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第5話
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しかし、経緯は内密にされたものの「道場の主が斬り殺された」という事実だけはそこに残っていた。
仇を討たねば道場を継ぐ事が叶わなかった訳ではない。
師範代の中師はもちろん、心ある門徒達は柊一の実力を知っていたから、すぐにもそのまま跡目を継がせるべきだと主張した。
だが、本妻である義母が「それでは世間に対して、体裁が悪い」と言い張った。
妾の生みの母には、もちろん発言権など与えられていない。
あったところで、彼女が柊一を庇うような意見を述べたとは、とうてい思えないが。
事の決定は、一族の話し合いで決まった。
柊一を蔑みながらも一方でその力量を知っていた一族の者達は、本妻の口喧しさから逃れる為に安易な結論を選んだ。
本懐を遂げて帰ってきた息子であれば、妾腹云々を問われる事もなく跡継ぎに据える事が出来る。
そして柊一の腕であれば、仇を討つのにそれほどの手間は掛からないだろうと言う甘い見解の元に。
旅に出なければならない本人の意思は、そこに存在しなかった。
もちろん猛反対をした門徒達の声も、黙殺された。
ほとんど放り出されるような形で旅に送り出された柊一は、その事情と状況から門徒達の助太刀を全て断り、一人でひっそりと旅立った。
己の責務を果たして道場に戻った広尾は、中師からその話を聞かされて愕然となった。
止める家人の手を振りきり、取る物もとりあえず闇雲に柊一の後を追ったのは、柊一が旅立ってから1月ほど遅れての事だった。
「なぜ、何も言ってくれないんですか? 俺は、そんなにも非力なんですか?」
強く問いつめてくる広尾を、柊一はやはり何も答えずに見つめている。
本当は、こんな場所でジッとなどしていられない。
自分が向かおうしていたその方向に、多聞が居るのかどうかの確信はない。
ただ「あの男を何が何でも、討ち果たさねばならない」という切羽詰まったような気持ちが、柊一を焦らせているばかりで、他のことは何一つ考える事が出来ないだけなのだ。
柊一の身体には、生まれつき両方の性が混在している。
その事は、柊一自身以外には、極一部の一族の者しか知らない秘密であった。
幸いにして、服の上からではその特殊な事情を伺い知られる事は無い。
着衣を脱いだ時ですら多少の違和感があるだけで、今まで他人に気づかれた事は無かった。
うち解けた仲であった広尾や中師にさえ、柊一はその事を告げてはいなかった。
そう「今まで」は。
着衣を剥ぎ取られ抵抗も出来ないままに犯された事実に、なにも考えられなくなるほどの憤りがこみ上げてくる。
力及ばなかった、自身の不甲斐なさに。
卑怯な手段で、自分を辱めた多聞のやり方に。
父親の復讐など、そんな事は既に柊一の頭の中からは無くなっていた。
あの男を殺す事。
ただ、それだけだった。
「これは俺の問題だ、文明には関係ない。…こうしているのも時間の無駄だ」
立ち上がり、部屋を出ていこうとする柊一に広尾もまた苛立った調子で立ち上がった。
「判りました。それじゃあ、俺も俺の好き勝手にさせていただきますからっ!」
「勝手にしろ」
出ていく柊一の後を、広尾は思い詰めた表情で追いかけた。
柊一が行く街道を、広尾も黙ってついて歩いた。
特に身を隠すような事もせず、前を行く柊一の背中を睨み付けながら、広尾は複雑な思いで歩き続けた。
一度言い出したら、テコでも人の話など聞かない柊一の性格を、広尾は誰よりもよく解っている。
道場で一緒にいた頃は、そうした柊一の我を広尾が聞き入れる形でいつでも納めていた。
しかし、今度の場合はそうはいかない。
広尾は、柊一を訪ね歩く途中で柊一が追っている相手の噂も聞いていた。
柊一の家の人間がどう考えているかは知らないが、仇と狙う多聞という男は、一筋縄ではいかない相手だ。
あてにならない噂の中には、どこぞの格式高い家の指南役を務めていたが、周りの画策によって失脚し、今は浪々の身に落ちているなどというものもあった。
それが事実か否かは、この際問題ではない。
肝心なのは、こんな噂が立てられるほどに、多聞の腕が立つと言う事なのだ。
街で一番と歌われた柊一道場ではあるが、所詮は一道場である。
そこから外に出れば、世間にはいくらも剣豪が存在しているに違いない。
多聞の腕が、柊一のそれを上回るかもしれない。
広尾の危惧は、その一点にのみ注がれていた。
自分が助勢したところで、柊一が有利になるとは思えない。
腕の立つ人間を相手にした立ち回りでは、時として人数が多い方がただ場の混乱を招く場合もある。
柊一がそれを恐れているのだとしたら、自分の行動は柊一の足を引くだけだ。
だが…。
広尾にとって、柊一はかけがえのない人間なのだ。
例え己の身を挺しても、柊一には生きながらえて貰いたい。
本懐を遂げて帰ったとて、あの家は柊一を暖かく迎え入れてくれない事も知っている。
いっそ、柊一があの家から出てしまえば良いとさえ、思った時もあるけれど。
責任感の強い柊一の性格を思うと、それを口に出す事は出来なかった。
それでも、当主になれば。
一族をまとめ上げ、頂点に立って指導をする素質を、柊一は持っている。
中師をはじめとする、自分と同じように柊一を思う門徒達も少なからず存在する。
彼らはきっと、柊一をもり立ててくれるであろう。
それが確信出来る広尾は、いつかあの家の中で柊一が穏やかに暮らせる日があると信じていた。
ここでもしも多聞の刃に倒れたら、それではあまりにも柊一が報われなさすぎる。
その思いが、今の広尾の行動の理由だった。
後ろからついてくる広尾を意識しながら、それでも柊一は振り返らなかった。
広尾は、多聞の腕を知らない。
そして自分が既に一度、多聞と対峙して無様な敗北をした事も。
今の柊一の腕では、広尾を庇う余裕はないだろう。
だが、ここで広尾を説得する時間が今の柊一には惜しかった。
出来る事は、タイミングを計って広尾をまいてしまう事。
そして、柊一はそれを迷わず実行した。
仇を討たねば道場を継ぐ事が叶わなかった訳ではない。
師範代の中師はもちろん、心ある門徒達は柊一の実力を知っていたから、すぐにもそのまま跡目を継がせるべきだと主張した。
だが、本妻である義母が「それでは世間に対して、体裁が悪い」と言い張った。
妾の生みの母には、もちろん発言権など与えられていない。
あったところで、彼女が柊一を庇うような意見を述べたとは、とうてい思えないが。
事の決定は、一族の話し合いで決まった。
柊一を蔑みながらも一方でその力量を知っていた一族の者達は、本妻の口喧しさから逃れる為に安易な結論を選んだ。
本懐を遂げて帰ってきた息子であれば、妾腹云々を問われる事もなく跡継ぎに据える事が出来る。
そして柊一の腕であれば、仇を討つのにそれほどの手間は掛からないだろうと言う甘い見解の元に。
旅に出なければならない本人の意思は、そこに存在しなかった。
もちろん猛反対をした門徒達の声も、黙殺された。
ほとんど放り出されるような形で旅に送り出された柊一は、その事情と状況から門徒達の助太刀を全て断り、一人でひっそりと旅立った。
己の責務を果たして道場に戻った広尾は、中師からその話を聞かされて愕然となった。
止める家人の手を振りきり、取る物もとりあえず闇雲に柊一の後を追ったのは、柊一が旅立ってから1月ほど遅れての事だった。
「なぜ、何も言ってくれないんですか? 俺は、そんなにも非力なんですか?」
強く問いつめてくる広尾を、柊一はやはり何も答えずに見つめている。
本当は、こんな場所でジッとなどしていられない。
自分が向かおうしていたその方向に、多聞が居るのかどうかの確信はない。
ただ「あの男を何が何でも、討ち果たさねばならない」という切羽詰まったような気持ちが、柊一を焦らせているばかりで、他のことは何一つ考える事が出来ないだけなのだ。
柊一の身体には、生まれつき両方の性が混在している。
その事は、柊一自身以外には、極一部の一族の者しか知らない秘密であった。
幸いにして、服の上からではその特殊な事情を伺い知られる事は無い。
着衣を脱いだ時ですら多少の違和感があるだけで、今まで他人に気づかれた事は無かった。
うち解けた仲であった広尾や中師にさえ、柊一はその事を告げてはいなかった。
そう「今まで」は。
着衣を剥ぎ取られ抵抗も出来ないままに犯された事実に、なにも考えられなくなるほどの憤りがこみ上げてくる。
力及ばなかった、自身の不甲斐なさに。
卑怯な手段で、自分を辱めた多聞のやり方に。
父親の復讐など、そんな事は既に柊一の頭の中からは無くなっていた。
あの男を殺す事。
ただ、それだけだった。
「これは俺の問題だ、文明には関係ない。…こうしているのも時間の無駄だ」
立ち上がり、部屋を出ていこうとする柊一に広尾もまた苛立った調子で立ち上がった。
「判りました。それじゃあ、俺も俺の好き勝手にさせていただきますからっ!」
「勝手にしろ」
出ていく柊一の後を、広尾は思い詰めた表情で追いかけた。
柊一が行く街道を、広尾も黙ってついて歩いた。
特に身を隠すような事もせず、前を行く柊一の背中を睨み付けながら、広尾は複雑な思いで歩き続けた。
一度言い出したら、テコでも人の話など聞かない柊一の性格を、広尾は誰よりもよく解っている。
道場で一緒にいた頃は、そうした柊一の我を広尾が聞き入れる形でいつでも納めていた。
しかし、今度の場合はそうはいかない。
広尾は、柊一を訪ね歩く途中で柊一が追っている相手の噂も聞いていた。
柊一の家の人間がどう考えているかは知らないが、仇と狙う多聞という男は、一筋縄ではいかない相手だ。
あてにならない噂の中には、どこぞの格式高い家の指南役を務めていたが、周りの画策によって失脚し、今は浪々の身に落ちているなどというものもあった。
それが事実か否かは、この際問題ではない。
肝心なのは、こんな噂が立てられるほどに、多聞の腕が立つと言う事なのだ。
街で一番と歌われた柊一道場ではあるが、所詮は一道場である。
そこから外に出れば、世間にはいくらも剣豪が存在しているに違いない。
多聞の腕が、柊一のそれを上回るかもしれない。
広尾の危惧は、その一点にのみ注がれていた。
自分が助勢したところで、柊一が有利になるとは思えない。
腕の立つ人間を相手にした立ち回りでは、時として人数が多い方がただ場の混乱を招く場合もある。
柊一がそれを恐れているのだとしたら、自分の行動は柊一の足を引くだけだ。
だが…。
広尾にとって、柊一はかけがえのない人間なのだ。
例え己の身を挺しても、柊一には生きながらえて貰いたい。
本懐を遂げて帰ったとて、あの家は柊一を暖かく迎え入れてくれない事も知っている。
いっそ、柊一があの家から出てしまえば良いとさえ、思った時もあるけれど。
責任感の強い柊一の性格を思うと、それを口に出す事は出来なかった。
それでも、当主になれば。
一族をまとめ上げ、頂点に立って指導をする素質を、柊一は持っている。
中師をはじめとする、自分と同じように柊一を思う門徒達も少なからず存在する。
彼らはきっと、柊一をもり立ててくれるであろう。
それが確信出来る広尾は、いつかあの家の中で柊一が穏やかに暮らせる日があると信じていた。
ここでもしも多聞の刃に倒れたら、それではあまりにも柊一が報われなさすぎる。
その思いが、今の広尾の行動の理由だった。
後ろからついてくる広尾を意識しながら、それでも柊一は振り返らなかった。
広尾は、多聞の腕を知らない。
そして自分が既に一度、多聞と対峙して無様な敗北をした事も。
今の柊一の腕では、広尾を庇う余裕はないだろう。
だが、ここで広尾を説得する時間が今の柊一には惜しかった。
出来る事は、タイミングを計って広尾をまいてしまう事。
そして、柊一はそれを迷わず実行した。
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