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第5章 ブユの石板
29、カヒィの機転
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それから数カ月が過ぎた。
例の鍵はあらざる手袋のおかげで完全に隠すことができたので、誰かに追求される心配はなかった。エシルバにとって一番うれしかったのは、徐々にバドル銃とガインベルトの実習時間が増えてきたことだった。
しかし、問題は山積みだ。
ガインベルトの技習得にジグからの合格が出ていないし、講習会のまとめていないメモが30もあるのだ。リフやカヒィも同じように怠け癖があったので、エシルバは無意識に安心していた節があった。
しかし、ある日行われた座学の総合試験で結果が開示された際に恐ろしい事実を知ることとなった。
「上位3位以外は載らないんだ。俺たちには関係ないよ」
屯所内の会議室で成績発表が行われる数分前、リフが結果も待たずに帰ろうと言い出した。他の団員たちは自分が果たして圏外なのか上位に入っているのかを確かめるため、仕事終わりにわざわざ残って待っていた。
「今発表されたみたいだ。見てくるよ」
手を振って送り出したリフを目じりに、エシルバは群がる壁際に首を伸ばした。どれどれ……。結果を見終わったエシルバはリフの元に戻って首を横に振った。
「1位はポリンチェロかジュビオだろ」
「カヒィだ」
まるでこの場に時差でも生じているかのように、リフはかなり遅れて飛び起きた。リフと再び掲示板の前に行くと確かに1位のところにカヒィ|レフタと名前が載っていた。ちなみに2位はジュビオレノーク。エシルバは彼に負けたのが悔しかったが、カヒィが1位なのはもっと落ち込む。分かりやすく言えば、ろくにふざけて勉強もしていなさそうな友達が、実は真面目で学年1位の秀才というやつだ。
「2人とも、どうしたの? そんな顔して」
その日の夕食の席はカヒィだけがいつものテンションだった。そんな顔というくらいだから、エシルバは自分が相当がっくりきているのだと気づいた。
「あんなのただの順位だ」
「君には分からないだろうね」
リフは口をモグモグさせた。
「すごいよカヒィ、一体いつ勉強してた?」
エシルバが質問するとカヒィは食事にがっついていた顔を上げた。しかし、肝心の彼はというと「勉強? なにそれ」とでも言いたげである。
「試験範囲は講義の内容しかでない。簡単だよ。だけど実習は苦手だ。君たちみたいにうまく立ち回れない」
「講義? ほとんど寝てたじゃないか!」リフはわめいた。「とんでもない秀才がいたもんだ。将来はどうなりたいわけ?」
「発明家。博士だ」
カヒィは目をキラキラさせながら言った。
やっと合点承知がいったのかリフは指をパチンと鳴らした。
「俺はなにを言ってるんだろう! 使節団にくるようなやつはみんな普通じゃないんだよ。言ってる意味分かるか? こいつは使節団の一般枠で選ばれるようなすごいやつってことだ。つまり、それは天文学的確率なくらいすごいわけさ」
確かに、今更ながらリフの言うことは正しいと思えた。特に使節団なんて血縁や地縁がないと入るのは難しい最難関の組織だ。よほど才能とか能力が高くなければ選ばれもしない。
「ねぇカヒィ、親戚とかにシブーはいないの?」
エシルバは詮索せずにいられなくなった。
「父さんは役人だった」
カヒィは食事中の手をふと止めた。
「けど死んだよ」
話的には暗い話題だったが、カヒィは淡々と自分の両親について語った。なんでも、彼の父親は平役人(一番下の役人)で、ある時心不全で亡くなったそうだ。母親は今も兄と一緒に暮らしているらしいが、そこまで話したところで急にカヒィは疲れた顔をした。
「僕もまさか使節団に入れるとは思っていなかった。母さんはきっと喜んでくれると思ったさ。でも違った。むしろその反対だったよ。猛反対されたけど、僕は与えられたチャンスを生かしたくてここまで一人で来た。半ばけんか別れみたいなもんさ」
エシルバはついこの間のことみたいにアソワール叔父さんの顔を思い出した。叔父さんは最終的に送り出してくれたけど、カヒィは理解してもらえず離れ離れになったというわけだ。理解するまでもなく、つらいに決まっている。
その後は明るい話題が続き、3人はいつものようにばかなことを話して盛り上がった。
ところで、カヒィはモノマネが非常にうまいタイプだった。シィーダーの怒り寸劇からルゼナンの操縦動作まで、笑いを誘うのはお手の物。ただ、本人がいる前で見つかることもしばしばあって、そのたびに彼は弁明の達人に様変わりした。それも計算のうちなのかは知らないが、正直者のエシルバと融通の利かないリフにしてみれば、彼がそばにいることで大助かりすることの方が多かった。
特にシィーダーの説教タイムには効果てきめん。カヒィが言葉巧みに言い逃れをしてくれるおかげでシィーダーの怒りを分散化することができた。なので、派手で型破りなカヒィと一緒にいることで「またあの3人組」とひっくるめられるのにはもう慣れっこだった。
大樹堂に来てからの半年はあっという間だったし、それ以降もエシルバは屯所と練習場でほとんど缶詰め状態だった。他のメンバーが休暇中に堂下町や地下街で買い物をしに行っても、専門書と道具に付きっきりだ。他のメンバーも充実した役人生活を送っているように見えた。
けんかをして以来ほとんど口を利いていないジュビオレノークは、シィーダーに気に入られて随分と手を焼いてもらえているようだし、ポリンチェロは水壁師になるための仕事や勉強に精を出している。
カヒィもダントからみっちり仕事を教わっているし、リフは隙あらば憧れのジグに近づいて親密になろうとしていた。うわさで聞いた話によると、カヒィは師であるダントをついに理論で言いくるめたそうだ。とはいえ、ダントは温厚で許容範囲が広い。弟子の意見もないがしろにはせず見事に仕事に取り入れたというのだからアッパレだ。
エシルバも少しずつだが地道な努力の成果を得ることができた。まず、ジグの課題に合格することができたのだ。毎晩ガインベルトの自主トレーニングをしたおかげかもしれない。それと、リフやカヒィ、ポリンチェロが励ましの言葉をくれたからだ。
合格しても、ジグは決してエシルバを甘やかさなかった。それどころか、一日では終えられないような課題を与えられた。シクワ=ロゲン規則第1項から35項までの暗記は、正直歴史の年号を覚えるくらいに苦痛だった。
「シクワ=ロゲンの歴史」を第3章まで読み、要約レポートの作成。それからジグが仕事で使う資料の作成や、書類の整理、報告書の打ち込み……。あと、セムからもらった「ロッフルタフの歴史」はなかなかおもしろい本だった。書いてある言葉は難しいが、美しい挿絵を見るだけでも価値のある本だ。
新しい月に入って3日目の朝、3連休の初日を迎えた。エシルバがソファにもたれてバドル銃の作法を読んでいると、ルシカが専門書をかっさらって「古くさいなぁ」と見下すように言ってきた。彼はわざとページを半分までやぶった。カチーンときた。エシルバが本を取り返そうと立ち上がったとき、パイロット帽をかぶった上機嫌のリフが2人の間に割り込んできた。
「見て、見て、これ!」
「なに?」
エシルバはギロリとリフを見た。
「このパイロット帽、今日一日ルゼナンが俺に貸してくれるって」
リフの声はエシルバの何倍も生き生きしている。
「良かったね」
「なに、どうしたの? そんな顔して」
リフが2人の顔を交互に見た。
「僕の専門書をやぶったんだ。紙は替えが利かないのに!」
「やることが幼稚だよな」
リフはわざとらしく笑ってやった。
「この時代に紙なんて必要ない。対して役にたたない。データがすべてさ」
ケラケラ笑うルシカの前にヌッと人影が現れてドンッと派手にぶつかった。続いてビシャッと嫌な水の掛かる音。見るとからのコップを持ったカヒィが立っていて「おっと、ごめんよ!」と平謝りしているところだった。ルシカの服には上から下へ水が空中で弧を描いて飛んだ跡がくっきり。いつの間にか専門書はカヒィの手中にあり、すぐさまエシルバの元に戻ってきた。
「なにしやがる! ひどい、ぐっしょりだ!」
ルシカはカンカンに怒りだし、塗れた部分を拭こうと手元にあったティッシュを何枚も取って服をたたいた。彼がテッシュ一箱丸々使い切ったところでカヒィが新しい箱を持ってきた。
「ほら、ティッシュのおかわりだ」
「貸せ」
ルシカが強引にぶんどろうとしたところでカヒィは手を引っ込めた。
「この時代に”紙”は必要ないんだろう? 役立たないものならこりゃあ君に不要だな」
「……タオルで拭けばいいさ」
ルシカはカヒィを相手にせず近くにあったソファにどかっと座り、ゴイヤ=テブロを起動させた。意味などなかったが、急に恥ずかしくなって適当になんでもいいから違うことをしようと思ったらしい。しかし、次第に彼の顔はサッと青くなってパニックに陥った。いくら待てどもまったく起動しないのだ。いつもなら「こんにちは」と表示されるメッセージも浮かばず、なにも変化がない。
「お前のせいだな!」
ルシカがバッと立ち上がってカヒィの胸倉をつかみ掛かろうとし、エシルバが2人の衝突を止めた。カヒィは全くわれ関せずといった表情で首を振った。
「全然起動しない! なぜなんだ。防水だし水には大丈夫なはずなんだ」
適当にいじっていると、ついにメッセージが浮かんでいつも通りの画面になったらしい、ルシカは安心して胸をなでおろした。ところが、ある資料を確認してから「ない! ないない! 消えてる!」と大きな声で叫んだ。
ここでまた皮肉屋の登場。
「もしかして、データがおなくなりになったのかい? 残念だね」
「こいつはバックアップも取ってないデータなんだ! 替えが利かないのになんてことを!」
カヒィは突然噴いた。
「なにがおかしい?」
「いや。君のデータ、役に立たないなと思って」
エシルバとリフ、それから一部始終を見ていたほかの団員たちも思わず笑った。完全にお手上げ状態となったルシカはプルプル小刻みに震えて部屋を出て行き、彼の恥ずかしそうな足音は遠ざかっていった。
カヒィは何事もなかったように席に座ると水をくんで気持ちよさそうに飲み干した。
「さっきのどうやったんだよ」
リフがそそくさと隣に座って尋ねると、カヒィは新しくコップに水を注いでその中に調味料ケースから塩をとって振りかけ1粒の錠剤を沈めた。錠剤はブクブク泡を立てて消えてなくなった。「塩水の一丁あがり!」
「まさかこれで?」
エシルバは目を丸々とさせた。
「ゴイヤ=テブロの弱点は微弱の電気と塩。一時的に一部のデータが吹き飛ぶけどまたしばらくすれば元通りになるさ」
「そんなの即興で思いつかないよ、大したやつだな」
リフはヒラヒラと手を振って感服した。
ダントが爽やかな顔でやって来た。続けざまにポリンチェロがやって来て席に座った。なにやら彼女は浮かない顔をしている。ブルウンドが大きな皿を両手に抱え「料理が通るぞ!」と周囲に知らせた。
アーガネルがジグの尻に敷かれている雑誌を見つけ、グイグイ引っ張った。
「ちょっと、ちょっと!」
「おっと、失礼」
ジグは優雅にカップを置いてから尻の下にある雑誌を抜いた。紅茶に入れる砂糖を塩と間違えたのか、ダントが口から紅茶を吹き出していた。朝だからみんな寝ぼけているのかもしれない。エシルバは少しおかしくなって口元を緩めた。
「おーい、三大界新報のニュース特番がやるぞ」
ダントはそう言うとモニターの電源をつけた。アナウンサーが今日のニュースを読み上げ、世界中で何が起こっているのかを説明している。やがて、
――ブルワスタックとの国交記念式典に、アマク=シクワ=ロゲン使節団からパナロン=ナシュ|エレクン、パナン=シハン=ボウ|ナジーンの2名が参列しました。ギノエ=ペオラ|オウネイは別の式典に参加予定のため、今回は不参加ということです。式典では――
「すごい、テレビに出ているよ!」
エシルバは目を輝かせた。
「あんなふうに世界各国のイベントに特別参加したりするんだ」
リフが言った。
国の代表として任務をこなすのは晴れ晴れしい気持ちだろう、とエシルバは憧れの気持ちでテレビにくぎ付けになった。
突然カップが床に落ちてガシャーンと割れる音がした。ジグが手を滑らせたようで、すぐさまブルウンドがほうきを手に片付けを始めた。
「すまない……」
「大丈夫か? まだ調子が――」
2人の会話はよく聞き取れなかった。
「ねぇ、2人とも。ずっと話そうと思っていたことがあるんだけど、いいかな?」
エシルバはそう言って誰も使っていないサロンにリフとカヒィを連れて行った。
例の鍵はあらざる手袋のおかげで完全に隠すことができたので、誰かに追求される心配はなかった。エシルバにとって一番うれしかったのは、徐々にバドル銃とガインベルトの実習時間が増えてきたことだった。
しかし、問題は山積みだ。
ガインベルトの技習得にジグからの合格が出ていないし、講習会のまとめていないメモが30もあるのだ。リフやカヒィも同じように怠け癖があったので、エシルバは無意識に安心していた節があった。
しかし、ある日行われた座学の総合試験で結果が開示された際に恐ろしい事実を知ることとなった。
「上位3位以外は載らないんだ。俺たちには関係ないよ」
屯所内の会議室で成績発表が行われる数分前、リフが結果も待たずに帰ろうと言い出した。他の団員たちは自分が果たして圏外なのか上位に入っているのかを確かめるため、仕事終わりにわざわざ残って待っていた。
「今発表されたみたいだ。見てくるよ」
手を振って送り出したリフを目じりに、エシルバは群がる壁際に首を伸ばした。どれどれ……。結果を見終わったエシルバはリフの元に戻って首を横に振った。
「1位はポリンチェロかジュビオだろ」
「カヒィだ」
まるでこの場に時差でも生じているかのように、リフはかなり遅れて飛び起きた。リフと再び掲示板の前に行くと確かに1位のところにカヒィ|レフタと名前が載っていた。ちなみに2位はジュビオレノーク。エシルバは彼に負けたのが悔しかったが、カヒィが1位なのはもっと落ち込む。分かりやすく言えば、ろくにふざけて勉強もしていなさそうな友達が、実は真面目で学年1位の秀才というやつだ。
「2人とも、どうしたの? そんな顔して」
その日の夕食の席はカヒィだけがいつものテンションだった。そんな顔というくらいだから、エシルバは自分が相当がっくりきているのだと気づいた。
「あんなのただの順位だ」
「君には分からないだろうね」
リフは口をモグモグさせた。
「すごいよカヒィ、一体いつ勉強してた?」
エシルバが質問するとカヒィは食事にがっついていた顔を上げた。しかし、肝心の彼はというと「勉強? なにそれ」とでも言いたげである。
「試験範囲は講義の内容しかでない。簡単だよ。だけど実習は苦手だ。君たちみたいにうまく立ち回れない」
「講義? ほとんど寝てたじゃないか!」リフはわめいた。「とんでもない秀才がいたもんだ。将来はどうなりたいわけ?」
「発明家。博士だ」
カヒィは目をキラキラさせながら言った。
やっと合点承知がいったのかリフは指をパチンと鳴らした。
「俺はなにを言ってるんだろう! 使節団にくるようなやつはみんな普通じゃないんだよ。言ってる意味分かるか? こいつは使節団の一般枠で選ばれるようなすごいやつってことだ。つまり、それは天文学的確率なくらいすごいわけさ」
確かに、今更ながらリフの言うことは正しいと思えた。特に使節団なんて血縁や地縁がないと入るのは難しい最難関の組織だ。よほど才能とか能力が高くなければ選ばれもしない。
「ねぇカヒィ、親戚とかにシブーはいないの?」
エシルバは詮索せずにいられなくなった。
「父さんは役人だった」
カヒィは食事中の手をふと止めた。
「けど死んだよ」
話的には暗い話題だったが、カヒィは淡々と自分の両親について語った。なんでも、彼の父親は平役人(一番下の役人)で、ある時心不全で亡くなったそうだ。母親は今も兄と一緒に暮らしているらしいが、そこまで話したところで急にカヒィは疲れた顔をした。
「僕もまさか使節団に入れるとは思っていなかった。母さんはきっと喜んでくれると思ったさ。でも違った。むしろその反対だったよ。猛反対されたけど、僕は与えられたチャンスを生かしたくてここまで一人で来た。半ばけんか別れみたいなもんさ」
エシルバはついこの間のことみたいにアソワール叔父さんの顔を思い出した。叔父さんは最終的に送り出してくれたけど、カヒィは理解してもらえず離れ離れになったというわけだ。理解するまでもなく、つらいに決まっている。
その後は明るい話題が続き、3人はいつものようにばかなことを話して盛り上がった。
ところで、カヒィはモノマネが非常にうまいタイプだった。シィーダーの怒り寸劇からルゼナンの操縦動作まで、笑いを誘うのはお手の物。ただ、本人がいる前で見つかることもしばしばあって、そのたびに彼は弁明の達人に様変わりした。それも計算のうちなのかは知らないが、正直者のエシルバと融通の利かないリフにしてみれば、彼がそばにいることで大助かりすることの方が多かった。
特にシィーダーの説教タイムには効果てきめん。カヒィが言葉巧みに言い逃れをしてくれるおかげでシィーダーの怒りを分散化することができた。なので、派手で型破りなカヒィと一緒にいることで「またあの3人組」とひっくるめられるのにはもう慣れっこだった。
大樹堂に来てからの半年はあっという間だったし、それ以降もエシルバは屯所と練習場でほとんど缶詰め状態だった。他のメンバーが休暇中に堂下町や地下街で買い物をしに行っても、専門書と道具に付きっきりだ。他のメンバーも充実した役人生活を送っているように見えた。
けんかをして以来ほとんど口を利いていないジュビオレノークは、シィーダーに気に入られて随分と手を焼いてもらえているようだし、ポリンチェロは水壁師になるための仕事や勉強に精を出している。
カヒィもダントからみっちり仕事を教わっているし、リフは隙あらば憧れのジグに近づいて親密になろうとしていた。うわさで聞いた話によると、カヒィは師であるダントをついに理論で言いくるめたそうだ。とはいえ、ダントは温厚で許容範囲が広い。弟子の意見もないがしろにはせず見事に仕事に取り入れたというのだからアッパレだ。
エシルバも少しずつだが地道な努力の成果を得ることができた。まず、ジグの課題に合格することができたのだ。毎晩ガインベルトの自主トレーニングをしたおかげかもしれない。それと、リフやカヒィ、ポリンチェロが励ましの言葉をくれたからだ。
合格しても、ジグは決してエシルバを甘やかさなかった。それどころか、一日では終えられないような課題を与えられた。シクワ=ロゲン規則第1項から35項までの暗記は、正直歴史の年号を覚えるくらいに苦痛だった。
「シクワ=ロゲンの歴史」を第3章まで読み、要約レポートの作成。それからジグが仕事で使う資料の作成や、書類の整理、報告書の打ち込み……。あと、セムからもらった「ロッフルタフの歴史」はなかなかおもしろい本だった。書いてある言葉は難しいが、美しい挿絵を見るだけでも価値のある本だ。
新しい月に入って3日目の朝、3連休の初日を迎えた。エシルバがソファにもたれてバドル銃の作法を読んでいると、ルシカが専門書をかっさらって「古くさいなぁ」と見下すように言ってきた。彼はわざとページを半分までやぶった。カチーンときた。エシルバが本を取り返そうと立ち上がったとき、パイロット帽をかぶった上機嫌のリフが2人の間に割り込んできた。
「見て、見て、これ!」
「なに?」
エシルバはギロリとリフを見た。
「このパイロット帽、今日一日ルゼナンが俺に貸してくれるって」
リフの声はエシルバの何倍も生き生きしている。
「良かったね」
「なに、どうしたの? そんな顔して」
リフが2人の顔を交互に見た。
「僕の専門書をやぶったんだ。紙は替えが利かないのに!」
「やることが幼稚だよな」
リフはわざとらしく笑ってやった。
「この時代に紙なんて必要ない。対して役にたたない。データがすべてさ」
ケラケラ笑うルシカの前にヌッと人影が現れてドンッと派手にぶつかった。続いてビシャッと嫌な水の掛かる音。見るとからのコップを持ったカヒィが立っていて「おっと、ごめんよ!」と平謝りしているところだった。ルシカの服には上から下へ水が空中で弧を描いて飛んだ跡がくっきり。いつの間にか専門書はカヒィの手中にあり、すぐさまエシルバの元に戻ってきた。
「なにしやがる! ひどい、ぐっしょりだ!」
ルシカはカンカンに怒りだし、塗れた部分を拭こうと手元にあったティッシュを何枚も取って服をたたいた。彼がテッシュ一箱丸々使い切ったところでカヒィが新しい箱を持ってきた。
「ほら、ティッシュのおかわりだ」
「貸せ」
ルシカが強引にぶんどろうとしたところでカヒィは手を引っ込めた。
「この時代に”紙”は必要ないんだろう? 役立たないものならこりゃあ君に不要だな」
「……タオルで拭けばいいさ」
ルシカはカヒィを相手にせず近くにあったソファにどかっと座り、ゴイヤ=テブロを起動させた。意味などなかったが、急に恥ずかしくなって適当になんでもいいから違うことをしようと思ったらしい。しかし、次第に彼の顔はサッと青くなってパニックに陥った。いくら待てどもまったく起動しないのだ。いつもなら「こんにちは」と表示されるメッセージも浮かばず、なにも変化がない。
「お前のせいだな!」
ルシカがバッと立ち上がってカヒィの胸倉をつかみ掛かろうとし、エシルバが2人の衝突を止めた。カヒィは全くわれ関せずといった表情で首を振った。
「全然起動しない! なぜなんだ。防水だし水には大丈夫なはずなんだ」
適当にいじっていると、ついにメッセージが浮かんでいつも通りの画面になったらしい、ルシカは安心して胸をなでおろした。ところが、ある資料を確認してから「ない! ないない! 消えてる!」と大きな声で叫んだ。
ここでまた皮肉屋の登場。
「もしかして、データがおなくなりになったのかい? 残念だね」
「こいつはバックアップも取ってないデータなんだ! 替えが利かないのになんてことを!」
カヒィは突然噴いた。
「なにがおかしい?」
「いや。君のデータ、役に立たないなと思って」
エシルバとリフ、それから一部始終を見ていたほかの団員たちも思わず笑った。完全にお手上げ状態となったルシカはプルプル小刻みに震えて部屋を出て行き、彼の恥ずかしそうな足音は遠ざかっていった。
カヒィは何事もなかったように席に座ると水をくんで気持ちよさそうに飲み干した。
「さっきのどうやったんだよ」
リフがそそくさと隣に座って尋ねると、カヒィは新しくコップに水を注いでその中に調味料ケースから塩をとって振りかけ1粒の錠剤を沈めた。錠剤はブクブク泡を立てて消えてなくなった。「塩水の一丁あがり!」
「まさかこれで?」
エシルバは目を丸々とさせた。
「ゴイヤ=テブロの弱点は微弱の電気と塩。一時的に一部のデータが吹き飛ぶけどまたしばらくすれば元通りになるさ」
「そんなの即興で思いつかないよ、大したやつだな」
リフはヒラヒラと手を振って感服した。
ダントが爽やかな顔でやって来た。続けざまにポリンチェロがやって来て席に座った。なにやら彼女は浮かない顔をしている。ブルウンドが大きな皿を両手に抱え「料理が通るぞ!」と周囲に知らせた。
アーガネルがジグの尻に敷かれている雑誌を見つけ、グイグイ引っ張った。
「ちょっと、ちょっと!」
「おっと、失礼」
ジグは優雅にカップを置いてから尻の下にある雑誌を抜いた。紅茶に入れる砂糖を塩と間違えたのか、ダントが口から紅茶を吹き出していた。朝だからみんな寝ぼけているのかもしれない。エシルバは少しおかしくなって口元を緩めた。
「おーい、三大界新報のニュース特番がやるぞ」
ダントはそう言うとモニターの電源をつけた。アナウンサーが今日のニュースを読み上げ、世界中で何が起こっているのかを説明している。やがて、
――ブルワスタックとの国交記念式典に、アマク=シクワ=ロゲン使節団からパナロン=ナシュ|エレクン、パナン=シハン=ボウ|ナジーンの2名が参列しました。ギノエ=ペオラ|オウネイは別の式典に参加予定のため、今回は不参加ということです。式典では――
「すごい、テレビに出ているよ!」
エシルバは目を輝かせた。
「あんなふうに世界各国のイベントに特別参加したりするんだ」
リフが言った。
国の代表として任務をこなすのは晴れ晴れしい気持ちだろう、とエシルバは憧れの気持ちでテレビにくぎ付けになった。
突然カップが床に落ちてガシャーンと割れる音がした。ジグが手を滑らせたようで、すぐさまブルウンドがほうきを手に片付けを始めた。
「すまない……」
「大丈夫か? まだ調子が――」
2人の会話はよく聞き取れなかった。
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※「暁の草原」、「暁の荒野」共に残酷描写がございます。ご注意ください。
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その答えは恋文で
百川凛
児童書・童話
あの手紙を拾ったことが、全ての始まりだったのだ。
「成瀬さん、俺の彼女になってみない?」
「全力でお断りさせて頂きます」
「ははっ。そう言うと思った」
平岡くんの冗談を、私は確かに否定した。
──それなのに、私が平岡くんの彼女ってどういうこと?
ちょっと待ってよ、ウソでしょう?
台風ヤンマ
関谷俊博
児童書・童話
台風にのって新種のヤンマたちが水びたしの町にやってきた!
ぼくらは旅をつづける。
戦闘集団を見失ってしまった長距離ランナーのように……。
あの日のリンドバーグのように……。
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