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48、本当にやりたいこと
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「こっちへ!」
穂海は司を守の横に来させると前に立った。
有之助と次男は同時に柄を握りしめて前を向いた。水という書術のおかげで炎への抵抗力が生まれた。
「守、熱さを感じない。ありがとう」
有之助は言った。
「礼ならそいつに勝ってからだ」
次男は躍り出て言った。
2人の目には冷静な怒りが浮かび上がっていた。刀を操るには次男の方が優れている。経験、体格で言っても次男が有之助をはるかに上回る。強さで劣るのならば、彼の力を援助するような支えとなれ。有之助は心の中でそう決めた。
同時に2人は左右別々に駆け出した。獅子の子がなぎなたを振るうと、とたんに炎が渦を巻いた。すごい、なんて熱量だ。2人は炎をかいくぐり前に進んだ。書術がなければ確実に火にまかれて戦うことはできない。まるで全身を水のベールが包んでいるように、炎は着物の布地一つ燃やさなかった。
2人は同時に切り込んだ。獅子の子は炎を踏み台にして宙に退いた。人の動体視力ではまるで追いつかない素早さだ。それなのに、次男はしっかりと目を動かして対象物に追いついているようにすら見えた。
「なっ!」有之助は体勢を崩し次男に正面からぶつかった。
なぎなたが真っすぐ縦に振り下ろされ、次男は有之助を左手でかばいながら受け止めた。獅子の子は地面に着地すると見透かすような目で2人を見た。
「水の書術? 大した術ではない。あやつの体力がなくなれば、そのうち解けよう。すなわちわがはいの炎に耐えられるのも時間の問題。まずはおぬしらの髪を焼き、次に着物を焼き尽くしてやろう。炎で焼け死ぬのは苦しいぞ」
獅子は心臓を刺せば血を恵むと言った。つまり、精に勝つためにはやつの心臓を貫くしかない。でも、どうやって? 次男が最初に切った時、確かに獅子の体を切りつけはしたがすぐに再生し、心臓には達しなかった。
有之助は今になって自分の両手がガクガク震えているのが分かった。どうしてこんな大事な時に震える? ここでやられれば確実に殺されるというのに。そのとき、有之助の手にそっと大きく強い手が重なった。ハッとして顔を上げると次男が手を伸ばし、真っすぐ獅子の子を見つめていた。
「立て」
有之助はしっかりと彼の手を取り、言われた通り立ち上がった。
守は書術によってかなりの体力を消耗していた。文字は1字だけならまだしも、分散させればさせるほど体に負荷がかかる。体中の血管に針が突き刺さるような痛みが襲い、獅子に殺される恐怖で精神はすり減っていく。ここで集中力を切らせば有之助たちは炎に焼け死ぬだろう。最初にかけた結界の書術も同時に維持しなければならない。
穂海はあぐらをかいて座る守が倒れないようにそばで支えていた。
「守は書術に集中して。私は司さんとあなたを守る」
「悪い」
守は目を閉じたまま答えた。
今まで精を見たことはなかったし、ましてや自分の書術で戦うことになるなど想定したこともなかった。これまで、守は誰かの役に立てるよう書術の技を磨いてきた。でも、今はわけが違う。負けたら、殺される。
本当にできるのか? 守は書術本に手を重ねて自問自答した。
こういうときには嫌なことばかり考える。
なんだ?
笑い声が聞こえる。
クスクス。
みんなが俺のことで笑ってる。
”なぜ見た通りに描けないの”
クラス中のみんなが笑っている。先生は俺が描いたアジサイが赤色だと言う。俺の絵を黒板に張り出して、隣に違う子の描いたバラの絵を並べた。
”皆さん、この二つの絵を見てください。バラの絵は100点。このアジサイは0点です”
0点。
それが俺の描いた絵の価値だった。からかわれた。アジサイは紫、そんなことも分からないの? って。俺は教室から持って帰った絵を母ちゃんにばれないように、外にあるごみ箱に破って捨てた。
周りと違って俺は変なんだ。きっと母ちゃんは悲しむ。そう思ってごまかし続けた。でも、母ちゃんは全部知ってたんだ。それでも責めることは決してしなかった。
”守。見た通りに描きなさい”
家の庭にはアジサイが咲き誇っていて、母ちゃんはその横でしゃがみこんで言った。
”どうして僕は他の子と違うの?”
”守、あなたは、多くの人と同じようには色が見えないの。私が見ている赤色も、あなたには黒に見える。でもね、それで自分を恥じることはないのよ。だから、あなたはあなたらしく自分の目を信じなさい、守。本当に大切なのは数字で計れないものよ”
母ちゃんは俺を膝の上に乗せながら色を教えてくれた。一つ一つ、筆で和紙に漢字を書いて教えてくれるのだ。丸みを帯びた優しい文字が大好きだった。
”これが赤。青。黄。緑。紫。白。黒。それぞれに意味がある。あなたの名前にも「守る」という意味があるでしょう? 守られるだけじゃない、大切ななにかを守れる人になってほしい、そういう願いがあるのよ、あなたの名前には。色も、それと同じで意味が違うの”
”あっ! 母ちゃんの字がある。紫って字は、こんな形をしているんだね”
あのほほ笑む顔を忘れられなかった。
だから俺は絵より字が好きになった。
書道は絵と違って、白い紙に墨で字を書けばいい。迷うことはない。それに、母ちゃんは俺が絵を描くことをやめても怒らなかった。やりたいことはなんでもさせてくれた。うちはお金持ちじゃなかったけど、書に必要な道具だってそろえてくれた。
”本当にやりたいこと、見つけられたらいいわね、守”
周りと違うことを恥ずかしく思っていた俺の背中を押してくれた。だから、あの言葉に報いたい。
書道師が俺に合っている仕事なのかは分からない。だけど、これなら続けられるんだ。いつまでも、やっていたいと思えることなんだ。文字を書くこと、母ちゃんが導いてくれた書の道を俺は進み続ける。
穂海は司を守の横に来させると前に立った。
有之助と次男は同時に柄を握りしめて前を向いた。水という書術のおかげで炎への抵抗力が生まれた。
「守、熱さを感じない。ありがとう」
有之助は言った。
「礼ならそいつに勝ってからだ」
次男は躍り出て言った。
2人の目には冷静な怒りが浮かび上がっていた。刀を操るには次男の方が優れている。経験、体格で言っても次男が有之助をはるかに上回る。強さで劣るのならば、彼の力を援助するような支えとなれ。有之助は心の中でそう決めた。
同時に2人は左右別々に駆け出した。獅子の子がなぎなたを振るうと、とたんに炎が渦を巻いた。すごい、なんて熱量だ。2人は炎をかいくぐり前に進んだ。書術がなければ確実に火にまかれて戦うことはできない。まるで全身を水のベールが包んでいるように、炎は着物の布地一つ燃やさなかった。
2人は同時に切り込んだ。獅子の子は炎を踏み台にして宙に退いた。人の動体視力ではまるで追いつかない素早さだ。それなのに、次男はしっかりと目を動かして対象物に追いついているようにすら見えた。
「なっ!」有之助は体勢を崩し次男に正面からぶつかった。
なぎなたが真っすぐ縦に振り下ろされ、次男は有之助を左手でかばいながら受け止めた。獅子の子は地面に着地すると見透かすような目で2人を見た。
「水の書術? 大した術ではない。あやつの体力がなくなれば、そのうち解けよう。すなわちわがはいの炎に耐えられるのも時間の問題。まずはおぬしらの髪を焼き、次に着物を焼き尽くしてやろう。炎で焼け死ぬのは苦しいぞ」
獅子は心臓を刺せば血を恵むと言った。つまり、精に勝つためにはやつの心臓を貫くしかない。でも、どうやって? 次男が最初に切った時、確かに獅子の体を切りつけはしたがすぐに再生し、心臓には達しなかった。
有之助は今になって自分の両手がガクガク震えているのが分かった。どうしてこんな大事な時に震える? ここでやられれば確実に殺されるというのに。そのとき、有之助の手にそっと大きく強い手が重なった。ハッとして顔を上げると次男が手を伸ばし、真っすぐ獅子の子を見つめていた。
「立て」
有之助はしっかりと彼の手を取り、言われた通り立ち上がった。
守は書術によってかなりの体力を消耗していた。文字は1字だけならまだしも、分散させればさせるほど体に負荷がかかる。体中の血管に針が突き刺さるような痛みが襲い、獅子に殺される恐怖で精神はすり減っていく。ここで集中力を切らせば有之助たちは炎に焼け死ぬだろう。最初にかけた結界の書術も同時に維持しなければならない。
穂海はあぐらをかいて座る守が倒れないようにそばで支えていた。
「守は書術に集中して。私は司さんとあなたを守る」
「悪い」
守は目を閉じたまま答えた。
今まで精を見たことはなかったし、ましてや自分の書術で戦うことになるなど想定したこともなかった。これまで、守は誰かの役に立てるよう書術の技を磨いてきた。でも、今はわけが違う。負けたら、殺される。
本当にできるのか? 守は書術本に手を重ねて自問自答した。
こういうときには嫌なことばかり考える。
なんだ?
笑い声が聞こえる。
クスクス。
みんなが俺のことで笑ってる。
”なぜ見た通りに描けないの”
クラス中のみんなが笑っている。先生は俺が描いたアジサイが赤色だと言う。俺の絵を黒板に張り出して、隣に違う子の描いたバラの絵を並べた。
”皆さん、この二つの絵を見てください。バラの絵は100点。このアジサイは0点です”
0点。
それが俺の描いた絵の価値だった。からかわれた。アジサイは紫、そんなことも分からないの? って。俺は教室から持って帰った絵を母ちゃんにばれないように、外にあるごみ箱に破って捨てた。
周りと違って俺は変なんだ。きっと母ちゃんは悲しむ。そう思ってごまかし続けた。でも、母ちゃんは全部知ってたんだ。それでも責めることは決してしなかった。
”守。見た通りに描きなさい”
家の庭にはアジサイが咲き誇っていて、母ちゃんはその横でしゃがみこんで言った。
”どうして僕は他の子と違うの?”
”守、あなたは、多くの人と同じようには色が見えないの。私が見ている赤色も、あなたには黒に見える。でもね、それで自分を恥じることはないのよ。だから、あなたはあなたらしく自分の目を信じなさい、守。本当に大切なのは数字で計れないものよ”
母ちゃんは俺を膝の上に乗せながら色を教えてくれた。一つ一つ、筆で和紙に漢字を書いて教えてくれるのだ。丸みを帯びた優しい文字が大好きだった。
”これが赤。青。黄。緑。紫。白。黒。それぞれに意味がある。あなたの名前にも「守る」という意味があるでしょう? 守られるだけじゃない、大切ななにかを守れる人になってほしい、そういう願いがあるのよ、あなたの名前には。色も、それと同じで意味が違うの”
”あっ! 母ちゃんの字がある。紫って字は、こんな形をしているんだね”
あのほほ笑む顔を忘れられなかった。
だから俺は絵より字が好きになった。
書道は絵と違って、白い紙に墨で字を書けばいい。迷うことはない。それに、母ちゃんは俺が絵を描くことをやめても怒らなかった。やりたいことはなんでもさせてくれた。うちはお金持ちじゃなかったけど、書に必要な道具だってそろえてくれた。
”本当にやりたいこと、見つけられたらいいわね、守”
周りと違うことを恥ずかしく思っていた俺の背中を押してくれた。だから、あの言葉に報いたい。
書道師が俺に合っている仕事なのかは分からない。だけど、これなら続けられるんだ。いつまでも、やっていたいと思えることなんだ。文字を書くこと、母ちゃんが導いてくれた書の道を俺は進み続ける。
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