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47、精の血
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「目的はなんだ」
「真理を返せ」
有之助は言った。
獅子は腹の底から笑った。
「なにがおかしい」
今度は守が憎しみを込めて言った。
「素直に言えばどうだ、油がほしいと」
突然敷地内にある巨大な木が白い光を帯びた。消えそうなくらいまばゆい光の中に、木の一部と化した女の子の姿が見えた。有之助は駆け出した。木の幹に体を半分のみこまれた彼女の手を握ると、まだ温かいが一部はむしばむように木になりかけていた。
「真理! 真理!」
どんなに呼び掛けても真理は目を覚まさなかった。
「まさか、あの木で人を?」
穂海は口に手を当て震えた。
「人間の生命は私の一部となり、この地に根付くエネルギーとなる。エネルギーはわがはいの血となり肉となる」獅子は火を噴きながら言った。「しかし、こうも私を本気にさせたのはおぬしだけだ」
誰に言っている? 有之助は今も消えゆく女の子を抱き締めながら怒りに震えた。なんて早いスピード。さっきまで肩までのまれていた真理の小さな体はもう顔だけしか残っていなかった。
「今助けてやる! 今っ!」
有之助は刀で木を何度も引っ掻き回し、彼女のことを引っ張り出そうとした。でも、そこに続いているはずの体は――。
なかった。
ボロボロ崩れ落ちる木片とともに真理の顔は引きずり込まれた。
”私たちの子なのよ”
この世に生まれてきてくれたことを喜び、その手に抱き締めてやった両親の愛。最後は会うことも許されず、最愛の娘がどうなったのかも確かめる術がない。最後に見せた真理の笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
有之助は木片を握りしめて立ち上がった。
「わがはいは生きる存在ではない。おぬしがどんなに刃を振るおうと殺すことはできない。だが、わがはいは、おぬしに興味がある」
有之助は濡れた目を細めた。
「お前は生贄として食われなかった」
有之助は守が話していたことを即座に思い出した。
「生き残った」
「そんなもの、知らない」有之助は言った。
「本来であれば、精の力となり、消え去る運命を与えられた存在。なぜだ。お前はなぜ、生きている」
「知るものか!」
「なぜ、血が見えるか。教えてやろう」獅子は静かに言った。「精の血、すなわち油が見える者は、過去に精から加護を受けた者だ。おぬしは人間でありながら、わがはいと同種の精によって特別な力を与えられた存在。これは大いなる矛盾。精の加護を受けながらして、精の生贄に選ばれている。なぜ、加護を受けられた。なぜ、食われなかった。精は人間の命を食らい、人間に恵みを与える存在であるゆえに、気に食わぬ!」
獅子は広げた鼻穴から蒸気のように湯気を吐いた。
「わがはいがおぬしを食ったとしたら、共食いになるということ。精が精のエネルギーを食らうということはわれわれの世界では禁じられている。だが、おぬしのエネルギーを取り込めばわがはいは100年他の人間を殺す必要もなくなる。非常に魅力的だ」
「100年?」
有之助は顔をゆがめた。この精は、自分を取り込めばあと100年は子どもを殺さないで済むと言っているのだ。
「おぬしの命がほしい」
「そんなこと……できるわけないだろ」
有之助は胸の痛みに耐えながら言った。
「しょせん、自分の命が惜しいのだな」
「僕は、それ以上に母さんの命が惜しい。ここで死んだら、母さんを救えない。それに、お前は努力しなくても僕を殺せるだろ」
「戦って勝たねばならぬ、このわがはいが、お前に」
「なんなんだ、そのわけの分からない決め事は! 真理をあんなふうに連れ去って……」
「その痕は子どもにしかつけられない」
有之助は自分の右手首にある針の痕を見た。
「わがはいに痕をつけられた者は、わがはいの思い通りにできる」
それで、真理をあんなふうに消せたというのか? 有之助は冷たい汗を流した。だから、針の痕がない次男や守たちは姿を消さなかった――?
「おぬしはこのわがはいが直々に食ってやろう。木ではなく。わがはいの心臓まで、その刃を届かせることができたなら、褒めてやろう。負けを認めよう。そのときは、血を恵む」
獅子は空気を震わせる咆哮を上げた。
同時にがっしりした四肢は人間の手足に変わり、たてがみは長い赤毛へ、朱色の着物を着た男の子に姿を変えた。愛らしい子どもの顔には不釣り合いな、赤色の刃をした大きななぎなたが握られている。さっきまで恐ろしい獅子の姿をしていたのに――
「惑わされるな」
次男の一言がなければ危うく刀を落とすところだった。
「血には肉を」
人間の子どもに擬態してはいるが、その声には恐ろしく強い力が感じられた。次男の言った通り、見た目に惑わされてはいけない。この子の中には恐ろしい牙が眠っているのだ。
守はすぐさま書術本を開いた。
「やってみるしかない。相手は炎の精、だとしたら水で打ち消す」
守はお札をくわえた。書術書に書かれた「水」という文字に右手をかざし、引き寄せられた字の影を思いきり握りつぶした。
「書術、四大素語――水」
パキンと字が砕ける音とともに水という大きな文字が宙に出現した。
水
文字は波打つように動きだす。やがて字は水滴のように飛び散り小さな水という字があちこちに分散した。
一文字一文字、水という字が有之助たちの体に染み込んでいく。有之助は柔らかい水の中に浸っているような心地よい気分になった。
「これで少しは炎の熱さに耐えられるはずだ」
守は煙を上げる右手のひらを押さえて叫んだ。近寄るたびに感じていた炎の熱さが、うそのように消えていく。
「真理を返せ」
有之助は言った。
獅子は腹の底から笑った。
「なにがおかしい」
今度は守が憎しみを込めて言った。
「素直に言えばどうだ、油がほしいと」
突然敷地内にある巨大な木が白い光を帯びた。消えそうなくらいまばゆい光の中に、木の一部と化した女の子の姿が見えた。有之助は駆け出した。木の幹に体を半分のみこまれた彼女の手を握ると、まだ温かいが一部はむしばむように木になりかけていた。
「真理! 真理!」
どんなに呼び掛けても真理は目を覚まさなかった。
「まさか、あの木で人を?」
穂海は口に手を当て震えた。
「人間の生命は私の一部となり、この地に根付くエネルギーとなる。エネルギーはわがはいの血となり肉となる」獅子は火を噴きながら言った。「しかし、こうも私を本気にさせたのはおぬしだけだ」
誰に言っている? 有之助は今も消えゆく女の子を抱き締めながら怒りに震えた。なんて早いスピード。さっきまで肩までのまれていた真理の小さな体はもう顔だけしか残っていなかった。
「今助けてやる! 今っ!」
有之助は刀で木を何度も引っ掻き回し、彼女のことを引っ張り出そうとした。でも、そこに続いているはずの体は――。
なかった。
ボロボロ崩れ落ちる木片とともに真理の顔は引きずり込まれた。
”私たちの子なのよ”
この世に生まれてきてくれたことを喜び、その手に抱き締めてやった両親の愛。最後は会うことも許されず、最愛の娘がどうなったのかも確かめる術がない。最後に見せた真理の笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
有之助は木片を握りしめて立ち上がった。
「わがはいは生きる存在ではない。おぬしがどんなに刃を振るおうと殺すことはできない。だが、わがはいは、おぬしに興味がある」
有之助は濡れた目を細めた。
「お前は生贄として食われなかった」
有之助は守が話していたことを即座に思い出した。
「生き残った」
「そんなもの、知らない」有之助は言った。
「本来であれば、精の力となり、消え去る運命を与えられた存在。なぜだ。お前はなぜ、生きている」
「知るものか!」
「なぜ、血が見えるか。教えてやろう」獅子は静かに言った。「精の血、すなわち油が見える者は、過去に精から加護を受けた者だ。おぬしは人間でありながら、わがはいと同種の精によって特別な力を与えられた存在。これは大いなる矛盾。精の加護を受けながらして、精の生贄に選ばれている。なぜ、加護を受けられた。なぜ、食われなかった。精は人間の命を食らい、人間に恵みを与える存在であるゆえに、気に食わぬ!」
獅子は広げた鼻穴から蒸気のように湯気を吐いた。
「わがはいがおぬしを食ったとしたら、共食いになるということ。精が精のエネルギーを食らうということはわれわれの世界では禁じられている。だが、おぬしのエネルギーを取り込めばわがはいは100年他の人間を殺す必要もなくなる。非常に魅力的だ」
「100年?」
有之助は顔をゆがめた。この精は、自分を取り込めばあと100年は子どもを殺さないで済むと言っているのだ。
「おぬしの命がほしい」
「そんなこと……できるわけないだろ」
有之助は胸の痛みに耐えながら言った。
「しょせん、自分の命が惜しいのだな」
「僕は、それ以上に母さんの命が惜しい。ここで死んだら、母さんを救えない。それに、お前は努力しなくても僕を殺せるだろ」
「戦って勝たねばならぬ、このわがはいが、お前に」
「なんなんだ、そのわけの分からない決め事は! 真理をあんなふうに連れ去って……」
「その痕は子どもにしかつけられない」
有之助は自分の右手首にある針の痕を見た。
「わがはいに痕をつけられた者は、わがはいの思い通りにできる」
それで、真理をあんなふうに消せたというのか? 有之助は冷たい汗を流した。だから、針の痕がない次男や守たちは姿を消さなかった――?
「おぬしはこのわがはいが直々に食ってやろう。木ではなく。わがはいの心臓まで、その刃を届かせることができたなら、褒めてやろう。負けを認めよう。そのときは、血を恵む」
獅子は空気を震わせる咆哮を上げた。
同時にがっしりした四肢は人間の手足に変わり、たてがみは長い赤毛へ、朱色の着物を着た男の子に姿を変えた。愛らしい子どもの顔には不釣り合いな、赤色の刃をした大きななぎなたが握られている。さっきまで恐ろしい獅子の姿をしていたのに――
「惑わされるな」
次男の一言がなければ危うく刀を落とすところだった。
「血には肉を」
人間の子どもに擬態してはいるが、その声には恐ろしく強い力が感じられた。次男の言った通り、見た目に惑わされてはいけない。この子の中には恐ろしい牙が眠っているのだ。
守はすぐさま書術本を開いた。
「やってみるしかない。相手は炎の精、だとしたら水で打ち消す」
守はお札をくわえた。書術書に書かれた「水」という文字に右手をかざし、引き寄せられた字の影を思いきり握りつぶした。
「書術、四大素語――水」
パキンと字が砕ける音とともに水という大きな文字が宙に出現した。
水
文字は波打つように動きだす。やがて字は水滴のように飛び散り小さな水という字があちこちに分散した。
一文字一文字、水という字が有之助たちの体に染み込んでいく。有之助は柔らかい水の中に浸っているような心地よい気分になった。
「これで少しは炎の熱さに耐えられるはずだ」
守は煙を上げる右手のひらを押さえて叫んだ。近寄るたびに感じていた炎の熱さが、うそのように消えていく。
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