍵か?」

 エシルバはとっさに首を振っていた。

「どうやってそれを具現化した?」

 ナジーンが石板のそばからヨタヨタ歩いてきて、ブユの鍵をつかもうとした。エシルバは鍵を手繰り寄せて奪われないように力を込めた。

「それがあれば」

 ナジーンの手がグイッと伸びてきてついにつかんだ。エシルバは必至に抵抗したが、ナジーンに手を踏まれ鍵を手放してしまった。美しい芸術品でも見るようにナジーンは鍵をゆっくりと取り上げて不敵な笑みを浮かべた。

 そのとき、正気を取り戻したポリンチェロがバッとナジーンに飛び掛かった。しかし、鍵のことでうっとりするナジーンにとって彼女の力は小さな虫一つにも及ばなかった。と、ポリンチェロがナジーンの腕にがぶりとかみついた! ふいの痛みに叫び声を上げたナジーンは彼女を蹴飛ばしてから、歯形が残った自分の腕を見て嘆いた。

「図に乗るな!」

 だが、ポリンチェロのことよりも今は鍵の方が重要みたいだった。ナジーンはやがて鼻で笑うと元の冷静さを取り戻した。

「この鍵さえあれば、君の存在価値など皆無だ。一層のこと、ここで始末してしまおうか」

 エシルバは考えるより早くブユの鍵に飛び付いていた。絶対に離すものか。負けてたまるものか。体の痛みも、心の痛みも。エシルバはそれすら力に変えてみせた。

「これは私のものだ」

 ナジーンがそう叫び、バドル銃に手をかけようとした。2人は押し合いになり、エシルバは彼の力に何度も身の危険を感じた。やがて、手繰り寄せた鍵の先端が押し合った弾みで彼女の体に刺さった。あまりに一瞬の出来事だったので、この場にいた誰もがあぜんとした。

「な――な――なに」

 ナジーンは自分の腹部を見て途切れ途切れの声を漏らした。だが、血は一滴も出ていない。やがて、ある変化が訪れた。鍵からまぶしい光があふれ出したのだ。光はたちまちエシルバたちをのみ込み、目を開けていられなくなった。

 エシルバが鍵から手を離すと、ナジーンはよろけながら地面に手をついた。

「腹に……あぁ、あぁ!」
 ナジーンは自分の腹部を何度も確認しながら断末魔のような叫びを上げた。

 光が収まると、彼は少しずつ力を失って床に崩れ落ちた。

 彼女の手にあったジリー軍のマークがわずかに光を帯び、端から水に溶けるようにじわじわと消えていくのが見えた。

 光の粒となって宙に消えていくのを手で触れてみると、言葉では言い表せないような負の気を肌に感じた。

「リフ? カヒィ?」

 エシルバは瞬きしたほんのわずかの間に違う空間に飛ばされていた。見たこともない夜の社交場で、大勢の役人たちでにぎわっている。
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