愛にはぐれた獣は闇夜に溶ける

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第10話

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 元来た道を戻り、小さな宿場町に辿り着いたのはもうすっかり陽が暮れた後だった。
 疲労し、心身共に傷ついている柊一を気遣いながら、宿を見つけて落ち着く事が出来た時は、既に宵の口も回っていただろうか。
 部屋に案内されたところで、すぐに女中に命じて寝床を整えて貰い、柊一は隣の部屋で身体を横たえている。
 食事にも殆ど手をつけず、隣室の気配から眠っていない事も感じ取っていた広尾は、窓際で夜風に当たりながら重い溜息をついた。
 異常な状況下の中で、気付かされてしまった自分の気持ち。
 あの狂宴の中だったから、そんなふうに思いこまされてしまったのだと否定しようとしたけれど。
 こうして落ち着いた今になって思い返しても、実に驚くほど自然に、自分は柊一に対して異性同様の好意を抱いてしまっている事実に思い当たる。
 そして、あの狂宴の中で知らされた、衝撃的な秘密。
 柊一の身体の秘密を知ってしまっては、もうこの気持ちに歯止めなど効かないだろう。
 だが。
 広尾の気持ちを伝えられても、柊一には迷惑なだけだと言う事も、分かり切っていて。
 柊一は、生まれた時から今に至るまで、真っ当な男として生きてきた。
 それは、これから先も変わることはないだろうし、変わって欲しいとも思わない。
 柊一を傷つける事にしかならないあの狂宴を、自分はこの先忘れることは出来ないだろう。
 どんなに打ち消しても、まざまざと蘇ってくる柊一の苦悶する表情と艶めかしい声。
 広尾は強く頭を振ると、部屋に戻ってそこに置かれてあった酒を口にした。

「文明…」

 不意に、隣室から声を掛けられて、広尾は不必要にギクリとなる。
 己の不埒な思考を読み取られでもしたかのような、後ろめたさがあった。

「…どうしました、柊一さん」

 そっと襖を開くと、柊一が身体を起こしているのが見えた。

「喉が渇いた…」

 こちらの部屋まで赴こうとする柊一を制止して、広尾は湯飲みに白湯を満たし運んでやる。

「無理かもしれませんが、眠っておいた方が良いですよ」

 白湯を飲み下す柊一の喉元が、射し込む灯りに白く浮き上がる。
 広尾は、気付かれないように目線を外していた。
 今は、柊一の仕草一つ一つが、あまりにも眩しく見える。
 その一挙手一投足に、欲情してしまいそうだった。

「…文明、……こんな事をオマエに頼むのは、筋違いだと解っているんだが…」
「なんですか?」

 何気ない様子を装ってそちらを見たつもりが、柊一のあまりにも真剣な眼差しにぶつかって、広尾は狼狽えてしまう。

「俺を…殺してくれないか?」
「なっ…!」

 唐突な言葉に、広尾は愕然となった。

「なんですってっ?!」
「俺を、殺してくれ。…オマエにだって、解るだろう? 俺には、ヤツを討つだけの力は無い。今更道場に戻って、なにが出来ると言うんだ? 義母の嘲りを受け、一族から謗られ、そんな俺にまだ生きている価値などあるのか?」
「あの道場だけが、全てじゃあないでしょう?」
「例え押しつけられた物であったとしても、俺が責務を果たせなかった事実に変わりはない。ここから戻らずに、ヤツを討つ事も諦めてしまうとしたら、やはり俺には俺の生きている価値を見出すことは出来ないだろう」

 改めて言われるまでもなく、広尾にもそれは痛いほどよく解っていた。

「ア…アナタはただ、ヤツに抱かれた事で臆しているだけです!」

 柊一の表情が、強張ったものになる。

「始めは本当に、抵抗する術を奪われて陵辱されたかもしれませんが、今回は、アナタは俺を庇う為に、不本意ながらもヤツの言いなりになって…」
「やめろ!」
「…それでも最初は、屈辱感に捕らわれていたのに、アナタ自身の身体がそうして陵辱される事に快感を覚えてしまっていたから、迷いが出てきているだけでしょう?」
「違うッ! やめろっ! やめてくれっ!」

 激昂し、柊一は思わず拳を振り上げたが、結局それは広尾に振り下ろされる事はなく、己の頭を抱えて蹲った。

「やめて…くれ…。俺は…、俺は……っ!」

 怯えたように微かに震えてさえいる柊一を前に、広尾はひどく胸が痛んだ。
 そして同時に、強い決意をする。
 例え自分が今後決して許しては貰えなくなったとしても、今ここで多聞の呪縛から解き放ってやらなければ、柊一はダメになってしまうかもしれない。
 そっと手を伸ばし、広尾は柊一の顔を自分の方へと振り向かせる。

「ヤツを討つだけの力が無いなんて、そんな事は決してありません。俺はアナタがどれほど強いか、良く知ってます。…今は、ただアナタの気持ちが動揺していて、そんなふうに臆病になっているだけで…」
「文…明…?」

 身体を横たえさせられた後、広尾が自分の上に覆い被さってくるのを柊一は不思議そうに見上げていた。

「触れられる事で感じてしまうのは、決して恥ずかしい事ではありません」

 頬に触れていた広尾の指が、顔の輪郭をなぞった後に首筋から胸へと流れるのを感じ、柊一は目を見開いた。

「…文明…なにを…!」
「怯えないで! 行為で快楽を感じるのは、アナタだけじゃありません。触れあえば、俺だって…」

 広尾は、信じられないといった顔で自分を見つめてくる柊一の口唇を塞ぎ、着物の合わせ目にそっと右手を滑り込ませた。

「う…っ! うう…っ!」

 肌をさらけ出され、身体のラインをなぞられた瞬間、柊一は抵抗するかのように身を捩らせる。
 しかし柊一は、信じていた広尾の唐突な行動に戸惑っているのか、強く拒絶して広尾を突き飛ばすような行動にはでなかった。
 それに乗じて広尾は柊一の帯をゆるめると、下肢へと手を伸ばす。

「…や…っ!」

 口付けの合間に漏れた拒絶の言葉を、広尾は敢えて聞き入れなかった。

「柊一さん、解るでしょう? 俺だって同じように触れられれば感じるんです。…アナタが悪いワケじゃない」

 柊一の手を取り、広尾は己の下肢へと導く。
 そうして柊一を欲してしまっている己をさらけ出し、広尾は苦い笑みを柊一に向けた。

「文明、オマエ…!」
「ヤツは、アナタの気持ちに付け入っているだけです。アナタがひどく魅力的で、そんなアナタに触れたいから、アナタを惑わしているだけだ。…他人に触れられる事は、そんなに怖ろしい事でも悪い事でもないんです」

 戸惑うように広尾を見つめていた目を伏せ、柊一の手がおずおずと広尾のそれに触れる。

「ほら、アナタに触れられれば俺だってそうなる。…アナタが魅力的だから、余計に俺は煽られてます」

 再び広尾を見上げた柊一は、不意に両手を伸ばすと広尾の身体にしがみついてきた。

「文明、俺を抱いてくれ」
「…柊一…さん?」
「オマエが言うように、俺がただ動揺しているだけだというなら、その行為に馴れてしまえばいい。そういうことだろう?」

 柊一の言葉に、広尾は自嘲するように口元を歪めた。
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