視聴の払霧師

秋長 豊

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6、なにもない幸せ

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「具視」

 あらかた終わったところに母がやってきた。

「お片付け、ありがとう。お姉ちゃんは?」

「聴具(さとも)なら自分の部屋に行ったよ。母さん、明日も仕事?」

「明日は祝日だからお休みです。特に予定はないから、家でゆっくりしているつもり。具視はお友達と遊ぶの?」

 具視は首を振った。

「家にいるかな。特に約束もしてないし」

「この間、公園で純ちゃんと会ったけど、相変わらず元気そうでよかった」

「もうあり余ってる。そういえばこの前さ、商店街のお祭りに行った時おみくじ引いてさ、あいつは確か末吉、俺は吉。大吉ってなかなかでないもんだよ。少し期待しちゃったな」

 具視はそばにあった椅子に腰掛け、肩の力を抜いてぼんやり天井を見上げた。突然ピタリと母の冷たい手が両頬に当たった。目の前に母の顔が見えた。

「なにか、いいことあるかなぁって、思っているでしょ」

 図星だったので具視は首をすくめた。

「なにもない。案外、それが幸せなのかもね」

「でも、それって退屈じゃない?」

「今は幸せだから気付かないだけ。そういうものよ」

「ふぅん」

「お母さん、昔から心臓が弱くてね、お父さんと出会う前に一度、高名なお医者さんに手術していただいたのよ。もう、何回も話しているとは思うけどね。ある人から心臓を移植していただいた。難しい手術だったけど、その先生は成功させてくれた。あの時、命を助けられた。だから、お母さんは今ここにいる。お父さんと、具視、聴具、こうして一緒にいられる。お母さんはそれだけで幸せ」

 少し気恥ずかしくなって具視は身を起こした。

「そんなにすごい先生がいるんだね」

「うん」母はにっこり笑った。「だから忘れないでね。具視は、たくさんの人に助けられて今ここにいるって。そうだ、8月になったらおばあちゃんちに行こっか。具視と聴具の顔見るの、楽しみにしてるって」

 地方の小さな村に住む祖母の家は、都心から新幹線で数時間の所にある。毎年夏になると家族全員で遊びに行くのが恒例で、具視と聴具は優しい祖母に会いに行くのが楽しみだった。

「じゃあ、明日はおうちですごろくでもしよっか? 確か押し入れにあるはずだから。たまにはレトロなゲームをするのもいいでしょ」

 具視はすっくと立ち上がってうんと大きく背伸びした。

「そうだね。聴具にも伝えておく」

「お風呂、たけてるよ。先に入ったら?」

「父さんは?」

 母はソファの上でうたたねを打つ父を見てクスリと笑んだ。

 具視はさっそく風呂に入った。体を洗い、熱々の風呂に漬かると一気に一日の疲れが吹き飛んだ。体が火照る中、ぼんやりとこれからのことを考える。学校で将来の夢という作文を書いた時のことを思い出した。友達は消防士や看護師、サッカー選手など。今の具視には、将来の夢と言われても明確なものはないし、とにかく勉強をして、遊んで、家に帰る。それが今の具視と聴具の生活圏だった。

 今、ありきたりに思い浮かんだのは国家公務員になることだ。そうすれば、きっと父も母も安心してくれるに違いない。具視は漠然とそんなことを考えながらお湯を頭からかぶった。
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