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46、獅子の心臓
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有之助は真理が待つ部屋に入った。棺桶と言うには随分かわいらしい箱が真ん中にあった。司と守が手伝って2人をひもでつなげ、しっかりと離れないようにした。
「中に入ろうか」
「お兄ちゃん、私、生贄になるんでしょ」
この女の子はちゃんと箱に入ることの意味を知っていた。
「手首に変な模様があるとね、生贄に選ばれた証拠なんだって。お父さんと、お母さんが話しているのを聞いたの。私、死んじゃうの?」
こんなのが現実だなんて、有之助は信じられない思いだった。精はなぜ子どもの命を奪う。なんの罪もない子どもたちを――
「あれ? お兄ちゃんの手にも、同じのがある」
「うん、そうだよ」
このちっぽけな棺桶に入る前に、有之助は首から下げていたガラス玉を見せた。
「これを見てごらん」
「これはなに?」
「君には何色に見える?」
「透明」
「僕には赤色に見える。僕はね、守り主様の血が見えるんだ。血は油、つまり僕は見えないものが見える。だからきっと、ここの主様に話して分かってもらうようにする。そのために、やってくるのをここでじっと待つんだ」
「怖いよ」
「大丈夫、そばにいるから」
箱の中に入ると守がゆっくりふたをしめてくれた。そして2人が入った箱は本殿の台座に供えられた。恐ろしい沈黙が包み込んだ。
「お兄ちゃん」
「なに?」
震える小さな手が有之助の手を握った。優しい温かさが伝わってくる。こんなに暗い箱の中で1人、これまで何人の子どもたちが犠牲になってきたのだろう。みんな、父親や母親、きょうだいがいただろうに。それなのに、無差別に選ばれたという理由で、こんな小さくか弱い戦うすべもない子どもを……
有之助は真理の小さな手を握り返した。
暗闇に目が慣れてきたのか、真理がほほ笑んでいるのが見えた。
消えた。
え?
今――
有之助はむなしい空気をつかんでいた。あれだけ離さないようにと握っていた真理の手は、どこにもない。暗闇の中に透けて見えた真理もいなくなっていた。有之助は内側から強くたたいた。
「開けろ! 開けろ!」
すぐにふたが開けられ、守たちの顔が心配そうにのぞき込んだ。
「いないんだ! 真理が、さっきまでここにいたのに!」
「そんなばかな!」
次男はまくしたてながら毛布を引きはがした。
「いない」穂海は愕然とした。
有之助は箱から飛び起きると刀を抜いて周囲を見渡した。
「どこだ、どこにいるんだ」
敷地内は静まり返っている。
「くそっ!」
有之助が悔しさあまって地面に崩れ落ちると守は下を向いた。
「空を見ろ!」
次男の声に有之助たちはハッと顔を上げて月昇る夜空を見た。さっきまで濃紺をしていた夜の空が、覆うように怪しげな深い赤に変わった。月が赤い。5人を見下ろすように精社の屋根に現れたのは燃え盛る炎をたたえた大きな獅子だった。一枚の布切れが風に舞って落ちてきた。目の前に落ちた布は、真理が着ていた着物の柄だった。
有之助は布を握りしめた。
「まずい」
守が声を震わせた。
見えているのは自分だけではない。有之助は同じように屋根の上を見つめる次男たちを見て思った。
「わがはいの結界内で立っていられるのか」
この声はなんだ。
空気が震えるような、すさまじい圧。
こんなに身がすくむほどの威圧感を感じたのは初めてだ。有之助は震える手を押さえ、冷や汗を拭った。屋根から飛び降りてきた獅子は炎の渦とともに着地し目前に迫った。このままでは襲われる――刀を振らなければやられる!
「目を閉じるな」
次男が刀を構えて目の前に立った。顔を焼くような熱気に有之助たちは着物の袖で顔を隠した。獅子の燃え盛る赤いたてがみ、黄金色に染まる目、鋭い牙が迫っている。あまりの熱さに、息ができない! 有之助たちはせき込んだ。
「ほぅ」
獅子は深く息を吸って吐いた。それだけなのに熱風が巻き起こり、有之助たちの服ははためいた。
「わがはいを前にして立ちすくまぬ者を見たのは久しぶりだ」
獅子は明らかに目の前の次男に対して言葉を投げかけている。
「その黒光りする刀、おぬしはあの男の息子だな」
なにを言っている? 有之助は次男の背中を見ながら恐怖に沈んだ。
「同じ匂い。以前、闇のように黒い髪色、灰目をした男がこの社に来た。わがはいの血をほしいと願う者は多く来るが、そやつは中でも面倒な男だった。この、炎、このわがはいの怒りに触れた。だが、大人の人間は源にはならない。首をかき切って殺した」
次男は時が止まったかのように目を見開いていた。
「次男さん」
有之助は呼び掛けた。明らかに次男の様子が変だ。心ここにあらずといった感じで、有之助の言葉さえ聞こえていないようだ。
「次男さん!」
”次男――”
”父さん?”
”お前は家にいなさい”
”行かないでよ”
”行かなければならない”
”油なんていらない。母さんは死んだ! もういないんだ”
”次男。これは母さんの夢なんだ”
”母さん……が?”
”だから、必ずかなえてあげたい”
父はそう言って家を出ていったきり戻らなかった。母のために必ずかなえてあげたいと言った夢も、かなうことはなかった。
腹立たしい。
必ずなんて言葉は信じない。
裏切られることもない。
期待しなくて済む。
「次男さん!」
今一度、有之助の声が次男の耳に飛び込んだ。
ピクッと次男の体が反応した。柄を握る彼の手が小刻みに震えるのが見えた。彼の黒い刀は怒涛の勢いで横に振り切られた。獅子は血潮とともに舞った。よける素振りすら見せず、切られてもなおそこに立っていた。
「心臓に達しない」
獅子の胸に刻まれた傷はすぐに再生し、血も赤い光となって跡形もなくなった。
「中に入ろうか」
「お兄ちゃん、私、生贄になるんでしょ」
この女の子はちゃんと箱に入ることの意味を知っていた。
「手首に変な模様があるとね、生贄に選ばれた証拠なんだって。お父さんと、お母さんが話しているのを聞いたの。私、死んじゃうの?」
こんなのが現実だなんて、有之助は信じられない思いだった。精はなぜ子どもの命を奪う。なんの罪もない子どもたちを――
「あれ? お兄ちゃんの手にも、同じのがある」
「うん、そうだよ」
このちっぽけな棺桶に入る前に、有之助は首から下げていたガラス玉を見せた。
「これを見てごらん」
「これはなに?」
「君には何色に見える?」
「透明」
「僕には赤色に見える。僕はね、守り主様の血が見えるんだ。血は油、つまり僕は見えないものが見える。だからきっと、ここの主様に話して分かってもらうようにする。そのために、やってくるのをここでじっと待つんだ」
「怖いよ」
「大丈夫、そばにいるから」
箱の中に入ると守がゆっくりふたをしめてくれた。そして2人が入った箱は本殿の台座に供えられた。恐ろしい沈黙が包み込んだ。
「お兄ちゃん」
「なに?」
震える小さな手が有之助の手を握った。優しい温かさが伝わってくる。こんなに暗い箱の中で1人、これまで何人の子どもたちが犠牲になってきたのだろう。みんな、父親や母親、きょうだいがいただろうに。それなのに、無差別に選ばれたという理由で、こんな小さくか弱い戦うすべもない子どもを……
有之助は真理の小さな手を握り返した。
暗闇に目が慣れてきたのか、真理がほほ笑んでいるのが見えた。
消えた。
え?
今――
有之助はむなしい空気をつかんでいた。あれだけ離さないようにと握っていた真理の手は、どこにもない。暗闇の中に透けて見えた真理もいなくなっていた。有之助は内側から強くたたいた。
「開けろ! 開けろ!」
すぐにふたが開けられ、守たちの顔が心配そうにのぞき込んだ。
「いないんだ! 真理が、さっきまでここにいたのに!」
「そんなばかな!」
次男はまくしたてながら毛布を引きはがした。
「いない」穂海は愕然とした。
有之助は箱から飛び起きると刀を抜いて周囲を見渡した。
「どこだ、どこにいるんだ」
敷地内は静まり返っている。
「くそっ!」
有之助が悔しさあまって地面に崩れ落ちると守は下を向いた。
「空を見ろ!」
次男の声に有之助たちはハッと顔を上げて月昇る夜空を見た。さっきまで濃紺をしていた夜の空が、覆うように怪しげな深い赤に変わった。月が赤い。5人を見下ろすように精社の屋根に現れたのは燃え盛る炎をたたえた大きな獅子だった。一枚の布切れが風に舞って落ちてきた。目の前に落ちた布は、真理が着ていた着物の柄だった。
有之助は布を握りしめた。
「まずい」
守が声を震わせた。
見えているのは自分だけではない。有之助は同じように屋根の上を見つめる次男たちを見て思った。
「わがはいの結界内で立っていられるのか」
この声はなんだ。
空気が震えるような、すさまじい圧。
こんなに身がすくむほどの威圧感を感じたのは初めてだ。有之助は震える手を押さえ、冷や汗を拭った。屋根から飛び降りてきた獅子は炎の渦とともに着地し目前に迫った。このままでは襲われる――刀を振らなければやられる!
「目を閉じるな」
次男が刀を構えて目の前に立った。顔を焼くような熱気に有之助たちは着物の袖で顔を隠した。獅子の燃え盛る赤いたてがみ、黄金色に染まる目、鋭い牙が迫っている。あまりの熱さに、息ができない! 有之助たちはせき込んだ。
「ほぅ」
獅子は深く息を吸って吐いた。それだけなのに熱風が巻き起こり、有之助たちの服ははためいた。
「わがはいを前にして立ちすくまぬ者を見たのは久しぶりだ」
獅子は明らかに目の前の次男に対して言葉を投げかけている。
「その黒光りする刀、おぬしはあの男の息子だな」
なにを言っている? 有之助は次男の背中を見ながら恐怖に沈んだ。
「同じ匂い。以前、闇のように黒い髪色、灰目をした男がこの社に来た。わがはいの血をほしいと願う者は多く来るが、そやつは中でも面倒な男だった。この、炎、このわがはいの怒りに触れた。だが、大人の人間は源にはならない。首をかき切って殺した」
次男は時が止まったかのように目を見開いていた。
「次男さん」
有之助は呼び掛けた。明らかに次男の様子が変だ。心ここにあらずといった感じで、有之助の言葉さえ聞こえていないようだ。
「次男さん!」
”次男――”
”父さん?”
”お前は家にいなさい”
”行かないでよ”
”行かなければならない”
”油なんていらない。母さんは死んだ! もういないんだ”
”次男。これは母さんの夢なんだ”
”母さん……が?”
”だから、必ずかなえてあげたい”
父はそう言って家を出ていったきり戻らなかった。母のために必ずかなえてあげたいと言った夢も、かなうことはなかった。
腹立たしい。
必ずなんて言葉は信じない。
裏切られることもない。
期待しなくて済む。
「次男さん!」
今一度、有之助の声が次男の耳に飛び込んだ。
ピクッと次男の体が反応した。柄を握る彼の手が小刻みに震えるのが見えた。彼の黒い刀は怒涛の勢いで横に振り切られた。獅子は血潮とともに舞った。よける素振りすら見せず、切られてもなおそこに立っていた。
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